|
「と」が入ってましたねww 「上野の左」「下柘植の耳」「関の四貫目」「二代目飛加藤」・・・ あはは〜〜〜 うち、お父さんが『サスケ』全15巻持ってて、 子供のころから何度も読んでたので、 『あしたのジョー』ほどではないけど、よく覚えてるんだわ。。 アニメの『サスケ』より、漫画の『サスケ』。 昔の本だから、乱丁があったりしてね。。 何巻だか忘れちゃったけど、同じページが繰り返されてるところがあった。。 最後が、悲しいのよね・・・ 今調べたら、アニメでは悲しくなる前までのハッピーエンドだったみたいだけど、 漫画は・・・www 悲しくなりたい方は、ぜひ、漫喫へ・・・(^^;; Amazonで購入されてもOK!!
|
ほんのこと
[ リスト | 詳細 ]
|
ご覧の通り、大昔の中公新書です(^^; 巻末を見れば、「昭和54年11月15日18版」。。 何年か売れ残ってたとすれば別だけど、 初版が51年で、54年で18版ということは、 あたしが手にしたのは、55年か、せいぜい、56年。。 ずいぶん、古い本ですねぇ(^^;; でも、まだ、ちゃんと売ってる。。 いわば、我がバイブル。。 『統計でウソをつく法』が、世にはびこる「数字」の裏側を暴いた本であるのに対し、 『詭弁論理学』は、世にはびこる「論理」の裏側を暴いた本。 誰にでも、 ・・聞いた話は間違ってないし、理屈も通ってるようだけど、何か変なんだよなぁ・・ という経験はあると思います。 その「何か変」のところを明らかにしてくれるのが、この『詭弁論理学』なんです。 内容としては、 まず、論理もヘッタクレもなく、強引に相手を言い負かす「強弁」について分析し、 続いて、一見論理的に見えるけど、どこか怪しい「詭弁」について分析します。 最後に「論理あそび」なんてのが付いてますが、 これは、数学者でもあった著者の、まぁ、ページ増しという感じで(^^;; そういうのが好きな人には面白いけど、 普通の人にはどうでもいい話ですね。。 でも、前半の「強弁術」「詭弁術」の部分は、 怪しげな話に騙されないために、 とても役に立つと思います。 そして、その考え方が身に付けば、 無意識のうちに人を騙したりすることもなくなります。 逆に言えば、意識して人を騙すのにも役立つ(^^;; けど、やぱ、それ以上に、正しくモノを考える役に立つと思います。 もちろん、議論の場でも役立つ。 『統計でウソをつく法』も同じく。。 どちらの本も、もう前世紀のナカバに書かれたものであるにもかかわらず、
半世紀以上版を重ね、いまだに愛読されているのも、 その間ず〜〜っと変わらず人は同じ過ちを繰り返しているからで、 時代の流れとは関係ない、 人間の思考そのものに潜む陥穽を明らかにしたものであるからでしょう。 |
|
あたしの中にいいアンバイに封じ込めておいた、 喪失感、孤独感、絶望感・・・そういった感覚が、 一気に開放されてしまうのだ。 本当にイマサラ、 イマサラ中のイマサラっていうくらい、イマサラ、 ブックオフでこの本を手に取り、 診察待ちや給仕待ち、ハテは、信号待ちの間に、 チビチビと読み進めて、 つい先日、読了した。 幸福な後日談を想像することは容易だし、 作者はその余地を十分に与えてくれてはいる。 でも、その前に、あたしは、打ちのめされてしまった。 所詮、おとぎ話にすぎない物語なのに、 むしろ、その非現実性ゆえに、 あたしの内にある非現実的な苦しみを揺り動かした。 そのせいで、酒の席でやってもーた、とは言い切れないと思うけど(^^; やってもーた内容を聞いたら、 あたしが今何を欲しているのか、何が必要なのか、 この本を思い出しながら、あらためて、自覚した。。 そして、もう一度、その不可能性について、痛感した。 「普通」ならとても簡単なことで、なんでもないことなのよ。 でも、非現実の側で生きている人にとっては、 そんななんでもないことがとんでもないことであるってことさえ、 自分の中に押しとどめて置くしかない。 そんな風に非現実的な共感をしてしまったから・・・ 現実的にやってもーたことはもうどうでもよくなったけど、 あたしの中ではまだ、当分、引きずりそうな気がしてきたわ。。
