阪神淡路、中越沖。
大震災のあとの余震の速報を聞いて、
なんとなく周辺住民の不安は分かっても、
きちんとは分からなかった。
大震災から1ヶ月。
いまは「余震疲れ」がイヤというほどよく分かる。
テレビからの「地震警報」の音に、いちいち動転する。
さすがにカバンを肩にかけたまま眠るのは1週間くらいでやめたが、
いまだにカバンは動転しても持ち出せるように玄関に置いて生活している。
この地震はまたあの強さになっていくんだろうか。
またライフラインが途切れた生活をするのだろうか。
度重なる地震で、建物や地盤が弱ってはいないか。
橋が、トンネルが、落ちるのではないか。
それもでなお、私たちは強い気持ちで「復興」と言えるだろうか。
自宅にヒビが入ったと嘆く友人。
そしたら、20歳ちょっとの彼女の息子は、
「ヒビが入る家があってよかったじゃん」
彼の友人は、家を失くし、
瓦礫の中で肉親を捜したのだという。
自分の原チャリはガソリンがカラのままでいいという。
肉親を捜しに行くのにガソリンが必要な人にまわるほうがいいのだ、と。
職場の避難所が閉鎖した。
避難されていた方々は、二次避難所に移動なさった。
「ここがいい」と言って下さった方々もいらっしゃる。
もちろん、たらい回しのような思いがいやだというのもあるだろう。
しかし、スタッフ一同、避難の方々が少しでも居心地良く、と思って力を合わせてきた。
スタッフの思いが通じて、避難の方々が一刻も早く出たい避難所ではなかったことはうれしい。
ただ、居心地がよかったことで、次のステップへの足取りを重くさせてしまったのだとしたら、
申し訳ないような気もする。
当初、震災と原発で平静ではいられなかった自分に渇を入れてくれたのは、
避難してきた方々の前向きさだ。
彼らの境遇にあっての、人間の強さだ。
彼らを目の前にしたら、
我々程度の被災で自分を見失っている場合ではないことを思い知らされる。
復興を支えなければと思う。
大気中の放射線量にはまだまだ予断ならないが、
私の町はそれでも平常を取り戻しつつある。
一方で、自衛隊の車とすれ違う度にアタマが下がる。
まだまだ最前線で心身の限界に挑戦しながら戦っている人たち。
福島原発で復旧作業にあたる東電や関連会社の職員、
全国から被災地入りしてくれている消防士、消防団、警察。
私たちの当たり前「だった」生活を取り戻そうと、
無理をしてくれているすべての人たち。
prayforjapanで読んだ一行。
「今無理しなくていつ無理をする」と自衛官。
私は避難所運営に、そこまでの覚悟で臨めていただろうか。
日本中から、世界から、被災地は支えられている。
阪神淡路のとき、中越のとき、何もしなかった自分が恥ずかしい。
目の前の避難所が閉鎖した今、
この緊急時に自分は何をしようか、しばらく考えていた。
継続的な何かを。
そして見つけた。
やらなければ。
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