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Aさんの神(理解できぬもの) Aさん 神というのはまさしく社会の外部にいる存在で、その神が、社会の方向を決定づけてくれた、あるいは、生活世界といえるような、システム・合理性によって汚染されていない領域に個人が所属することで、社会のシステム・合理性を正当化できた。 生活世界に所属する個人が幸せになるために、社会の合理化は悪くないのだと、人々が社会の歯車になるにしても、それは人々が所属する生活世界・共同体のためになることだから良いことなんだと … 私:なるほど。昔はそうであった。 Aさん ところがこのシステム・合理性の「外部」というのが昨今非常に見えなくなっている。 「神の死」というのはまさにそれ。 私たちの生きる合理化された社会を正当化してくれる「外部」がなくなった。 「外部」とは神の場合もあるし、共同体の場合もある。 要は個人の生きる意味を保障してくれる何か、正当化してくれる何かがなくなってきた。そこで人は自らのうちに生きる意味を見いだそうとするのだけど、そもそも人が生きている意味自体なさそうな気がするし、たとえ幻想として意味を見いだせるにしても、それは「外部」によって与えてもらう以外にはないような気がする。 わたし:カルヴァン的に解釈すると、我々は、外部の社会(カルヴァンでいう神)に目をむけ合理化を図らなければならない。そうすることで、社会の利益を実感できる(カルヴァン的には、神の主権の確証、神からの救いの確証) だから、外部に目をむけねばならない。 これは、カルヴァンでいう予定説(決定論)の内でのおこなうべき行動と、似ています。救われている(社会の合理化による利益)ことを知りうるとの意味での「救いの確信(社会、外部にに目をむける)」を得ることが重要、と言った話。こうすることで、すべてが決定された中でも、合理的に行動できる。 しかし、私はAさんの個人的決定論を考えましたが、わたしが勘違いしていたことを自覚します。それは、全体の予定、いわゆる<社会予定>をAさんが論じていた可能性を見落としていた点です。 社会予定を論じていたと解釈すれば至極しっくりくる。 Aさん 私たちの規範というのは、自分の所属する共同体の「空気」なんだと思うんですね …カルヴァンの予定説みたいに、社会の「外側」に確固とした何かがあって、それを信じているから、あるいはそれを信じるために社会のなかで行動するというのは日本人にはあまりないんじゃないかな 世間の「空気」こそが絶対であって、その空気は常に変動してしまう。 この空気に背いて自ら信じる主張を述べたりすると、「変人」扱いされる。 わたし:カルヴァン的に解釈すると、Aさんの言説と較べ、たしかに、現在の日本には、社会の外側に絶対的な価値を認め邁進している人を少ないでしょう。 Aさんの「神が消えた」に至る世界の歴史的な流れを語説明ください。 Aさん キリスト教世界で近代化が推し進められた一因に、マックス・ウェーバーの考察のようにカルヴァンの予定説があったのだろうと思いますね。 日本の場合は、近代化を正当化するためにキリスト教の代わりに天皇が持ち出されたけど、それもいまは昔天皇陛下が近代化を望むがゆえに、天皇という外部によって近代化が正当化されるがゆえに、いまある共同体を破壊し、より大きな想像の共同体を作り上げようというのは、すでに無効化した。 さらに、既存の共同体を破壊し、その代替物であった天皇が無効化したことで、人々は所属するべき「外部」を失った。 私:失った局面は終戦ですね。 Aさん その埋め合わせとして、戦後、戦争という共通体験や、会社共同体が幅を効かせていたのだろうけど、それも終わってしまった。 …で、いまにいたって、さあ、私たち日本人の「外部」はどこにあると考えても、何もない。 私:確かに現在は「何もありません」ね。 Aさん: あと、小室直樹がさんざん指摘していることだけど、受験競争も加速度的に現状を悪化させたのだろうと思いますね 日本の受験競争というのは、すべての同年代の人々を敵にすることで成り立つもので、これって、あらゆる連帯をぶち壊してきたなあという気がするんですね。 受験競争を通じて、人々の間に序列ができる。 さらに、その序列が形成されるまでは、結果としては同じ階層に所属する人同士であっても激しく競争してきた。 この競争による人の心の荒廃というのは、おそらくすごいものがあるのではなかろうかと。これは悪い意味での「個人主義」を招くこともある。それは、自分が社会的に偉くなったとして、その偉くなった自分がすべての「参照点」になってしまう。いわば、自分が神になるわけですね。 