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自転車で小さな旅
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5月13日
 
東海道53次は東京(江戸)から京(京都)までの街道。
江戸時代初期に徳川幕府によって整備された5つの街道で最もポピュラーなもの。

しかし、京都から大阪まではそれ以前に豊臣秀吉によって整備された事もあり大阪では東海道と呼ばす大阪街道や京街道と呼ばれていた。

京都から大阪は伏見、淀、枚方、守口が淀川の船便を利用した宿場町。
53次ではなく57次(宿)となる。

当時の終着点だった天満橋から大川(旧淀川)沿いの桜ノ宮公園内で毛馬閘門へ。
 
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赤川仮橋の踏み板は木製から鉄板に変わっていました。
 
 
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枚方市は大阪市内から電車でも20分程の都市。
しかし、駅前の高層ビルや繁華街の裏には旧街道の面影が残る建物も多い。
 
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商店街の角に道標『右おおさか道』『左 京6里』
 
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枚方宿の当時の名物は『くらわんか船』

淀川を往来する三十石船(30人位乗れたそうだ)に小船で寄ってきて、
『餅食らわんか!飯食らわんか!酒食らわんか!銭がないからよう食らわんか!?』と強引に売りつけたそうだ。

船宿鍵屋。
 
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東の見付け(宿場町の通りの出入り口)から振り返ると1600年と2012年が同居している風景でした。
 
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そのまま足を伸ばして京都八幡自転車道基点の嵐山で折り返し
 
 
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修復された流れ橋。
 
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嵐山から木津川自転車道終点の木津まで46キロ。
 
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奈良自転車道をつないで近畿一周の様なコースとなりました。
 
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ルートラボ↓





3月18日
生憎のお天気でちょっと小雨に降られましたが、大阪サイクルイベントに参加してきました。
 
大阪湾にある人工島、咲洲(さきしま、通称南港)のインテックス大阪をスタートし自動車専用の夢洲トンネルを通って夢洲(ゆめしま)〜舞洲(まいしま)を往復するコースです。
 
普段は自転車で走れないコースに5000人の参加がありました。
絹代さんの合図でスタート!
 
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南港大橋
 
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時の時空間
 
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普段は自動車専用の夢洲トンネルで夢洲へ。
 
ここを走る為に参加料払った様なもの。
 
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自動車専用の為かトンネル内はV字になっていて平坦部分がない。
結構な勾配がついていて下りでかなりのスピードが出て怖かった。
当然、出口付近は上り坂。
 
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夢洲から舞洲へ。デザインが?の大阪市ごみ焼却場施設。
 
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夢島へ大橋で渡って、もう一度夢咲トンネルをくぐる。
 
 
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天候が悪く景色は残念でしたが約30キロの規定コースを楽しみました。
 
 
 
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ルートラボ↓



 
大阪市内のサイクリングってビルばっかり、信号ばっかりで楽しくない。
でも、こんなレトロな建物を散策するのは楽しい。
 
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北浜レトロ  1912年 中央区北浜1丁目 現在はカフェ。
 
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新井ビル  1922年  中央区今橋2丁目
 
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旧大阪教育生命保険ビル 1912年 中央区高麗橋2丁目
 
 
 
 
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日本基督教団浪速教会   1930年 中央区高麗橋2丁目 
 
 
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生駒時計店  1930年 中央区平野町3丁目
 
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芝川ビル  1927年  中央区伏見町3丁目
 
 
 
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大阪倶楽部 1924年  中央区今橋4丁目
 
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1月8日
 
奈良盆地から大阪南部に流れる大和川。
現在は大阪市と羽曳野市、堺市との境を流れているがかつては現在の柏原市より河内平野を北上して鶴見区、放出(はなてん)へと流れ第二寝屋川と合流して大阪城のお堀につながっていた。

 
大和川が付替えられたのは1704年。現在は長瀬川となっている。
 
長瀬川の分岐は柏原市安堂の交差点
 
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八尾浜は昔の船着場。当時の大和川の川幅は200メートルもあったそうだ。
長瀬には帝国キネマ長瀬撮影所跡。太秦撮影所の前はここで映画撮影が行われていた。
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長瀬川は放出で第二寝屋川へ合流。
 
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大和川の付替えによって河内平野は水郷地帯となり水田や綿花畑やレンコン畑となった。
農地改革を行ったのが鴻池家。農作物の集積所として出来たのが鴻池新田会所
 
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近くの門真市御領には水郷地帯だった名残の水路や蔵が残っている。
 
 
富田林は江戸時代からの寺内町。
近鉄 富田林の駅南部に広く旧家が残っている。
 
寺内町の代表的な旧杉山家 1600年代の建築
虫小窓に煙出しの小屋根
 
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橋本家 持ち送り梁と荒格子  こちらは1700年代の建築
 
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葛原家の三階蔵
 
 
 
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富田林寺内町は『あてまげ』の道が残る。
『あてまげ』とは筋と町の交差点が食い違いになっている道の事。
防犯の目的と言われている。外敵が道を真っ直ぐに進めなくしている。
 
 
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江戸時代の雰囲気の残る歴史の街でのんびりとポタリング。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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