今年の春の具合。

春が来た。
松山に引っ越してから4度目の春が来た。
私は3月30日生まれだから、春というのはどことなく特別な感じがあって、この春の調子で一年が決まるような気がする。

今年の春は、子供達の卒園、卒業、入学、新しい旅立ちが沢山重なり、おまけに免許も更新。
更新更新の春である。
嬉しいお知らせとは裏腹に、誕生日は絶賛風邪気味で毎日忙しかったせいか、生まれてはじめて蓄膿症というものになった。
鼻づまりと頭痛をこらえながら、新しいものを迎え入れる準備をした。
子供達は元気いっぱいで、毎日怒濤のギャグをかます。
私はそのギャグを笑って過ごせるかが、日々の精神安定の基準となる。
私の誕生日の朝、次男が起き抜けに「うまれしや〜うまれしや〜。」とお化けになって起きてきた。
どうやらお化けの夢を見たらしい。
本人は「うらめしや〜。」と言っているつもりだが、どうしても「うまれしや〜〜〜〜」となる。
ぷっ。
体調は最悪であるが、精神は順調。
「今日はお母さんの誕生日なんだよ。」と次男に告げるとぼけ〜〜〜〜っと私の顔を眺めている。
朝から早く早くと怒鳴らない様心がけて、楽しい朝ご飯を食べた。

日々の色々は、実のところそんなに辛くない。
起きて、ご飯たべて、送り出して、仕事して、ご飯食べて寝る。その繰りかえし。
ただ、自分の心が先のことばっかり考えて不安になると、なんでもかんでも怒りや悲しみがあふれてくる。
それを、子供達や体調や、はたまた今日の運勢のせいにして、なんで今自分はこのように生きているのだろう。。。と答えのない答えに悶々とするのだ。
そんな時は禅の教えを読んでは「執着をなくす」という気合いを叩き込んだり、気分転換にサンポしたりしてみる。
執着や期待というのが、自分を一番苦しめるものである。とぶつぶつつぶやきながら歩くと、海まで辿り着く。
「幸せになりたい」という、なんとも漠然としたこの悪魔のような言葉が、私を縛り付けるのだが、海のむこうの遠くや空や船や鳥など眺めているうちに、ばかばかしくなってくる。
幸せがあるに違いないと思う海のむこうには、ただ水平線があるだけなのだ。
ふと海の向こう側に住んでいる人の生活を思い浮かべてみたりする。
みんな、ちょっと不安な気持ちで朝を迎え、ご飯を食べ、仕事をして、ご飯を食べて寝ている。ただそれだけのことだ。
気がつくと、気持ちは晴れてお腹がすいた。
さあ、今日のご飯は何にしようか。
帰り道はそればかり考えながらぶつぶつと歩く。

そんな毎日を繰り返しては忘れ、繰り返す。

新しく更新した運転免許を携えて、今年の春も子供達と一緒に旅に出かける。
もう、自分だけの旅に行ってしまった子供達もいて、少しずつ旅のお供が減ってくるのが、寂しいのか楽ちんなのか不思議な気持ち。。。。

良くも悪くもない、ただ自由を満喫している、そんな春です。
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目に映るもの全て

ツアーの途中、世話になった友達の家の窓から広がる風景は、だだっ広い畑と、どんよりした曇り空だった。
そこに一匹、カラスがのびのびと飛んでいる。
曇り空にカラスは似合うなあとしみじみ眺めた。

松山に戻って、馴染みの魚屋に足を運ぶ。
真っ青な空の中、干し籠に並べられた魚達がゆらゆら揺れて泳いでいる。
晴れた空に干し魚は似合うなあとしみじみ眺めた。

我が家の飼い猫は、ストーブの前でゴロゴロいいながら、気持ち良さそうに丸くなっている。
猫の背中を撫でながら、本当に猫とストーブって似合うなあとしみじみ眺めた。


普段、当たり前すぎて気がつかな い風景が実は、奇跡のような組見合わせである事に、ふっと気がつく瞬間がある。

それに気がつくと、目の前に広がる風景全てが、もう二度と出会えぬ愛おしい風景になる。

自分の中に残っている記憶は、特別な事ではなくて、そんな日々のことだったりする。
1秒ごとにやってくる一期一会。

今年も、そんな一期一会の毎日だったのだなあ。
来年もまたそうならば、本当に毎日が幸せにあふれているなと思う。

世の中は、もう存在自体が完璧であるのに、その中で人間だけが右往左往している。
自分の事や目に見えない事ばかりに気を取られて、目の前にある風景の美しさを見逃してしまう。
そして 、すぐ忘れる。
本当にバカな生き物だなあ。
そう、それが私なのだけれど。

