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しばらく前から知ってはいたものの、 いまいち分かったような分からないようなイマイチだった領域。 それがマインドフルネス。日本語訳は・・・ マインド( mind ):精神、気にする、注意する マインドフル( mindful):心に留める、心にかける、注意する マインドフルネス( mindfulness):注意深さ、心にかけること ???・・・英語キラ〜イ・・・なんのこっちゃらさっぱりわからないんだもの・・・ 一応の定義は・・・と言っても、僕の場合の定義だけど・・・ マインドフルネス:今、ここにあるものに気づき、あるがままに、それを受け入れ続けること。これはもともと、東洋の瞑想を西洋で受け入れたときに西洋人が、 「瞑想者が瞑想のときにもつべき心構え」のことをマインドフルネスと表現したものらしい。 ハ〜イ。じゃあさっそくちょっくら瞑想するデス。らじゃ〜デス。 で・・・たとえば息をしていることに気づいたとする。 そしたら「あ〜・・・息をしてるね・・・うんうん・・・それでいいよ」って受け入れる。 今度は手先があったかくなってきたとする。 そしたら「ほうほう・・・あったかくなってきたね・・・うんうん・・・了解です」って受け入れる。 そんなふうに今、現在の、存在しているものに気づき、あるがままに受け入れるんだ。 あうう・・・明日の外来、超、混んでてブルーなんですけどぉ・・・ そんなふうに明日のことに気づいたらどうするの? うん。これは「今、ここ」にあるものじゃないんだ。これは未来に関するものなんだ。 だからこれはマインドフルネスでお相手としては不適切。そんなときはどうするのかというと・・・ 「今、ここ」じゃないものは・・・つかんで・・・放す・・・どういうことかと言うと・・・ 「ほうほう・・・『明日の外来、超、混んでてブルーなんですけどぉ・・・』って思ってるね・・・ うんうん。そうか。そうゆう雑念が出てきたんだね。うん。わかったよ。じゃあね・・・」 ・・・そんなふうに、出てきた雑念を把握してから、 それにもう、これ以上、関わるのを止めて、バイバイするんだ。 そして「今、ここ」の状態に気づき続けることに戻る。 うう〜ん・・・外来.com(外来、どっと混む)・・・ぷぷっ・・・ どうする?・・・こうする。 「そっかそっか・・・『外来.com』・・・ダジャレだね・・・わかったよ・・・じゃあまたね・・・」 決して「うほ!!おもろい!!もっとオモローなダジャレはないかなぁ・・・」なんて執着しない。 一旦は受け入れて・・・そして・・・手放す・・・おもしろネタを思いついてもこだわらない・・・ (↑ワトソン、オマエ、『外来.com』をそんなにおもろいと思っているのか!! ・・・ってゆうツッコミはしないでチョーダイ・・・オネガイ・・・) ああ・・・そういえば先週もGWの影響でmetyakutya@gairai.comで冷や汗ダラダラだったなあ・・・ 今度は過去のことの雑念が出てきちゃったよ。これもそう・・・つかんで・・・放す・・・ 「そうかそうか・・・そんなことを思ったんだね・・・分かったよ・・・See you...」 そして再び、今、ここの状態に戻っていく。 「今、ここ」→「未来への不安」ってなったら、それに気づき再び 「今、ここ」←「未来への不安」っていうふうに弧を描いて戻っていく。 「今、ここ」→「過去の不快な回想」ってなったら、それに気づき再び 「今、ここ」←「過去の不快な回想」っていうふうに弧を描いて帰っていく。 いろいろな雑念が生じては弧を描いて「今、ここ」に戻っていく。 それはまるで蓮(ハス)の花びらのようになっていく。 何度も繰り返すたびに蓮の花びらは小さくなっていく。 そして究極的には「今、ここ」の1点にずっと留まれるようになる。 それを到達した人間がいる。それが・・・何を隠そう。あのブッタなのであ〜る。じゃじゃ〜ん。これぞ瞑想をするときの心構え。マインドフルネス。うう〜ん。超☆宗教ちっく♪ どうやらそうゆうことらしい。でね。これが最近の認知行動療法の中では大流行。 マジで?いやいや、冗談だろ?試しに本を買ってみたら真顔でみんな、書いている。