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自転車で小さな旅
旅をコンセプトとするサイクリングガイド

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1月7日

サイクリングのネタに建造物を見て回るのが好きだ。
大きい物や古い物、珍しい物ならなおいい。
三重県の三岐鉄道北勢線は1914年開設の西桑名ー阿下喜間を走る日本でも珍しい軽便鉄道だ。
レールの幅がJRなどの1067ミリの狭軌ではなく、762ミリの特殊狭軌の路線を走るカワイイ車両が見れる。


開設当時の楚原駅からスタート
麻生田駅間にある六把野井水拱橋(ろっぱのいすいきょうきょう)はコンクリートの斜橋で珍しい作り方をしている。近代土木遺産だ。

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近くの明智川拱橋は通称めがね橋 これも土木遺産。

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線路に出来るだけ沿って走る。
車両は幅が狭い。

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桑名に近づくと北勢線はJR関西線と近鉄名古屋線を跨ぐ。
車内が気になるので軽便鉄道に乗ってみるのも面白そうだ。

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桑名市街を散策
東海道五十三宿の桑名宿から名古屋の宮宿までは海路だ。
船着き場だった七里の渡し。

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ハマグリも有名だが鋳物の産地でもある。
春日神社の鳥居は1653年の青銅製。
横の『迷い児石』が面白い。子供が迷子になると、石の左の『たづぬるかた』側に紙を貼る。迷子を見つけた人は右の『おしゆるかた』側に情報を貼るのだ。

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桑名から四日市市に向かうが、いいウラ道が見つけられず、国道23号線 名四国道を走るが、交通量が多く路肩も悪く走りにくい。

富田で昼食に立ち寄ったのは『ひもの食堂』さん。
500〜1000円の干物を選んで、350円プラスすると定食にしてくれる。

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四日市のイメージは三重県最大の都市、中京工業地帯、高度成長期の四日市ぜんそく・・・
余りサイクリングのネタにはなりそうもないが、明治時代に造られた旧四日市港に残る潮吹き堤防は見てみたかった。
治水の父ヨハニス・デ・レーケ先生の考案だとか。

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千歳運河を渡る臨港線の末広橋梁は国内で唯一現役の跳開式可動鉄道橋梁だ。
今も三岐鉄道三岐線で運ばれる太平洋セメントの貨物列車が通る度に橋が跳ね上げられる。
平日は常時上がっており休日は下がっているそうで、上がっている所が見れなくて残念。

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帰路は三岐鉄道のもう一つの路線である三岐線。
※こちらは1067ミリの狭軌路線。同じ鉄道会社でも2つの線路幅を持つのも珍しい。
路線の富田ー西藤原間の内、休日は大矢知ー西藤原は自転車無料のサイクルトレインがあるので利用する。
切符も硬券でベテランの駅員さんがパチンを鋏を入れてくれた。

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ルートラボ 約50キロ走行





5月27日

江戸時代に紀州藩の本城と東の領地だった松阪城を結ぶ街道は紀伊半島を横断する重要な街道で紀州の殿様の参勤交代にも使われた。
和歌山から奈良まで大和街道、高見峠まで伊勢街道、高見峠から松阪までが和歌山街道と呼ばれる。
日が長い時期に走ってみたいロングコースだった。



和歌山からのスタートは街道の起点だった京橋の和歌山道路元標跡。

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参勤交代の見送りがあった四箇郷一里塚。
ここからが和歌山の郊外ってことかな?

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紀ノ川が吉野川に名前を変えて更に東へ。
東吉野村でようやく100キロ、松阪まであと80キロ。

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東吉野村小川集落は幕末の天誅組終焉の場所でもある。
古い家屋に旧街道の雰囲気が残る。

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参勤交代の殿様の3泊目の宿場が鷲家集落。
『左 初瀬、大阪   右 伊勢、江戸』
江戸の表示がある最西端の道標だそうだ。

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新木津トンネルを抜けると、日本のマッターホルンを呼ばれる高見山
旧道の高見峠までここから10キロ 490mアップ

