お国言葉、あれこれ
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特産へ古代稲民芸品 富山県 2008年01月12日 ●船橋村海老江集落営農組合長の明和さん(60)は、古代米「神丹穂」の稲わらを使い、「祝い亀」や「米俵」、「しめ飾り」を作って正月を迎えた。 |
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おとろしかった津波ながやきよ 2006年12月13日 60年前となる昭和の大地震の事ながよ。その時はワッサワッサ揺れよって、生きた心地がせんかった。傾いた家は危ないと思うて、長男を負ぶって外に出たがやき。 当時は家が鏡川の河川敷やったき直ぐ傍ながやき、川の方にいったがよ。津波の「ツ」の字も知らんかったき・・・。河原の方で人々が叫びよった。 「カジクサが流れゆう!!」。和紙の原料のコウゾの皮を柔らこうして、仕事として向いちゅう人々が走ってきよった。 「ゴーッ」と言う何んとも言えん恐ろしい音の方をみよったら、今は無いけんど沈下橋を乗り越え、白波が押し寄せてきよった。川幅いっぱいに何もんかも押名がさして、後から後から!!表現するやったら、、その後にテレビで見たアマゾン川の「ポロロッカ」そのまんまやったちや。 「へんしも帰らんと」。必死で家に駆けもどってきたがやきよ。足元へ水かさがどんどん上がってきよった。家の石段を上ると水は追いかけて庭に入ってきたがよ。壊れた縁側に座ってブルブル震えちょっただけ。 記憶はそれで途切れちゅうけんど。今の俺やったら、心臓が止まちょったかもしれんねや。
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土佐の民話「をやをやと たまげるばあの ちからもち」 2006年12月10日 「をやをやと たまげるばあの ちからもち」 高知県須崎市 昔、須崎に「ねじ金(がね)」という男がおった。天狗様の申し子と言われ、こじゃんと力が強かった。ある時、須崎の浜で相撲大会があったが、力士の一人に背が六尺余り、目方は五十貫ばあの大男がおって、めっぽう強かった。これじゃ誰も勝てんということになって、「ひとつ、ねじ金にとってもらおう」と相談に行った。「よし引き受けた」言うと、ねじ金は裏山で竹をへし折ってくると、手で竹をすごき、それをたすきにかけ、出掛けて行ったと。さて、相撲が始まるとねじ金は、その大男を軽々と頭の上へさし上げて、「勝負はついたか」と問うと、「まだまだじゃ」言うたけ、いながら土俵へぶちつけたら、「ぐえっ」と言うて伸びてしもうたそうな。 このねじ金に妹がおったが、その人もあまりの大力で、みんな恐れをなし、嫁さんにもらい手がなかった。けんど、世の中には物好きな人もおるもんで、嫁さんにもらわれて、ある家に片づいたと。 ある時、だんなが風呂に入りよったら、さだち(にわか雨)来た。そのころは風呂いうても外へ風呂桶を据え、熱い湯を入れて風呂に入りよったもんよ。そこで、雨が降り出したき、だんながあわてて、「お〜〜い、早う傘を持ってきてくれ」言うて呼ぶと、嫁さん、ぼっちり裏で炊事をしよったき、傘ということがわからんと、外へ飛び出したところ、雨が降りよったもんじゃき、いながら風呂桶ごとだんなをかたいで軒の下へ入れたと。たかあ女ながらも力持ちよのう。 ☆二人の大力男☆ 昔庶民にとって、大力・力持ちは、あこがれの的であり、囲炉裏端のヒーローでもあった。どんな大力がいたかと言えば、安芸市の伊尾木の浜松。この人は庄屋で山本庄左衛門といい、体を鍛えるたまの石が「浜松の腹へレ石」と刻まれ、今でも残こちゅう。もう一人が土佐市中島の仁淀川次郎兵衛が七十歳の時にできた手形・足形の珍しい碑がある。浜松は今から三百年前、次郎兵衛は二百四十年前の人やと。
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おまさん、家でゴロゴロしゆうかねぇ。今日はお天気がえいき、外に出んといかんぞね。 家におったち、一つもえいことないろうがね。 外の空気も美味しいきねぇ。早よう出てきなさいや。 引きこもり、ようないき。
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