|
|
いずれも、宮城谷昌光さんの著書。 最近スッカリ古代中国歴女となってしまったあたし・・ おかげで、宮城谷さんを儲けさせてるわ(^^; でも、最近は、ブックオフで買う、という技を覚えたのであまり貢献してないか。。 読んだのは、表題の順番ですが、 実際の歴史に登場する順番としては、 太公望、管仲、楽毅、になります。 太公望は、殷(商とも呼ばれる)末の時代に生まれ、 周の武王に仕えて殷を滅ぼし、周王朝の成立に貢献した。 その功績をもって、 中国東部、現在の山東半島の辺りに封じられ、 国号を「斉」と称した。 周の武王が訪れたとき、太公望は釣りをしており、 その釣りを妨げないように後でずーっと立って待っていた武王の心に打たれて、 武王に仕えたというエピソードが有名ですね。 このため、日本では「太公望」といえば釣りの愛好家を指すようになりました。 その太公望から15代後、桓公の時代に、 桓公を補佐して、覇者(諸侯をまとめる者、幕府の主)にまで登らせたのが、管仲。 親友の鮑叔とともに斉に入り、それぞれ別の太子に仕えたが、 後の後継者争いで敗れた。 本来ならば敗れた太子とともに殺されるところであったが、 鮑叔の強い推挙によって、新しい王となった桓公に招かれ、 富国強兵を説いて斉の国を大きく成長させた。 生涯変わらぬ強い友情のことを、 管仲と鮑叔、二人の名をとって「管鮑の交わり」と呼びます。 また、「衣食足りて礼節を知る」という言葉を残したのも管仲でした。 国を富ませ、民を豊かにすれば、 国内は安定し、兵も強く鍛えることが出来る、 その考えをあらわした言葉の一部ですね。 さて、その斉も、覇者となった桓公の死後、 後継者争いが激しくなり、一気に国力が落ちていきます。 やがて、太公望の血筋である呂氏の力が衰え、 32代康公のときに、政権を田氏に奪われます。 これ以降、斉の君主は田氏にかわり、 呂氏の斉と区別するために「田斉」と呼ばれたりもします。 その田斉の6代・湣王は拡大政策を採り、周囲の国を苦しめます。 特に斉の北にある燕の国は、 策略によって国内を乱されそれに乗じて斉に攻め込まれて属国にさせられ、 燕の昭王は斉に対して強い恨みを持っていました。 恨みを晴らしたい昭王は、優れた人材を集めるにはどうすればよいか、 郭隗という臣に相談すると、「まず隗より始めよ」と言う答。 まず身近な自分を厚遇しなさい、そうすれば自分以上の能力を持った人物が、 ・・郭隗程度のものがあれだけ厚遇されるなら自分は・・ と思って続々とやってくるでありましょう、 というわけです。 実際に多くの人材が燕にやってきました。 その中に、当時すべての諸侯が家臣に欲しがったと言われる楽毅がいたのです。 楽毅は昭王の心に打たれ、小国であった燕に仕えることになります。 内政においても、外交においても、軍事においても、楽毅は才能を発揮し、 やがて、5国連合の軍を率いて、斉を滅亡寸前まで追い込みます。 残り2城を落とすだけ、と言うところで強い抵抗に合い、 戦いが長引いているうちに、昭王が没し、太子の恵王が即位しました。 この太子は楽毅を嫌っていたので、 斉が流した「楽毅は自ら斉王になろうとして戦いを長引かせている」という噂を信じて、 楽毅を将軍の座から引きおろしてしまう。 誅殺を恐れた楽毅は他国に亡命。 一方の燕軍は斉の反撃にあい、奪った城をすべて奪い返されてしまいます。 敗れた恵王は、楽毅が解任された恨みを持って攻め込んでくるのを恐れ、 楽毅を解任したことへの言い訳や、亡命した不義を責める言葉を書いた手紙を送った。 