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12月11日
スタートはJR関ヶ原。
ここから九里半街道をたどる。
九里半街道は琵琶湖の朝妻湊から中仙道を東に進み関ヶ原宿で分岐して南下、牧田、乙坂、島田(現在の美濃高田)、揖保川支流で牧田川の美濃三湊(烏江湊、粟笠湊、船附湊)へと繋がる街道。
街道のすぐ横を名神高速道路や国道356号が通っていて、今も昔も交通の要地だったのは変わらない。
牧田集落。かつての宿場町だったそうだ。古い家屋が残る旧道の景色。
美濃高田、石道標は「右 養老 たき道、左 大垣 すぐ 伊勢みち」。
街中には連子格子の伝統的建築物が残る。
美濃高田を過ぎるとかつての牧田川と位置が変わっていて美濃三湊の跡は残っていない。
金草川沿いの粟笠湊だったであろう付近に石道標を見つけた。
揖斐川に合流する船附湊跡が九里半街道のゴール。
海津は輪中の中の町。
高須の集落には石積みで住宅の敷地を上げた独特の住宅様式が見れる。
50年に30回起こると言われた水害対策の工夫。敷地内に船を用意している家もあるそうだ。
木曽三川の治水工事と言えば江戸時代中期に薩摩藩によって行われた宝暦治水(1753年)
【宝暦治水事件】
幕府からの命令で外様大名だった薩摩藩は揖斐川、木曽川の治水工事が命じられ、幕府の嫌がらせや地元とのトラブル、病気などで被害者を出しながらも工事を完成させた。悲話として舞台にもなっている。
木曽三川公園の油島に治水神社と宝暦治水の碑がある。
260年経った今も岐阜県と鹿児島県は姉妹県で海津市の県道に薩摩カイコウズ街道と名付ける程地元では感謝されている。
工事完成の際に植えられた千本松が1キロ程続く。
右の松の向こうはすぐ揖斐川、左は長良川。
千代保観音(通称おちょぼかんのんさん)でどて焼と串カツをつまみ食い。
揖斐川と木曽川に挟まれた輪中の町。
運河や水門が整備されるまで何十年も堤を作り続けてきたんだろう。
使われなくなった輪中堤が桜の古木の並木道になっていた。
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約80キロ走行
ルートラボ↓
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2013年12月12日
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