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2009年1月9日(金)
中野ZERO視聴覚ホール
夢月亭清麿 今岡謙太郎
「物語・落語現代史」第9回
『昭和50年代/落語家の副業とホール落語』
【落語協会分裂騒動】
昭和53年 5月24日 「落語三遊協会」設立記者会見
5月25日 席亭会議
6月 1日 調停会議 志ん朝・圓蔵一門らの復帰・
圓生一門の脱会→川柳・一柳を除く
昭和54年 9月 3日 圓生 死去
12月20日 圓生一門復帰・圓楽一門独立
昭和55年 5月11日 橘家圓蔵 死去
9月20日 林家三平 死去
昭和56年 6月 9日 春風亭一柳 自殺
昭和57年 9月13日 金原亭馬生 死去
昭和58年 5月 落語芸術協会 上野鈴本から撤退
6月 真打試験結果などから談志一門脱会
昭和61年 4月発行 圓丈著「ご乱心」→生々しい人間模様・それぞれの悲劇
今の目で人文的ではなく、社会科学的に見ると最大の原因は
真打制度と爆発的にふえた落語家にあるのでは?
圓生会長時代、これ以上入門者を取らないよう通達がなされた
戦前までの真打披露は協会全体のものではなく、
マスコミの扱いも興行の規模も小さいものだった
戦後のラジオによる“落語ブーム”が起爆となり、
真打披露興行が華やかなものになり、
寄席も落語家も抗しきれない大きなモノになり過ぎたのでは?
【落語家の副業】
寄席の数はふえないが、落語家の数はふえ続けた
昭和30年頃は両協会を合わせても100人を越えなかった→現在は400人くらい
落語家イコール寄席芸人ではなくなり、寄席以外の場で収入を得るようになる
(昭和40年代半ばから活発)
一時期は芸能界の便利屋状態
昭和50年代は分裂騒動に象徴されるように落語界が大きく揺れた。
世代交代が起こり、ホール落語も様変わりを見せた。
落語家の生活スタイルも、収入先も、精神構造も変わっていった。
ようやく、なんとなく知っている時代に近づいてきた。
でもあの分裂騒動ってなんだったのだろ?
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