曰く・・・ 瞑想を毎日、最低、30分は行いましょう。 マインドフルネスの姿勢でヨガを行いましょう。 歩くことも瞑想です。レーズンを食べることも瞑想です。 あるがまま、歩いている一歩一歩の感覚を感じましょう。レーズンの味をじっくりと味わいましょう。 今、ここにあるものに、気づき、あるがまま、受け入れるのです。 そして未来のことも、過去のことも、こだわっても意味がありません。 そういう邪念があることを直視し・・・つかみ・・・気づき・・・そして・・・手放しましょう・・・ ・・・僕はびっくりギョーテンで目がマンマルになってしまった。 だってあの認知行動療法が、科学をこよなく愛し、統計と心中も厭わない科学者集団が・・・ 「瞑想」なんてカルト・オカルト・新興宗教・民間療法・詐欺師連中の専売特許みたいな方法を・・・ でもみんな、真剣だ。統計学的にも有効性が繰り返し証明されている。 どうゆうことだろう・・・もしかして・・・ これまでの認知行動療法は何かを変えよう・変えようと頑張りすぎて、 相当無理をしていたのかもしれない。 だからその反省から、変えるのではなく、あるがままに受け入れることを、 再評価するようになったのかもしれない。 認知行動療法ではうまくいかなかった患者さん・・・ 治療者から今まで「歪んだ認知を変えようゼ!」と急かされていて、 でもうまくいかず、でもどうにか自分を変えようと無理していた患者さん。 「これが一番科学的で統計的にも確かな効果が証明されているのです!!」 声高に叫ばれる宣伝文句。この宣伝文句に追い詰められて強引に自分を変えようとしていた患者さん。 「今までいろいろ無理を言ってごめんよ・・・今度は無理やり変えるんじゃなくって、 今の状態をあるがまま受け入れていく路線に変更してみたんだけどどうかなあ・・・ぽりぽり・・・」 これまでの認知行動療法では相性が合わず、でも宣伝文句と統計データの影響力によって、 認知行動療法から離れられず追い詰められていた患者さんは、 治療者のこの路線変更に歓喜したのではないか・・・ それですっごく治療効果が出ているように見えるのではないか・・・ だとしたら本当に大切なのは・・・ 従来の認知行動療法でうまくいかなかったら「変化させる→受け入れる」の路線変更をする。 「あやしい」とバカにせずに謙虚に瞑想し「あるがまま受け入れる」トレーニングをしてみる。 マインドフルネスでうまくいかなかったら「受け入れる→変化させる」の路線変更をする。 「めんどくさい」と文句を言わずに自分の認知を把握して変化させるトレーニングをしてみる。・・・そんなふうに、そのときどきによって、有効な方法を柔軟に取り入れることなんだ。 だってきっとそうしないと、マインドフルネスはいつの間にか新興宗教になっちゃうかもしんないしね。 ・・・そんな気ままな想像と勝手な憶測と独りよがりな主張をモゴモゴとしている僕でちた・・・
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精神医学、臨床心理学
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理性感情行動療法ってゆうのは、 理性(認知)と感情と行動の3点から治療を総合的に行おうねってゆう療法なんだけど、 コイツを作ったエリスがゆうには認知療法を創始したベックをトレーニングしたのは俺なんだ!とのこと。 ちなみに行動療法の元祖は僕が尊敬してやまないJ.B.ワトソンだ。 ワトソンの思想が後にウォルピとかによって行動療法として確立されたらしい。 だから今のところの僕の理解だと・・・ ワトソン→ウォルピ→行動療法 エリス→ベック→認知療法 行動療法+認知療法=認知行動療法 ・・・ってことになる。 うおお・・・ってコトはエリスってとってもエラい人だったのね・・・タジタジ・・・ それはともかく、エリスは哲学好きらしく、 自分の理論の根幹にギリシャの有名な哲学者の言葉を置いている。それは・・・ 人の心を悩ますものは、出来事そのものではなく、 その人の出来事に対する判断である。 by エピクテトス A.D.1世紀・・・だそうだ。要するに、考え方一つで悩んだり悩まなかったりするんだよ。 出来事そのものには良いも悪いも無いんだよ。判断一つで変わるんだよってコト。 