ネコと生活

なかなか訪問コメント残せなくてゴメンね

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父が亡くなりまして

10日ほど前に父が亡くなりまして、あわあわと相続のための書類を集めております。


あったこともない親類の除籍謄本を集めたり、
面倒くっさい処理が続いて父の亡くなったことへの悲しみが後回しになっております。






それって、当たり前なんですかね?









ちょっと愚痴らせて



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ふぅ。。。

よくあることと言われればそれまでなんですけど、

数年前、PCに関する職業訓練を受けたことがあって、その時のクラスメートの何人かとは、

受講後も集まって半年に一度ほど、飲みに行ってるんです。

皆さん私よりお歳が上で、出てくるお話も面白く、

楽しい時間の共有をしているんですけど、

10日ほど前にその中の一人から電話があって、

(その方とは最寄りの駅が一緒なのでおうちが多分ご近所だとは知っていたのですが)

これから渡したいものがあるからうちへ来てもよいかと言うのです。


まあ…、何かは大体想像できましたけど、

相手はすでにこちらの住所を特定してきていたので、しぶしぶOKしました。


某宗教の新聞と「日蓮大聖人に背く日本は必ず滅ぶ」というご本を手に、

その時は宗教に誘うというより、これ読んでみて、という感じだったのですが、

私、こういうの嫌いなんです。

信心してる方たちには悪いけど、この手の終末思想で人を勧誘できると考えていること自体、

脅されてるようで大嫌い。

で、持ってるだけで呪われそうでヤだな、と思いつつも、

今までの関係性を考えると仕方ないかと受け取りました。


そしたらね、今日お昼過ぎ、昼食の支度をしようかと思ってる所にピンポンですよ。

しかも二人組で。

私の知らん人と一緒に。

いや、日曜で夫がいたから断りましたけどね、

一人だったらあんなに気強く断れんかったわ。


あ、私、気弱なほうじゃないけど、

男二人にワ〜ワ〜言うほど元気じゃないです。

でもここで断らないと恐ろしいことになりそうで頑張りました。


たぶん来月あたり、また飲み会があると思うんだけど、

なんだか楽しい時間にケチがついたようで、しおしおのぱぁですわ。


こそっと愚痴でした。

写真は猫柄の猫です。

 
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父の特老入所が決まりました。

春先にすっかり立ち上がることが難しくなり、

母と二人暮らしでヘルパーさんの介助だけだとお手洗いに行くことも難しくなってしまい、

普段から二人を見てくれている妹とともに、施設に入ったほうがよかろうと、

入ってもらったのはよかったのですが、

食事が胃腸に負担だったようで、

(父はちゃんと歯が20本以上残っていたので普通食が出ていました)

下痢がひどくなって、

ノロかもしれないと隔離病室に入っていたのですが、

検査の結果、

食事が口に合わなかっただけとの診断になりました。


施設に戻ったのですが、

一時期本当にもう危ないかもしれないと覚悟したほどに体調を崩したので、

(脱水状態であるにもかかわらず、肺に水がたまっているという矛盾した症状でした)

すっかり気力がなえてしまって、

食事をするのも大儀そうでした。


施設というのは介護士さんがいらしても集団生活ですから、

何事かを座って待つ時間が父には辛かったり、

新しい施設なので介護士さんも不慣れだったり、

文句言うなら自分で看ろよ、って話ですが、

ちょっと父には負担が大きいかな、と心配しておりました。


今の施設に入ることになったときに、

当然、特別養護老人ホームにも入所希望を出しているのですが、

こんなに早く入れるとは思っていませんでした。


特老に入れることは本当にありがたい。

10人でワンユニットなので、今までより手をかけてもらえるでしょう。


しかし、あそこに入るということは、

出ることは病気で入院するか、

亡くなるかという意味ですから、

ありがたいと思いながらも、とても複雑な思いです。



写真は5年前まで生きてた、実家のラジャくんです。

享年21歳でした。


ちょっと尻尾が割れてたかも。。。


なんだったんだろ

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先ほどの無変換はなんだったんだろうな。

まあ、書けるからよしとしよう。


2013年に姑が亡くなりました。

お正月の松の内でした。

そのちょっと前の年末に老人専門の病棟に入っていたところに、

お見舞いに行って2週間ほどのことでした。


2011年11月、舅の七回忌がありました。

夫の兄夫婦、姉夫婦、私ども夫婦、そして姑の7人だけで、

お坊様に来ていただいて、お経をあげていただき、

その後は会食、という、簡単なものでしたが、

その時の姑は歯が一本しかないにもかかわらず、

仕出しのお弁当をペロッと平らげていましたし、

それ以外にもお酒のあてなども持ってきてもらっていたのですが、

それも結構食べていたので、

こりゃあ長生きしそうだね、と夫と話していたのです。

このときまだ姑は一人暮らし。


ところが、そのすぐ後、

義兄夫婦のところに民生委員さんから連絡があり、

どうもトイレに間に合わなくなったようだとのこと。

それが年明け2月くらいのことでした。

歩き辛いとはわかっていましたし、

義兄夫妻が在住地に何度も呼んでいたのですが、

「誰も知らんところへ行きたくない」

と、

かな〜り、強硬に断っていたので、

転勤族のうちなどめっそうもない、って感じで時々見に行くくらいだったのですが、

早速、義兄夫妻が飛んで行き、まずは入院させました。


お年寄って、寝付くと一度に歩けなくなるもので、

入院したとたん、まったく足に力が入らなくなり、

元々痴呆もあったので、

退院後はマンション型の老人ホームに入居。


しかし、そこで今度は骨盤骨折してしまい、

どのような状況で骨折したかをホーム側の説明が納得いくものでなかったので、

結局、長男夫妻が家で看ることに。

でも、もうその頃にはあれだけ食べれていた人が、食べられなくなっており、

またしても、入院することに。

入院後、2カ月で亡くなりました。

最初の入院から考えると1年弱。

歩けなくなってからが、あっという間でした。

なんというか、こんなに早いとは思っていなくて、

ただただ、驚愕のうちに終わりました。


今となって思うことは、

人間は歩けなくなると食べられなくなり、

食べられなくなると、もう長くないということだけです。


本当に、私などは介護もしておりませんが、

最後に介護をしていた兄嫁も3か月ほどで終わっていますし、

ある意味ありがたい姑でした。


昔から、あれやんとか、これやんとかって、

代名詞の迷宮の中に住んでいる人でしたが、

去り際の潔さに頭が下がります。


舅も脳内腫瘍が見つかって半年ほどで亡くなっていますし、

夫の両親は子ども孝行な人だったといえます。


途中、取られ妄想なんかで困ったこともありましたが、

亡くなった今では、そんなこともあったねと、

笑い話になっています。


 写真は春先の猫団子。



かんじにかわらん

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なぜか、きょうはかんじのへんかんがききません。

ひらがなだけでかくと、

よみにくいし、

アホみたいなんで、

きょうはここまで。

なんかアルジャーノンになったきぶん。



しゃしんは、

あいかわらずうつりのわるいウルシです。



どうすれば、なおるんやろう?

 
  





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