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自転車で小さな旅
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9月4日

群馬県三国山脈を水源とする利根川は関東平野を横切る総延長322キロ、国内2位の一級河川。
中流・下流は堤防に自転車道が整備されている。

成田をスタートして意外とローカル線だった成田線に沿って走り、千葉県河西市安食から利根川右岸の自転車道に上った。



道路沿いの距離看板には河口まで65キロの標記。(この時はまだワクワク気分)

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川幅が広い。空が広い。飽きる程長い堤防の道。
関東平野の景色は新鮮。

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約25キロ走って、北総の小江戸と言われる香取市佐原に立ち寄る。
利根川水運の拠点として栄えた港町。

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江戸の文化の影響を受け、古い家屋が多く残っている。
市内を流れる小野川沿いが重要伝統的建造物群保存地区。

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樋橋は別名ジャージャー橋。
橋の下の樋から左右に用水がジャージャーと流れ落ちる珍しい橋。
隣に伊能忠敬旧宅と記念館がある。

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三菱銀行佐原支店(旧川崎銀行)は1914年建築

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国道51号線の水郷大橋を茨城県側に渡ると霞ヶ浦と利根川を繋ぐ横利根閘門がある。
1921年完成の現役の閘門で近代化遺産。

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ジャージャー橋も横利根閘門もAKB48の『言い訳Mayby』のPVのロケ地になっている。
YouTube 言い訳Mayby

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更に利根川を下る事にしましたが、銚子までまだ40キロもある。
ずっと先まで見える堤防の自転車道だと、休憩のきっかけがない。
唯一の日陰は東関東自動車道の高架下くらいだった。(もう自転車道に飽きている)

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気が付いたらフロントバックにバッタの同乗者『お客さん、どこまで送りましょうか?』

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銚子から国道126号線で屏風ヶ浦へ。
日本のドーバーと呼ばれる絶壁の風景が見れる。

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犬吠埼灯台
本州最東端の西洋式灯台から地球が丸く見えるとか。

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JR総武本線銚子駅をゴールとしました。
輪行準備をして駅前の「銚子魚料理 かみち』さんで食事をとる。
房総沿岸ならなめろうや金目鯛を食べたかったんですが、品切れだったのが残念。

カウンターで地元の人と弾む会話が旅の醍醐味。

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ルートラボ  約107キロ走行




9月3日
JR常磐線土浦駅からJR水戸線の岩瀬駅を繋いでいた筑波鉄道が廃線になったのは1987年。
その後、桜川土浦自転車道(つくばりんりんロード)として整備された田園風景と筑波山を眺める自転車道を走ってきました。

土浦駅西口から線路沿いに走り出すとすぐに『つくばりんりんロード』の看板があって、自転車道を辿ると岩瀬駅までの40キロを迷う事はない。


郊外に出るとすぐに田園風景が広がり、数キロごとの駅の跡が休憩所になっている。

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廃線跡らしく勾配もなく、カーブも少ない快適な道。

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ホームに屋根の残る藤沢休憩所では地元農協の方が梨を振る舞ってくれていた。(真壁休憩所でも頂きました。ご馳走さまでした。)

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鉄道遺構的な物は残っていませんが、道路脇に謎の金属の煙突が設置されていました。
国土交通省の特別機関で測量の行政を行う、国土地理院の距離標準比較基線場の設備だそうです。
測量の機械を設置して、GPSで正確な距離が測れているか?を検査するんです。
以前よく利用した5万図を発行していた国土地理院ってつくば市にあったんですね。

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筑波山が近づいてきました。
左は男体山、右が女体山です。

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スタートして約30キロ地点の真壁休憩所でお腹が空いてきましたので、自転車道から真壁の町中に向かうと、かつての駅前らしい場所に小さい食堂を見つけました。

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元々、駅の構内で売店をされていたそうです。
おばあさんの握ったラップに包まれた『肉おにぎり』をもう一つ補給食に頂きバックの中に。

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真壁城の城下町を散策すると、真壁町道路元標を発見。
古い町並みが残っています。

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真壁から岩瀬駅まで残り10キロ。
『つくばりんりんロード』は田園風景と古い町並みの快適なコースでした。

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岩瀬から国道50号線を東へ向かい笠間市の『旧筑波海軍航空隊跡』を訪れる。
百田直樹著の映画になった『永遠の0』のロケ地だ。

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主人公の宮部久蔵(岡田准一)が戦闘機搭乗員の教官時代と後に特攻隊員となる部下の大石賢一郎(染谷将太)を見舞うシーンが撮影された。

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宮部久蔵が大石に外套を渡すシーンのセットが残っている。

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ゴールの友部駅まで遠回りして滑走路跡を見にいく。
ガソリンスタンドを頂点として左右の直線道路がかつての滑走路だった。

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つくばりんりんロードは適度な距離の駅の跡がトイレもある休憩所になっていて、駐車場も用意されていています。
車載で来て好きな区間だけサイクリングできる女性に優しいコースです。



