ナザレのイエスと釈尊道元の思想の深化。日本人の知性で考える!

人類は自滅する!人口爆発で(特に、アフリカ中東・イスラム圏、テロ)!金融資本主義の暴走で(格差の拡大、無職、衆愚政治)!

◆南京・幕府山捕虜虐殺

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南京大虐殺・映像による学習会
 6月8日(土)午後2時半から…
〜〜 中国兵捕虜2万人の殺害「幕府山事件」を中心に 〜〜

主催:ノーモア南京の会
  代表:田中宏(一橋大学名誉教授、龍谷大学客員研究員)

場所:亀戸カメリアプラザ 6階「美術室」 (亀戸文化センター)
 JR 亀戸駅 北口、線路に沿って、徒歩3分

参加費:無料

歩兵65連隊・会津若松部隊が、南京陥落後、
1937年12月16・17日の2日間で、
武装解除した中国兵捕虜「約2万人」の全員を、
「上海派遣軍」の正式の「軍命令」で殺害した。
長江(=揚子江)の河畔で、
92式重機関銃で殺害し、その後、生き残りをひとりひとり刺殺した。
死体は歩兵65連隊総出で長江に流して、犯罪を隠蔽した。

これが「幕府山事件」である。
(南京城外の北東に「幕府山」があり、長江下流の河畔に位置する)


○ ○ ○
ご参考までに・・・
✤幕府山事件ー第65連隊兵士の「陣中日記」から
(2008年放送)
南京大虐殺1937年から「70周年目」に放映では、

労働者の小野賢二氏ひとりによる長年の
「史料の発掘」と「兵士の証言の録音と映像」、
更に、中国南京の現地での歴史検証を完遂!
中国兵の「捕虜収容所」の位置と、
「その殺害の現場(2ヶ所)」の確定と歴史検証!


更に、現時点の小野賢二氏は、その研究の結論をこう言う。

戦後に、歩兵第65連隊の連隊長・両角業作氏は、
(軍命令に従い、実際に殺害を行った連隊)
「捕虜暴動・自衛発砲」説を作ったが、

その理由は、
「上海派遣軍司令官「朝香宮鳩彦」王が、
中国兵捕虜の「全員殺害を命令した」が、
それを拒否した。はねつけた。
実際は行わなかった。虐殺は起こさなかった。」

「皇族のB級の戦争犯罪を、隠蔽する」
ことにあったと。
これには、両角氏の親族からの手紙での証言があると。

両角氏は「捕虜暴動・自衛発砲説」を作り、福島の地方紙に連載した。その1年後、1963年に亡くなった。

○ ○ ○

第65連隊の栗原利一氏の朝日新聞・本多勝一記者への証言は、
この中国兵捕虜の内、「12月17日」の
最大である「第三グループ、1万3500人」の全員殺害のケースである。


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なお、当時、捕虜の解放か、全員殺害か、しか選択肢はない!
日本兵死傷者4万人だから、殺害は当然だった!
たとえ、貴方でもそうだろう。
それが戦争である!

東京大空襲では、東京・下町の庶民の殺害、
広島の原爆での市民の殺害。追加の長崎の原爆は不要である。
それが戦争である!


✤残念だが南京事件はあった〜当時の陣中日記から
(2008年放送)
1937年から「70周年目」に放映

小野賢二による史料の発掘・歴史検証の報告!
12月16日、朝香宮鳩彦王の捕虜全員殺害・軍命令

当時、12月17日の南京・入城式において、天皇の代理、皇族へのテロを恐れ、過酷な掃討を実施!
第16師団は、(治安がまだ悪い・安全を確保できないとして)17日の実施に反対していたが、松井石根は、虚栄心を満たすために、強行した!
この結果、松井石根は東京裁判で絞首刑にされた!