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高見峠で和歌山から約120キロ
奈良側は登山者の車が通るので路面状態は悪くない。
三重県側はやや荒れていてガードレールの無い山道は走行注意。

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国道166号線は櫛田川に沿って快適な道。

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珍布峠(めずらしとうげ)に寄り道。
切通しの雰囲気のある峠に思わず自撮り。

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石道標の残る集落の中の旧道を行く。
『紀州ミち よし乃 かうや はせ』 (紀州道、吉野 高野 初瀬)

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ゴールは今日見て来た道標で唯一和歌山と表記された松阪駅前日野町交差点にある道標とする。
『右 わかやま道 左 さんぐう道』

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『焼肉一升びん』さん
紀州の殿様の参勤交代の道を走破した達成感に乾杯。

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ルートラボ 約195キロ走行






3月20日

彦根サイクリングクラブの定例サイクリングに参加。
近江鉄道高宮駅に集合して貴生川駅に向かう。

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近江鉄道はサイクルトレインで自転車がそのまま積めるんです。
私たち以外のグループも乗車してきて、合計11台になりました。

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今日は貴生川駅から東海道を辿り関宿を目指します。
50番目の水口宿から土山宿は松並木も残り雰囲気のいいコースです。

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東海道の難所といわれた鈴鹿峠へは滋賀県側の『道の駅あいの土山』からならわずか100mアップですが、三重県側には270mも下るお得コースです。

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48番目の坂下宿。
『坂は照る照る、鈴鹿は曇る。あいの土山雨が降る』は鈴鹿馬子唄。
鈴鹿の山は向こうとこっちじゃ天気が違うほど険しいって事なんでしょうね。

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47番目の関宿は旧街道の約2キロが重要伝統的建造物群保存地区で江戸時代にタイムスリップしたような景色が残っている。
街道の入り口は西の追分。
今日のゲストは『鈴鹿のあびさん』
長身のスタイルとピカピカの自転車がサイクリング記事のモデルさんの様です。

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『関で泊まるなら鶴屋か玉屋』と言われた鶴屋脇本陣。

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お土産は創業370年の和菓子屋『深川屋』さんの関の戸

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時代劇ならヤジさん、キタさん・・・いや、スケさん、カクさんかな?

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帰路は国道25号線を柘植に向かう。
国道に並行するJR関西線は1890年に開通した旧関西鉄道(かんせいてつどう)で120年の歴史がある路線。

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加太越えの鉄道遺構コースとして案内看板が整備されていた。
屋渕川橋梁は石積みとレンガの橋脚。

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鉄道をくぐるレンガの架道橋は金場隧道

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1890年築の柘植駅にはレンガのランプ小屋が残っている。

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快晴で歴史街道や鉄道遺構を訪ねる本当にいいサイクリングでした。
しかし、一日中北西の風が強く、先頭を走るコースリーダーの石会長はさぞやお疲れになったと思います。



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ルートラボ
約65キロ走行

2月19日
スタートはJR関ヶ原駅。
 
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本日のコース
 
 
関ヶ原の戦いが行われたのは1600年9月15日早朝。
徳川家康を大将とする東軍と毛利輝元、石田三成を中心とする西軍約2万人の大合戦だったが、以前訪れた時に意外と狭いエリアで戦っていたんだな?との印象だった。
当時の鉄砲の致命傷を与える射程距離は50メートルだったそうだ。
 
小早川秀秋の裏切りで西軍は総崩れとなり中仙道や北国街道を西へ敗走する中、西軍の島津義弘は800名の家臣と『島津の退き口』と呼ばれる東軍陣地を突っ切る前進退却を行った。
 
烏頭坂(うとうざか)の戦い。
東軍陣地を突破した島津隊は家臣で甥の島津豊久が『捨て奸戦法』に出る。
※捨て奸(かまり)とは本隊を逃がす為に追手に抵抗する部隊を残す戦法。
・・・おとり部隊の事。
 
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追われる島津本隊は勝地峠を越えて上石津へ抜け五僧峠を越えて近江へ。
島津義弘が薩摩に帰りついた時家臣は80名程だったそうだ。
 