私: なるほど、受験競争が招く弊害を鋭く突いていますね。<自分が神になる>のところをもっと詳しくお願いします。 Aさん:共同体に所属する人間は、共同体とは区別された「社会」において得た利益を共同体に還元するけど、共同体に所属しない人間は還元しない。 すべて自分のものという思考をする なぜなら、自分の「生きている意味」を与えてくれる「外部」がなければ、自分こそが「生きている意味」になる 自分こそが「生きている意味」になる人間は、自分が社会的に意味を欠いているのならば無意味な人間になるし、社会的な意味=地位や名誉・金や権力を持つ人ならば、その社会的な意味こそが自分の生きる意味になる。社会的な意味を獲得している人にしても、地位や名誉、金や権力のゲームというのは、すごく不安定であり、いってみれば社会の歯車の一つに過ぎないわけで、そういうものを自分の生きる意味にしているというのはものすごく不安でなんじゃないかと思いますね。 わたし: 人間が価値そのものになることで、価値を操作する主導権を得、その結果、非常に不安定な状態を抱え込むことになるわけですね。 2 感想 Aさんの見ていた社会(神)を「個人的予定」と見ずに、「社会的予定」と見方を途中変更し得た点は、Aさんの理解と、Aさんの主張内容の整理がついたという意味で大きな収穫であった。
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人物
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5/31 私:自由意志なるものはあると思いますか? Aさん 現代社会においては、決定論と少し関係するかもしれないけど、あらゆるものが事前に選択されていると思うんですね 特定の人々が意識的に設計したものの上に、私たちの社会は成り立っている さらに、たとえ不作為という選択をしたとしても、不作為という意識を持つ時点で、すでに作為です 何もしないことすら、選択されたことである。 何者にも影響され得ない純粋な個人はあり得ないだろうけど、全ての原因を自ら選び取る、あらゆるものを意識的に設計するべきであるというのは、その通りだなあと思います 私:それは、おそらく、あくまでも「決定の内で」の、行為でしょうね。 Aさんの決定論をお聞かせください。 Aさん 作為によって作られた個人が、個人を作るために作為するというループがあって、このループから人は自由になることが基本的にはできない …ちなみにこのループを鋭敏に感じ、それを哲学として練り上げたのが宮崎の依拠する仏教の中観派であり、 宮台の依拠するルーマン社会システム理論なのかなあという<気>がしています。 私:ループとは? Aさん 作為によって作られた個人云々というループとは、学校教育がまさにそれで、学校教育は個人の成長を人為的に操作するわけだけど、その操作の結果生まれた個人が、学校のカリキュラムを作ったり、運営に関わったりする ここには何者にも左右されていない個人などはいなくて、個人の成長を操作するのも、また操作された個人です それで、こういうループというのが現代社会を支えるためには必要なのだろうし、また、このループを意識するしないに関わらず、このループ・自己の前提を人為によって操作されるということから逃れられる個人はほとんどいない 私:なるほど。以前お話した、区別を認識する哲学ですね。同時に、決定論という「限界」も知りうる哲学でもあるわけですね。私は、決定論の中でその決定を自覚することが、我々の人間としてのむかうべき(向わざるを得ない)方向ではと思います。 Aさん 原因の自覚。 人がそれをどこまで自覚しているかは微妙なところですねえ 例えば、メンヘル系とかアダルトチルドレン系みたいな人には、自己の原因を捏造する人が結構いるような気がするんですね 私はこれがあったせいでこうなっちゃったんだ!みたいな でも、本当にそうなのかは結構微妙であったりする。さらに普通に社会を生きている人の思い込みは強固で、どこまでそれが妥当かは微妙であったりする。社会心理学の本でよく言われることに、自分のことは自分では分からない、というのがあるけれど、人は案外自分のことを知らない。 人が信じている自分のことというのは、それ自体、例えばメディアなどによって作り上げられた幻想に過ぎなくて、それと自分を合致させているのかもしれないわけですよ でも、それを普通はあまり意識しない あるいは、自己の原因を良くも悪くも自分の都合に合わせて歪めていたりする とすると、私たちは決定論的な世界を生きているのかもしれないけど、でも、その因果を簡単に知ることができるのかといえば、微妙なところかもなあという気もしていますね。 しかし、捏造であっても、原因の存在(輪郭)を自覚していることにはかわりなく、これが、いわゆる神への接近の一歩になるのでは、、とおもいます。