でもってコレをより合理的な理論にまとめあげた。それが有名なABC理論。 A:Activating experience or Adversity=キッカケとなった出来事 B:Belief=信念(ビリーフ) C:Cosequence=結果 キッカケとなった出来事(A)は良いも悪くもなくて単なる現実・出来事でしかない。 それを人が自分の持っている信念(B)に基づいて良いとか悪いとか判断し、 気持ちが落ち込んだり怒ったり・・・あるいは喜んだり受け入れたり・・・ 悪い行動に出たり、良い行動に出たりという結果(C)が生じる・・・んだって。ふ〜ん。 だから結果を変えたけりゃビリーフを変えなさい。信念を修正しなさいってコト。へ〜。 ビリーフってのは合理的(rational=ラショナル)なのと非合理的(irrational)なのとに分かれる。 イラショナル・ビリーフ(非合理的信念)を持ってると落ち込んだり怒ったりして悪い結果が生じる。 ラショナル・ビリーフ(合理的信念)を持っていると喜んだり受け入れたりして良い結果が生じる。 だから嫌な気持ちになったり良くないコトが生じたりしたら、 自分のビリーフを発見してイラショナル(非合理的)なものからラショナル(合理的)なものに変える。 そうすればいい気持ちになったり良いコトが生じるようになりまっせ・・・って・・・ホンマかいな。。。 これがエリスの発想の根本。。。よし。戦闘準備完了。
さていよいよこれから僕は、怒りをテーマに、エリスを出発点として、記事を書きまくることにしよう・・・ |
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「怒り」をテーマに宿題の発表会をすると言っておきながら、いきなり脇道に逸れちゃうケド、 理性感情行動療法ってゆう心理療法をちょびっとだけご紹介。 コイツに知り合ったときの僕は、認知療法にも行動療法にも幻滅していた時期だった。 認知療法は患者さんの歪んでしまった認知を修正する。 行動療法は患者さんの間違った行動のクセを修正する。 統計的データではとっても有用だってゆう証拠が目白押し。 僕はやみくもにそれを信じて患者さんに押し付けて、 歪んでしまった認知を捨てきれなかった患者さんは僕を避け始めて、 間違った行動のクセを分かっちゃいるけど止められなかった患者さんは自信を失った。 僕は認知療法も行動療法も効果が無いと断罪し、患者さんに頭を下げた。 自己嫌悪と無力感で一杯になりながら・・・ 認知療法・行動療法の創始者たちに恨み節をブツブツしながら・・・僕が思ったのは・・・ 認知(理性)のレベルで正しいと思っても、行動のレベルを無理やり変えても、 感情のレベルに直接作用するようなものも無くてはいけないんじゃないのか? それが欠如してたら、認知療法はただの正論の押し付けになっちゃうんじゃないのか? 行動療法はただの調教や餌付けになっちゃうんじゃないのか?・・・ってコトだった。 そんなふうに感じていたときに心理学コーナーでふと目にした本。ソイツの名前は・・・ 理性 感情 行動 療法 そうそう!コレですよ!コレ!まさにコレ! 喜び勇んだ僕は中身を確かめもせずに衝動買いをした・・・まま、未だに読んでいない。とほほ。 僕の本棚はせまいアパートに4つあるんだけど、そのうちの一つはキッチンにある。 いくら換気扇を回そうとも、キッチンの本棚の本はだんだんギトギトしてきちゃう。 僕は駄作・時間の無駄遣いとみなした本の流刑地としてキッチンの本棚を使用している。 僕が心ときめいた「理性感情行動療法」という本は今、そこにある。 なんでかってゆうと、この療法はギッチギチの正論の押し付け療法でロクに効果がないという話を、 いくつかの情報筋から耳にしたからだったのだった。理性感情行動療法はエリスって人が開発した。 そのエリスってのは大した治療成績を残せていないという話も聞いたからだった。 だから読まずにポイッ!!・・・ 哀れ・・・こうしてエリスは何の申し開きもできぬまま、流刑地へと飛ばされてしまったのだった・・・ 裁判が行われたのはもうだいぶ昔の話だ。 だからあの本は・・・そう・・・もう・・・究極にギットギトになってる。 その後、僕の、認知療法と行動療法に対する若気の至り的な勘違いと誤解が明らかになったのだけど、 理性感情行動療法への誤解が解けたのは・・・「怒り」をテーマに勉強したことがキッカケだった。 で・・・今は・・・冤罪の罪で流刑地に飛ばされてしまったあの本に、 どうやって謝罪をしてどうやってまた読み始めようかと思案中・・・ 決め付けってホントに危険。あうう・・・イラショナル・・・エリス先生、ホンットにごめんなさい。
