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<店のこと 2007.11.17>
なにもやる気がおきないがとにかく店を開けようと11時に店に。涙で顔がぱんぱんに腫れていて
明らかに変なのでお客さんもおかしいと思っていただろう。
とりあえず店をどうしよう。。と16日に来てくれた友人に店に来てもらう。
友だちはみんな子どもが小学生だったり仕事をしていたり、ヒマにしている人など一人もいない。お店をお願いしたいけど、誰に言ったらいいのか。。。
友達の顔をみるとまた泣けてしまう。なんとか説明すると「店は何人かで交代で開けてくれる」と言ってくれる。
2ヶ月ほど店を閉めざるを得ないと思っていたので、ほんとうにありがたく思う。
その夜、他の友だちにも打診してみる。でも病状を説明して「店お願いできない?」といわれた状況でなかなか断れないだろう。。
ちょっと卑怯だなと思う。
この日兄が東京から来てくれた。実は兄は10年以上前になるが「胃がん」を患っているのだ。
まだ30代で初めての検診で見つかり2/3摘出している。転移もなくいまのところ元気にしている。
私が金曜日胃がんであることを告げたので、急いできてくれたのだった。実家でごはんを食べながら術後のことなどを聞く。
でも私は(兄は生きているけど、私は余命が長くないかも)とかそんなことばかり考えてしまっていた。
<セカンドオピニオン 2007.11.18>
いろいろしなければならないけど手につかない。。やる気にならない。。といった状態。
伯母は先週骨折し六甲アイランド病院に入院していた。
伯母のグループホームにも時々遊びに行っていたのだが、入院先にはまだ行っていない。しばらく会えなくなるから会いに行こうと思い、母、兄と行く。伯母はしっかりしているときと認知症気味のときがある。入院したことで状況が飲み込めなくなり日曜はかなり錯乱状態だった。手術を受けたこともわかっておらず、点滴などを引き抜くので手足を拘束されておりそのことに激怒していた。
とても私の病気のことなど理解できないだろうし、言わずに帰った。
母は、伯母のところに来ること、私の店番、私の子どもの世話。。など一度にたくさんのことが降りかかり、自分自身も婦人会、ボランティアなどたくさん活動しているのにそれを一時停止することになり、一番の被害者といえるのではないだろうか。一番迷惑をかけたくない人に頼らざるを得ないって情けなかった。
兄からセカンドオピニオンをどうするかといわれた。兄の奥さんはお医者さんで、電話でいろいろ助言してくれた。いまやセカンドオピニオンは常識ともいえ、病院側には失礼なことはまったくないらしい。で、兄の奥さんも関西の外科医のことはあまり詳しくなく、私の病院がいいかどうかと
聞かれても判らないが、自分の知っている先生を紹介することは出来ると言ってくれた。ただ今回の手術は誰の見立てでも同じ処置を取る手術で、病院によって見解が違うものではないらしい。それに家から近くて家族の負担が少なく、病院に悪いうわさもないのならそこで手術することに問題がないのではと言ってくれた。せっかく早く手術できそうだし、(手術が早ければいいというものではないそうだが)
白紙に戻すのもいやだったのでセカンドオピニオンは行わなかった。
<一つ一つ済ませていく 2008.11.19>
この日は普通に店を開ける。今まで開店してから1年、自分だけでやってきたのでみんなにわかりやすいようにどうしたらいいのかを考える。なにもかも一人でするということは私が体が悪くなったらどうするのか。。と漠然といつも考えていたけど、こんなに早くそうなってしまうなんて。お客さんに「これいつ入荷するの?」と聞かれても答えられず苦しい思いをする。
娘の担任の先生に電話して病気のことを伝える。娘も思春期の真ん中でいろいろ難しい年頃だし
先生にお願いする。私より若い男の先生だが誠実でとてもいい先生だ。
<造影CT 2007.11.20>
病院に行き造影CTを撮る。他の場所に転移がないか調べるため。夕方からだった。母に店番を代わってもらおうとしていると娘から電話。
「お兄ちゃんが男の人と家に来て、『妹じゃしょうがないな』といって帰っていった」という。もう病院に行かないといけないし