<原因>は、簡単には自覚できませんよね。詳細まで、知るのは、不可能だと思います。
神というと胡散臭くなりますが、神という言葉をつかうならば、神の本性までしらなくても、神の影を知ることで、決定論の内に生きていることを自覚するのではと、思います。(それが、捏造の伴う神の影であっても) そこで、わたしが、おもうのは、そういった内で、何を考え、何を行動すべきか(すべて決定されている中で)悩んでしまいます。 まるで、着地点が、「人間は人間としてどう生きるべきか」に迫っているようにも感じます。こうして再び原点に帰ってしまいます。 さて、この神について、社会学的に説明していただきますか。 Aさん 私たちが何かを意識するとき、それはすでに社会的なんだと思うんですね 概念や価値観、あるいは言語によって思考するのだとすれば、それらは社会からもたらされたものじゃないかと思います もたらされたんじゃなくても、相当社会から影響を受けている こういう状況において、何者からも自由な個人がいるという発想は、どの程度の自由を想定しているかにもよるけど、ちょっとどうなの?という気はしますねえ 私: そうですね。言葉は違いますが、ループのお話も、決定論に近い内容であることがわかりました。社会学も、社会といういわゆる神と対峙している学問と捉えれば、すごく宗教っぽくみえますね。よい意味で。 Aさん あなたの神についての考えはその通りですね 宮台の宗教の定義は、「前提を欠いた偶発的な出来事を馴致させること」なんですね。人は因果が欲しいんだろうと思います そこで、世界の始まりやら、生きる意味を求める あるいは、何か偶発的な出来事、例えば、いきなり交通事故に遭ったりとか、病気になったりしたときに、 その原因を知りたがり、多くの場合、何かしらの原因を見いだして安堵する。 もし何の原因もなく、例えば、何の罪もない市民が犯罪に巻き込まれたりとか、あるいは、何の変哲もない普通の人がいきなり犯罪者になったりすると、それを知る人の心は非常に揺れるわけです 人は端的な事実に弱い 何か意味を欲しがる 神によって何かを決定して欲しいという心情はありますね。 私:私の解釈では、非常に自由な振る舞いで、予定説内で行動する社会学の空間と捉えました。 それと、犯罪のお話が出ましたが、まさに、自由意志を認めれてば、犯罪原因を加害者のみに集約させ、解決できるけれど、現在、そのような考えだけにすがっているとはいえませんよね。司法も、決定論に少なからずよりかかっているのかもしれませんね。裁判官が自由心証主義によって、事件の全体から、犯罪の発生原因を探る様子は、決定論に近いものを感じますね。 さて、社会学の神(宗教)が「前提を欠いた偶発的な出来事を馴致させること」だとわかりました。非常に、予定説に反する表現ですが、理解しました。 では、出来事を 原因を探る運動、そのものに神(なにかしら支配するもの、しくみ、、など)を感じると、、また、<元に戻りますが>、「我々は如何に生きるべきか」、の問いに戻ります。 戸惑いも並存しています。神のてのひらの上で、「わたしは、000をするぞ!」なる自由意志のような決意は、神の素顔までゆかなくても、神の影を自覚すれば、、、かなり恥ずかしいものであります。何故なら、決定の内で自由を叫ぶ意味が見出せない自己がいるからです。 Aさん そうですね それはいわゆる「生きる意味」の問題だろうと思いますよ。 合理的に生きることは良いとして、合理的に生きる意味があるのかが問題になる。 社会が豊かになるのは良いとして、何のための豊かさなのかが問題になる。 この「何のため」という問いに明確に答えられるものが、おそらく社会の「外部」なんじゃないかという気がするんです。 私:「外部」とは、まさに、Aさんの表現する神でしょうね。さらに、「合理的に生きる」とは、Aさんに予定された生きかただと感じました。 |
