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3月13日
名草戸畔(なぐさとべ)伝説。
玉をくわえ腹部に金の輪があり、足まで付いている大蛇が紀ノ川の河口に流れ着いた。
人々は神の化身として頭部、腹部、脚部の三体に分け、三社にお祭りした。
しかし、日本書紀によると名草は現在の和歌山市南部から海南市周辺を治めていた豪族の名草氏の事で、豪族の長であった名草戸畔は後の神武天皇の神武東征で戦死して三社に埋葬されたって話が元の様です。
三つの神社の内、頭が祭られている『宇賀部神社(うかべ)』に立ち寄った。
頭の神様でおこべさんと呼ばれている。(ずる賢くなりますようにとお願い)
受験シーズンも治まって、合格祈願の人もいない。
一人の女性が熱心に境内の看板を見ている。
『千種神社』はももくささんと呼ばれ脚の神様。
(楽に坂が上れます様にとお願い)
小高い境内に樹高29メートルのクスノキが目印だ。
ここでも、先ほどの女性がクスノキの説明を読んでいる。
2ヶ所回ったら、もう一つ行かなければ。
『杉尾神社』はおはらさんと呼ばれるお腹の神様。
(オヤツ食べてもシックスパックになります様にとお願い)
先ほどの女性と参道の階段ですれ違う。
こちらは驚いたが、女性はさして驚いた風もなく会釈していく。
神話の場所での少し不思議な出来事だった。
今日は紀美野町の生石高原で山焼きが行われる。
貴志川沿いの国道370号線から県道180号線に入る。
地元ローディーのヒルクライムのタイムアタックはこの梅本集落の分岐からスタートする。
飯盛峠を経て札立峠までは4.7キロ、480mアップ。
最初の2キロは勾配がきつく我慢して登らなければならない。
36T×27Tのインナーローで約40分。
札立峠で汗を拭いてから生石高原へは3.2キロ、220mアップ
こちらは勾配もマシになって約20分。
生石高原の山小屋直下で草の焼けた匂いがしてきた。
よっしゃ!と見学に行くが・・・・
山焼きって午前中の3時間で終わっちゃうんですね。
とっくに終わっちゃてました。
こんな風になるそうですよ。画像を観光HPより拝借
一面のススキ風景で有名な生石高原は毎年この時期に山焼きを行います。
雑草や木が生えるのを防ぎ、灰がススキの新芽の成長を促すんだそうです。
また、秋に育ったススキを見に来ることにしましょう。
下りは走った事のない電波塔から国道424号線に抜ける道。
人影のない別荘地と杉林を抜ける。
黒沢牧場から東畑集落へ向かうコースは、みかん農家が点在する標高250m付近を走る景色のいい道だった。
生石高原への上りは10キロなのに、このルートだと下りは20キロもあるお得なコースなんですね。
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約60キロ走行
ルートラボ
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和歌山県
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詳細
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3月5日
啓蟄(けいちつ)、地面の虫が穴から出てくる時季。
お日様が柔らかく、あたたかいので海が見たくなった。
きれいな海水浴場があると聞いていた紀勢線の広川ビーチ駅は和歌山から一気に走ると約2時間で行ける。
県道23号線を離れ海沿いを行くと、湯浅の沖合に面する白木海岸や小浦海岸が続く。
青い空に透明の海が気持ちいい。
最も人気のある唐尾湾の西広海岸はかなりの遠浅で広い。
堤防に腰かけてしばらく日向ぼっこ。
オヤツを買ってくればよかった。
波打ち際まで歩いて行くと、波と風が細かい砂に蓮痕を作っていた。
海岸沿いを離れJR広川ビーチ駅でトイレを借りる。
ここで気が付いたが、周辺に広川ビーチなんて名前の海岸はない。
広川町のビーチに近い駅って意味の様だ。
広川町内に戻ると港沿いに広村堤防が残る。
濱口悟良が1854年の安政南海地震の津波被害を経験し100年後に来る津波を予測し自費で築いたもの。
被災した安政津波では避難した高台へ逃げ遅れた村人を誘導する為、自分の田のワラに火をつけた『稲村の火』の話が伝わっている。
