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「南京大虐殺」の未来志向⇒なぜ起こしたのか?の「原因の追究」と「原因の除去」&中国との和解のきっかけに!

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南京大虐殺 幕府山事件 栗原利一証言+『陣中日記』で「捕虜約2万人の全員殺害」の事実
を突破口にして、
両角業作手記のウソ、日本政府(防衛庁)のウソを暴露して、
日本の戦争加害責任を認めて、アジアの国々と和解しよう!

●先ず、小生にとって「一重瞼56さんが納得してくれるのかどうか」は重要ではありません。
世の中には東中野修道のような妄想に駆られ、「史料」「論理」が通じない人もいますので。

只、小生の拙い論理と説明で
「確かに、捕虜約2万人の全員殺害が、高い確率で、あったようだ」と
理解して戴ける方々に向けて、情報発信をしているのです。
あらためて『陣中日記』の一覧表を読んで下さい。
『両角業作手記』の17・8日に、「1千人殺害」など、誰もいない。
「当時1937年の一次史料」がウソだと証明しているのです。
「それを認めることが出来るかどうか」で、人間が分かれます。

以下に展開する回答もそうです。

●更に言えば…
超の付く右翼国会議員「戸井田とおる」が『南京の実相』を出版しましたので、
それを根拠にして、文部省の教科書検定官とグルになって、
「現在の南京大虐殺の事実の記述」を曲げさせようとしている、と思っています。

ですから、それを阻止するのが、この小生のサイトの当面の目的です。

東中野修道のインチキ学会、日本「南京」学会も店仕舞いのようです。
研究が全て終了したとのことで。
そして、この<インチキ研究>結果で、歴史教科書を変更させる、または、
これから造り直す「新しい歴史教科書」を、この東中野修道等の歴史研究を根拠にして、
執筆する魂胆なのでしょうか。

日本国民は、うかうか・ゆめゆめ・これに騙されてはいけません!!

更に、「日本政府(防衛庁)の現在の正史」を訂正し、正しい事実を書かせる運動が
日本人にとって必要と考えています。


●【質問】
・一体<最初に>何人いて、 (注:最初とは、いつか?)
・(注:何人が<入り込んで>が抜けています)
・そして何人が<逃げて>、
・何人が<行方不明>になり、
・(注:何人が<戦死し>が抜けています)
・何人が<捕虜となったか>を
<記すソース(注:歴史史料)>を僕は欲しています。

【ご回答】
●これは「子供が、ダダを捏ねている」でしかありません。
 別の言い方をすれば「無いもの強請り」です。
(これは、本当に、当時の南京市の状況が分かっていての発言ですか!)

これらの数字は、<大規模に><流動的>です。
そして、<その数をカウントし集計できる人・機関>はありませんでした。
万が一記録しても、それが<戦乱の中で>保存され、今に伝えなければなりません。
(これは、奇跡的なことです。)

更に、南京市は、日本軍が占領しているので、人口調査などはできません。
(日本軍自身は、集計する目的もありませんでした。無駄なことなので。)
日本軍によって造られた傀儡政府でさえも、結局、調査をしませんでした。
それは日本軍の軍政に逆らうことでしたので。

・上海戦の激戦で、<南京に逃げてきた>大量の難民がいます。
・<南京市の郊外の農村>は、焼き払われたので、南京城内に逃げ込みました。
・中国防衛軍も、中国国内の<遠方からも>強制的に集められています。

<時間的に、刻々>、人口や人数が変わっており、<場所的にも>変わっていたのです。
それを<集計する目的>もなく、<集計する人・機関>もないのです。

南京市行政機関も逃亡しており、データの集計などはしません。
行政行為は、国際安全区委員会が、代わりを、しているのです。
南京の病院も中国人医師、看護婦は逃亡しているのです。
残ったのは人道的な使命を感じていた外国人医師が1名だけです。

ですから、もしも、上記を理解できるのでしたら、
ドンぴしゃりの<記すソース>が、70年経っても見つからない理由が
理解できると考えます。

●だから、
次善の策として、周りのデータを根拠にいろいろ推定することになります。
小生が一番納得のできる、その推定が、以下のサイトです。
是非、是非、お読み下さい。そして他の情報と、確度を比較検討して下さい。

これの説明に対して議論する事は、実りあることになると、確信しております。

http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/FrontPage#content_1

1. 人口問題関係
・陥落時の南京の人口は20万ではなかった
・安全区外の南京城内は無人地帯ではなかった
 └ 城内、安全区以外の市民の被害
・南京城の周辺は無人地帯ではなかった
 └ 城外の人口の資料
・「20万都市で30万虐殺は不可能」論は欺瞞
・占領後に人口が20万から25万に増えたというのは嘘
・「人口論」の別バージョンも欺瞞である


