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(*宮崎哲弥氏の発言を自分なりに以下にまとめました) 1 メディア政治への対抗軸 ルソーの用語でいうと「特殊意志(農協・医師会・労働組合(野党)」が発する利益趣向により支えられていた自民党型組織選挙の基盤であったが、それが昨今「無党派層」に食い荒らされ、彼等の意見を集約できる「メディア」の機能、権能に注目が集まった。 これは個人の自我が成長したという状態なのか?いや、というよりも、「マスコミ」が人間の隙間をゼリー状の“外被”で補充してしまったというイメージに近い状態であった 。 東国原知事、橋下知事誕生が良い例であろう。この現象は国民がメディアに迎合した影響によるところが大きい。ただこれは簡単にポピュリズム(国が国民を不安で煽りそれを沈静化することで、国民を操作する)とはかたづけられない。 この選挙は、声なきただの「人柄」に大半の票が吸収されてたのが(出口調査の)結果であった。 レーガン大統領は「テフロン加工大統領」と呼ばれ、失言、失策にも人気・支持率に響かない、レーガン自身に超越的な主体性をアメリカ国民は見出してしまった。 アメリカ国民のように、日本人も、ただこの人だから好むという兆候が強くなったといえる。 マニフェスト論者たち、政策本位の選挙を理想とする人たちは、この流れにどう対抗するかが鍵であろう。(政治家からの視点) 2 対抗軸の模索 メディア政治では、この予測不可能な流れは、ほんの些細なファクター(要因)が重合して所謂「風」を生じさせている。ゆえに予測不可能といわれる所以がある。 現代の若者には、シニカリズム(少し昔のような体制側への批判がない風潮)が蔓延してている。それに対抗するためには、先のレーガンの例の如く、遇有的で超越的な「信念」が必要である。(合理性のローカルミニマム(局所最小解)陥らないためにも) 周囲でよくみられる隣人への「やっかみ、ひがみ」 でさえシニカリズムの範疇にすぎない。(シニカリズムの裏の力の思想の内戦にすぎない。)(けれど、それが他者愛まで発展すれば別だが。) フランス現代思想家たちはではその「力の思想」の対抗をキリスト教の伝統に見出した。 一方日本社会は、世俗合理性(シニカリズム)いわゆる世間のルール(準拠) を破る、さきの超越への指向性が非常に乏しい。この点が、力への思想に勝てずに、シニカリズムへの頽落を生んでいるのだ。 3 スピリチュアルブーム 科学知識を犠牲にして「スピリチュアル」に走った最近の流行をみると、力の思想と対抗するためには、スピリチュアル自体有効であったかもしれない。ただ、力の思想に対抗するための超越項は、必然と「剣」とならざるを得ない側面がある。同朋間に争いを生じさせる危険思想でもある。(その点をイエスという男は良くわかっていた。) 危険思想といえるのは、例えば「宗教」というのは、本来、安寧を暴力とみ、世俗を穢土(えど)とみ、成功を滅びの兆候とみ、善意を虚偽意識とみるような、そんな危険な要素をたっぷり孕(はら)んでいるときにしかちゃんと機能しないからだ。 4 大学の可能性 スピリチュアル以外で有効な対抗軸としては、「ゲームの外があるという意識」が必要であろう。 社会学者の森真一さんは、共通道徳という前提から、個人崇拝という状況にかわり、何を共通性にしたらいいか困った状況がうまれた。そこで国民は人格崇拝ということで落ち着いた。(メタ道徳となった) 思いやり優しさゆえに傷つくことを恐れ、人格という殻ばかり固くなり、内実が空虚になってしまった。 大学、自由芸学の場になにかしらの可能性があるならば、ぶつかり、切磋琢磨し、社会の外の風を知ることを大学の学生たちにわたしは期待したい。 参考: これからの社会の成熟の仕方を考える 宮崎 香山 対談香山リカ対談 Vol.1 これからの社会の”成熟のかたち”を考える 評論家 宮崎哲弥×立教大学教授・精神科医 香山リカ 4/1掲載 (*シニカリズム:シニシズムよりも現状肯定の傾向の強い、スローターダイクの「シニカル・リーズン」とほぼ同義:宮崎氏説明)
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宮崎哲弥
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