✤南京戦 Panay号誤爆事件, 南京入城式 (1937年12月)

1937年12月12日:日本軍は南京・揚子江上で米国Panay号を誤爆撃沈してしまう (後日これを謝罪)。
12月13日:南京陥落、12月17日:南京入城式。 南京虐殺報道は無い。 (イタリア語)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9...
Dec 12   US Panay was mistakenly shot down and sunk at Yangtze River in Nanking.
Dec 13   Nanking fell into Japanese control
Dec 17   Nanking Victory March by Imperial Japanese Army

National Archives and Records Administration - ARC 44507, LI 242-MID-I-26 - LA CONQUISTA DE NANCHINO



✤日本軍の記録に残る南京大虐殺(軍命令により実施)




★関連:CG再現南京大虐殺 https://www.youtube.com/watch?v=QJ38H...
南京占領軍への当初の命令は「青壮年はすべて敗残兵、又は便衣隊(ゲリラ)と見なし、すべて逮捕監禁すべし」。つまり、老人と子ども以外の中国人男子は全員逮捕監禁せよという厳命。だが、捕虜10万人の食料も収容する施設もない。やがて命令は「捕虜を処分(処刑)、殲滅(せんめつ)せよ」に変わった。『ハーグ陸戦協定』では「武装解除した捕虜の虐殺」を戦争犯罪としている。ネット上では多数のデマが流れているため、よくある質問と答えを以下にまとめる→
・日支事変は国際法上の“戦争”ではないため『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→ならば平時の殺人であり戦犯以前に殺人罪。
・難民の中に逃げ込んだ兵士は便衣兵ゲリラであり公式の捕虜ではなく『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→“捕虜”でないのなら単なる非武装の「民間人」の殺害であり、これも戦犯以前に殺人罪。そもそも、ハーグ条約に「便衣兵は捕虜資格がないため殺しても良い」という条項は存在しない。
・虐殺証言で登場する元日本兵は中国共産党に洗脳された中国帰国者(中帰連)。→南京戦に投入された歩兵第66連隊は捕虜にならず帰国しており、中国共産党は無関係。
・虐殺を見ていない海外ジャーナリストがいる。→虐殺現場は街から4キロ離れた揚子江の川岸。中心街で数万人を殺害したのではない。
・南京入りした後発補充部隊は「虐殺はなかったと聞いている」と証言している。→「なかった」と証言する元兵士は全員が事件後に南京市入りしている。しかも伝聞の証言であり説得力なし。何より、軍の公式記録である第66連隊の部隊記録に捕虜殺害の数が記録されており、その数は加害兵士の陣中日記や証言と一致している。
・米軍だって日本兵捕虜を殺害しており、どっちもどっち。→南京大虐殺と米軍による日本兵捕虜虐殺を並べるのは非論理的。中国人にとって無関係。また、米兵による捕虜殺害がある一方で、今日ガダルカナル、ペリリュー島、サイパン、テニアン、硫黄島などの激戦地で生き残った人たちが証言できるのは、捕虜として手厚く扱われたから。
〔まとめ〕南京を占領した日本軍は、各部隊とも自軍の10倍近くの捕虜を得て、その処理に困って殺害に至った(例えば山田支隊1500人に対して15000人の捕虜が発生し幕府山事件が起きた)。しかし、本来、捕虜ならば軍法会議、捕虜以外は軍律会議の判決で処断せねばならない。便衣兵が「ハーグ陸戦協定違反」であろうとなかろうと、丸腰の人間を裁判抜きで殺害するのは戦争犯罪。“南京事件否定派”の意見は国際社会で通用しない。

〔他の第一級映像資料〕
●残念だが南京事件はあった〜当時の陣中日記から(2008年)
http://goo.gl/d2fGMA (32分)
●一次史料『南京事件・兵士たちの遺言』 
http://goo.gl/K0U1Ef (45分)
●「南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言」
http://youtu.be/uyVeMusrS-k (32分)


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殺された、中国兵捕虜たち2万人は、これではどうなるのか。

両角業作は、朝香宮鳩彦(やすひこ)の中国兵捕虜虐殺の戦争犯罪を隠蔽するために、1962年に、鳩彦王の捕虜虐殺・軍命令を蹴った(拒否した)」という「捕虜暴動・自衛説」を捏造して、福島の地方紙に連載した。その1年後1963年に死亡。
つまり、皇族による「B級・通例の戦争犯罪」を、永久に隠蔽した。
両角業作の親族からの手紙での証言がある。

