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かねてから応募していたみちのく仕事http://michinokushigoto.jp/admissions の応募 の結果は参画見送りと言うことでした。・・・残念。
目の前の大きな設計コンペを落としたような気持ちです。しかし、相手にとっては必要がないということは事実、なんとも変えがたい現実。2次の面接を受けてから、準備と称する学習と訓練をしていた。その他もろもろの挨拶なども行っていた・・・。
今後につなげるとしよう。これらは間違えではないはず。
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建築
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よくあることだが、計画は離陸もせず爆破。
この仕事は無償でもやりたかった。
ビルドタイプは高効率の物販店であるが、ココでの挑戦は、10万都市の中心市街地における、景観を先導することにあった。ただ、建てるだけではだめで、クライアントが永続性を持たせるための仕掛けが必要となる。以前・もう5年も前になるだろうか。この通り面する広場の提案を一般募集をしていた。僕はメディア広場を提案。現在のネット技術を駆使し、インフラの権利の緩和があれば、その都市全体の防災・防犯広場ができ、その広場で都市の情報と宣伝ができるという案であった。ずいぶんと意味のある提案だと思っていたが、そのときも消えていった。
まぁ、よくある広場のように無難に仕上がっている。噴水が2ケ所あるけれど、それに使用する水が緊急用の水にも使用されればいいのだが・・・。
この通り、100mくらい僕にデザインさせてくれないだろうか・・・。なぁ〜んてね。
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姉歯事件を受け国は建築士法を改正。資格者は3年間隔で講習を義務付けられた。
僕にとっては、また天下り先が増えたと思っているくらいなものだ。
今日講習会の申し込みをした。するとなんと資格を取ってから15年も経ってしまっている。と言うことは結婚して15年。15年と見聞きするとなんと時間が経っているのだろうと感じる。
昨日、絶対無二の大親友の誕生日だったが、人生の折り返し地点と言う話が出た。
42年も生きている・・・があまり進歩していない。 自分自身に悲観はしていないが、ちょっとだけ先の希望を考えても良いのかもと思っている。
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コンペがある
SUSアルミ共生competition’10 http://ecoms.sus.co.jp/saa2010/
案がまとまったら出してみようと思う
審査委員に構造家の飯島俊比古先生がいる。
もう20年位前の苦い思い出がふと頭をよぎる。
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7月3日土曜日、研究室の集まりがあった。
曽田先生が退官されてからは、集まりの回数は激減した。ラバースの項でも書いたように曽田先生の目的はちょっと違っていたのだけれど。やっぱり曽田研はいい。卒業生の大半は建築関係の仕事についていると思うが、なんとなく家族的な感覚がある。20代を過ごした環境というものは、大きな影響があるのだろうか。曽田研OBには有名建築家になる先輩もいれば、それを追いかける建築家、学校の先生になる人もいれば、官僚になる人もいる。建設会社を起業する人やそれを支える人、不動産関係に進んだものいろんな人がいる。
曽田先生の放任主義的な方針がいろんな生き方を生んでいる。一方でこのやり方は、学校代表者からしてみればあまり好ましくないのであろう。何が正しいかという結論は視点の違いで大いに変わる。まぁそれを解決しようとすることはは不毛だ。
曽田研の中には何人かのヒーロー的存在がいる。 この間の集まりでは偶然そのヒーロー達が僕の前に座った。 う〜ん、僕は 持っているな!と思った一瞬だった。
そのヒーローは一人は長谷川模型http://www.hasegawa-mokei.co.jp/index.htmlの長谷川さんともう一人は志賀建設工業http://local.yahoo.co.jp/detail/spot/c09f3270d7a470969dbfbe1be0573290/の志賀さんだ。10くらい年上の先輩たちだ。 建築に対する情熱はハンパない。 なぜだか勇気が出るんだ。
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