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3年ぶりに再開しました。先日の「テラコヤin信行寺」での法話の内容です。
ありがとうございます。本日はテラコヤイン信行寺お越しくださり、感謝申し上げます。私は当信行寺住職の指田隆行と申します。お見知りおきください。今日はうちの檀信徒だけではなく、広く近隣下沼部の地域の皆さまにもお越しいただきました。本当に嬉しく思います。これはひとつお寺の従来からのイメージなんだろうと思いますが、お寺といいますと、日常の生活とは直接結びつかない場所という印象があるのかなと思います。檀家寺ということでしたらお葬式や法事の時に行くところ。そこのお寺とお墓とつながっていればお墓には行くけど、本堂やそこの住職やお坊さんと日常的にお話されたり、触れ合う機会というのはあまりない、という方のほうが多いのではないでしょうか。
いま国内にある仏教寺院というのは文化庁の『宗教年鑑2013年度』によると、全国に寺院は7万7342カ寺存在し、僧侶は約33万8895人に上ります。一方で全国のコンビニ数は5万1476店といわれています。寺院のほうが2万5000軒以上多いんですね。ではコンビニほど、そこに住む地域の人がお寺を必要としているのかというと果たしてどうなのでしょうか。都会に住んでいれば、あまりお寺を意識して生活することはないのかも知れません。生活レベルが保たれ、幸福が得られるのであれば、どこに仏教を求める理由があるだろうという考えの人が多いのではないかと思います。これは私たちの生活や生き方に仏教が深く結びついていないから…ともいえますが、実際に仏さまの教えというものは私たちの生活と決して無関係ではなく、むしろほんらい仏教、仏さまの教えというものは、こんにちの私たちの社会にもっとも求められる考え方を残してくださっているんです。
今日の私の話のテーマは「身近な仏さまの教え」でございますが、では仏の教えってなに?というとこれは「ブッダの教え」のことになります。ブッダとは、もともとサンスクリット語という古代南アジアおよび東南アジアで使われた言葉で「目覚めた人」「悟った人」という意味です。もともとは理想的な修行完成者を指す呼び方でした。これを漢字に直すときに「仏陀」となり「仏陀の教え」を「仏教」と呼びます。ブッダが何に目覚め、何を悟ったのかというと、宇宙の根本原理、そして私たちの苦しみの原因、そして苦しみから抜け出す方法です。ブッダはそれらを人々に説き明かしました。人々はその教えを学び、伝え、表現するときに声(口伝え)・文字(経典)・絵画・彫刻・建築などを工夫して用いましたが、いまではそうした人々の営みすべてをひっくるめて「仏教」と呼んでいます。
私たちが「ブッダ(目覚めた人)」と呼ぶのは誰のことかというと、釈迦牟尼世尊のことです。世尊とは「この世で最も尊ばれる」という意味。つまり釈迦牟尼世尊とは「シャカ族出身の、この世で最も尊ばれる聖者」という意味になります。省略した形、別名として、釈尊、お釈迦様、釈迦牟尼如来、仏さま、などとも呼ばれます。シャカ族というのは、ヒマラヤ山脈の南、現在のネパールとインドの国境あたりに住んでいた部族で、カピラバストゥという都市を首都にしていました。ブッダのもともとの名前は、ゴータマ・シッダールタといって、シャカ族の王様のもとに生まれた王子様でした。誕生の時期に関しては、数多くの説がありますが現代の考古学的な研究では紀元前463年とする説が強いようですが、色々な説があって決定は困難です。ただ、どの説をとっても80歳で命を終えたことは共通しています。
このブッダが世界宗教である仏教を開きました。ブッダの教えを一言でいうなら、何でしょうか。それは「苦悩からの解放」です。いかに苦しみから逃れるか、その解消法ともいえます。ブッダは苦しみの原因を「煩悩」だと言いました。お金がほしい、出世したい、有名になりたい、いつまでも若いままでいたい、人に愛されたいなど人にはみな欲望があります。執着心。この欲望や執着、つまり煩悩がなくなっていけば、人は苦しまずにすむ、というのがブッダの考え方です。こうした考え方をブッダはさまざまな言葉で表現しています。幸いなことに、ブッダの教えは漢字で表されています。