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人は必ず死ぬ。誰しもいつかは、その事実に直面することになる。 突然の事故や急病で命を落とすならば、その準備うんぬんを言う必要はない。 進行性の癌で転移もたくさんあるから手術をするワケにもいかず、 かといって薬物療法も放射線療法をやってみたものの確実に進行していって、 あと半年の命を宣告されていたのだとしたら・・・どうだろうか? 医者は病気を治すことが本業だ。でももしもそういった患者さんを目の前にしたらどうだろうか? 昔々のアメリカでの話。 重度の癌患者さんは医者をいらつかせた。できればもうお目にかかりたくない。 なぜって診察したって何もやれることがないんだから、ただ身体所見をとるぐらいなんだから、 目の前にいるだけで自分の医者としての無能っぷりが感じられていたたまれなくなるからだ。 ・・・ということで治る見込みのない患者さんは病院の隅っこのほうに、 誰の目にもつかぬように、ここにいちゃいけない存在であるかのように・・・放置されていたらしい。 こんなことは許すまじ!! 立ち上がった女性がいる。ひょんなことで精神科医になっちゃったスイスから来た荒くれ者。 彼女の名前はキューブラー・ロス。彼女はただただ・・・患者さんに寄り添った。 何もできない、治療できない、どうすることもできない、自分の無力・無能っぷりをさらけだしながら・・・ 周囲からは嫌悪のまなざし。 癌患者を見世物にして金儲けをしようとたくらんでいるんだ! 薄気味悪い悪趣味な研究をよくもまあ平気でやってるもんだ! 同僚に敵視され・・・患者さんの家族に敵視され・・・マスコミに叩かれ・・・ それでも彼女は末期の癌患者さんと真摯に向き合い続けた。 患者さんが死の教師で、自分は無知な生徒なのだととらえ、患者さんの語る言葉に耳を傾けた・・・ やがて献身的な彼女の姿が人々に感動を与えるようになった。いや、それ以上に・・・ 死に直面してもなお、生きようとする患者さんの姿に・・・世界が動かされたのだと僕は思う。 彼女の活動は世界的に有名になり、死の臨床が注目されるようになった。 見て見ぬふりをしたいとおびえていた現代医療は、勇気をもって死の臨床を始めるようになった。 癌患者さんの心理的ケアの必要性が叫ばれサイコオンコロジー(精神腫瘍学)という学問が確立された。 そして末期癌の患者さんのための施設(ホスピス)が世界中に作られるようになった。 しかし彼女の活動はそれにとどまらない。彼女は亡くなった患者さんの亡霊をみた。 さらに幽体離脱の体験をした。そして死にかけた患者さんの話に多くの共通点があることに気づいた。 人は死ぬと、幽体離脱して、自分のことを遠目で眺め、やがてトンネルのようなところを抜けて、 絶対的な光の世界に到達するのだと言う。その光の世界で人は、至福の感覚を覚え、 そして亡くなった家族や友人との再会を果たすのだという。 彼女は再び世間からけなされるようになった。 多くの同僚たちが彼女から離れていった。 キューブラ・ロスの評価はその前後で大きく分かれる。 ターミナル・ケアの先駆者として・・・ 死後の世界の提唱者として・・・ あるときは絶賛され・・・ あるときは罵倒される・・・ しかし僕は思う。本当に死を間近にした患者さんに向けて・・・ 身体が無くなっても精神は生き続け、絶対的な光の世界に到達するのです。 そしてあなたの家族とも友人とも・・・再会できるのですよと語りかけることが・・・ それほど悪いことなのか?と・・・僕は無神論者だ。断固、無神論者だ。 けれど・・・もしも僕がそんな場面に実際に遭遇したとしたら・・・ 僕はそれでも主張するのだろうか? 死んだら何も残らないんだと・・・死んだらオシマイなんだと・・・ 本当に僕は、主張することができるのだろうか?