でもたまに、カラスが、干し魚が、猫とストーブが、そして、空や海が、目の前に、こんな幸せがあるじゃないかと教えてくれる。
そして、今まで出会った全ての景色、その中にいきている人が、私を元気づける。

さあ、明日も来年も、毎日大事に生きよう。
一緒に美味しいご飯を食べてくれる人に感謝しよう。
いよいよますます歌える人生を謳歌しよう。

今日は白い雲が流れています。山茶花が風に揺られて震えています。
冬の朝に山茶花の花は本当に美しいなあ。

よいお年を。
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家族ってなんだろう?

家族ってなんだろう?
ずっとずっとこればかり考えて生きている気がする。

私は子供の頃、母親が怖かった。
父親は忙しくてほとんど家にはおらず、唯一甘えられるばあちゃんのそばで沢山撫で撫でされて過ごしていた。
妹弟は沢山いて、私は長女だったから、いつも威張っていた。
わちゃわちゃした家族があんまり好きじゃなかった。

高校を卒業し上京して暫くたった頃、ばあちゃんが亡くなった。
胸が締め付けられるように悲しくて、猛烈な孤独を感じた。
それは、その頃一人暮らしをしていた自分の心境と相俟っていたようにも思う。
東京では彼氏に振られ、仕事も上手くいかず、なんだか踏んだり蹴ったりのような毎日で、
一人で悶々とする時は、いつもばあちゃんがそばにいる様に思って、自分を撫でてやり過ごす。
そんな自分が凄い寂しがり屋であることに気がついてしまうと、孤独に耐えられず、いつも誰かと一緒にいたかった。
自分の理想の家族が欲しい。
そんな折り、ひょっこり面白い人に出会い、結婚して子供が産まれてから歌い始めた。
あんなに望んだ家族を作っておきながら、でも、やはりずっと寂しい気持ちはなくならない。
日々の生活に満足する事はなく、子供達を引き連れては旅をし、歌い、また歌い、そうやって自分を確認する毎日 。
元夫とは夫婦としてちっともうまくいかなかったが、(私がとても幼稚だったからだ と、今はわかる。撫でてもらう事ばかり考えていた。)
そんな幼稚な私を子供達は大好きだと言ってくれるおかげで、私には帰る場所があった。
子供を育てるという存在でいられたからだ。

夫婦でいる事に限界を感じて私から離婚を切り出した時、4年生だった長女は何も言わなかった。
元夫は、娘をとても大事に育てていたし、子供達の事を気遣ってくれたおかげで、互いの家を行ったり来たり出来たから、きっと娘は平気なんだと思っていた。
下の息子は小さく体が弱かったので、彼はずっと私のそばにいたが、娘とはその時々でやりとりをしながら、元夫の家族から少しづつ距離をおいて自分の家を離していった。

離婚して数年後、中学生になった彼女は家族についての作文を書いて、大きな賞をもらっていた事を聞いた。
後で元義父がそっと教えてくれたのだ 。
作文は、素晴らしかったらしい。
でもその作文を彼女は家族の誰にも絶対に見せてくれなかった。
彼女が私に見せられなかった気持ちが一杯書いてあったのだろう。
私はなんとも切なく申し訳ない気持ちで、でも、どうする事も出来ず、
そんな彼女に対して私が出来る事は、一緒にいるときは楽しく美味しいご飯を沢山食べる。それだけだった。
今でも会う度、ライブを観に来て私の歌を楽しそうに聞きながら、美味しいご飯を一緒に食べる。
でも本当は、私が慰められているのを知っている。
そして、ふわっともたれかかってくる娘を不器用に撫でてみる。
とても大好きなのに、毎日一緒にいられなかった想いや距離が、撫でる時ほんの少しだけ遠慮が入る。
娘はきっと、私のそんな気持ちを知ってる。
そうして大きくなった娘がいよいよ、遠くに行く日が近づいている。

