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先日、連合赤軍のリーダーだった永田洋子さんが亡くなられましたが、あの頃を知っている者としてはやはり複雑な思いがあります。
以下、瀬戸内寂聴さんと永田洋子さんの手紙より。
瀬戸内寂聴の言葉
なぜ永田洋子さんとつきあうのか、連赤問題の裁判に関わるのかとよく聞かれる。ある人が「あんなやつはきちがいですよ。きちがいでなければ、あんなことは出来ない。あんなやつはさっさと殺してしまえばいいんだ」と言った。
同じ頃私の小学校の同窓会があって「どうしてあなたはあんな怖ろしい人のことをかばうの、どうしてもわからんけん、教えて」と言った。前者に怒りを覚え、後者に悲しくなった。前者の思い上がった意見と、後者の素朴な感慨が、今永田洋子に対して抱く、世間の感情のほとんどを代表するものだと思う。 わたしもかつては、この二つの意見に似たような気持ちを抱いていた。それがなぜ、今のような彼女と関わってしまったのか、やはり、自分が出家していたからだとしか思えない。 正直いって、けっして好きにはなれなかった永田洋子さんから、手紙が来るようになり、その手紙によって、わたしは自分が抱いていた永田洋子のイメージと全く違う人物と個性をそこに発見したのである。 大量の同志殺害をした狂気の殺人鬼というイメージは彼女の手紙のどこにもなかった。 ごく普通の女性がそこにいた。世間知らずの、一本気の、単純な正義感に支えられて、ひたすら、世直しを夢見ていた少女が、そのまま年をとらずに獄中で凍結されたままいるような気がした。(中略) 今では彼女の手紙は私の手元に300通を超えている。そのどれもが、素直で赤裸々ないい手紙だとわたしは思う。 よくもあれだけ殺して平気で生きられるという声も、わたしはよく聞く。そんなときわたしは「汝の罪なき者石をもて彼女を撃て」と言ったキリストの言葉を思い出さずにはいられない。 獄中の彼女は、私と何年つきあったところで宗教を持つわけでなく、あの世を信じているわけでもないようだ。 それでも、殺した人々の冥福を私に祈ってほしいとは度々もらしている。 年中激しい頭痛がする。それは夜中に思わず痛さで飛び起き、獣のようなうめき声をあげずにはいられないほどのものであり、そのうち身体じゅうに電流を流されているような感じになり、そのときは声をあげて泣きわめかずにはいられなくなる。やがて足がもつれ、歩いている途中でも倒れるようになる。
便器に腰掛けたまま失神し、転げ落ち、嘔吐する。床に流れた糞尿のなかに顔をつっこんだまま気絶からさめない。日によっては洗面器二杯にも吐くことがある。手足がはげしく痙攣しはじめる。 面会室で椅子ごと転げ落ち失神する。苦痛を訴えても「異常なし」「精神的なもの」との診断しかしてくれず、呼吸法や,菜食や、不自由な獄中で、自分で自分の病気を治そうと試みたのであった。 本当は「脳松果大部腫瘍」という怖ろしい病気で、目に異常をきたし、眼科医にかかり、視力の衰えが脳性のものであるといることから、手術をうけ命を取り留めたのであった。 14名もの同志を殺した悪魔のような女と思いつめている世間の人々があなたの頭に恐ろしい腫瘍が生じているときいたらどう思うでしょうか。いい気味だと思う人もいるでしょう。因果応報、あるいは殺された人達の祟りに違いないと思うでしょうか。遺族の人達はこれでようやく仇がとれたと胸をすかせるでしょうか。 わたしはそのどれも信じたくはありませんでした。こんな病気になったあなたに同情してほしいという甘い考えもありませんでした。ただこの現実をひとりでも多くの人に知ってもらいたいという考えだけが切実にありました。 14名の同志殺害というとりかえしの付かない過ちを犯したあなたが、自分が危うく命をとりとめ死の淵からよみがえったことによって、かけがえのない自分の命の重さと尊さを確認し、けっして還らないあの14名のひとりひとりの命の重さを自分の命に重ねて思いを沈めてくれるならば、あなたの生き地獄の苦しみも甲斐があったということになりましょう。 永田洋子が瀬戸内寂聴にあてた手紙の中から1985年11月20日秋らしいおだやかな日が続きます。(中略)わたしの病気を心配してくださり申し訳なく思います。