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ええっと・・・実はこの技法の紹介記事はもうだいぶ前に書きあがる予定だったものなのです。 家族の絆を取り戻す方法として、すっごくお勧めだったので、早く書きたかったのですが、 ちょうどそのときに仕事が忙しくなって、書くタイミングを失してしまったのです。 だからずっとお待たせしてしまった方もいらっしゃるのです。ホント、すんませんでした。 さてさていろんな立場からこの技法を説明することができるのですが、 せっかく家族療法についてもっと説明してほしいなんてゆう要望もあったので、 今回は家族療法の観点からモゴモゴとおしゃべりしていきたいと思っております。 もしかしたら初めての『解説』ってヤツになるかもしんないです。 (細かくゆうとパロ・アルトグループ≒コミュニケーション学派≒MRIアプローチなのですが、 そんなことは多くの方にとってはどうでもいいことなので普通、僕はそうゆうことは書かない主義・・・ なのですが、今回は一応、書いておきますね)。 人も動物もみんなしょっちゅう互いにメッセージを与え合ってコミュニケーションしてます。当たり前。 ほいじゃ相手を無視してダンマリしてるのはコミュニケーションしてないってこと? いえいえ違います。それは「私はあなたを無視します」ってゆうメッセージを出しているので、 それもまたコミュニケーションなんです。だからやっぱり、無視することも含めて、 みんなみんなメッセージをウジャウジャって出し合ってコミュニケーションしてるんです。 で・・・コミュニケーションはメッセージを通して交わされるんですが、 そのメッセージってゆうのは、厳密にはメッセージとメタ・メッセージに分類されます。 簡単に言うと言葉の内容がメッセージで、他のしぐさとか表情とか口調とかがメタ・メッセージです。 そいでもってどっちのほうが大切なのか?信用に値するのか?ってゆうと・・・ 言葉? それともしぐさ? 言葉だけならいくらでも嘘をつけます。あるいは憎まれ口もたたけます。あるいは・・・ 嘘なんてつきたくないのにどうしても素直になれずに嘘をついてしまうこともあります。 憎まれ口なんてたたきたくないのに不器用にも憎まれ口をたたいてしまうこともあります。でも・・・ しぐさとか表情とかでは隠された本音が見えてくるものです。一流の俳優・女優なら別として、 基本的にしぐさとかでは、本音が素直に出てくることが多いものです。とゆうわけで正解は、 『メタ・メッセージのほうが大切で信用に値する』・・・でした。 本当は互いに大切だと思っているのに素直になれず、互いに自分を嘘で隠して、憎まれ口をたたき合い、 どんどんといがみあってしまう家族・・・というがんじがらめ・・・ってよくあります。 そんなときにはみんななんとか解決しようと思っているのに、その解決しようとして行う言う言葉が、 さらに相手を刺激してしまうという悪循環・・・もよくあります。 ところが!!!この方法だと、相手への憎ったらしいなんて気持ちが生じたときに、 思わず手に力が入って『肩もみ』じゃなくて『肩ひねりつぶし』になっちゃうかもしれません。 愛情ある『肩たたき』のつもりが『肩殴り』になっちゃうかもしれません。 これじゃあメタ・メッセージでも『私はあなたのことが憎い』という内容になっちゃうので逆効果です。 そこで!!!本日の目玉商品がいよいよ登場です。その名もタッピングタッチ。 この技法でやってることは、僕が捏造した『肩もみ健康法』とほとんど同じで、 見てるだけだと、肩たたきとソックリなのですが、違いは、 『たたく』んじゃなくて『軽くタッチ』するだけってところです。 細かくゆうと、肩たたきはグーにしてたたきますが、 タッピング・タッチはパーにしてさらに自分自身も力を抜いて、 そして指の腹の部分で優しくタッチします。 触れるとたたくのちょうど中間ぐらいでゆっくりとタッチします。 ・・・と、このように、最初っからそうゆうやり方にするんだもんね!って決めてしまえば、 やってる途中で仮にムカッときても下手に力が入ることがありません。 これならやっている間、安定した『私はあなたのことを大切だって思っています』・・・ というメタ・メッセージを与え続けることができます。 それだけではありません。軽く・・・触れる・・・強い圧力はかけない・・・ということは、 次のメタ・メッセージを与え続けることになります。 『私はあなたを変えようとしません。あなたはあなたのままでいいのです。 私はただ、あなたをそのまま、受け入れ、触れて、大切にしたいだけなのです』・・・ これはカウンセリングの基本中の基本である来談者(クライエント)中心療法の姿勢そのものです。 (参考までに・・・クライエント中心療法) 来談者中心療法はそれを主にメッセージ(言葉)のレベルで行いますが、 タッピング・タッチはそれをメタ・メッセージ(言葉以外の方法)のレベルで行っている。 そんな風にも言えるでしょう。。。ううう。。。やっぱり解説になると僕の肩が凝ってきた・・・ うわ〜〜・・・苦手だ・・・超・苦手だ・・・あうう・・・解説・中止!!! ######################################## 要はですね・・・ともかく『ちょっと変わった肩たたきがあって、 タッピング・タッチってゆうんだけど、やらせてちょうだい』ということで、 相手に肩たたきの要領ででもそれよりもゆっくりと軽く触れる感じでやっていると、 相手と仲が良くなるかもしんない・・・ってことであります。うおおお・・・スランプ・・・ 続きはファン限定記事で〜・・・と逃げてみる。
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