●この中で、1つだけ例外があります。
それは、「何人が<捕虜となったか>」です。
それを<集計する目的>があり、<集計する人>もいる、のです。

それは、1937年当時は、<中国兵捕虜の殺害>は日本軍では<戦果>だったのです。
(勿論、国際社会では<戦争犯罪(B級戦犯の犯罪)>でした。)
ですから、正式な書類である『戦闘詳報』『陣中日誌』にも、
<中国兵捕虜の殺害>が記述される訳です。

その情報が日本兵の中で伝わって行き、最後は個人の『陣中日記』にも記載される
訳です。

余談ですが、
先日、『戦闘詳報』全体を初めて読みました。
以下のもので、重慶大爆撃のものです。

【軍極秘】昭和十六年八月十二日
重慶夜間攻撃戦闘詳報(W基地第十一回)鹿屋海軍航空隊

これに、最後に「七 功績」の項目があり、これで論功・昇進が決まります。

だから、
●「栗原利一証言」や『陣中日記』の、
「日本軍による捕虜の総殺害数」の一次史料での情報が重要な訳です。
そして、それを否定する「一次史料」が無いことも重要になります。

●笠原十九司著『南京事件』岩波新書530
<現在公刊されている日本軍の連隊や支隊からの史料>から、
大量殺害のケース29件をリストアップし、
937/12/17までの、捕虜の殺害数を出している。P224,225

確実な線では、「8万人以上」が殺害され、
殺害の可能性のあった捕虜を全員殺害した仮定すると、「10万人以上」となる。

●このように、「当時の伝聞の殺害人数」と、「現在の史料から集計した殺害数」が
お互いに近い人数と言う事は、依存関係のない別の方法から求めて結果が近いということは、
「両者の殺害人数が事実の数値である」ことを、「お互いに証明」している。

長くなりましたので、一旦ここで、中断します。
(つづく)

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私が言いたかったのは、連隊本部にいて現場のことはほとんど知らない、両角氏のような人を問題視しても意味がない、ということです。
総じて、大虐殺肯定派のジャーナリストの方は軍人を悪くいいますが、それなら旧軍人のパージを解いて軍事史を捏造させるがままにした占領軍の問題でしょう。 削除

2013/4/9(火) 午前 8:01 [ 核心 ] 返信する

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これは他でも言っていますが、父(栗原利一)は幕府山の捕虜の殺害について「あれほどのことは両角さんじゃなきゃできねえ。」と言っていましたから、両角氏の責任の下で計画が練られたことは間違いありあせん。 削除

2013/4/9(火) 午前 8:45 [ 核心 ] 返信する

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どうも有難うございます。
●福島の新聞の連載記事で<一つだけ、本当の事を言って>います。
それは、(第65連隊の進軍の邪魔になる中国兵の捕虜を引き取ってほしいと依頼に行ったが、その回答が)「捕虜全員を処分(殺害)しろ」という命令であった、と言うことです。
ですから<虐殺の命令・決定は、本部の、第16師団長の中島今朝吾>でしょう。<捕虜として管理しない>方針だったので。
両角業作は、それを<実施方法を検証しながら><忠実に実行した>だけです。だから、<両角個人の責任>ではありません。
●問題は、戦後、戦争犯罪だと分かってから<隠蔽の工作をする>事です。
これは、<新たな><犯罪>行為です。
防衛庁ぐるみで、<捏造の戦史>を創り上げる。

2013/4/9(火) 午後 1:50 [ イエスちゃん ] 返信する

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<本質的には>、核心さんのおっしゃるように、
<日本軍全体の組織の問題・責任>です。
更には、<それを許した>日本の国家の問題です。

西洋人の捕虜は、<国際法上の問題になる>から、形だけは、
<法的な捕虜の扱い>をしますが、

中国人などに対しては、<(武装解除した)捕虜は、処刑してもかまわない>、
と<陸軍学校で>教える訳ですから。

2013/4/9(火) 午後 2:04 [ イエスちゃん ] 返信する

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どうも大虐殺肯定派の人は総じて誤解しているようなのですが。

もともと日本の戦前に大虐殺があったのではありません。
ポツダム宣言にトルーマンが蒋介石を入れたことにより
南京陥落時の捕虜10万弱の殺戮が問題視され
それから、南京事件とか南京大虐殺とか呼ばれるようになったのです。