新聞連載では、記者に2回証言して、それを記事にした。

・第16師団が「捕虜引き取り」拒否。殺害命令。
(当初、引き取る事が決定されていた)

・その上位の上海派遣軍に、再度引き取り交渉。
捕虜引き取り拒否。鳩彦王軍命令で全員殺害!
(「捕虜解放か殺害か」このどちらかしか、選択支はなかった)


要は、軍隊組織からの正式の軍命令であった!
これが一番重大である。



南京陥落時に、上海派遣軍・軍司令官(50歳)だった。
その配下に「南京の残留支配を行った第16師団」がある。
(松井石根は、それを統括する中シナ方面軍・軍司令官だった。)
朝香宮・鳩彦・王(あさかのみや やすひこおう、
1887年明治20年)10月20日 - 1981昭和56年)4月12日
久邇宮朝彦親王の第8王子。明治天皇の娘の夫。
第125代今上天皇・明仁天皇の大叔父にあたる。

第65連隊の両角業作
1888年1月4日 - 19639月15日75歳
は、軍命令に従っただけであり、戦争責任はない。
殺害した第65連隊兵士は何処からの命令なのかは知らないまま「新聞記事」で口裏を合わせた。

ところが、栗原利一だけが、
中国との今後の関係を考えて、幕府山事件の本当のことを話す」ことを決心して、朝日新聞記者の本多勝一に証言した。毎日新聞にも。
栗原自身は、12月17日に参加し、3つの内、最大の集団である1万3千500人の殺害を証言した。
田山大隊長は「自分はクリスチャンなのに(こんな虐殺を行った)」と栗原に述べている。

師団長は日記で、「田山大隊長のこの大任(捕虜の全員殺害)」を労として評価して、わざわざ記している。





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上海派遣軍の軍命令である!
それを蹴った!虐殺は起こらなかった!
「朝香宮」の戦争責任を隠すために、
(もしも、宮様に責任が来ると、
昭和天皇の戦争責任にまで波及する)
両角業作が捕虜開放・自衛説を捏造した!

小野賢二、加害当事者と同じ立場に立っている!
苦痛の共有。
本当の映像が造れない!
戦後、戦犯問題で、恐れていた!

90年代に、
板倉よしあきが「自衛発砲説の史料なし」根拠がない!
東中野修道(ヒサミチ)、軍命令を認めた!

80年代に、場所の
板倉が、15万虐殺を2万に矮小

大きな建物は「魚雷営」しかなかった。
上元門、この出発点が問題、捕虜収容所はどこ?
4km17日 大湾子、栗原利一
永清寺の下流1kmで爆弾音、偽和尚で隠れていた。


これは2回目の講演である。

陣中日記・証言にみる南京大虐殺 小野賢二 2018.7.3




レイバーネット(先頭9分40分から)
イメージ 1

イメージ 2

朝香宮による軍司令官の令で虐殺
上海派遣軍、軍司令官




2015年12月9日放送。1,ニュースダイジェスト 2,特集「福島歩兵65連隊と南京大虐殺」(小野賢二) 3,ジョニーと乱のほっとスポット 4,さよならのポエム の順です。



イメージ 3


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TV放送では、決して言えない
「清水版TVの弱点、妥協、」
企画段階から首脳陣は拒否する!

両角業作・第65連隊長の捏造した
「捕虜解放、捕虜暴動・自衛」説は、
皇族朝香宮鳩彦王の捕虜虐殺軍命令
戦争犯罪の隠蔽にあった。
「軍命令はあったが、実施しなかった!」
きっと、
まだ生きていた鳩彦は、喜んだであろう!



その1

化学工場の一労働者、小野賢二のひとりの努力で!
戦後、第65連隊で、聞いた兵士、200人以上、



両角業作は本当の事も言っている!
2万人の捕虜は、

両角業作(大佐)・第65連隊・連隊長が
全員殺害を命令!
戦後ウソをついた!

最初の福島新聞1962年・題字も、両角業作が!

