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自転車で小さな旅
旅をコンセプトとするサイクリングガイド

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8月8日

今年は太平洋戦争終戦70年。
大阪市内に残る戦争遺構を巡るサイクリングの企画に参加させていただいた。

大阪市内を中心とした空襲は終戦の年1945年(昭和20年)の3月から8月14日まで8回行われ、大阪城周辺の軍需工場や輸送施設が狙われ一般の方に多くの被害者が出た。


メンバーは15人ほどで長居公園をスタート。

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天王寺を近鉄阿倍野駅の地下道で越える。

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大阪城内の旧陸軍第四師団司令部庁舎 1888年築。
空襲の被害はなく、戦後は大阪博物館として利用された。

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米軍の空爆対象となった大阪城の北東側にアジア最大規模と言われた軍需工場『大阪砲兵工廠』があった事から、大阪城にも空襲の傷跡が残る。
本丸天守北東角石垣。8月14日の空襲の際、1トン爆弾の爆風で石垣が歪み焼夷弾により焦げ跡が残っている。

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山里丸石垣の機銃掃射弾痕は6月7日の空襲によるもの。

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大阪城北側にあった大阪砲兵工廠 1919年築 8月14日の空襲で敷地内の建物はほぼ壊滅。

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天神橋から淀川の長柄橋へ。6月7日の機銃掃射痕。
コンクリートがこんなに砕けるなんて、すごい破壊力だったと感じた。

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柴島(くにじま)浄水場壁面の6月7日空襲時の弾痕。

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西淀川区の高射砲台遺構。
1943年に大阪の防衛強化の為に6台作られた高射砲基地。
当時250名の兵士が配備されていたが、高度10000メートルを飛来する米軍機に対して射程外だったそうだ。

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神崎川沿いのなにわ自転車道。

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北野高校(旧制北野中学校)本館西壁に28か所の弾痕。
終戦の年には疎開や農園勤労、軍需工場への勤労で授業は行われていなかったとの事だが、空襲に対する学校防衛で生徒を含む9名が無くなっている。
今日のコースで一番胸が熱くなった。

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見所が多く走るのに夢中になるが、暑さがこたえる。
空襲被害の大きかった淀川の周辺を回って、日陰の気持ちいい公園で冷たい物で休憩。

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最後に住之江区南加賀屋の住宅地に残る防空壕を見学して解散となった。

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今晩は両親宅に泊まる事にして、母親とビールを飲みながら戦争遺構について話す。
母親は77歳で小学校1年生の時に終戦だったが、毎晩の様に防空頭巾を被って避難したと言っていた。子供の時の怖い思いが刷り込まれているのだろう、今も戦争時の資料館などには行けないのだそうだ。

家に読んだことのない戦記本がある。
祖父が南方に通信兵として出兵していた際の手記を自費出版したもの。
一度、読んでみようかと思う。

今回はいいねのバナーは外しておきます。




今日のナイスな一枚。自転車もファッションもオシャレでした。
ニューサイクリング誌の表紙より(うそです)

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