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To be or not to be, that is the question.
僕は小説や文学が苦手だ。
僕が知りたいのは結論だけだから。
僕は抽象化された簡潔なテーゼさえあれば満足だから。
なのに小説や文学は、言いたいことをわざわざ長ったらしい文章にして、
いちいち出来事にして、細かい人物描写やら風景の説明やらにして具象化しようとする。
友人から何かの小説をすすめられると僕は、あらすじだけ聞いて、
ラストの数ページを読んで満足する。あるいは解説だけ読めばスッキリする。
僕が知りたいのは結論だけだからね。
そんなポリシーを突き崩されたのはユング心理学を独学していたときのこと。
ユングの本は「これでもか!」っていうくらい引用が多い。しかも小説や文学から!
その言葉が使われている場面や状況や文脈が理解できてないと何のことやらさっぱり分からない。
仕方なしに買ってみた本の一つがシェークスピアの「ハムレット」だった。
さっそく読む・・・が、数ページでスムーズに入眠。とほほ、情けなや・・・
3〜4回、チャレンジしてみたけど、そのたびに僕は睡魔に襲われるのであった。
恐るべし、シェークスピア!・・・で、どうしようもなくなったので、
妥協案としてレンタルビデオの映画をみることにしたのだった。
感想は?・・・猛烈に感動したことを記憶している。
暗殺された父親の亡霊が、ハムレットに復讐を命ずる。
ところが復讐を遂げるためには、強大なシステムを敵に回さなくてはいけない。
自分の命の保証はない・・・というか、運命として自分の命を捧げなくてはいけない。
かといって父親の亡霊の無念を無視して、長いものに巻かれる生き方を選ぶのは「生きる」に値しない。
深い苦悩に包まれたとき、ハムレットはつぶやく・・・
To be or not to be, that is the question.
(復讐を)為すべきか、為さざるべきか、それが問題だ。
復讐を為せば命を失うだろう。しかしそれこそが真に生きることかもしれない。
復讐を為さざれば命は長らえるだろう。しかしそんな「生けるしかばね」のような生は死に等しいだろう。
そこでこの英文は「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と訳されることもある。
To 励ます or not to 励ます, that is the question.
励ますべきか、励まさざるべきか、それが問題だ。
実際に患者さんと接するとき、僕はしょっちゅう苦悩してしまう。
励ませば、患者さんは未来があることを確信し、元気になるかもしれない。
しかし自己を否定されたように感じ、自分を追いつめるようになってしまうかも知れない。
励まさず共感する態度に踏みとどまれば、患者さんは受容された安心感を得られるかもしれない。
しかし今の状態に踏みとどまったまま、自己の克服すべき課題を回避しつづけてしまうかもしれない。
#2で「うつ病か否か」という基準を、
#3で「頑張らせることが有効に働く状態か否か」という基準を、
さしあたり提出したものの、現実の僕は明確にこの基準を意識しているわけじゃなくて、
しょっちゅう苦悩することが多い。ときには僕はうつ病の患者さんを励ますことだってある・・・
「励ますべき」と考えて励ましていたら、患者さんを追いつめてしまったこともある。
「励ましちゃダメ」と思い励まさずにいるうちに、現実逃避のループに入れてしまったこともある。
何かもっと別にうまい明文化ができるのかもしれない。
もっと本質的で明確な基準があるのかもしれない。
でも一方で、そんな基準があったとして、それを金科玉条のように掲げていると、
いつか僕は、臨床実践の現場において、何か大きな間違いを犯してしまうような気がする。
そこで気付く・・・
大切なのは結論じゃない。抽象化された簡潔なテーゼじゃない。
それぞれの患者さんの、それぞれの状況下における、それぞれの立場によって、
その答えをいちいち模索していくしかないんだ。精一杯、苦悩していくしかないんだ!
・・・ということに。
こんなことをツラツラと書いていると「じゃあ今度はちゃんとハムレットを読んでみたらどうだ?」
そんな風に誰かからツッコミがはいりそうな気がしてきた。
とほほ。有言不実行・・・たぶん僕は、未だにハムレットを10ページすらも読める自信がない。
読むべきか、読まざるべきか、それが問題だ。
さしあたり、苦悩しておきます・・・と言い訳してこのシリーズを終わりにしておこう。
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