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歴史の道を気持ち良く走っていたんですが、いなべまでの国道365号線は大型トラックの多いつまらない道。
出来るだけ裏道を走りながら阿下喜(あげき)へ。
 
 
阿下喜から三岐鉄道北勢線に沿って麻生田、楚原までは日本ウォーキング協会選定の『美しい日本の歩きたくなる道500選・軽便鉄道と昭和に町に出会う道』のコース。
 
阿下喜駅の軽便博物館のモニ226
 
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桐林館(旧阿下喜小学校) 1937年建築
 
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旧阿下喜郵便局 1939年建築
 
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員弁川散歩道の桜並木はサクラの頃が楽しみな道。
 
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三岐鉄道北勢線は1914年開設の軽便鉄道(けいべん)
レール幅が普通の1067ミリ規格ではなく762ミリの特殊軌道。
電車の幅が狭くおもちゃの電車みたいでかわいいです。
 
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明智川拱橋(通称:めがね橋)1916年 土木遺産ランクA
 
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六把野井水拱橋(ろっぱのいすいきょうきょう)(通称:ねじれ橋)
土木遺産ランクA 橋の下は江戸時代からの疎水。
 
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北勢線を辿りながら桑名へ向かう。
桑名は東海道五十三次の宿場町だが、都会の様相に旧街道を偲ぶ風景は薄い。
東海道唯一の海路となる船着き場『七里の渡し』
 
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渡船が向かうのは揖斐川の向こう20数キロ先の東海道41番目の宮宿。
 
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養老鉄道で大垣までサイクルトレインに乗るつもりがタイムオーバーで普通に輪行。
土日は終日自転車を乗せれますが、平日は9時から15時まで。
平日の輪行サイクリングは通勤通学のお客さんに迷惑にならない様に活動時間が少なくなってしまうのが欠点ですね。
 
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 75キロ走行
ルートラボ↓
 
 




1月23日
 
大和街道は江戸時代には加太越奈良道(かぶとごえ)と呼ばれて東海道関宿から伊賀上野、島ヶ原、笠置から木津川沿いに奈良へ続く古道。
壬生の乱では大海人皇子が平安時代に源義経が江戸時代には参勤交代の大名が通った道。
 
現在では国道25号線西名阪道の様な関西と中部を繋ぐ主要道路といった所かな。
 
ルート
 
 
 
スタートは東海道の宿場町でも人気の関宿。
旧道の約2kmに重要伝統的建築物群保存地区が残る。
 
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西の追分が大和街道(加太越奈良道)との分岐点。
 
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旧国道25号線を行く。
並行するJR関西線は1890年開通した旧関西鉄道(かんせい)時代の物。
レンガの大和街道架道橋が残る。
 
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この道は2ケタ国道なんですよ。なのに途中でダートになります。
 
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加太峠を越えちょっと寄り道。
旧関西鉄道加太隧道排煙塔。
トンネルの立坑を汽車の煙を排出する為の煙突とした遺構が残っている。
 
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この刻印は関西鉄道の物かな?
 
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柘植から佐那具へ。
冬の日でもおだやかな天気で気持ちいい。
大和街道は伊賀市出身の松尾芭蕉が江戸の往復に使った道でもあるんですね。
 
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伊賀市内 大和街道と津へ向かう伊賀街道(伊賀越奈良道)の分岐。
 
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そろそろお昼です。伊賀上野の食べ物のおススメは『田楽』
『田楽座 わかや』さんでランチ。
 
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鍵屋の辻の石道標は文政13年 (1830年)
『みぎ いせみち、ひだり ならみち』
 
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島ヶ原へはゆるい丘陵地帯の集落と集落をつなぐ雑木林の道。
平日って事もあるんでしょうが、全く車とすれ違いません。
 
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静かな静かな里山集落の道。木立の揺れる音、川のせせらぎ、クリートを嵌めるパチッって音がいつもより大きく聞こえたサイクリングでした。
 
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走行約65キロでJR笠置駅がゴール。
 
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 65キロ走行
ルートラボ↓
 
 
 
 
 

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