墨の濃淡のあるきれいな写経は瀬戸内さんの心が伝わってくるようです。心をこめて丁寧にかいてくださったことがわかり胸が熱くなりました。 わたしは悟りの境地にあるわけでもありませんし、この間被告人証言の準備で、取調べやその後の連赤総括の過程を書きましたが、書き終わってから、向山さん、早崎さんの二人を処刑してしまった前からやりなおしてみたいと思いましたし、もう一度外で闘ってみたいと強く思いました。 連赤問題からの反省や総括の下に、もう一度闘いたいと思うと、何というかこういう熱い気持ちをもっていることにやはり単純だからかと思ったりしましたが、この気持ちにかわりがないことを感じます。 しかしもう一度闘いたいという気持ちは死刑判決や病気のことを度外視したものではありません。これらを乗り越えてもう一度闘いたい。今度は決定的な誤りを犯したくない。という気持ちなのです。 しかしこれらのことが可能か不可能なのかわかりません。でもそういう気持ちで生きていくしか道はないし、私自身そうして生きていきたいと思っています。 1982年8月8日
差し入れてくださったタンクトップのワンピースはすごくステキでシャーベットの色も可愛らしくてすごくいい感じです。これを見ただけでストレスが飛んでいってしまう気分になりました。
わたしのように無粋な人間にはもったいなくて、気恥ずかしくなる程ですが、やはりうれしいです。 こういう嬉しい気持ちを山にいたときは否定的になっていてうれしいと言えなかったのです。 ともかくローウエストっぽく、スカートはフレヤーっぽく全部気に入ってしまいずっと持っていたいくらいです。 1984年3月10日
本当に春らしくなりました。風は冷たいですが、運動は身軽にできます。原稿はどうしょうと思うほどたまり、その他のお仕事もありお忙しいのでしょうね。その中で少しでも笑いがあればと願っています。
もちろん獄中でも笑いはありますし、笑えない状態のところではありません。 人間、どんな状態でも、どこにいても笑いというか和やかな気持ちで暮らせることもあるのではないかと思うし、それが全くできなければ、精神的死ではないでしょうか。 わたしは法廷で笑ったといって断罪されていますが、一審のはじめの頃傍聴に赤ちゃんも来ており、その泣き声にその方をみてそっと笑いました。当時はこれさえ不謹慎という声があがりました。 わたしは法廷でも自然の笑いは否定できないと思っています。 ただわたしのようにめだつ人間は笑いも含めてひかえめにふるまう感性を身につけたいと思っています。 瀬戸内寂聴さんが永田洋子さんにあてた手紙から
1983年7月29日
人は殺した人間を死刑にせよと言います。わたしはそうは思えないのです。わたしもまた何かの拍子に人を殺さない人間だと言い切れないと思うからです。
他の人間のする悪徳の芽は全部自分の中にもあると思うのです。たまたま運がよくてその芽が表にでていないから、わたしは平然とこの世に生きているのにすぎないのでしょう。 あの戦争だってわたしは勇んで日本が勝つべきだと思っていたアホな人間です。 わたしが男だったら、江田島なんかに入ってきっとバカ勇ましい将校になって戦場で手柄をたてていたと思うのです。そんな自分の無知が恥ずかしく、私は戦争の責任が自分にないとはいえないのです。 だからといって、私が今腹を切って死んでもなんのたしにもならないでしょう。 あなたが殺した人のことをいつも思い出しているわけではないと正直にいつか書いてきてくれました。 まったくそうだろうと思います。でなければ生きてゆかれる筈はありません。 でもその自殺房にいても、生きているあなたはまだ子供の頃を思い出すことができるし、面会の人と会うことができるし、植垣さんと心を通わせることもできたのです。殺されてしまえばそれができないのです。 生きていることは辛いし、いっそ死んだほうが楽だと思うこともあります。 でも生きているということはまだ変わりうる可能性が恵まれているということなのです。そんなこと考えてみたことありませんか。・・・・・・ 1983年10月19日
生きていくのは辛くなったというあなたの手紙をみて涙がこぼれました。本当に辛いだろうと思います。
そのくらしが辛いのではなくあなたの心が痛んで辛いというのは尊いことです。その心をひきだしたのなら、趣意書を書くしんどい苦労もよかったのかと思います。