息子に「とにかく電話を」とメールする。息子から電話があり「ごめん」という。内容は店に行って話すという。「病院に行かないといけないから」と息子も連れ立って病院へ。行き道で聞くと、学校帰りに自転車でベンツにぶつかったという。で、ベンツの持ち主が怒って家に連れて行けと言ったという。なんでそれでなくてもややこしいのにこんな事件を起こすかなあ。。
すぐ夫に電話して帰ってきてもらう。夫は名古屋にいたがすぐ帰ってくれる。先週からまったく仕事になっていないんじゃないか。
夫が息子を警察に連れて行き相手とともに実況見分をして事件は丸く収まった。
造影CTのほうはなんてことなかった。体がブランデーを飲んだときみたいにカッとなったけどすぐ終わった。外で息子が待っているので年配の看護士さんが「息子さんついてきてくれたの?」と聞いてきた。細かく話すのも面倒なので「ハイ」というと「優しい息子さんねえ!思春期で難しい年頃なのにお母さんの検査についてくるなんて!」
(いえ、そんなにいいもんではありません・・)と思いながらも「ハハハ」と笑ってごまかす。
<再度 胃カメラ 2007.11.22>
今日は手術する病院で胃カメラ。しかものどから入れるやつ。鼻からのは、まだ導入されていないらしい。
まあ、前より覚悟は出来ているし、胃がんの場所を特定する大事な検査だし、観念して挑んだが
やっぱりえづくえづく。。前より太いし、先生が「次十二指腸行きますよ〜」とか
もう、説明しなくていいから!やはり後はぐったり。。。
夫がついてきてくれていて、その後先生の説明があった。CTでは転移は見つかっていないこと、
胃がんの場所は噴門近く上から5センチの位置にあり、ガンの大きさは4センチ四方くらい。
深さは深くなさそうで、ステージでは1aか1bだろう。開腹後転移が認められたら脾臓も摘出するかもとのこと。
まわりのリンパはとる。胆のうもそれに続く神経を切るから一緒に取る とのことだった。
胃は全摘出になるだろうとのことだった。
がん細胞はシグネットリングと言ってあまり隆起せず、ばらばらと広がっていくタイプで見つけにくいタイプ。
胃自体が硬くなって小さくなる「スキルス胃がん」とは診断されなかったが、それに近い。。?胃の痩せているところもあるそうだ。
でも潰瘍が治りかけて硬くなっているのか、どちらかまだ判らないと先生は言った。
<仕入れ 2007.11.23>
祝日。何してたっけ?そうそう、仕入れができなくなるからと大阪に仕入れに行ったのだった。我ながらよくやるよ。。
風邪を引くなとお医者さんに何度も言われたから、マスクをしていく。母も一緒に行く。
あれもこれもと仕入れる。年末前の掻きいれ時だから仕入れ屋さんもすごい人。
帰りはすっかり遅くなり、こういう日にこそ最後に家族においしいものとかつくるべきなのになあと
思いながらも仕事を優先する自分にあきれる。
<とりあえず最後の晩餐 2007.11.24>
夜、最後の晩餐にレストランに行く。ランチに行ったことがあるけど
ディナーは初めて。オーナーはフランス人。(多分)
なんだか外国のレストランみたいで素敵だった。モツアレラチーズのサラダと野うさぎの煮込みをいただく。
デザートはピーチメルバとりんごのクレープ。
術後お酒が飲めなくなることより、ケーキが食べられなくなるのが何より辛いので
あまいものをいっぱい食べる。
昔、大食いだったと思うのにいつのころからか食が細くなった。発生しつつあった病気のせいなのかわからないけど自分では「加齢」のせいと思っていた。子どもが食べ盛りでそっちに食べさすのに夢中で自分はまあいいわと思っていた。でも今日はこれでもか!と食べたのでさすがに胃が痛かった。
生まれたときから42年間がんばってくれた胃に感謝したい。
<店の引継ぎとヘアカット 2007.11.25>
店を手伝ってくれる人に引継ぎ。5坪の店でもすることがたくさんあるものだな。。
そうこうしながらもお客さんも来るし、予定を大幅に過ぎて5時くらいまでかかる。
伯母の病院に行こうと思っていたけど、もう無理で、とにかくヘアカットだけ行く。
娘は月曜から期末テストだけどまったく勉強も見てないし一体どういう結果になるのか。
「点数が悪いと回復が遅れるかも」と脅しをかけてみたが効き目があるのか・・・
病気がわかってから娘と息子は自分でお弁当を作ってくれている。洗い物も。
まあもともと手抜きもいいとこの家事で、不真面目な母だったので、こういうことになっても
ギャップが少ないのではと自己弁護してみる。
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