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最近、世間は殺伐としてるのです。
そう言われてからもう何十年も経っているので、 本当の意味では最近に限ったことではないのでしょが。 それというのも、人々のストレスに起因しているのでしょうか。 確かにストレスの多いとされる現在社会ですけれど、 ストレスなどというものは、いつの世にも姿を変えて沢山存在しているはずで、 対人関係などは他人がいる限りなくなりはしないだろうし、 身分制度や家の”格”が強かった時代、市井はより親密な共同体であったことに比べ、 個人の自由な時間と空域を保てる今の方が、ストレスは少ないようにも思えます。 神経を使う仕事が多くなったからと言われても、 常に自然災害に脅威を持っていた農民、 ストイックな生活を強いいられていた武士、 信用第一で商いをしていた商人、 その日暮らしだった職工の町人など、 保証も保険のない中で暮らしていた時代の方が、よほど緊張していたように思うのです。 つまり、現在社会のストレスが多いというよりは、 現在人のストレスの抑えかた下手なのかもしれません。 では何故そうなったのかと考えてみると、 人はいつしか自意識ばかりが肥大して、相手の事を考える余裕がなくなったからではないでしょうか。 「相手を思いやる気持ち」などという言葉を簡単に口にするものの、 それは自分に都合のいいときだけで、本当に必要なときには自分勝手という人が多いのだと思うのです。 人は自我は認められても、他我は認め難いものだということです。 それはニュースや新聞を見ていても、その記事の関係者のみならず、世間の反応からもよくわかります。 自分が何か失敗をしてしまったとき、自分には言い訳を用意して、 それをわかってもらおうと一生懸命アピールする。 ところが同じ過ちを他人がおかしたとき、自分のときとはまた違うなどと勝手なことを言い、 相手の言い訳をひたすら否定して責めたててしまう。 誰それが可哀想じゃないかと誰かを庇うようにして人を責めるとき、 本当は誰それが可哀想だからじゃなくて、自分の都合のよい相手を責めることが目的であったりします。 自分には甘いが他人には厳しくしてしまう。 自分は認められたいが他人は認めない。 自分の言い分ばかりを主張して、人の話は耳を通り抜けてしまう。 自分が嫌う人は他の人にも嫌って欲しい。 結局、そこには自分しかいません。 そして自分の都合のいい解釈で、自己憐憫に自己弁護、嫌いな人の悪口三昧、 そんなことばかり吹聴する行為に至ってしまいます。 そんな人間たちが、ときおり「人の気持ち」などと言っても、 こんな時だけ何を言うんだと、しらけてしまうのは当然なのです。 皆が皆、自分の声を聞いて貰おうと大声で叫ぶばかりで、人の声など聞こうとはしません。 人の話を聞かない者の声などは、誰も聞いてはくれなくなります。 だから悪循環の繰り返しです。 これがストレスの根源なのではないかと思うのです。 天国と地獄では、同じように長い箸を使って食事をしています。 当然それは食べ難く、地獄ではまともな食事ができずに常に飢えています。 ところが天国では、互いに相手に食べさせ逢うことで解決しています。 人間社会も、お互い自分を主張するよりも、まず相手の話を聞いてやろう、 理解してやろうという姿勢が強ければ、 もっとストレスの溜まりにくい世の中になると思うのです。 結果的に、犯罪件数も減少するのではないかと思うのです。
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清貧さんのブログから転載いたしました。まったく同感です。コミュニケーションが如何に大事かが今の時代はきづかぬじまいなのが、一番問題なのかもしれないですよね。話す事、しゃべる事、時として、喧嘩する事も、大事なんかもしれないです。
2006/11/12(日) 午後 11:59 [ sat*ky*20*6 ]