現在、何を争っているのかというと、この歴史を「残すのか」、「潰すのか」で争っているのです。
「潰す」派の目的は、最終的に「潰す」ことですから、何も戦史部や自民党だけが悪いのではありません。
阿部輝郎氏も含め、多くのメディアの目的も「潰す」ことが目的なので、そこは知って対応されたほうがいいと思います。 削除

2013/4/10(水) 午前 9:27 [ 核心 ] 返信する

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殆どの日本人は南京事件論争が「残されたら困る」派と「潰されたら困る」派の喧嘩だ、ということがわかっていません。
著作権法に「無断引用」の条件というのがあって、「潰す」派は平気で「残す」派の間違いを引用して、あたかも自分の著作が中立的であるかのように装います。
これが顕著なので阿部輝郎氏の著作物です。
「潰されたら困る」のは、現在の日本人なんですが、「潰す」派は制服組主流派+右翼、自民党、主要メディアなのでまったく平気で自分の主権者としての地位を投げ出すようなことをし続けているのです。
たしかに自力で勝ち取った地位ではありませんからね。 削除

2013/4/10(水) 午後 1:39 [ 核心 ] 返信する

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●『南京陥落時の<捕虜10万弱>の殺戮が問題視され』
確かに、第65連隊の兵士の個人の「陣中日記」の17日まで、
捕虜<10万人殺害>が2名、<7万人殺害>が1名です。
この違いは、多分<伝聞の日にちの違い>でドンドン増えていったのでしょう。
蒋介石は、<戦時中から>南京大虐殺を裁判に付する準備をしています。また、中国兵の人数は、蒋介石は把握していたので、捕虜の死者数は正しいでしょう。
●NHKの今日の午前中の<国会中継>で、
「南京陥落時の人口が20万人で、その後25万人に増加した、が事実である。30万人南京大虐殺はうそである。」と質問していました。
この20万人は<国際安全区だけの人口>であり、虐殺の対象ではなく、<虐殺から生き残った人口>である。そして南京城内の<国際安全区>以外の人々が、<日本兵の犯罪から>安全区に逃げ込んできたので、25万人まで増えたのである。
●このペテン・トリックを使い、国会議員が<国民を騙す>のです。

2013/4/10(水) 午後 3:09 [ イエスちゃん ] 返信する

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自民党の主だった連中は10万弱の捕虜の殺害は知っています。
民主党が政権運営に失敗したのは、一人もこの事実を知らず、「潰す」派が制服組主流派(佐藤正久氏)であることすら知らないのです。
森松俊夫氏の最初の犯罪である東謀略裁判の弁護士が稲田朋美氏であることからすれば、仕方がないといえば、仕方がない。 削除

2013/4/11(木) 午前 4:23 [ 核心 ] 返信する

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歴史学上は10万弱の捕虜の殺害を「遺棄死体数」説といい、これが定説です。
父のスケッチ帳でも「敵の遺棄死体は」と書かれています。
当時の兵隊の認識は誰でもそんなもんです。
これは当時の日本軍の数えた捕虜の数に一致するので、一番正確なのです。
当時の数字で一番正確なのは日本軍の数字ですから。 削除

2013/4/11(木) 午前 4:40 [ 核心 ] 返信する

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捏造派がなぜこれだけ強気なのかというと、連合軍が東京裁判を行う前に、主だった文書を服部卓四郎氏のご実家にあった山形に隠していて、それが今も戦史部の奥に眠っているからです。
「服部文書」とか言ってますけど。
誰も証拠資料にアクセスできないのですから、なんでもやりたい放題なのです。
「森松俊夫氏の二度目の犯罪」なんて日本人が知らないだけです。
自衛隊創設の大功労者が2006年にもなって、当時26歳の下士官の、たった1年間の戦争体験の記録やアルバムの破壊工作をする、なんて自衛官のモラルの下がること、下がること。 削除

2013/4/11(木) 午前 8:02 [ 核心 ] 返信する

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10万人と7万人の差は、とらえ方の違いです。
7万人は、試験的な捕虜の殺害を含まない数です。
父が7万人と書いているのはその数です。
ただ、父は魚雷営の1日目である下関での2千人斬首にも関係してますので、試験的な数は含んでいないと考えていたのです。
7万とか10万とか違うのは、全体としてみれば10万、本格的な殺害は7万ということです。
矛盾する数字ではありません。
スケッチ帳には遺棄死体数の記事もあれば、7万の記入もあるのはそういった意味です。 削除