たとえば「無明」…明るさがない=何も見えないということで、欲望に目がくらみ、真実がみえない状態を表しています。他にも「無常」…常なるものはない=この世に永遠に続くものはないということです。こうした当たり前のことに気が付いていないがゆえに、人は苦しみます。煩悩にふりまわされなければ、苦しみから解放されると説かれました。そしてその煩悩の対処方法として極端なことをしないという「中道」ということを説かれました。そのための修行法が八種類あります。これが八 ( はっ )正道 ( しょうどう )と呼ばれるものです。
① 正見 ( しょうけん )(正しい見解)
② 正思 ( しょうし )(正しい思惟)
③ 正語 ( しょうご )(正しい言葉
④ 正業 ( しょうごう )(正しい行為)
⑤ 正命 ( しょうみょう )(正しい生活)
⑥ 正精進 ( しょうしょうじん )(正しい努力)
⑦ 正念 ( しょうねん )(正しい思念)
⑧ 正定 ( しょうじょう )(正しい観想)
八正道とは正しい行動をすることですが、しかし正しいことをするというのは非常に難しいですね。わたしたちは「正しいことをしろ」といわれてもなかなかできません。むしろやりやすいのは、逆に「これをしてはいけない」と言われることです。ですからブッダは「自らを戒めよ」と説かれました。ちなみに戒名とは、戒めを守って生きるということを誓ったときに授かる名前のことです。
また「常に向上するよう努めよ」「施しをせよ」という生き方もよく説かれました。いっぽうでは臨機応変とか、対機説法といった言葉が示すように、ブッダはその人、その人の悩みや境遇、レベルに応じても教えを説かれました。人見て法を説かれたわけです。ですから一口にブッダの教えといっても千差万別、バラエティに富んだもので、のちに膨大な経典が編纂されたのもそのためでした。
そして仏教には「彼岸 ( ひがん )」と「此 ( し )岸 ( がん )」という言葉があります。一般的に彼岸は「あの世」此岸は「この世」だと思われています。本来の意味は彼岸は「悟りの境地」もことです。此岸とは煩悩にまみれた俗世のことです。ブッダは彼岸と此岸のあいだを流れる川を渡る道すじを示しています。その具体的な方法の一つを「六波羅蜜」といいます。波羅蜜とはサンスクリット語「パーラミタ―」に漢字をあてはめたもので、意味は「到彼岸」(彼岸に渡る)ということです。
今日は時間が限られておりますから、布施 ( ふせ )、持戒 ( じかい )、忍辱 ( にんにく )、精進 ( しょうじん )、禅定 ( ぜんじょう )、智慧 ( ちえ )という六つの一番最初、布施行についてだけお話します。さきほどブッダが「施しをせよ」と説かれたと申しました。これが布施行なわけですが、「ははー。お釈迦さまも御布施よけいに包みなさいよと勧めていたんですね〜」なんていうのは、なんとかの勘繰りというものです。(笑) 布施行というのは一言でいえば「誰かに何かをしたとき、お礼を期待してはいけない」ということです。布施行は大きく三つに分けられます。
① 財施 人々に物やお金などを惜しみなく分け与える心
② 法施 仏の教えなどを惜しみなく人々に施す心
③ 無畏施 人々が悩み苦しみ、不安になっている時に相談にのってあげ、善導する心
そしてこの三つの施しが出来ない場合は 七つの施しということを説かれています。たとえ地位や財産がなくても誰もがいつでも実行できる布施の行をブッダは用意しています。これを「無財の七施」といいます。
① 和顔施 ( わげんせ ) 相手を思いやる柔和な笑顔で人々に接すること。感情むき出しの怒り顔は慎むべき。笑顔でいれば、いつも周りの人を喜ばせることができます。
② 愛語施 ( あいごせ ) 相手を尊敬する心で、やさしい言葉で語りかけること。命令、卑下する言葉は人間の尊厳から逸脱することになります。
③ 慈眼施 ( じげんせ ) 相手をいたわりと優しさを持って見つめるまなざし。にらみつける怒りの顔や眼、羨む心の眼は避けましょう。
④ 房舎施 ( ぼうしゃせ ) 疲れ果てて困っている人に「どうぞ家で一休みしてください」と心優しく語りかけるという意味。
⑤ 床座施 ( しょうざせ ) 疲れ果てて困っている人を座らせる心。乗り物の中で、老人や身体の弱い方が目の前に立っていれば「どうぞお座りください」と席を譲ってあげる心。