私は離婚後、また新しい家族を作り、子供をもう二人授かった。
今度はそれまでの暮らしとは全く違い、責任が全部自分一人にのしかかっていた。
とにかく必死で、子供達の世話と歌の仕事に追われていたが、助けてくれる友達の存在が心の支えだった。
それでも関東での暮らしに限界を感じて、住み心地の良さそうな松山に引っ越した。
しかし、暫くするとやはりまた、パートナーだった人とはうまく行かず、彼は出て行った。
別れる時の話し合いで私は猛烈に怒って、なぜ?なぜ?こんなに私はあなたと、あなたの子供達の為に頑張っているのに、なぜ?こんなひどい事をするの?と言うと、ぽつりと、歌の仕事なんかじゃなくて、魚屋さんでも何でも普通の仕 事してくれた方が良かったと言われた。
いつも家にいてほしかったと言われた。
私は愕然とした。
私の歌が好きと言ってくれて一緒になったんじゃないのか?!
私はまた、自分の為にしか生きていなかったのだろうか?
でも、目の前にいる子供達はすくすくと育ち、私が歌って稼いだお金で大きくなっているじゃないか?
悔しくて彼を責めていたけれど、ある日、疲れてやめた。

思えば、お金に困っていた彼はいつも自信なげで、何をやっても満足していなかった。
私はそんな彼にかまってられず、とにかくご飯を作って、歌う旅に出かけ、肝心な事はいつも私が決めて、彼には相談という名の決断しか話していなかった。
そして心がいつも外に向いていた。
お互い外を向いてないとしんどい。彼と向き合うのは辛い。
自分の方がいつも正しいと思っていた。
そんな関係であったが、彼なりにきっと必死に合わせてくれていたんだな。
でももう、限界 なんだなあ〜とある日ふっとわかってしまった。
その時、元夫や娘の気持ちを想った。
自分から家族が離れていくとは、こんな感じなのか。
そして目の前にいる彼が、あの頃の自分の姿と重なった。

いよいよ子供達と私だけの生活が始まった。人生に伴侶なし。
子持ち女一人ここに、、、るるる〜である。
育ち盛りの男子3人、想像を絶するハチャメチャで、気がつけば私は、完璧なカミナリ母ちゃんになっていた。
そう、あの怖かった母親とそっくりな私。
それでも、小さな子供達は私を大好きだと言って、抱きついてくる。
おっぱいにしがみついてくる。男子、単純で可愛いもんである。
しかし、そんな余裕言えるようになったのも、支えてくれる友達がいたからこそなのである。
不安でしょうがない私の背中を押してくれる。
子供を友人に預けて旅に出かける時は、ばあちゃんの顔が目に浮かぶ。相手を大事に想って、そして甘える。
本当にありがたい。血が繋がっていなくても、家族のような気持ちになる。
そんな中で生活している6年生の息子は、恥ずかしがって前ほど話をしなくなった。
ゲームばかりやってるし、宿題しないし、全くのんびりしているので、いつも彼に小言ばかり言っていた。

その息子が、作文を書いて賞をもらいました。と、今度は先生から連絡があった。
彼は生まれながらの心臓障害で、体にペースメーカーが入っているのだけれど、その事をおおらかに受け止めて、のびのびと実に楽しい作文を書いているのだと、先生は言った。

弱いのに逞しい。
優しくて、朗らか。単純。
それにしてもこの雰囲気、誰かに似ている。
そうだ、あのおっかない母さんの横にいる飄々とした父さんに似ているなあ。いや、父さんに似て来た弟に似ているかも。
そんな風に見つめながら、夜中にそっと、寝ている息子の頭をなでた。