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1 議論 Aさんと議論した内容を掲載する。主題は、現在の日本にとって必要な人物である。 (5/3〜4) (*最近読んだ本を解説するAさん。田川氏のキリスト教に関する本) Aさん: キリスト教を冷徹な視座から観察する田川ですが、田川はキリスト教と私たちの生きている近代社会の制度には密接な関係があるといいます。例えば、失業保険や健康保険などの社会保障の制度は、キリスト教的な隣人愛から派生しました。西洋世界が二千年をかけて育んできたものの上に、私たちの生きる近代社会は成り立っているといいます。 キリスト教と近代社会の関係については、資本主義という側面からのアプローチなど様々なものがあります。私が田川の文章を読んで改めて思ったのは、制度は<人々の思想>によってはじめて成り立つということです。 私:制度の発生過程を「思想」に軸を置き、考察したわけですね。つづけて下さい。 Aさん: 思想によって制度は立ち上げられます。しかし制度が立ち上がり自律的に運用され始めれば、当初必要とされていた思想は必ずしも必要ありません。思想なくしても制度は生き続けます。 私:思想という光が制度の芽を吹かせたはずが、一度大地から顔を出した制度は、思想なる光を必要とせず、どんどん暗闇の中で成長していくわけですね。そのような思想なき空間でで、制度は存続できるのでしょうか? Aさん: どんな制度でも老朽化や腐敗をします。その老朽化や腐敗を防止したり改善するためにはやはり思想が必要になります。 いまの日本社会を見ていると、制度の老朽化や腐敗が至る所にあるような気がします。これは思想なくしても制度は成り立つと考えるところに原因があるのではないでしょうか。 具体的には田川建三が指摘するように、「キリスト教的な隣人愛を多くの人が共有できなくなったこと」が一因としてあるのではないでしょうか。 私:なるほど。混沌とした現在の日本を救う鍵は、「隣人愛」でもあるのですね。 内実の伴わない空洞化した「制度」に踊らされ、国民は冷徹に国政を傍観するといった状態が、現代の日本の状態なのでしょうか。Aさんの、「隣人愛」に現代を乗り越える可能性があるのでは、との言葉に非常に共感を覚えました。 有効な突破口だと思います。 香山氏との対談で、宮崎氏が、現代を乗り越える方法として、アズマさんと同様、隣人愛の可能性を示唆されておりました。(宮崎氏1) けれど、同時に隣人愛を説くキリスト教を「共同体の平和に対し剣を持ち込み、同朋間に争いを強いる危険思想でもある」ということも言及していました。(その点をイエスという男は十分わかっていたとも言及) 現在は、権力者たち(自民党、利益団体等)が実質的に主権を牛耳っていた政治から、無党派層に主権がシフトし、同時に個々人の間をメディアが埋め尽くし、結果、従来通りの空洞化した制度を我々はまた担うこととなったと思います。(余談ですが、光市母子殺害事件での報道はあまりに偏ったものが多かったとBPOは報告しています) 我々は、今、Aさんが言われるように所謂超越的な信念(隣人愛など)を模索しなければない状態にあると思います。現在は、より個人に埋没し、ぬけがけこそが徳と言わんばかりに、心は硬い殻で閉ざし生活しているように思います。私的には、有効な超越項を模索する「前」段階として、絶大な信頼を寄せれるリーダーの発見、それが必要だと考えています。 宮崎氏と宮台氏はリーダーの資格が十分におありの方々だと思います。彼等を通じて学んび構築した思想が、内包する負の面(危険思想)を「了解」或いは「超えられる」ところまで到達できれば、真の隣人愛を体現できるのかな、と現在のところわたしは思っています。 (私の発言を受けて、、、) A さん: 宮崎哲弥氏がキリスト教とイエスに言及しているのは興味深いです。イエス以前のユダヤ教は「隣人愛」をユダヤ教徒のみに適用していまし た。 ところがイエスはその「隣人愛」を所詮は「人のなす区別」とし、 「神のなす区別」を僭称するのならば「人のなす区別」を乗り越えろと説きます。要は「隣人愛」の適用範囲を限定するなと。 イエスのこの議論はとても説得的です。でも、人は「人のなす区別」を乗り越えられるのか。 イエスがどこまで気づいていたのか分からないけど、私は「人のなす区別」は絶対に乗り越えられない区別だと思います 。あらゆる事象には境界線(区別)があります。人はその境界線によってはじめて物事を認識できる。区別なくして人は物事を認識できません。 私:人間はたしかに区別<なし>に事物を認識することは難しいでしょうね。宗教でさえ、その区別を超えることはできないわけですか。 Aさん: イエス以前のユダヤ教や、イエスを抱え込むことによって成立したキリスト教の なす区別とは別種の「神のなす区別」なるものは存在しない。 私:ふむふむ。 Aさん …当たり前の話だけど、人の認識能力や思考力には限界があります。神や宗教も「人のなす区別」によって成り立つものですから、「神のなす区別」をどれだけ謳っていても「人のなす区別」と違いはありません。 (ちなみに田川建三はイエスとキリスト教をはっきりと区別します。抱え込むとはその存在を抹殺することと同義であるという。 