実際、約90年後の昭和南海地震の津波被害はこの堤防のおかげで最小限に抑える事が出来たそうだ。
広川町から1km程しか離れていない湯浅町へ。
広川では春を告げるシロウオ漁が行われていた。
体長5センチ程の小魚を四つ手網ですくい上げる、江戸時代からの漁だそうだ。
はたよ食堂でシラス天丼 680円。
座敷で地元メンバーが昼間からビールを飲んでいた。
きっと夕方には漁師さんが集まるんだろうな。
おじさんに優しい、年季の入ったお店だった。
湯浅の伝統的建造物保存地区を流す。
熊野古道の石道標の足元には湯浅町道路元標が首まで埋まっている。
帰りのロードの人が良く練習してる有田みかん海道は、紀伊水道と箕島の町を見下ろす尾根伝いの景色がいい道だった。
春の陽気にドライブの人たちも車を停めて海岸をお散歩。
なんか動きたくなってるのは、虫も人間も春の到来を体が感じているんですね。
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約80キロ走行
ルートラボ
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2月13日
マ先輩から電話。
『宮を連れて和歌山行くから、13日に和歌山でサイクリングしよや!』
宮さんは私の一つ上の先輩で、一緒にスズカエンデューロに参加するメンバー。
今回はマ先輩に作ってもらったレース用ミニベロの引き取りに福岡県から来るらしい。
12日は和歌山市加太の『大阪屋 ひいなの湯』に宿泊しているので、仕事を終えて自走でむかいます。
マ先輩の一声で、宮さん以外に3名が集合し温泉と豪華な夕食を頂きました。
翌13日の天気予報は残念ながら降水確率70%以上。
午前中だけ約20キロのサイクリングで和歌山市内を案内することにします。
河西橋
和歌山城
ぶらくり丁で和歌山ブルースをみんなで歌う。
紀の川サイクリングロードでダッシュの練習?
今回、シェイクダウンした宮さんのミニベロ。
HARPのアルミフレームにシマノアルテグラ6800を組み込んでいます。
4本アームのクランクとメカメカしいディレイラー。
ホイールは扁平スポークにトップ9T組み込みのスズカ仕様。
宮さんは私と同じくらい自転車にこだわりがないのですが『ブレーキは105と全然ちゃう!』って事はわかったそうです。
カムの付いたガンダムみたいなブレーキ本体です。
メンバーの自転車
マ先輩(かつての佐多岬ー宗谷岬の日本縦断の最短記録保持者)
フレームを塗り替えたばかりのNAKAGAWAはクロモリとカーボンパイプのハイブリッド。スーパーレコードとHEDのホイールで8キロ台のマシンだが、体重は現在95キロ位か・・・
上さん(かつてのインカレピストで入賞)
タイレル(Tyrell)
アルミの軽量マシンでフロントアウターがでかい高速仕様。元々早い人は何に乗っても早い。
かもめ君(かつてデビルマンのコスプレで優勝)
NAKAGAWAももちろんだが、サイクリングの時のファッションがオサレさん。
年に1〜2回しか会えないけど、学生時代から30数年のお付き合いの愉快な仲間との集まりは本当に楽しい。
自転車の話が一日中尽きる事はない。
新車の宮さんもロード練習をしなければならない環境になった様です。
乗りたくなる自転車を手に入れる事がモチベーションになるんですね。
きっと、次のスズカエンデューロでは少しだけお腹がへこんでるでしょう。
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2月11日
空が先日までより青い。路肩の菜の花や梅の花の香りに少しずつ季節が変わってきてるんだなあと感じる。
九度山の道の駅『柿の郷くどやま』に立ち寄ると真田丸の土産店が出来ていた。
和歌山市を河口とする紀の川は奈良県の大台ケ原を源流として延長136キロもある一級河川。
しかし川の右岸(北側)は河岸段丘の為、農業用水が乏しく米の収穫量が上がらなかったそうだ。
紀州藩の財政の立て直しに5代藩主の徳川吉宗が大畑才蔵に命じて1707年に開削したのが『小田井用水』。
九度山から岩出まで36キロの疎水で、農林水産省の疎水百選で有形文化財の建造物もあります。
小田井用水の分水は橋本市高野口町の小田頭首工。
高野口町内の用水路は暗渠になっています。
用水路跡と分かる橋の親柱だけが残っていました。
小田井せせらぎ公園の遊歩道下が小田井用水。
暗渠の工事現場。