そして最近。
今度はその父親がガンである事がわかった。
いつも忙しくて、とても丈夫で、健康が唯一の自慢で、年に一度しか風邪をひかないような人だったので、家族一同びっくりした。
けれども一番ビックリしたのは、母親だと思う。
彼女はてっきり自分が先に逝くつもりでいたからだ。
電話をすると、あんなに豪傑だった母親が、か細い声で具合が悪そうに、自分もガンかも知れないと言った。
大丈夫、お母さんはガンでは死なんよ。と私は笑って伝えた。
あんなにいつも自分勝手にふるまっていたようにみえたのに、彼女は父親の事を誰よりも想 って、甘えていたのだ。
私がばあちゃんにしていた事とそっくりで、母親の気持ちが痛いほど伝わってくる。

妹が、入院した父親の病室を訪ねると、母親がベットにねっころがり、そばで父親が椅子に座って本を読んでいたよ、と笑った。
それを聞いて、本当に幸せなツガイだなあと嬉しい気持ちになった。
私はそんな二人にいつも憧れている。
伴侶とは面白いものだ。
血が繋がっていない人間同士が結局は最後まで一緒にいるのだなあ。
幸せな両親だなあと、羨ましくもある。
父さんのガンのおかげで、妹弟達ともますます交流が増えて、あのうざかった子供の頃の日々が蘇る。
私はいばりんぼの姉に戻り指示を送ると、頭のいい妹がフォローし、末の妹や弟がちゃっちゃと動く。

こんな事になっても私は歌う仕事をやめる事なく、もっと自由に歌いながら、両親に会いに行く方法を探っている。
妹弟達もそれぞれの家族を抱えて、誰もお金持ちはおらず、試行錯誤しながら、なんとか父や母に会いに行こうとしている。
あんなにみんな、家族が嫌で飛び出していったのに。

ばあちゃんが私にしてくれたように、今、あの時の子供達は両親をなでなでしてあげたいのだ。
子供の頃、私を抱きしめてくれたように、両親を恥ずかしげもなくギュッと抱きしめたいのだ。
そんな気持ちを妹弟みんなが感じていた。

ようやく気がついた。
私は長い事ずっと、ばあちゃんのような存在になりたかったのだ。
ただ、愛しい人たちをなでなでしてあげられる、そんな存在でいたかったのだ。
私が撫でる人になれば、寂しさはどこかにいってしまうかも。

ばあちゃんには撫でてもらう事しかなかった分、今、ようやく両親を撫でさせてもらえる時がきたのだ。
私はどんなふうに両親を撫でるのだろう。まだ一度も撫でた事のない父と母。
素直に撫でられるかしら?
これからはいよいよ、子供達を撫で、猫を撫で、自分も撫で、妹や弟も撫で、友達も撫で、そして両親を撫でる。
家族の醍醐味である。
たまには口をつむって、ゆっくりと撫でる。
結局それしかないのかもしれない。
寂しくなったら、撫でる。撫でさせてくれるのが家族。

どうやら、これが私の想う 家族らしい…。

私の人生ダイジェスト版みたいな話になってしまった。
短く小話にするつもりだったが、まあまあ長い。
人生半分以上きちゃってるから、許してたもう。
後半戦は、またいつか、書きたいと思っています。

どんなふうに撫でて過ごしてきたか。というお話を。
願わくば、また撫でられた。なんていう話も。

駄文、お付き合い下さり、ありがとうございました。
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夜の鳥の歌

今年は久しぶりに新しいアルバムを作り始めた。
昨年は1曲しか出来なかったのだけど、じわじわと積み重なっていた何かが、年末に爆発したように、私のカラダの中から湧いて出てくる感じがするのだ。
でも、今までみたいに激しい感じではなく、奇妙で楽しくて静かで淡々としたイメージなのだ。
不思議。
なんだろう、この感じ?
3、4才、いや、もっと前に戻ったような感じ。
言葉をもたないまま、世界をかんじているような。
もっともっと自由な感じなのだ。
カラダの内側を覗いているような感覚でもあるな。

そして、このアルバムは、愛媛で知り合った音楽家の工藤冬里さんと色々音遊びしながら、のんびり作ってみたいとおもっています。
工藤さんは、ほんとに自由な音楽家だから、いっぱいイメージがふくらみます。
膨らみすぎて収集がつかないかもな。ま、それでもいいや。
人生はたのし。
まだまだ、自分の知らない事は山ほどあるのだった!!!
よく学び、よく遊べ!
が今年のテーマかな。