殺したことと彼らの若さについてのあなたの感じ方も心に沁みます。その心をみつめていけば、もっと辛くなると思います。でも生きてください。生きて彼らの断ち切られた生の重みを感じてください。そのことが彼らに対するあなたのとれる唯一の懺悔と供養になるのだと思います。
私は無党派でしたが、69年4月の沖縄闘争の敗北の後、もうこの先日本で革命(社会変革)が起きることなど現実にはありえない、という絶望感がありました。そして、私の支持していた個人を主体とした全共闘運動も終焉へ向かいましたが、まだ革命を信ずる諸党派の中から、武装闘争路線への純化がはかられ、赤軍派などが生まれていったのだと思います。共産主義者の彼らには元々退く選択などなく、それは、ある意味自然な流れだったと思います。
その後起きた悲惨な連合赤軍事件に関しては、一般の国民には単に異常な行為と思われても仕方ないと思いますが、彼らにとっては、理想を実現するための(革命)戦争という認識だったのだと思います。
かつて、ボルシェビキは人民の解放をスローガンに闘いましたが、次第に理想を実現するための絶対的権力の確立が目的化され、そのための行為が全てに優先することとなり、個人の命の価値は低下し、ロシア革命は悲惨な結果を招くことになりました。
また、今放送中の大河ドラマのお江で信長が描かれています。それを見ていると、民の平和を実現するという理想のためには、残酷な行為を肯定する信長の生き方も至極崇高なものに見えてきますが、連合赤軍の当事者達にとっても、本質的には同じ行為だったのではないかと思います。
私は、ロシアマルクス主義の犯した誤りの歴史から、中央集権的、権力的共産主義には懐疑的でしたが、人は何かを信じてしまうと何でもしてしまう生き物なのかも知れません。
その後、無党派の中からも反日武装戦線が生まれ、三菱重工爆破事件などを起こしました。組織自体はゆるやかなもので内部での暴力などはなかったようですが、結果的に人命殺傷を招いてしまったことは、やはり許されないと思います。一般の国民へ被害をもたらしたという点では、残念ながら、連合赤軍よりも罪は重いと考えます。
戦争に反対し、人の尊厳の回復・人類の解放をめざすための行為が、いつのまにか本来憎んでいたはずの非人間的行為へ転化してしまう、という矛盾を断ち切るためには、やはり、目的のために手段を選ばずではなく、目的に合った過程を地道にゆるやかに進むほかないのだと思います。
そのためには、生活に密着した意識、生活に価値を置く思想を常に持っているほかないのかも知れません。
現在の日本の情況を見ながら、彼女は、やはり選挙で革命(社会変革)などできないじゃないか、と言っているのかも知れませんが、多少試行錯誤があったとしても、国民が無血革命が可能な時代となったことを現実に示すことで、彼女への答としたいと思います。
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殆ど可能性は無いと思いますが、万が一成功していれば、彼女は神に祭り上げられていた事でしょうね。無論、歴史にデモシカは言うべきでは有りませんが、あの時代までは若者が、真剣に政治を考えて居た様な気が致します。
2011/2/12(土) 午後 7:41 [ 短足おじさん ]
傑作だけ置いていきます。。
2011/2/12(土) 午後 8:37
短足おじさん、ありがとうございます(^O^)
団塊の世代は、戦後すぐ生まれてきましたが、その体内に戦争の記憶が刻印されていたのだと思います。
少なくとも戦争に反対する気持ちがとても強く、そのために理想社会を追い求めていたように思います。
理想を求めることの難しさも感じます。
2011/2/12(土) 午後 9:11 [ mushin1967 ]
ドンティーさん、ありがとうございます(^O^)/
2011/2/12(土) 午後 9:13 [ mushin1967 ]
瀬戸内さんの記述はなんら胸に響くものがありません。お互いに別世界の住人なのだと思います。
私は、自分が罪を犯した場合を想定することを除外しないからこそ、永田洋子は死刑になるべきだと思っていました。彼女を死刑にせず、病死させた法務省と法務相は取り返しのつかない大きな過ちを犯したと大変残念に思っています。
2011/2/13(日) 午前 1:23 [ - ]
穀潰しさん、返信ありがとうございます。
永田さんについては、マスコミのフィルターを通してしか見られて来なかったようなので、もう亡くなられたことですし、その実像を知ってもらいたく瀬戸内さんの言葉を使わして頂きました。
