ナザレのイエスと佛陀と道元の思想の深化。日本人の知性で考える!

真の誇りを回復する為には、南京大虐殺を誤魔化してはならない!負の歴史を正視する勇気愛国心!そこから中国との和解!

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中国側の
30万人虐殺の根拠を示している。

中国側が作業した埋葬死体が26万人
日本軍(*)が下関から処理した死体が15万人
(*これは、撫順戦犯管理所・佐藤寿男の1954年8月3日付の供述書)
その合計だけで、41万人に達する。

敗戦直後に、
蒋介石の国民党の南京軍事法廷が、
30万人以上の殺害を認定した。

これが、1990年以降でも、中国政府の公式見解になっている。
南京は日本軍と傀儡政権が支配していたので史料が不十分である。
(単純合計すると膨大になる)
だから、この30万人殺害を、史料を用いて否定はできない。
日本の自業自得の観がある。

だから、現在の中国人の見解を反駁できない。
だから、日本政府・外務省は、
殺害人数には諸説があるとして、
30万人殺害を否定してはいない

重要な事は、
「普段は、国内では、優しい日本人が、なぜこのような残虐なことを行ったのか?」である。実際、国内に戻ってくると普通の人間になった。
この原因の追及と、それの防止である。
現に、現在でも、戦争犯罪は、繰り返されている。

これは、日本軍・日本兵の心・内面・精神の問題の分析であり、日本人側にしかできない。

まずは、中国人に対して、
認罪し、謝罪するしかない。

松井石根の罷免を進言した、
畑俊六が後を継ぎ、
この畑によって、軍隊の改造がされ、
その後、
日本軍は、二度と南京大虐殺を起こさなかった。
これも歴史的事実である。
つまり、南京大虐殺は、防止できたのである。



在线播放:血染石城
(血に染まった石城・南京城)


最初に、20:35 からのシナリオを紹介します。

南京市文書保存館 管理部 主任 於道遠


ここの文書保存館では40万冊の歴史史料を保存しています。この倉庫では国民党政府部門の歴史史料を収納してあり、当時の死体の埋葬記録もあります。当時、多数の部門が死体の埋葬を行い,主に各種の慈善機関で行いました。

ナレーション
 
当時の世界紅卍会南京分会、南京崇善堂、世界赤十字会南京分会等の慈善団体によると、死体の埋葬の統計の総計は約22万体以上だった。死体の埋葬の登録表は厳しい手続きで管理され、死体回収の場所、埋葬の時間と場所、回収した死体の人数、そのうち男性何体、女性何体、死体の埋葬に従事した作業員たちは署名捺印などを詳細に表記していた。
(注:日本軍が死体の埋葬の人数に応じて費用を払っていたので、その記録をとっていた)

世界紅卍字会 南京分会 埋葬記録 場所・男女子供・月日・
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世界紅卍字会 南京分会 埋葬記録 埋葬した会の名前
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世界紅卍字会 南京分会 埋葬記録 この表の総合計 2万3千
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崇善堂 埋葬隊作業一覧表 月・隊名・場所・男女・
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崇善堂 埋葬隊作業一覧表 作業確認した日付
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崇善堂 作業員一覧 (この他に臨時の作業員を雇っている)
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注:以下は東京裁判に提出された資料
南京の慈善機関と証人の報告による死亡人数の総計
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また大量の写真もあった。
これは日本の侵略者による暴挙の動かぬ証拠であった。
大虐殺後の南京城は焼け野原に土饅頭だらけ、見渡す限り荒涼としていた。

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***
1954年、中国撫順戦犯管理所に拘束していた日本戦犯・太田寿男少佐の供述によると、日本軍の第二碇泊場司令部と南京駐在の他の部隊が下関区の中国人の死体の処分を行った。焼却した死体と長江(=揚子江)に投げ込んだ死体が、合わせて約15万体以上だった。
 
***
1938年1月、「南京その他(*)で30万人を下らない民間中国人が殺戮された」(注*:上海戦から南京戦にかけての総数である)という(注:米国人記者の)記事を広田弘毅外相名でワシントンの日本大使館に打電、それがアメリカ側に傍受され解読されていた。
 
日本の空論者たちは「中国人が抵抗したから、殺害した」と話している。そういう話は強盗の論理である、「海賊のように、ものを略奪して、抵抗すれば、皆殺しする。すなわち、対抗したから殺す」というような。
日本軍国主義は中国の領土主権を侵害したから、われわれ中国人は必ず抵抗する。対抗しないはずがない。こうした場合、空論者の理論では、「中国の領土主権を侵害することは理屈に合うし、捕虜の虐殺も合法である。」となる。この論理は今の文明社会中では非常に途方もないことである。
 
 
ナレーション
 
日本の一部の人々は「南京大虐殺事件が発生した際、南京城内の人口は25万人しかいなかった。どうして30万人も殺したのだろうか?」と言う。
 
1937年の人口統計によると、そのうちの1月から6月までの数字が残っていた。この歴史史料は、1937年6月における衛生事務所の統計の数字であった。
それは、総計約1,015,450人だった。
 