歌をうたったり音楽を作る作業は、孤独を楽しめるから、これからいよいよ老年にむけて、自分のちぢこまっていく可能性をのびのびマッサージしていくのであった。
そんな2014イメージ 1年1月。

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アコーディオンという楽器を見ていると、人生みたいだなと思う。
どこでも奏でられる楽器なのが更にそう思わせる。
伴奏用の左手のボタンは、それぞれ、メジャーとマイナーコードの音になっていて、ベース音もあって、それらをうまく組み合わせて、音楽を作っている。
右手は歌をうたうように弾いているが、あれは、言葉のようだ。
私はこんな事があったのだと右手で喋って、左手のボタンで、その時の景色や感情を見せてもらっているようだ。
ベース音はその時の生きている場所で、その上で楽しかったり苦しかったり悲しんだりするのだ。

さて。今年は、連れ合いだった人と色々あって別れる事になった。
いよいよこれから暑い夏が始まるって時に、子 供達と自分は世界に取り残された気持ちになった。
相手に対して猛烈に腹を立て、泣き、悲しんで、恨んで、自分を哀れんだ。
でも、怒っててもしんどさは増すばかりなので、もう怒るのをやめた。執着から逃げる事にした。
そして真夏の暑い日に、友人達に手伝ってもらって引っ越した。
汗だくだくで、あんまり暑いから余計な事は何も考えられず、ただもくもくと作業をこなした。
いろんな思い出の品々をばっさり捨てた。
沢山汗をかいたおかげで、少し痩せて軽くなったカラダは気持ちよく、どんどん居心地が良くなった。
そして、ああ、色んな人に助けてもらわないと、全然ちゃんと生きて行けないんだなあと自覚した。
自分は助けてもらわ ないと生きて行けないとわかったおかげで、みんなに助けってもらって、ようやく自立した自分と子供達とで、新しい(でも古民家)我が家に住みはじめた。
一人で生きるってそうゆう事だと、初めて実感した。けっこう清々した。

今年の前半はずっとマイナーコードのボタンを押し続け、悲しい歌ばかり歌っていた私というアコーディオンは、夏の終わり頃には、メジャーコードのボタンを押しては、鼻歌まじりになってきた。

私と子供達は一緒に生きて行く事でマイナーになったりメジャーになったりと、音楽はいよいよ複雑で面白い事になってきている。
晴れ晴れとした気持ちで歌ったり、猛烈な孤独を歌ってみたり、それに合わせてまあ、色んな音色のコードボタンが確実に増えた。
ボタンの沢山ついたまあまあ重いアコーディオンになってきたと思う。

最近、海まで一人で散歩するよになった。
遠くを眺めていると、子供達の遠くも見えて来て、そのうちみんなどこかにいくんだなあと思う。
私もそうだったもの。
そんな時、いつもこの歌が頭の中で鳴り響く。
♪走り〜〜出したら〜〜何か答えが出るだろうなんて、俺もあてにはしてないさあ。してな〜いいいさあ。♪

子供の時大好きだったドラマの主題歌だ。
男たちのメロディーという歌らしい。これを女たちのメロディーに変えて歌ってみる。

♪おんなぁ、だったらぁ、流れ弾の一つや二つ、胸にいつでも刺さってるぅ。刺さってるうううう〜!♪

心の中で、左手ボタンの伴奏が激しく鳴ってくる。
♪Pick up your head throw away your Blues. どうせ一度の人生さあ〜。
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♪The more you give babe the less you lose.  運が悪くても生きるのさあ〜、生きるの〜〜さ〜〜!!♪

瀬戸内の海は私のこの歌を聞いて、ざざざざ〜〜と笑っているようだ。
今年の最後のライブは、海での練習の成果を試してみようと思う。

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静かな春 ケータイ投稿記事

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怪獣と呼ばれた次男が、とうとう小学生になる。
4人の子供がいると、お手のものでしょう。とか、ベテランですね。とか言われるが、私の場合、5年に一回の割合で子供を産んでいるのもあるのか、いつも毎回、どんなだっけ?と思いながら子育てしている。