死刑制度については様々な議論がありますが、今回のテーマではないので、いずれまたお願いします(^^)
2011/2/13(日) 午前 6:26 [ mushin1967 ]
亀井静香さんがインタビューで、連合赤軍の取調べをした時、彼らはやり方は間違っていたけれど、国を思う気持ちは本物だと語っておられました。その社会の矛盾を正すために、亀井さんは政治家を志したそうです。文化大革命も連合赤軍も、集団になった時に個人の意志を超えて、狂気に走りやすい<集団心理>が大きく影響して、暴走する面が大いにあるのではないかと思いました。
2011/2/13(日) 午後 6:51 [ オレンジトマト ]
フリーク マンマさん、ありがとうございます(^O^)
亀井さんは警察OBだったので、所詮権力欲から政治家に転身したのでは、と思っていたのですが、かなり正義感の強い方だったようですね。
事務所にゲバラの写真を飾っている国会議員は亀井さんくらいなのはないでしょうか(^^)
連合赤軍の行動は、私には、かつての劣勢に陥った日本軍の姿とダブってしまいます。もはや展望など拓けない中での玉砕戦、特攻戦…。
狂気が狂気と認識できなくなってしまう悲劇を繰り返さないようにしなければ、と思います。
今の日本も本当は危険なところに来てしまっているのかも知れませんが(-.-;)
2011/2/13(日) 午後 8:10 [ mushin1967 ]
連合赤軍事件は私が中学か高校の頃の事だったと思います。
思想の為にリンチで人を死に至らしめる…。リーダー格の女性の事、
とても恐ろしい人間性のかけらもない人だと思っていました。
少しずつその気持ちは薄れたものの、根底にはずっと残っていたように思います。
若松監督の作られた連合赤軍の映画を見て、私ももっと分かろうと思いレンタルしました。
でも、先に一人で見ていた夫が「辛過ぎる…見るに耐えない」といって視聴を止め、
私にも「無理かも」と言いますので、見ないままで返却しました。
寂聴さんの文章を読みながら、「死刑制度の廃止」を望みつつ、
この人の「死刑」は仕方ないかもとする矛盾を抱える自分がいたことに気付きました。
2011/2/15(火) 午前 11:34
「他の人間のする悪徳の芽は全部自分の中にもあると思う。たまたま運がよくてその芽が表にでていないから、わたしは平然とこの世に生きている」。その通りなのだと思います。
「悪」しかない人なんていないと思います。人は時間と環境と関わる人によって変わって行きます。
「生きて」罪を償うことにこそ意味があるのだと改めて思いました。
人を狂気に走らせる「集団心理」。それは誰しもが陥る可能性を持っているのかもしれません。
…素晴らしい記事です。
(すみません、まとまりのない長い文章になってしまいました)
2011/2/15(火) 午前 11:35
alfmomさん、ありがとうございます(^O^)
私もやはり若松監督の映画は見ることが出来ずにいます。
私の中でいまだ解決のつかない問題でしたので、ネットで彼女に関する記事などを読んでいる最中での彼女の死でした。
彼女をどうとらえたらいいのかまだよく解らないのですが、突き詰めていけば人間とは何か、というドストエフスキーのような世界に入っていかなければならないのかも知れません。
彼女の名誉のために言うとすれば、リンチと言われている行為のかなりのケースは、連合赤軍という組織内では、あくまで内部規律に違反した人間の処刑という意識で、死んでいった人間達も刑罰として受け入れていたようだ、といわれています。
私の知る範囲でも、確かに常識では考えられないとしても、党派に入るとはそのような判断を伴っていて、そうでなければそもそも入らないと思います。
解らないことだらけなのですが、私も本当の悪人といえる人間はいないように思います(^^)
2011/2/15(火) 午後 7:03 [ mushin1967 ]
汝の罪なき〜を引用して、だから許せという事でしょうが、少なくても自分含め一般の人は人を殺したことはありません。拷問をしたこともありません。この人はそれをやりました。しかも大勢。罪なきという意味では、この人の犯した罪を自分は犯していないので、この人を撃ちます。鬼畜であると。
2019/5/26(日) 午後 7:44 [ aer**588 ]