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先ほどの無変換はなんだったんだろうな。
まあ、書けるからよしとしよう。
2013年に姑が亡くなりました。
お正月の松の内でした。
そのちょっと前の年末に老人専門の病棟に入っていたところに、
お見舞いに行って2週間ほどのことでした。
2011年11月、舅の七回忌がありました。
夫の兄夫婦、姉夫婦、私ども夫婦、そして姑の7人だけで、
お坊様に来ていただいて、お経をあげていただき、
その後は会食、という、簡単なものでしたが、
その時の姑は歯が一本しかないにもかかわらず、
仕出しのお弁当をペロッと平らげていましたし、
それ以外にもお酒のあてなども持ってきてもらっていたのですが、
それも結構食べていたので、
こりゃあ長生きしそうだね、と夫と話していたのです。
このときまだ姑は一人暮らし。
ところが、そのすぐ後、
義兄夫婦のところに民生委員さんから連絡があり、
どうもトイレに間に合わなくなったようだとのこと。
それが年明け2月くらいのことでした。
歩き辛いとはわかっていましたし、
義兄夫妻が在住地に何度も呼んでいたのですが、
「誰も知らんところへ行きたくない」
と、
かな〜り、強硬に断っていたので、
転勤族のうちなどめっそうもない、って感じで時々見に行くくらいだったのですが、
早速、義兄夫妻が飛んで行き、まずは入院させました。
お年寄って、寝付くと一度に歩けなくなるもので、
入院したとたん、まったく足に力が入らなくなり、
元々痴呆もあったので、
退院後はマンション型の老人ホームに入居。
しかし、そこで今度は骨盤骨折してしまい、
どのような状況で骨折したかをホーム側の説明が納得いくものでなかったので、
結局、長男夫妻が家で看ることに。
でも、もうその頃にはあれだけ食べれていた人が、食べられなくなっており、
またしても、入院することに。
入院後、2カ月で亡くなりました。
最初の入院から考えると1年弱。
歩けなくなってからが、あっという間でした。
なんというか、こんなに早いとは思っていなくて、
ただただ、驚愕のうちに終わりました。
今となって思うことは、
人間は歩けなくなると食べられなくなり、
食べられなくなると、もう長くないということだけです。
本当に、私などは介護もしておりませんが、
最後に介護をしていた兄嫁も3か月ほどで終わっていますし、
ある意味ありがたい姑でした。
昔から、あれやんとか、これやんとかって、
代名詞の迷宮の中に住んでいる人でしたが、
去り際の潔さに頭が下がります。
舅も脳内腫瘍が見つかって半年ほどで亡くなっていますし、
夫の両親は子ども孝行な人だったといえます。
途中、取られ妄想なんかで困ったこともありましたが、
亡くなった今では、そんなこともあったねと、
笑い話になっています。
写真は春先の猫団子。
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