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演劇舞台空間においての志の輔の挑み 『志の輔らくご in PARCO』
PARCO(パルコ)で落語(らくご)、である。渋谷駅を出、ハチ公前を通り抜け公園通りの坂を上って行く。坂の途中、若者の街渋谷において求心力を持つその場所ファッションビルPARCO パート1の上にPARCO劇場はある。日本の劇作家の新作や現代欧米翻訳劇を主に上演しているそのPARCO劇場で、落語の公演が行われている、しかも一ヶ月。落語界においては衝撃の出来事、しかし演劇界においてはあまり注目されてはいないこと。なぜ注目されないのか。演劇舞台の劇場であるPARCO劇場ではあるが、その舞台で行われていることは落語であって演劇ではない、と見られているのではないか。しかしその舞台で行われていることは演劇ではない、と言い切れるのか。
『志の輔らくご in PARCO』は立川志の輔の落語会である。一九九六年からPARCO劇場で行われ、二〇〇七年で十一回目になる。昨年も約一ヶ月に渡る会が行われていたが、連日満員、今回もチケット発売直ぐに完売し追加公演を行うほどの人気である。立川志の輔は、TVなどに多く出演し落語家という親しみ易い雰囲気もありお茶の間空間まで浸透している。生の志の輔が登場する高座に対する観客のニーズは高く、ここ数年『志の輔らくご in PARCO』を含め志の輔が出演する落語会は人気公演となっている。その観客のニーズに対応するためだけであれば、演劇の劇場であるキャパシティ四五八人のPARCO劇場で約一ヶ月に渡る落語会を開き約一万二千人を集客するのと、ほぼ同じ人数の集客のできる大きな会場、例えば日本武道館で一回行うのでは、後者のほうが掛かる経費、イベントとしての宣伝効果そして演者の回数による疲労の軽減などはるかに楽だと考えられる。日本武道館でなくても演劇の劇場というのであれば歌舞伎座や新橋演舞場でも落語会は開かれたことがある。しかしあえて立川志の輔はParco劇場で自身の独演会を行っている。
これまで落語は聞くものとされてきた。かつて寄席に足を運べない人にとって、落語はラジオで出会ったというという人は多いと聞く。ラジオやレコードが世に出回ってきた時、そのソフトとして落語は重宝されてきた。それはソフトを制作するに当たって安価で容易であったことが想像つく。そしてそれはテレビ創世期においてもそうであったが、時代が経つにつれ落語はソフトとしては規制の多いもの(途中にCMを入れることができない、カット割が無いため視聴者が飽きてしまう)とだんだん敬遠され、今では落語の番組は少なくなってしまっている。そうなると東京近郊に在住するのであれば、都内には常時興行のある寄席があり、それ以外にも大きなホールや地域の公民館、蕎麦屋の座敷での落語会など、東京近郊では一ヶ月に約四〇〇の落語会が行われているという。しかし落語に接する機会のない場所に住む人にとってはレコード・CDなどで落語を聞くというのが、落語の主な接し方である。落語は演者である噺家が一人で登場人物の全てを語り、また小道具として手拭い・扇子を使いほぼ全ての描写をする。芝居噺では背景画があったり、演者がその役柄に合わせて引き抜きで衣裳を変えることや、幽霊の役は演者ではない人物を登場させたりとする場合もあるが、基本的なシンプルな高座では、その噺の設定・人物造形・風景などは完全に聞く側の想像力に任せている。聞くとこによってイマジネーションを広げ楽しむのが落語であるが、立川志の輔は演劇の舞台であるPARCO劇場で、更に見る部分を加えて挑み続けているのが『志の輔らくご in PARCO』である。
二〇〇七年一月、『志の輔らくご in PARCO』が渋谷PARCO劇場で開催された。公演内容は三つのプログラムに分かれている。一つ分の構成は落語三席、うち前半の二席はお楽しみとなっており、何の演目どの噺を高座にかけるのかは当日までわからない。しかし後半の一席は、事前にネタ出しとして知らされていた。その三つのプログラムでネタ出しされているのは、其の一「メルシーひなまつり」、其の二「歓喜の歌」、其の三「狂言長屋」である。この三つは今までの『志の輔らくご in PARCO』の中で生まれた落語であり、観客の人気も高く再演を望まれていたものでもある。そしてそれはPARCO劇場でしか出来ない構成のネタでもある。初日を開け公演が進んでいくにつれお楽しみとなっていたネタも公開されてきた。各プログラムとも初めの一席は「七福神」。これは今回のためにつくられたネタで、ジャグリングやだまし絵を披露し語りだけではなく視覚的なものが入っているが、それらは通常の寄席ならば色物として落語の合間の演芸のようなものである。二席目は三つのプログラムそれぞれに合わせ、「中村仲蔵」「徂徠豆腐」「新版しじみ売り」であった。これらのネタもこれまでの『志の輔らくご in PARCO』や自身の他の会などで掛けられたことがあるものである。「中村仲蔵」では仲蔵が名題に昇進し、忠臣蔵五段目山崎街道の斧定九郎を演じるにあたりの役作りの由来、そしてその演出が今にまで伝わる名優中村仲蔵の出世噺として通常語られるのだが、志の輔はこの事以前に仲蔵が名題になるまでの出来事を含め描いた「中村仲蔵」を語ったと聞いている。昔江戸時代の頃であろうか、寄席では噺家が今掛かっている芝居の内容みどころを喋り、見に行けない者は寄席で芝居気分を味わうことができたという。落語では芝居=歌舞伎を扱うネタが多いのも、このような密接な関係がある。しかし近年では歌舞伎に限らず芝居と落語の関係性はあまり密接とは思えない。