二人目までは、近くに祖父母がいてくれたお陰と、子供の性質自体が大人しかったのもあってか、それなりの悩みはあったけど、子育てに苦労したという実感はあまりなかった。

そして、三人目。
離婚して2つの家を上の子供たちは行ったり来たりしながらの生活で、お金もなく凄く不安定な中で産まれた。
私の気持ちに共振するように、夜泣きが酷く、少し大きくなってくると癇癪を起こし、こだわりが強くて困った。
誰にも預けられず、あちこち連れて回ったけど、狂暴な柴犬の子犬といった具合なので、少しでも目を離すとあちこちで騒ぎ勃発!
いつも謝ってばかりいた。
横浜に引っ越して、理解ある保育所や友人に恵まれ、何とかやった。
とにかく必死で、とてもベテランな雰囲気どころではなく…。
でも、俄然、生活は楽しくなった。
そして、4人目。
この子は産まれた時から、ニコニコしていた。

自分の気持ちがものすごく子供たちに影響する事を肌で感じ、私自身が楽しく過ごせるような仕事を持つ事で、ようやく本当の笑顔になって、怪獣君の話す言葉にも何とかついていけるようになったころ、愛媛に引っ越したのだった。

愛媛の生活の中で、怪獣君はいつの間にか怪獣と呼ばれなくなった。
父親がいつもそばにいるようになり、新しい保育園にも馴染み、私への果てしない癇癪も影をひそめ、人間の言葉を急激に話せるようになった。

実はとても繊細で不器用で優しい男だった。
優しさのタイミングがいつも間が悪く、ついつい怒られてすねてはいるが、気持ちを切り替える事が出来るようになった。彼の意見が尊重されるようになった頃、小学生になる年がやってきた。

振り返ってみれば、彼の成長は私の成長だった。彼がした事は全て、私の写し鏡のようで、私自身だったのねぇ。

そんな事を考えながら桜吹雪が舞う道を歩いた。
不器用な息子が、ニコニコしながらお母さん好きー!と言って駆け寄ってきた。
頭をぐりぐり撫でながら、お母さんも好きー!と言うと嬉しそうにまた走りだす。

小学生も一緒に頑張ろうね。
ありがと。
と息子の背中に思う、春です。

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年の瀬の気持ち。 ケータイ投稿記事

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昨日おとといと近所のおばちゃんから、是非公明党に入れてと熱心にお願いされた。今朝は、目ざめよ!という宗教の冊子をおすすめされた。どちらの人も熱心に自分の信じた事を語っていた。
私は、公明党には入れるつもりはないし、ものみの塔にも入信するつもりはなけど、話は聞く。わざわざ話をしに足を運んでくれた人の目はちゃんと見る。自分の考え方と違っていても無視は出来ない。
そして、何故、そんな意見や宗教があるのか、その人達の背景を想像しながら考える。考えて思いを巡らす。

世の中、いろんな意見があってこそ然り。
右も左も、白も黒も、上も下も、前も後ろも、全てがあるのが一番いいと思う。
私はそのどれでもあり、どれでもない。今とい う時代の色々を、貧しい一市民として知恵しぼって考えながらなんとか生きて行ければ良いと思っている。
人間らしく生きたければ、ごちゃ混ぜの世の中が良いと思う。
どんな考え方でも、受け入れて考えて意見する。この繰り返しさえ、ちゃんと出来ている世の中であれば、それで良いと思う。多くは望まん。

だから、一番怖いのはどちらかを完全に排除しようとする行動であり、思想が統制されていく事。

今、一番問題になっている原発、戦争は、相反する意見を受け入れる余地がない。
それは直接命を奪うやり方だから。
そして、更に死んでしまった人からの命の意見を全く受け入れていない。
もうすぐ産まれてくる友達のこどもや、この間産まれたばかりの赤ちゃんの言葉を無視し ている。
これから生きて行く人達を完全に無視している。
そして、今生きてる自分たちの命をあまりにも軽く見てる。

