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大阪の裕福な町人出身だといわれる井原がいつごろから文芸の道を歩んだかというと15歳ごろといわれている。家業を他人に任せて(そのような環境があるとは真に羨ましい)西鶴は諸国をあるき渡り1682年に著した好色一代男で草子作家の地位を獲得。矢数俳諧にも挑戦する(一昼夜で2万3500句を詠む)。彼の雅俗折衷の文体は浮世草子なるジャンルをつくり、彼の簡潔で難解な文章に多くのものが魅了された。しかし、それは彼の死後(52歳没)であって明治初期に淡島寒月が西鶴を再発見したことにより日本文学史の中で元禄の文豪として井原西鶴(1942−68)が扱われるようになった。
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