「徂徠豆腐」は講談から浪曲や落語になっている古典だが、今回どのように高座に掛けられたのかはわからない。私が聴いたのは其の三のプログラムである。「蜆売り」は講談から落語にしたもので以前からあったネタだが、志の輔の「しじみ売り」は新たに講談「汐留の蜆売り」から誂え直したものである。義賊と呼ばれた鼠小僧次郎吉が良かれと思った恩が仇となり、幼い少年を貧しいしじみ売りにさせてしまったことから、自首を決意する噺である。季節の設定を雪降る冬にしている。少年からしじみ売りになった経緯を聞き自首を決意した男は店を出る。外には雪が降っている。一旦別れたが忘れ物を取りに戻った少年と再会する。そこで下座音楽が入り舞台には紙吹雪が舞い落ちる。少年がもうしじみ売りをしなくていいようになると男は告げる。音楽を入れ雪を降らせるという演出は、歌舞伎・新派ではよくある方法である。しかし落語では特に雪を降らせるという方法はあまり使われていない。それは寄席などではそのような舞台機構になっていないためできないのである。雪を降らせる、本物の雪が降るわけではなく紙である。しかしそれを見ることによって観客はより一層雪の風情を想像するのである。落語の語りにプラスして視覚を加えよりイマジネーションを膨らませようとしている。また「新版」と付け加えたのは、演出方法も加えた「志の輔のしじみ売り」決定版とでもいうのではないかと思われる。
しかしこれだけでPARCO劇場で落語会を行う意味はない。舞台機構の問題であるならば、ほかの演劇舞台の劇場でも構わないのである。特に人気の高い「メルシーひな祭り」「歓喜の歌」は現代が舞台のネタである。この二つは共に終幕に仕掛けがある。「メルシーひな祭り」ではひな飾りが見たいフランス大使夫人とその娘が外務省の役人に先導されある商店街の人形店を訪れるが、その店の職人は人形の頭専門ということが判明。人形の首だけ見せるわけにはいかないと、何とか事なきを得ようと躍起になる役人と、急遽神社の石段に思い思いの扮装で集合し、珍妙なひな飾りを実演する商店街の人たち、そして。落語の高座の奥に現れたのは、その商店街の人たちが作り上げた人間ひな飾りがあったのだ。また「歓喜の歌」では、とある町の公民館で大晦日のホールを似た名前のママさんコーラスを勘違いしダブルブッキングしてしまった。それぞれのグループのママさんたちはこの日の発表会に向けて家庭・仕事・そしてコーラスをどれも手を抜かずにここまで来ているのだった。公民館の職員・そしてそれぞれのママさんたちの結束によってついに発表会が行われることになる。そしてまたの舞台奥に仕掛けがなされている。本物のママさんコーラス六〇名が「歓喜の歌」を合唱するのである。それを指揮するのは衣裳を引き抜きタキシード姿になった志の輔である。この終幕の演出は、実演でなく落語で語ることも出来るであろう。しかし「メルシーひな祭り」においては、商店街のひとたちが本物のひな飾りに近づけるために、身近にある物で代用しそれぞれ持ち寄り作り上げたひな飾りは、語るよりも見たほうが早く特徴をつかめることが出来る。またママさんたちが歌い上げる迫力は一人の語り手では到底及ばない。この二つは現代日本が舞台であり、もし落語でなく演劇として作られたとしても、日本のウェルメイドプレイとしてPARCO劇場に合うものであろう。しかし「狂言長屋」は落語的世界、江戸時代と思われるある長屋での出来事である。身を投げようとしていた若者を助けたが、その若者は狂言師であることが判明。何故死のうとしたのかと問うと、御前で披露する新作の狂言をライバルに盗まれ先に披露されてしまった。その場では誤魔化し披露をする日を延期してもらうが、更に新しいものが作れない、もう死ぬしかないというのだ。狂言がどんなものかわからない長屋の住人は、参考にあれやこれや喋り始めるが、狂言師の姿がまた消え。一旦志の輔は高座を降りると、舞台奥の幕が上がり志の輔の紋である三下り松の背景。その前に笛、鼓、太鼓の下座。下手から橋掛かりを渡って来るかように男が登場。ワキとして志の輔も登場する。そこは能舞台であり、狂言が始まったのである。落語の間に劇中劇の手法を取り入れたのである。死ぬために来た二人の男、自分はこんなに大変だから死ぬのだ、いやこちらの方がもっと大変だだから死ぬのだ、喧嘩にまでなったが死ぬことが馬鹿らしくなり帰って行く。という狂言が行われる。そしてまた志の輔が高座に戻り落語が続けられる。今までのものは長屋の住人を参考にし新たに作り上げた狂言である。それを御前で披露し、お抱え狂言師になれたというのである。この「狂言長屋」は実際に狂言が行われるという演劇的要素を含んだものになっている。しかしこの演出方法であるのならばPARCO劇場でよりも、本物の能舞台で行った方が良いのではないかと思えてくる。しかし志の輔は狂言をやりたい訳ではないのであろう。落語の可能性を追求する、そうすると次第に周りの分野、演芸的・演劇的・舞台芸術的なものそれらをひっくるめてエンタテイメントの可能性を追求してみたくなっているのではないか。落語の世界、江戸時代の設定、それは一見PARCO劇場には似合わない要素と思える。しかし演劇舞台であるPARCO劇場には、さまざまな可能性を含んでいた歴史を持つ劇場でもある。新作の歌舞伎が上演されることもある、それは古典的な手法を用いながらも現代に通じる新作である。ならばさまざまな手法を駆使することのできる舞台上で、聞く側の想像力を超える舞台を創ろうとしている『志の輔らくご in PARCO』で行われていることも、落語という枠にはめるのではなく、一つの演劇といってもよいのではないか。
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