これに対する返書は「燕の恵王に報ずるの書」と呼ばれ、 昭王に対する忠義を切々と語った名文で、 「読んで泣かざる者は忠臣に非ず」と評されています。 楽毅はその幅広い才能と忠節の心を持ち合わせた人物として、 後の、劉邦(漢の高祖)や、諸葛孔明らに敬愛されました。。 宮城谷さんは、3人とも活き活きと書いてますが、 若干、『楽毅』の文章が硬いかな。。 おそらく、楽毅に多少の遠慮があったんではないか、と思いますね。。 『太公望』や『管仲』がかなり自由に展開していくのに対し、 『楽毅』では文献を振り返る場面が多く、 どことなくぎこちない感じがしました。。 それでも、やぱ、面白いです〜〜(^^ 以前読んだ『孟嘗君』も面白かったし、 この先も、宮城谷さんの作品を読み続けていくでしょう〜〜 あぁ、思い入れが強いから、文章も長くなっちゃいましたww |
|
読了。。 トワイエー、後半、2行置きくらいに読んでましたけど〜(^^;; なんせ、長いww マッサージ屋さんの待合室で読むのに、とりあえず、第一巻を買ってみた。 待合室や、信号待ち、渋滞などのときに少しずつ読んで、 最後は、ベッドで読んで、第一巻=第一部終了。 ケコー面白かったので、残りの4巻を買う。 第一部では、事件をそのまま描写して行くのに対して、 第二部(二巻〜三巻)は、犯人の側から事件をつづっている。 あまりに理不尽な悪意にだんだんうんざりしてくる(^^; それでもなんとか読み終えて、第三部へ。。 第三部は、事件の続き。 登場人物はどんどん増えていくし、それぞれの心情描写が細かくなって、 だんだん、飛ばし読みになっていきましたww 内容もドロドロしてきたしね・・・ 弱りきった彼女に手を差し伸べたのが彼だったとき、 ・・あ〜〜、もう、いやっ!! って思って、挫折しかけた(^^;; ショーガないので、ゴクドー読み。。 最後の数ページをちらちらと読んで、落ち着くところを確認してから、 続きを読みましたww なんだか、いろんな意味で疲れる小説でした。。 ☆ 事件が解決(?)したあと、 それまでしっかりしていた被害者の遺族の方が泥酔して、 ・・あの子は帰ってこないんだ! って叫んでたシーン、 そうなんだろうな、って思った。 オリシモ、初めて死刑執行室がTV公開された頃だった。 かつて、被害者の遺族が「あくまで極刑を求める」といって闘った裁判について、 記事を書いたことがある。 記事とコメントを書いてるうちに、 だんだん、死刑反対論者になった気がする(^^; そうやって、必死で闘っている間は気が張り詰めているから、 心が壊れずに済んでるんだろうけど、 実際に死刑が執行されたら、 あの人も、なんとなく、ぽっかり穴が開いたような気持ちになるんじゃないかしら?? もっとも、犯罪被害者遺族の権利拡大運動のような社会的活動を続けることによって、 そのあたりの穴を埋めていくんでしょうけどね。。 でも、本当に救われるためには、諦めと赦しが必要なんだよね。 あたしの持論。 被害者じゃないから、って言われるかもしれないけど、 あたしも、お父さんにはナチュラルでない死に方されたから、 恨んだり憎んだりしようと思えば、いくらでも出来た。 でも、しなかった。 ・・あの時あたしがこうしていれば・・ って思わないこともなかったけど、それも、やめた。。 だって、そうやって他人や自分を責めたって、どうにもならないんだもん。。 だから、被害者を救うためには、権利の拡大というより、 穏やかに、前向きに生きていけるよう、 心のケアをして行くシステム作りの方が重要なんじゃないかしら。。 こないだ、TVで死刑執行室の様子を見て、 ・・この、執行ボタン、被害者の遺族の方に押させてあげたらどうかしら?? って、思った。 権利をどんどん拡大していったら、行き着くところは、それでしょう? 押せるかしら?? |