現場は、田山・第一大隊長(クリスチャン)が実施!



イメージ 1


『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち :

第十三師団山田支隊兵士の陣中日記

1996/3/14

小野賢二 化学労働者。南京事件調査研究会会員。
藤原彰 歴史学者、一橋大学名誉教授。1922~2003年
本多勝一 ジャーナリスト。

兵士たちの日記には,南京攻防戦や捕虜の「処理」について何が書かれていたか.もと兵士とその遺族を訪ね歩く長年の探索によって発掘された資料が現代史の争点に最終決着をつける.




社会派ディレクターが退社前に全身全霊をかけて制作した入魂のドキュメント。NHKですらこれほど南京の真実に迫ったものを作ったことはない。


或る書評
南京大虐殺事件の中で<最大の中国兵捕虜殺害事件>である「幕府山事件」に特化した兵士の個人の『陣中日記』の収集であり、歴史の一次史料である。
この兵士の日記は、「幕府山事件」を実行した、第65連隊・福島の会津若松部隊(約1500名)だけを、数年かけて収集しました。
歴史の一次史料(遺族からコピーさせて頂いた物を含めて)31冊。

中国兵捕虜<約2万人>を、3つの集団に分けて、<12月16日17日の2日間で>殺害。

第16師団(師団長・中島今朝吾)が捕虜の引き取りを拒否し、逆に捕虜全員の殺害を命令した。
だから、幕府山事件の戦争犯罪の責任は、第16師団・中島今朝吾にある。
第65連隊は軍命令を実行しただけであり、一切、責任はない。

元兵士は、80歳代になり、戦友会からの秘密厳守の縛りがなくなったので、ようやく証言できるようになった。

捕虜の大部分を92式重機関銃で銃殺し(夕刻)、その後、生き残りを一人一人銃剣で刺殺した(夕刻から翌朝まで)。
石油を撒き火を点けて焼いた。
12月18日19日の2日間、連隊総出で、死体を長江=揚子江に流し処分した。

この時の重機関銃は、第一大隊機関銃隊と独立機関銃隊で、少なくとも合計8丁はあった。
戦場では、1丁当たり弾薬手4人が2100発を運ぶ。更に運搬に馬も使えば、合計で9660発。つまり、8万発ぐらい準備していた。
威力は強力で、「一発で、7人を貫通」させた。しかも、射程距離4000mであるが、近距離から射殺した。

たった、1連隊で、たった2日間で、中国兵捕虜約2万人全員を殺害し、全ての死体を長江に流した。
この第65連隊は、12月20には南京を出発し、長江を渡り、新しい戦場に移動した。

なお、TV放映での「スケッチ帳」は、栗原利一氏の記述したものであり、URLは「www.kuriharariichi.com」でアクセスできる。
28ページに、捕虜の第三集団の1万3千5百人の殺害の説明図がある。

なお、ネットウヨによって、いろいろと攻撃されているが、
「中帰連・中国帰還者連絡会」の元兵士とは、全然、関係しない。
「中帰連」の元兵士は、満洲や中国北部の部隊であり、ソ連の参戦で降伏し、そのままシベリアに強制労働させられ、
その後1950年に、ソ連のスターリンから中国の毛沢東に戦犯として、引き渡された兵士である。
この会津若松部隊には、全く、該当しない。

なお、2015年10月4日に放送された、NNNドキュメント
<シリーズ戦後70年>「南京事件 兵士たちの遺言」を紹介します。




私が、本書を読もうと思ったきっかけは、2016年に刊行された「『南京事件』を調査せよ」(清水潔著)を読み、この作品のもとになったドキュメンタリー番組「南京事件 兵士たちの遺言」を鑑賞したことです。
これらの著作は、南京事件を肯定するものです。
そして、その論拠となったのが、南京攻略戦に参加した元兵士の遺した陣中日記でした。
本書には、その陣中日記が、「黒須忠信(仮名)陣中日記」として収録されているのです。

