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お気楽趣味人のきまぐれブログ
いくつになってもお気楽

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世の中はすっかりサッカーワールドカップ一色ですが、毎年この季節は私が血の騒ぐ季節です。毎年夏至の近いこの季節にパリから約200kmのルマンで世界一の自動車耐久レースが開かれます。今年はちょうどワールドカップの開幕と重なり、日本勢がほとんど出ていないこともあって注目度低でしたがラップタイムでは劣るアウディが渋いレース運びで予選を圧倒したプジョーが全滅するのを尻目に上位独占といういかにもドイツ的な戦いで21世紀のルマンの帝王としての記録をまた伸ばしました。日本でのTV放送は無かったのでしたが、プジョーとアウディがWEB上で生のオンボード放送をしていたのでサッカーのデンマーク戦は見る根性が無かった私も、よくわからないフランス語のオンボード放送にハマって夜更かしして月曜日に眠かったのでした。そんな世紀の大レース、ルマン24時間に46歳で初出場したのが昭和のレーシングヒーロー高橋国光選手でした。

国さんこと高橋国光選手はいにしえの浅間火山レースの頃からオートバイレースに参加し、ホンダのライダーとして日本人として初めて世界GPに優勝。マン島TTでの事故で生死の境をさまよったものの復活し、その後4輪車のレースに転向して日産ワークス入りして日本GPなどでも活躍しましたが、ビッグレースでの栄冠が無く無冠の帝王と呼ばれた時代もありました。その後1978年のJAF−GPで優勝して無冠の帝王の名は返上して、国内のGCやF2、耐久レースで活躍しました。1977年の富士でのF1の日本GPでは中古のタイレル007に乗って出場しています。
国さんはどちらかというとドリフトを多用したドライビングで、当時はドリフトの国光と呼ばれ、後に土屋圭市が師と仰いだことから昭和のドリキンとも呼ばれることもありました。

二輪時代は世界をまたにかけていた国さんでしたが、4輪の日産時代は東南アジアや南アフリカのローカルレースくらいしか海外レースに姿を現すことはありませんでした。
そんな国さんが海外のビッグレースに初めて出ることになったのは1986年のルマン24時間レースでした。国内の耐久レースではアドバンポルシェで数々の優勝を手にして耐久の王者の風格でした。当時ヨコハマタイヤの関係で名門クレマーレーシングのケンウッドポルシェに乗ることになったのでした。マツダは既に常連ながらいよいよ本格的に参戦を始めた頃で、トヨタ、日産はこの頃に初めてルマンの土を踏んでいます。初めての超高速公道コースにさしもの国さんも恐怖を感じて攻め切れなかったことを後に言っていました。J.ガルトナー、V.deマーウェーと組んだ国さんのルマン初挑戦は名門チームでの参加もあって日本チームよりも良い走りをしていましたが、悲劇的な結末を迎えることとなります。夜中のユノディエールストレートで全開走行中にJガルトナーが駆る黒いケンウッドポルシェはコースから飛び出して立ち木に激突してガールトナーは即死してしまいます。60年代の日本GPや二輪の世界GP時代に仲間の死は何度も見てきた国さんでしたがパートナーが目の前で亡くなった悲劇に涙していたのを覚えています。
これ以上のない悲劇で幕を開けた国さんのルマンでしたが翌1987年も同じクレマーからポルシェ962に乗って出場しました。K.ニッセン。V.バイトラーと組んだ2回目のルマンはあっけない幕切れとなります。粗悪ガソリンが問題になったこの年のルマンでスタート後数周でエンジンが壊れてリタイヤ。国さんの出番はありませんでした。1988年はB.ジャコメリ、岡田秀樹と組んで同じくクレマーのポルシェ962で出場して今度こそ淡々と走り抜けて9位で完走いたしました。この当時の日本人の最高順位という記録でした。
初完走を記録し、いよいよルマンの常連となりつつある国さんは翌89年も同じクレマーからケンウッドポルシェ962に乗って出走します。Cカー時代も末期に近づき、そろそろジャガーやメルセデスの力が台頭してきてポルシェの力に翳りが出だした時代です。B。ジャコメリ、G.ラバッジと組んでそこそこ上位をうかがう走りをしていましたが、終盤の20時間を過ぎた日曜日の昼頃に国さんが走行中に火災が発生してあっけない幕切れとなります。
そして1990年はクレマーレーシングからオリジナルのポルシェ962CK6で出走しました。岡田秀樹、V.deマーウェーと組みましたが終盤にエンジンが末期状態でまともに完走できる見込みが無いのでピットで待機してゴールを待ち、最後の1周を走って24位で完走という記録が残っています。
この年国さんは既に50歳を迎えており一旦国さんのルマン挑戦はここで幕を下ろします。もっと選手として脂の乗った時期に良いクルマに乗って挑戦していたらという思いはありますが、まだまだ日本の自動車レースは創世記から脱していない時代の事でしたので誰もそんな事は考えもしなかったのでした。

数年後に国さんは別の形でルマンに帰ってきます。それは次の機会に紹介いたしましょう。
モデルは5台ともSPARKの1/43レジン製量産ミニカーです。輸入元国際貿易のプロデュースする日本のスポンサーのポルシェ962シリーズの一部です。かつてプロバンスやスターターを必死に組んでいたのがウソのような出来の良さと低価格です。並べてみるとケンウッドカラーの移り変わりが見られて面白いですな。個人的には悲劇の1台の黒/黄カラーが好きでした。

この記事に

  • 自分は右上の白赤ケンウッド♪
    日本の日の丸カラーっぽくて好きですね〜♪

    中央線

    2010/6/27(日) 午後 4:53

    返信する
  • ポルシェは白が好きです。ミニカーでも、コンパクトが在りインパクトも在りますね。エンジンオイルや 洗浄剤は必要無いのかしら。どうもありがとう。

    [ - ]

    2010/6/27(日) 午後 10:18

    返信する
  • 白ケンウッドは爽やかな感じですかね。黒/黄は一度だけでしたが精悍な感じですね。その昔は青一色でしたね。でも染み付いたイメージは赤/黒でしょうね。

    sar*he*4

    2010/6/27(日) 午後 11:46

    返信する

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