南京文書保存館 編纂研究部 副主任  周紅
 
戦争のため、6月以来、人口統計は取らずに、見送りになった。
(上記の)約100万人の内、蒋介石など政治家、役人など20万人以上が逃げ出した、更にまた富裕層など20万人以上が逃げた。
この結果、当時11月から12月まででは、南京の住民として50万人以上が残っていた。この50万人のほかに、あと一部分は軍隊がいた。
 
南京に滞在していた国民党の守備軍が9万人いて、更に、(外部からの)流動難民である数万人を加えて、総人口は約60万〜70万人が残っていた。これが日本軍による大虐殺の対象になった。
 
***
(注:日本の歴史家の)田中正明氏は「当時の(南京市の人口は)南京安全区の20万人と中国兵5万人を合計した25万人だった。たとえ、この25万人を全部殺しても、結果として殺害は25万人だけである。(注:中国は)どうして30万人も虐殺されたと言うのか?」と主張した。
彼は「目をうて、雀を捕らう(注*)」(中国の成句)のトリックを使い、中国(南京)の狭い安全区が、南京市の全体にされてしまった(注:南京安全区の面積は、南京城内の面積の1/8しかなく、実際には、ほかの7/8の面積に大勢の中国人がいた)

(注*:《「後漢書」何進伝から》 雀が逃げることを恐れ、自分の目を隠して雀を捕らえようとする。事実を直視しないこと、つまらぬ小手先の策を用いることのたとえ。)
結果として安全区の20万人が、南京市の総人口に、すりかえられた。この騙しの理論で、南京大虐殺を否定しようとした。
 
ナレーション
 
1982年、(注:日本政府・文部省は、教科書検定意見で)日本の教科書を改変させ、アジア諸国への“侵略”を“進出”に書き変えさせた。近年、日本の一部の人々は、侵略をたびたび否定し、戦争を美化し、南京大虐殺は中国人が捏造した嘘だったと出鱈目を言っている。
一体誰が嘘をついたのか?
一体誰が悪い事をして、それを言い逃れたのか?
世界の人は、明確に分かっている。
 
 

● ● ●

南京大虐殺記念館 館長 朱成山顧問なので、信頼ができる。

20:35 から、<虐殺の人数>の根拠を説明する!

最初に<蒋介石の国民党の作成した歴史史料>を示す。
死体の埋葬記録である。
21:19 <世界紅卍字会の死体の埋葬の統計>
21:45 <慈善機関等の日本軍大虐殺概況統計表>
・崇善堂      11万2267
・世界紅卍字会   4万3071
・下関区の地帯   2万6100
・伍長徳の証言     2000
・魯甦の証言    5万7400
・三人の証言       7000
・無主<孤魂>之碑   3000
死亡人数 総計約26万人
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22:22 戦犯の<太田寿男の証言>

(注:旧・満州の撫順戦犯管理所での証言なので、故意の歪曲はない。
自分の罪の<誇張も、過小・隠しも>両方が禁止されていた。
太田寿男の供述書の死体処理(12月14〜18日)と梶谷健郎の日記の死体処理(12月26日)は各々別の死体処理である。
その分析の詳細は、このブログに掲載されている。)

・死体処理総数 15万人、その内訳は、
 南京碇泊場で(死体を河に流し)処理した数が、約10万人
 攻略部隊が取扱いたる数、約5万人(市内から運ぶ)
抗日軍捕虜(推定約3万)…住民の方が多数なりしはあきらかなり。
(注:中国兵で捕虜にならずに逃げた大部分は、軍服を脱ぎ捨て平民の服に着替えているので、住民の方が多数と誤認した、と考える。実際は、中国兵は、7万〜10万人以上が殺害されている。)  

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24:16 12月当時の人口の推定
24:34 6月時点の人口は100万人を超え、
1,015,450人
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蒋介石など政治家・役人など、20万人以上が逃げた。
富裕層など、20万人以上が逃げた。
しかし、南京には、まだ住民が50万人以上残っていた。
・(外から来た)蒋介石・国民党の守備軍が、9万人
・加えて(上海戦で逃げてきた)流動難民が、数万人
結果として、60万〜70万人が残っていて、
これが日本軍による大虐殺の対象になった。
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25:30 田中正明は、人口のトリックを使い、南京大虐殺を否定しようとした。
「当時の総人口を、南京安全区20万人と中国兵5万人を合計して、25万人として、これでは30万人は虐殺できない」と<騙すための論理>を展開した。

26:28 1982年に歴史教科書問題発生

(注:前年の1981年に自民党が歴史教科書攻撃を行い、自民党・日本政府・文部省が、不当に教科書に介入し、1982年4月に検定意見で書き換えさせた。これが、アジアで大問題となった。
1983年に中国・南京市で、市民運動として、南京大虐殺のパネル展示を行うようになり、1985年から常設の展示館を作り、これが南京大虐殺記念館である。)

26:33 日本の大臣による南京大虐殺の否定事件
藤尾・文部大臣、
石原慎太郎・衆議院議員、
奥野・国土庁長官

(注:外国の学者が、ホロコーストという言葉を使っていたが、南京事件の本質からは、これは誤用である。
南京大虐殺は、ホロコーストではない!
なぜならば、
中国人を殲滅しようとした、のではないから。)

以後、詳細に説明致します。

転載元転載元: ナザレのイエスと佛陀と道元の思想の深化。日本人の知性で考える!

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