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ルートラボ 約72キロ走行




東京都内を散歩の様に走る。
特に行き先も決めてはいないが、大好物のレトロ建築があればいいな。


スタートは東京駅丸の内駅舎(旧中央停車場)
辰野金吾設計 2012年に1914年の開業当時の3階建に改修。

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法務省(旧司法省)1895年建築の重要文化財

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国会議事堂(旧帝国議会議事堂) 1936年
正面部って6階立てなんですね。 
この辺は警察官だらけでゆっくり見れる雰囲気じゃないです。

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東京タワー(日本電波塔) 1958年建築 高さ333mの有形文化財
子供の時に家族旅行で登った事がある。

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銀座和光 服部時計台 1932年建築
服部時計店社屋 渡辺仁設計  近代産業遺産
銀座のど真ん中でセレブなご婦人とアジアの観光客ばっかりだが、一番似合わない格好してるのは私だな。

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旧岩崎邸
三菱財閥の創業者岩崎弥太郎の邸宅。1896年建築

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東京大学大講堂 (安田講堂) 1925年 有形文化財
構内のイチョウ並木が素晴らしい。秋の風景が見たい場所。

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上野駅 広小路口
東北の人たちのかつての東京の玄関口なんだな。

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上野と言えば西郷さんは先入観?

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浅草寺 風神雷神門
90%はアジアの人?この写真撮ってスマホ見てる5分間に3人から『シャッター押してくれ』って(ジェスチャーで)頼まれた。

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東京スカイツリー 2012年建築 高さ634m
すでに周囲の下町から当たり前の風景?
100年後には文化財になってると思う。

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【今日の道路元標】
日本橋の道路元標は全国の元標までの0起点。
まさか国道1号線の真ん中にあると思わなくて、探しちゃいました。

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今回は自転車ではありません。
JR東京駅に行く事がありましたので、以前より見たかった丸の内駅舎に行ってきました。

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先ずは東京駅構内を散策。
新幹線起点プレート。

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新幹線の父と呼ばれる第4代国鉄総裁の十河信二(とごうしんじ)さんの碑

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東海道新幹線記念碑
『この鉄道は日本国民の叡知と努力によって完成された』

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在来線1番ホームの0kmポスト。

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東京駅で一番見たかったのは丸の内駅舎の化粧レンガ。
約5年間の東京駅丸の内駅舎の保存・復元工事が完成した2012年の翌年に、増築した3階部分の外装化粧レンガ(現在は一般的にタイルと呼ぶ)を製造した㈱LIXILの製造担当者の講演を聞く機会があった。

会社の歴史、東京駅が出来るまで、化粧レンガ製造方法の話で決して上手な話し方ではなかったんですが、非常に興味のある内容でした。


講演『私たちがつくったもの』の概要

既に新橋〜神戸間の鉄道が開通していた1888年(明治21年)に上野駅との接続線上に日本の中心となる中央停車場(現東京駅)の建設が決定します。
日露戦争を経て26年後の1914年に辰野金吾の設計で東京駅として開業しましたが、1945年に太平洋戦争の東京空襲で丸の内駅舎の3階部分が焼失し、2階建てとして修理されます。

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今回東京駅の保存・復元工事の内容は耐震工事等もありますが、外観を開業当時のドーム屋根のある3階建てにする事が最大の目玉です。
その為に増築する3階部分の外装化粧レンガの色合わせや施工方法を当時の物に合わせるのが非常に難しい事でした。

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その苦労話とは・・・
東京駅は長さ300mあるので、当時の化粧レンガは今と製造方法が違う上、10数回に分けて製造したそうです。その為、毎回少しずつレンガの色が微妙に違い、色合わせの為に10数色に分けて製造しなければなりませんでした。
しかも、タイルって焼き上がるまで色がわからないとか。

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タイルの試作品は2003年から1万5000枚も作り、7年もかけた試作品製造だったが本生産は2週間で完了したとか。

非常に厳しい色合わせの為に、生産した化粧レンガの30%しか合格しなかったとか。

当時の煉瓦の目地は覆輪目地(ふくりんめじ)になっていて、現在では施工できる職人がおらず、1年半かけて施工訓練を行い職人を育成したとか。

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そんな講演内容を思い出しながら、丸の内駅舎を見て回る。

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講演会の終盤で「それだけ化粧レンガの色合わせに苦労されたのに、少し色が違って見えます。やはり完璧に色を合わせるって技術的に難しいんでしょうか?」の質問。
『いえ、元の化粧レンガは100年経っているので今回のレンガと今後の退色が違うんです。今の色に合わせるんじゃなくて、100年後に色が合うようにしているんです。』の答えに驚く。


『私たちがつくったもの』講演の最後に。
開業当時の駅舎の外観、欧米列強に追いつく為に日本を代表する駅舎を作るって辰野金吾の強い信念やこだわり、現在では無くなってしまった建築資材の製造技術や施工技術を復元しただけでなく、完成した駅を見上げ写真を撮る多くの人の笑顔を作ったのです。と締めくくられた。

この日、私も周りで写真を撮ってる多くの人も、確かに微笑んでいました。

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