学問の部屋

体系的に学問する こころから学問する

三島由紀夫

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

作家三島由紀夫は自衛隊に決起を促すも失敗。自決。失敗を含む二度の介錯(森田、古賀)。昭和45年11月25日のことでした。
この日、早朝、三島は天人五衰の原稿を新潮社に渡しました。原稿は既に4ヶ月前に完成されてあったとも言われています。三島最後の小説。「豊饒の海」


・・日本の作家たちは自殺に魅せられました。
川端康成は創作業の衰えから自殺。太宰は女(山崎富栄)に巻き込まれ自殺(なる説もあり)。三島由紀夫は?三島は、、作家として「絶頂」のときに自殺したのです。これまでの「・・いつも最後の一点を付加することで完成される環を、しじゅう眼前に描いて(葉隠入門P13 より) 」いる姿勢。見事なその着地点でありました。

三島由紀夫は、仮面の告白で注目を浴びた移行、小説に限らずいろいろの方面へ活動領域を広げます。映画にも出演します。
昭和41年の「英霊の声」を境に、しかしスタイルが一変します。この「英霊の声」は2・26事件を取り扱った小説。三島の天皇観が描かれています。三島は北一輝の天皇を頂点とした社会主義の思想に影響されました。そして、構築されたのが儒教的な天皇像・・ではなくて、古事記にあるような神々の天皇。自由な天皇。フリーセックスな天皇。現在は制度で雁字搦めの天皇にある。その点を批判しました。そう天皇制度という檻の中で飼われてある現状を憂えたのです。制度。歪だらけの憲法を守るために、現在自衛隊という暴力が力弱く日本の前に立ちはだかっている。
自衛隊は本来、日本の天皇、そう文化を守るべきものなのだ。

三島は盾の会を結成し、天皇「開放」への活動を実践していきます。この「自由な天皇」なる不可能に満ちた行いの内には「三島の悪意」がありました。あまりに主観的な主体的な、そのゴールには死が必ずあるところのイメージをそのまま実践・実現したのでした。三島由紀夫、享年45歳。
三島由紀夫の人生を通して垣間みることのできる姿勢とは、社会を敵にまわす「優雅(万葉集など)」「もののあわれ(本居)」に創作というフィクションのうちの「わたしの真実の言葉」を用いて挑んだこと。最後の「死」に着地すべくただ人生を走りぬいたのでした。

(最後の小説「豊饒の海」における明治・大正・昭和を巡る輪廻転生は、語り手「本多」の「(仏教でいうところの)空」を滲みさすための壮大な舞台でありました。)
三島が太宰を嫌悪したことは有名。身体運動で太宰の病気は治ったといってのける。
だのに、三島は、太宰が臆面もなく己がひたかくしてきたことを披露するものだから、どこかしら彼を尊敬していた点もまた、有名な発言である。

イメージ 1

画像:小説家 三島由紀夫
<実のところ、身長の低い、虚弱体質であることをコンプレックスに抱える男が三島由紀夫さんでした>










1925年に名家から生まれた小説家三島由紀夫さん。
幼少期はたっぷりと華族教育を受けます。
少年期には母の影響からより一層文学に親しみ16歳のときに初めて小説を執筆します。

大学は両親のすすめから帝大の法学部に推薦入学。ここで団藤重光教授の刑事訴訟法から後の小説に十分に活かされる論理性を養います。
20歳のとき、徴兵検査は合格するも病気で兵役を逃れます。この時期に妹の死去、幼馴染が他の男性と結婚するなど、三島さんにとって多大な影響を与える事件が起きました。21歳には川端との出会いを切欠に小説「煙草」で文壇デビューを果たします。22歳に、太宰・亀井を囲む会に出席。太宰に面と向かって嫌いであることを述べます。

三島は大学を卒業して高等文官試験に合格し大蔵省事務官となります。しかし、三島さんの明瞭すぎる原稿は官僚の幾多にも解釈できるような逃げ道を設ける文章態度とはあいませんでした。公務員生活は、ほどなくして終止符が打たれます。しかし、小説家としては順調に歩を進めます。

24歳のときに「仮面の告白」を書き、同性愛をテーマに世間の注目を浴びました。25歳からはボディビルをはじめ、幼少期からの虚弱体質から別れを告げ、小説家として文体改造をも森鴎外文学に触れることで積極的に着手し、その成果は31歳のときの「金閣寺」で結実させます。

34歳のときには金閣寺の「個」を描いた長編とは異なる「時代」を描こうと苦心して完成させた「鏡子の家」を世に送り出します。ただ、この小説の出来・不出来は評が分かれました。この時期、戯曲も多く書き上げ、私生活ではロココ調の家に住み始めたり、執筆した小説をめぐり裁判沙汰にも見舞われるなど、一時も平穏な時はありませんでした。

37歳からはボディビルに続き剣道もはじめます。
翌年には、モデルにもなり、いろいろな方面のメディアにも進出しはじめます。そして、いよいよ、40歳からはライフワークとなる「豊饒の海」の連載が始まります。


41歳。自衛隊に体験入隊をはじめ物理的な国家権力への興味をより一層持ち始めます。42歳のときには東大全共闘と公開討論をはじめ、43歳には、あの「楯の会」を結成します。44歳には映画出演。
その華々しさとは対照的な事件を、そして45歳のとき、市ヶ谷駐屯地でのクーデターでの「自決」を起こします。このようにして、三島由紀夫さんの慌しい人生は幕を閉じたのでした。

全1ページ

[1]


.
sat**ukurod*wi*
sat**ukurod*wi*
男性 / AB型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事