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今回は自転車ではありません。
JR東京駅に行く事がありましたので、以前より見たかった丸の内駅舎に行ってきました。
先ずは東京駅構内を散策。
新幹線起点プレート。
新幹線の父と呼ばれる第4代国鉄総裁の十河信二(とごうしんじ)さんの碑
東海道新幹線記念碑
『この鉄道は日本国民の叡知と努力によって完成された』
在来線1番ホームの0kmポスト。
東京駅で一番見たかったのは丸の内駅舎の化粧レンガ。
約5年間の東京駅丸の内駅舎の保存・復元工事が完成した2012年の翌年に、増築した3階部分の外装化粧レンガ(現在は一般的にタイルと呼ぶ)を製造した㈱LIXILの製造担当者の講演を聞く機会があった。
会社の歴史、東京駅が出来るまで、化粧レンガ製造方法の話で決して上手な話し方ではなかったんですが、非常に興味のある内容でした。
講演『私たちがつくったもの』の概要
既に新橋〜神戸間の鉄道が開通していた1888年(明治21年)に上野駅との接続線上に日本の中心となる中央停車場(現東京駅)の建設が決定します。
日露戦争を経て26年後の1914年に辰野金吾の設計で東京駅として開業しましたが、1945年に太平洋戦争の東京空襲で丸の内駅舎の3階部分が焼失し、2階建てとして修理されます。
今回東京駅の保存・復元工事の内容は耐震工事等もありますが、外観を開業当時のドーム屋根のある3階建てにする事が最大の目玉です。
その為に増築する3階部分の外装化粧レンガの色合わせや施工方法を当時の物に合わせるのが非常に難しい事でした。
その苦労話とは・・・
東京駅は長さ300mあるので、当時の化粧レンガは今と製造方法が違う上、10数回に分けて製造したそうです。その為、毎回少しずつレンガの色が微妙に違い、色合わせの為に10数色に分けて製造しなければなりませんでした。
しかも、タイルって焼き上がるまで色がわからないとか。
タイルの試作品は2003年から1万5000枚も作り、7年もかけた試作品製造だったが本生産は2週間で完了したとか。
非常に厳しい色合わせの為に、生産した化粧レンガの30%しか合格しなかったとか。
当時の煉瓦の目地は覆輪目地(ふくりんめじ)になっていて、現在では施工できる職人がおらず、1年半かけて施工訓練を行い職人を育成したとか。
そんな講演内容を思い出しながら、丸の内駅舎を見て回る。
講演会の終盤で「それだけ化粧レンガの色合わせに苦労されたのに、少し色が違って見えます。やはり完璧に色を合わせるって技術的に難しいんでしょうか?」の質問。
『いえ、元の化粧レンガは100年経っているので今回のレンガと今後の退色が違うんです。今の色に合わせるんじゃなくて、100年後に色が合うようにしているんです。』の答えに驚く。
『私たちがつくったもの』講演の最後に。
開業当時の駅舎の外観、欧米列強に追いつく為に日本を代表する駅舎を作るって辰野金吾の強い信念やこだわり、現在では無くなってしまった建築資材の製造技術や施工技術を復元しただけでなく、完成した駅を見上げ写真を撮る多くの人の笑顔を作ったのです。と締めくくられた。
この日、私も周りで写真を撮ってる多くの人も、確かに微笑んでいました。
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関東地方




100年後に色が合うようにしているなんて、壮大なお話ですよね。
土木・建築は地図に残る仕事と言われますが、これは「歴史に残る仕事」ですね。
[ スミだんな ]
2016/3/6(日) 午前 11:28
> スミだんなさん
自分的には感動だったんです。
ようやく見に行けました。
サイクリングがセットならもっと楽しかったんでしょうけど。
[ にも ]
2016/3/6(日) 午後 11:53