⑥ 捨身施 ( しゃしんせ ) 人のいやがる事を自らすすんで行ったり、トイレ掃除でも重労働作業でも自ら率先して行う心。
⑦ 心慮施 ( しんりょせ ) 相手を十分思いやり、相手の立場をよく理解してあげて行動する心。
無財の七施はいずれも相手を尊重し、大切にする心です。お金はいりません。人々の心には仏が宿っているーこれがブッダの考え方です。そしてそのあらゆる角度の教えを一つの乗り物に乗せて、彼岸に至らせる教えが「諸経の王」と呼ばれ、広くアジア諸国で最も信奉された経典で、これが「法華経」というお経です。
このブッダの教え、仏教がわが国に伝わったのは欽明天皇538年のときと言われておりますが、当時一番力のあった豪族の蘇我氏は外来の宗教であった仏教を氏神として受け入れてまつりました。そしてその時日本ではじめてのお坊さんが誕生いたします。それは3人の少女でした。なんと日本で初めての出家者は女性だったんです。なぜ尼僧、尼さんだったのか。いちばん最初は「外来の神」と考えられた仏様の意思を伝える巫女の役割だったんです。その後、推古天皇の時代に聖徳太子が出られて仏教は興隆してまいります。大化の改新ということがあって蘇我氏が滅ぼされまして、即位直後の孝徳天皇は、蘇我氏に代わって、天皇が仏教を保護、統制することを宣言なされました。ここから鎮護国家のために祈る儀式を執り行う官僚ならぬ官僧という立場でのお坊さんが誕生いたします。つまりこの時のお坊さんは国家公務員だったんですね。その役割を担う人たちが国家のために祈る場所として各地に国分寺が建立され、国家仏教として繁栄していきました。
平安時代に天台宗、真言宗が誕生します。そして鎌倉時代に入ってからは国が決めたお坊さんではなく自分たちの意思で出家された宗教家によって浄土宗、浄土真宗、禅宗、法華宗と新しい仏教がひろがっていきました。そして平安時代末に原型が生まれて鎌倉時代に定着した教育機関が寺子屋という場所でした。お寺は修行の場であり、また知育、徳育の上での色々な教えや訓練を受ける学習の場でもありました。江戸時代に入ると、寺子屋という場所はお寺に限定されないかっこうで幅広く浸透して、「読み書きそろばん」といわれた基礎的な読み方、習字、算数に始まって、さらに地理、人名、手紙の書き方などの初等教育が全国各地で行われました。これがのちの小学校になっていきます。その寺子屋教育によって日本人の識字率というのは数百年にわたって世界最高の水準だというのは皆さんご存知の通りです。
その大事な少年少女時代の教育の場のもとがお寺から始まっているのです。確かに亡くなられた霊魂を弔ったり、ご先祖を供養することも、もちろん大切なことですし、自分の国の平和や繁栄を祈ることも大事には違いありませんが、それ以上にブッダは今生きている人たちが救われ、徳を積み、集い、学ぶということの大事を説かれているわけです。これが生きた仏教の道場であるお寺の役割でもあります。そういうことで、今回、テラコヤin信行寺と銘打ってお集まりいただいて、広く学び合うことが出来たり、良質の音楽に触れ合う機会を設けたり、色々と皆さまと親しく触れ合うきっかけを作らせていただいたわけでございます。
今日初めてうちのお寺にいらした方、外からは見てるけど、実際建物の中に入ったことはないという方もおられると思います。「信行寺さん、知ってはいるけど、なんだか毎日朝早くから人の出入りがあっていったい何やってるんだろう」と思っている方もあったと思います。また、建物の壁には「本門佛立宗信行寺」と大きく看板がはられてますが、「本門佛立宗なんて聞いたことない名前だし、あやしい新興宗教のひとつかな」なんて思われている人もあるかもしれません。
実はこの私たちのお寺、信行寺と本門佛立宗を知っていただくために是非知っておいていただきたい人物がおります。この日本の仏教界において、江戸幕末維新の仏教改革者と呼ばれた一人の傑僧がいました。その方の名前を長松清風と申します。私どもの本門佛立宗の開祖になります。今年平成29年4月1日は長松清風師、日扇聖人が誕生されて200年の年となりました。最後にその長松清風の伝記のDVDをダイジェスト版で観ていただいて、本日の私の話の締めくくりとさせていただきます。
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