私は死に方まで人に決められたくない。
だから、原発は即廃炉、戦争は絶対しない。と強く思う。

今回の選挙、その事をちゃんと話し合いの場に持って行ける人に投票しますよ。
命は基本。命がなきゃ、未来の事も話し合えないでしょう。そして死に方を大事にする事も話し合えないでしょう。経済の話も食べ物の話も出来ないもんね。

地震以降からようやくそれを痛烈に感じて考える毎日。
それまで私はぼんやり生きてきたし、平和ボケと言われる世代の代表ともいえる。
だから子ども達には大変な時代を背負わせてしまったなと心が重い。
これからは、命に 直接関わる問題をリアルに感じなきゃいけない時代が来てしまったから、いよいよ若い人ほど敏感に反応していくと思う。
だからこそ、色んな意見を聞いて、考えて、行動していけるような環境にしていかなくちゃいけない。
今回の選挙を見ても、反応が鈍くなって来ている古い脳の私ですら、頭を活性化させて生きて行かないと、どっちかだけに偏った意見ばかりのいや〜な世の中になってしまうなあという危機を感じる。

これからいよいよ素晴らしい若者達、平和ボケしていない聡明な若者達が沢山出て来る世の中になるんだから。
それをしっかり見届ける為にも。頑張れ、中年!!!!!
頑張れ私!!!!

そんな2012年の年の瀬。
明日から師走の関東ツアー。今年最後の歌をうた いにいきます。
音楽は私にとって自由の象徴です。

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夢が叶う。 ケータイ投稿記事

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松山に引っ越して、こんなんだったらいいなぁ。と、思っていたこと。
それは息子たちが、毎日、新鮮な瀬戸内の魚を釣って帰ってくる事!

なんと、引っ越し2か月目にして、夢が叶ってしまった。

今日は小4のリンタロウが朝からでっかい弁当持って、いそいそとでかけてった。
知り合いが一緒に釣りと、掴み取りに連れてってくれるというのだ。

まあ、ゴールデンウィークにアメゴ(アマゴ)釣りに行って惨敗し、自然の厳しさというものを肌で感じながらぐったり帰ってきたばかりなので、あまり期待せずといった具合だったのだが…。

夕方お迎えに行くと、えらくニコニコしたリンタロウがいるではないか。
もしやっ!まさかっ!

「お母さん〜掴まえたよー!」
と、早速見せてくれた袋の中をのぞいてみると、ギャーッ!
そこにいたのは、エイ!正式にはアカエイ。
あきらかにぬるぬるした身体が私にどーよ、と言っている。
素敵っの前に、えー、これ、どーやって料理すんのさ。と言ってしまった。エイって…。

私のやや暗めの顔を取り持つかのように、リンタロウは必死に「おじさんが、これ食べられるって言ってたよ。毒のある尻尾は切ってくれたから大丈夫だよ!あとね、あとね、カニとカレイもあるよ!」
カニ?カレイ?どこよー。とエイを裏返したら、まだ産まれて何ヵ月?くらいの親指サイズのカレイが5匹とモズクガニが二匹、ひっそり下敷きになっていた。

ふー。フフフ。ふふふふふ。
あんまりにも可愛い小魚たちと、必死に大収穫である事を訴えるリンタロウがなんともおかしくって、笑ってしまう。

「あとね、おじさんがおまけでくれた。」と言って渡した袋には、立派なアジが三匹!わあーお。これならば、今夜の夕食はなんとかなりそうだ!
よしよし。

早速、家に戻ると、パソコンでエイの捌き方を調べる。どうやらエイは煮付けや竜田揚げが美味いらしい。
よし、あの小魚たちも、みーんな竜田揚げだな。
アジは大好きなナメロウと刺身に。
それと、モズクガニとアオサの味噌汁で決まり。

初めて触るエイは、ツルツルしてて不思議な感触。案外簡単に捌けた。

山育ちで、魚といえばサバの切り身か、アジの開きくらいしか見ないような生活をしてきたゆえに、パソコンをにらみつけ格闘しながら色々な魚と向き合った。
魚、楽しいわぁ。

こんなに面白い顔してるよ。こんなに良い色艶だよ。皆、個性的で、小さな魚たちを、まな板の上に並んで乗せると、ちょっとしたファッションショーのようだ。

いやぁ、魚楽しいわぁ。
いやいや、でも待てよ。カレイにエイにモズクガニ?
みんなじっとして砂に隠れてる生き物ばかりじゃないか?

