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東日本大震災から2年たった。昨年春に復興援助をしようと面接を受けたりしたが落選。たった三ヶ月程度の支援では役に立たないということだった。・・・確かにそうだ。
その後短期で何かできないかと、ネット上でうろうろしたものの成果は何一つない。
そのうち仕事がバタバタし始め東北に行くという志は崩れ落ちた。なんとも情けない話である。
今は、どれだけ遠目で物事が見れるかというなんとも消極的な姿勢。なんとなく寂しい自身がいる。こんなことでよいのだろうか。
設計はあまりやりたくない。特に住宅は敬遠したい。という僕の意見に、友人には「燃え尽き症候群的なものじゃない?」という。そうなのかもしれない。一方で復興に向かうきもちは、明らかに都市計画的なもので役に立ちたいと思っている。しかも、現地の向かうべき姿を捉え、一辺倒のガイドラインを逸脱したものを感じたい。
陸前高田町に大きな志を持った方が、街づくりに奔走している。すごくかっこいいと思った。東大を出て、都会を捨て、震災地のために活動している。すごい。
僕は復興のために何ができるのだろうか。
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「ベロだしチョンマ」という話を最近読んだ(というより聞かされた)。俺達が小学校の頃読んだ話だ(多分)。「復興のために」何ができるのか…を考えるのは個人としては重すぎる課題だと思う。「長松」のように、どうしようもない状況でもできることがある。それはきっと(「ベロだしチョンマ」では妹のために笑わせること)「何かをする」ことだと思う。一見、前述と矛盾するが、「目的ありきの行動」は少し荷が重いが、「行動ありきの結果」ならばバイタリティやモチベーションでカバーできる点で違うと思う。だから、「復興のために」ではなく、「行動」が「復興」に繋がると信じてこれからも頑張って下さい。被害に見舞われた方々のことを思えば、さとる先生のように遠くからでも真剣に考えている人がいるってのは随分と大きい(支えになる)と思います。
2013/3/11(月) 午後 7:52 [ take ]