2013/4/16(火) 午前 11:01 [ 核心 ] 返信する

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貴重な見解どうもありがとうございます。
確かに、<父君だけが>7万人の記載ですね。
他の2名の『陣中日記』を書いた下級兵士は10万人であり、それは<伝聞をそのまま>記載したのであり、出所は<中国兵捕虜人数・殺害数を集計していた本部>からと考えています。(戦果報告ですから水増しがあったとしても、それに近い人数)

スケッチ帳の「二日目の2ヶ所の虐殺の<ひとつの>説明図」では、「中国兵捕虜の塊<1万3500人>の記入」ですね。
<2万人もの捕虜>をどの方法で殺害し、死体を処理するのか?
それが、65連隊の兵士だけで、短い日にちで、できるのか?
(本来は、18日に、新しい戦場に進軍しなければならなかった)
の試験の部分は、人によって、解釈が異なるということですね。

2013/4/16(火) 午後 1:25 [ イエスちゃん ] 返信する

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「戦果報告の水増し」というのは将校側の情報戦です。
笠原十九司氏も「戦闘詳報には将校の言うとおり水増しがあったとしても」と書いていますが、水増しをして相手の兵力を記録する、などというのも将校側の情報戦です。
敵兵の戦力を水増しして書く、などというのは戦争を知らない人間のいうことです。
相手の戦力を見誤って、どうして戦えるのですか?
常識で考えればわかることです。 削除

2013/4/16(火) 午後 3:20 [ 核心 ] 返信する

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多分、南京についてあまりしらないよなので。

魚雷営の7千人は、1日目に2千人を下関で斬首、残り5千人を2日間で岸まで走らせて重機関銃の十字砲火で5千人です。
幕府山の捕虜13500人は、大湾子の100m四方に凹地に数名ずつじゅづつなぎにして座らせ、三方の小高い場所から8台の重機関銃で1時間撃ちっぱなしに、まずします。
次に、半殺しの集団に石油をかけて火をつけ、生存者を確認しながら銃剣でとどめを刺してゆきます。
残り二日間は、この死体を揚子江に流すのに費やされます。 削除

2013/4/16(火) 午後 3:32 [ 核心 ] 返信する

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どうもありがとうございます。
『魚雷営』の方は、教えて頂き感謝です。
下級兵士の私的「陣中日記」の記述は、多分「大湾子」での殺害でしょう。
2万人の殺害は、<斬首では、不可能>でしょう。
石油に火をつけて、冬でしたので、綿入れが燃え出して、死んだふりができなく、動き出したのを、ひとりひとり殺害しました。
捕虜殺害の犯罪が外に漏れないようにとの、<皆殺し>でした。

だから、両角業作の「殺害は千人だけで、後はみんな逃げ延びた」はウソです。
そんなに、生き延びた中国兵捕虜がいるのならば、戦後、幕府山事件の生き証人が大勢いて当然です。しかし、それが皆無である。

2013/4/17(水) 午後 0:25 [ イエスちゃん ] 返信する

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あまり、「南京」について詳しくないんですね。

斬首は2千人だけです。 削除

2013/4/18(木) 午前 6:01 [ 核心 ] 返信する

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「両角大佐手記」というのは、別に、両角氏が書かれたものではありません。
平林貞冶氏と阿部輝郎氏が作成した歴史捏造資料です。 削除

2013/4/18(木) 午前 6:06 [ 南京 ] 返信する

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南京陥落時10万弱捕虜殺戮事件。

南京事件は軍隊として特別なことをしたわけではありません。
南京攻略戦では日本軍が大勝利して、10万弱の捕虜を得る結果となってしまいました。
それで対応に困り、ほぼ全員を計画的に殺害した、といったところです。
むしろそれからがこの事件のややこしいところで、敗戦により公式書類は焼却され、無実の5人の軍人が死刑になり、900人前後の被疑者が解放され、事実が知られることのないまま軍事史が捏造され、そしてついには自民党による歴史教科書攻撃キャンペーンが始まった、といった具合です。

「週刊金曜日」の記事はそれぞれ8頁、6頁の長い論文で極めて重要です。
「週刊金曜日」に連絡して入手されることをお勧めします。 削除

2013/4/18(木) 午前 8:05 [ 核心 ] 返信する

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「週刊金曜日1993.12.10」と「週刊金曜日1994.2.4」の小野賢二氏と吉田裕氏の書かれた記事です。 削除

2013/4/18(木) 午前 9:54 [ 核心 ] 返信する

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この頁は遺棄死体数が記載されています。

当時の日本兵は、この遺棄死体数が自分たちの処分(殺戮)した捕虜の数であることを誰でも知っていました。 削除

2013/4/18(木) 午後 9:23 [ 核心 ] 返信する

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