本書は、民間研究家の小野賢二氏が入手した日記として、合計19名分が記載されています。
いずれも、南京占領後に、捕虜の大量殺害を行った第十三師団の山田支隊に所属していた下級将校や兵士たちが書いたものです。
黒須忠信氏もそうした兵士のひとりでした。

歴史学では、こうした戦場で、事件の直後に書かれた従軍者の日記は、第一次史料として、大変に価値のあるものとされています。
私は、これまで南京事件に関する書物を10冊以上読んできましたが、本書のように、第一次史料ばかりを集めたものは、初めてでしたので、とても感慨深いものがあります。
南京事件について、ある程度理解している方には、一度は目を通していただきたい、貴重な資料集だと感じています。

なお、ご存じのとおり、世の中には南京事件の否定論者もいて、ネットにも先述の南京事件を肯定する著作に関連して、「黒須忠信陣中日記」を否定しようとする人たちがいます。
それは、次のような主張です。

<日記を書いた兵士は、農民出身だが、戦前の万年筆は、高級品で買えたはずがないから、日記はニセモノだ>
ネットの記事には、国産万年筆の生産開始は、1911年で、1940年には、世界の生産量の半数以上を日本が生産し、一般的な筆記用具として普及していたとありました(南京事件は、1937年です)。
また、先述の著作の中にも、防空壕から万年筆が見つかっているとあります。
それに、そもそも、本書に収録されている日記は、それぞれ最初のページに写真が掲載されていますが、皆ペン書きです。
当時、戦場に赴いた兵士が、家族と連絡を取るには郵便しかなく、手紙をしたためるのに、鉛筆では心もとなかったでしょう。
だから、仮に多少値が張るものであったとしても、自分専用の万年筆は携えていたと考えるのが自然だと思います。

<日記を書いた人物を仮名にしているのは、信憑性に欠ける。検証に耐えられない資料で、一次史料とは言えない>
確かに、本書に掲載されている19名のうち、17名が仮名です。
この点については、本書中に、ことわり書きがあります。
「日記提供者の身もとが明らかになると、この種の資料を公刊した場合に、さまざまな妨害を加えられるケースも多いため」と。
南京事件の否定論者は、詭弁を弄してでも、否定しようとします。
このように、信用するに足らない人たちなのです。
だから、こうした人たちに資料を公表しないのは当然と私は考えます。
ただ、検証がされていないのではなく、現物や、資料提供者の身もとの確認は、小野賢二氏だけでなく、複数の協力者により行われています。
つまり、肯定論者の間ではきちんと検証がされているのです。
検証できないのは、否定論者たちだけで、この否定の主張は、単なる言いがかりに過ぎないと言えるでしょう。

なお、否定論者は、本書に掲載されている日記すべてがニセモノと言いだしかねないので、付け加えておくと、人の書く文章には、それぞれ個性があり、ひとつとして同じものは、ありません。
筆跡についても、言わずもがなです。
また、日記中には、本人しか知り得ない事象が具体的に書かれています。
さらに、記述内容は、日記間に矛盾がなく、それぞれが信憑性を支え合っています。
このため、本書収録の日記は、身もとの確定している本人が書いたものと考えるのが自然です。
誰かの創作だ、などというのは、常識はずれの暴論です。

最後になりましたが、出版社への要望をひとこと。
本書は、定価がそもそも高いうえに、実際の売値は、その何倍にもなっていて、手が届かず、やむなく、図書館で借りて読むこととしました。
これほど価値のある本なのですから、何とか廉価版を出版していただけないでしょうか。

その2



南京事件 兵士たちの遺言

tvpickup
4 年前|55.2K 視聴
2015.10.4 日本テレビ NNNドキュメント15 シリーズ戦後70年 

古めかしい革張りの手帳に綴られた文字。それは78年前の中国・南京戦に参加した元日本兵の陣中日記だ。ごく普通の農民だった男性が、身重の妻を祖国に残し戦場へ向かう様子、そして戦場で目の当たりにした事が書かれていた。ある部隊に所属した元日本兵の陣中日記に焦点をあて、生前に撮影されたインタビューとともに、様々な観点から取材した。 

http://www.ntv.co.jp/document/


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