まあね、そのうち鯛とか太刀魚とかね。
次回に期待するとして。
さあ、いよいよ晩飯です。
流石、自分で収穫してきたものはほんとに美味いらしく、よく食べる食べる。
当たり前だけど、やっぱり違うんだなぁ。
瀬戸内海に来て良かった。

自分の息子に捕まえられてくれて、こんなに美味しく口に入ってくれた魚の皆さん。
ありがとうございます。
お命、頂きました。
ご馳走様でした。

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ハイハイ ケータイ投稿記事

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引っ越して生活環境が変わったせいか、一気にハイハイが上達した。それが速いのなんの。走ってるみたいで、寝ているとヨダレ垂らした恐竜が物凄い速さで近づいて来て食べられそうです。
私は、今回の怒涛の引っ越し疲れで寝込んでしまったのに、子供たちは、春の新芽みたいにどんどん変化していく。
細胞わっかーいんだねぇ。
私は一気に白髪が増えたよ。
長男のリンタロウも新しい学校で友達11人出来たって。

元気って凄いなぁ。
いいなぁ。
母ちゃん、もう少し寝たら元気になると思う。
友達も増やしたい!
けど、ちょっちょっと、待ってて。
40歳って初老なんだね。

しみじみするなぁ。
子供たちの生きるペースについていけないなぁ。

と、改めての春爛漫なり。

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男の醍醐味 ケータイ投稿記事

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息子のユキは、赤ちゃんの時から様々な女に抱かれている。
私が歌っている間、色んな女たちの胸の中で抱っこされて、色んな音を聞いてきた。
バーレスクダンスをやっている友人達とのショーでは、楽屋であっちの女、こっちの女がやさしく包んでくれるので金粉まみれになってキラキラ輝いていた。

横浜寿町では、孫のように可愛がってくれる甘やかし放題のおじさん達に囲まれて、王様のように振る舞っている。
そんな色んな人の愛情まみれで大きくなった。

そして5年の月日が流れ、ユキは人一倍、癇癪持ちで繊細で甘えん坊の男に育った。
私がドス効かせて怒っても、全然効き目なし。
逆切れして、怒り狂う。
身体 はやたらに丈夫で、体力が有り余っている。
不器用で自分の気持ちをうまく伝えられず、イライラして金切り声をあげて雄叫びをあげる。
そして、寂しそうにめそめそと泣く。
これで、全てが許されると思っている。
が、ただ一人、父親だけはとても威厳を感じるらしく、彼の前だけは、猫の子を借りて来たようにおとなしくなる。

そんな彼に弟が出来た。
どんな事になるかと思ったけど、案外、お兄さんとしての自覚があるようで、彼なりに一生懸命可愛がっている。が、いかんせんまだ5歳。
ユキが泣いている赤ちゃんをあやそうと抱っこすると、首が絞まり、死にそうになって静かになる。
冷や汗もんである。
でも彼のプライ ドを傷つけないように「あ、ありがとね〜〜。」と言いながら首の締まった赤ん坊を救出する。
弟をあやした立派な兄上は、意気揚々と遊び始める。
まったく面倒くさい男だ。

そんな彼だが、有無を言わせず幸せそうに大人しくなる時がもう一つある。
赤ん坊の時にいつも体験していたあの感触。
そう、巨乳に包まれること。
私が赤ちゃんをずっと抱っこしている間、またまた様々な場所で、良い匂いのする女達が優しく包んでくれるのだ。
三つ子の魂百までというが、百歳になっても、こんな笑顔で素敵な胸に顔を埋める事が出来たら、幸せ者だなあ。
しかしまあ、許されるのはせいぜい後2、3年だろう。
それまでは、思う存分 楽しんで下さいね。
そして、いつかは幸せにしてくれる素敵な女性を見つけなさいね。自分で。

女は優しくて面白い男に弱いのよ。
特にユキ好みの胸の素敵な強い女達は!!
そこ頑張れ〜〜〜。

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