用水路をこんな大きなパイプにして埋めてしまうんですね。
旧大和街道沿いには、当時の雰囲気の風景も残ります。
有形文化財『中谷川水門』 かつらぎ町中飯降 1912年完成
用水路は5000分の1の勾配で等高線を巡る様に流れているので、山側からの川を立体交差しなければなりません。
ココは交差する中谷川の下をサイフォンで通水しています。
有形文化財『小庭谷側渡井』 かつらぎ町笠田 1909年完成
交差する堂田川に水路橋を架けています。
有形文化財『龍之渡井』 紀の川市西野山 1919年完成
ここは非常に凝ったレンガの積み方をしています。
おそらく、ねじれまんぽになっているのだと思います。
工事完成時の写真がありました。
工事を行った大畑才蔵の彰功の碑が粉河寺にあります。
岩出市まで来ると紀の川からはずいぶんと離れる。
昔は農業用水で苦労した地区だったんだろうな。
有形文化財『木積川渡井』 岩出市東坂本 現在の物は1913年完成
1707年から数年で30数キロの疎水を完成させ、徳川吉宗が8代将軍になった1716年には、14万両の蓄えができていたそうだ。
道路や農地の隅っこに雑草に隠れてよく見ないと気が付かない土木建造物の遺産。
300年経っても先人が残した財産が今も農業や防災に使われている。
春になったら疎水沿いの桜を見ながら、もう一度歴史を調べてみるのもいいと思っています。
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102キロ走行
ルートラボ
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1月30日
和歌山から橋本方面に向かう。
紀ノ川サイクリングロードを東に向かって走るが、看板によると橋本までは60キロもあるんですね。
龍門橋南詰がちょうど中間地点ですが、今日は東からの向かい風でちょっとしんどいです。
麻生津橋を紀ノ川右岸に渡り大和街道を進みます。
妙寺付近からは300年の歴史がある七郷井用水に沿って進みます。
古い街道は雰囲気がいいですね。
『左 いせ はし本 右 高野山 慈尊院』
JR隅田駅(すだ)のイラストは2011年に隅田中学校の美術部員が描いたもの。
隅田駅の東側に旧紀和鉄道時代のトンネルが残っています。
つけ柱に幕石の立派なポータルです。
和歌山線唯一のトンネルだった真土(まつち)トンネルは1952年に老朽化で閉鎖され、迂回する線路が敷かれました。
今日は紀見峠を越えて大阪方面に向かいます。
コースを考えていて、高校生の頃に紀見峠の近くにある古いトンネルに行く事が仲間内で流行っていた事を思い出しました。
ニューサイクリング誌の記事の様な林道や隧道って言葉に憧れていたんでしょうね。
当時、2回ほど挑戦しましたが、大きい縮尺の地図ではルートは見つけられませんでした。
県道731号線で細川集落へ向かいます。
細い川沿いの林道を進むと【細川柱本トンネル】の看板を発見。
しかし、トンネルは崩落で通行止めとの事。
ここまで来ましたが、西側の柱本集落からトンネル調査に向かう事にします。
紀見峠側の柱本集落からは分岐もわかりやすく、柱本の手堀トンネルの看板も通行止めの看板もある。
農家集落の高低差が殆どない農道を芋谷の棚田を眺めながら進むと杉林の中に東側のトンネル口が現れました。
トンネルの正面は切込み接ぎの石積み、左右の土留めは野面積です。
トンネル内部は崩落で通行できません。
記録では開通は1888年とも1923年とも言われていますが、100年以上前のトンネルです。
通行止めフェンスを移動して中を見ると奥は素掘りの岩盤。
天井部から崩れたであろう土砂が堆積していました。
昔の20万図じゃわからなかったけど、今はスマホの地図アプリで簡単にルートがわかっちゃうのでワクワク感は薄い。
でも、私にとっては幻の石積みトンネルにようやくたどりつけてニンマリでした。
久し振りの紀見峠。
(こんなに長い上りだったかな?)
朝からの曇り空が回復して夕日が差してきた頃、南海高野線の付替え線跡、西高野街道の三日市宿を通って両親宅をゴールとしました。
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約98キロ走行
ルートラボ
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