つまり、イエスの思想は歪んだ形でキリスト教に継承されています) 私:田川氏も、イエスと、キリスト教を区別し、キリスト教の限界を指摘してたわけですね。話しが変わりますが、わたしは、超越的な思考の希求のため、宮崎哲弥や宮台氏を道しるべに(リーダーとみなし)模索する手も良いのではと思いました。 }}} Aさん: 宮崎哲弥氏と宮台真司氏にリーダーの資質があるというのはその通りですね。二人の姿勢でもっとも興味深いと感じるのは、上述した「人のなす区別」という限界を徹底的に認識していることです。宮崎氏はマスメディアで大衆よりの発言をあえてしたり、宮台氏も宮崎氏と似たようなことや、「天皇」や「亜細亜主義」にあえて言及している。しかし二人とも、自らの発言の限界(恣意性)を的確に把握しています。 私:なるほど。彼等も「限界」について認識しているのですね。非常に、忍耐強さを感じます。 Aさん: 二人が自らの発言の限界に「意識的」なのは何故か。それは両氏が教養人であるからだろうけど、その教養のなかには宮崎氏なら仏教の<中観派>の哲学が、宮台氏なら中観派と近しい位置に立つ<ルーマンの社会理論>への理解がある。 私:根拠があるわけですか。中間派哲学、ルーマンの社会理論。なるほど。 Aさん 二人とも膨大な知識を有しているだけではなく、その知識の限界を見極める哲学を体得しているのだろうと思います。 私:その、仏教の中間派哲学、ルーマン社会理論に近い思想が、私のような凡人には必要ですね。では、彼等のような限界を認識した忍耐強い精神の持ち主こそ、リーダーの資格がありますね。 Aさん 宮崎氏と宮台氏が社会を導くリーダーとして活動し、感化を受けた人々が近代社会を運営するに足りる「制度」や「思想」を維持していくとい うのは良さそうですね。でも、それにもやはり限界があるという気はします。 どういう意味の限界かというと、二人には絶大な影響力を持つ宗教者のようなカリスマがありません。 私:彼等でさえ、カリスマの資格が与えられないというわけですか。 Aさん: 宮台の師匠の一人である学者の<小室直樹>は、日本社会崩壊への警鐘を二十年以上前から鳴らしているけど、小室は現代日本が崩壊を免れるためには「絶大な影響力を持つ宗教者」がでてくる必要があるといいます。 私:「絶大な影響力を持つ宗教者」それは具体的に? Aさん これは宮崎、宮台両氏の戦略とも関係するかもしれないけど、論理によって人を動かすのには限界があります。 論理を理解できる人への限界、そもそも論理を理解できない人、あるいは特定の論理を知る機会がないという限界がある。その限界を乗り越えるためには、「論理を越えた超越的(宗教的、カリスマ的)な事象」が必要になります。 私:小室氏が言われるように、「超越的な事象を備えた人物の適格者」が、今、待望されているわけですね。現在の日本で現れることはあるでしょうか? Aさん: 多くの人々に多大なる影響力を行使する超越的な事象が日本社会で起こりえるかといえば、いまのところは<なさそう>なんですね。 私:では、可能性はゼロということですか? Aさん:起こるとすれば、それは<絶望的>に現実が悪化したときです。社会の歪みが極限に達し、多くの人々が絶望に打ちのめされたときに、超越的な事象は力を持ちます。 2 感想 Aさんは、世が待望する超越的なカリスマ性のもった人物の出現が、絶望的現実の悪化という局面であるかもしれない、と細かく言及してくれた。
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(人物#5 の続き) 6 パリとスイスのツーン湖時代 1801年春、姉ウルリケと共にクライストはドレスデンを通ってパリへと向かった。しかし旅の意図とは逆に、パリに来たクライストにはそこがフランス啓蒙主義の示したのとは逆の非理性的現実を呈しているように思われた。幻滅を通して再び理性の確実さと歴史の意志に対する疑いが深まったのである。クライストはルソーに刺激を受け、農民の生活を志向するようになる。 1802年4月クライストはスイスに赴き、ツーン湖に浮かぶアーレ島に住み始めた。これは彼の希望に従って一緒に農民的生活を送ろうと望まなかった婚約者ヴィルヘルミーネとの破局を招いた。クライストは既にパリで悲劇『シュロッフェンシュタイン家』の元になる作品を『ゴノレス家』の題名で書き始めており、悲劇『ノルマンの公爵ロベール・ギスカール』もこのころ製作している。さらにその後、喜劇『こわれ甕』にも着手している。 1803年春、クライストはドイツに旅し、ドレスデンでフリードリヒ・ド・ラ・モット・フーケとその友エルンスト・フォン・プフーエルと知り合った。プフーエルと共にクライストは再びパリに旅したが、そこで自らの才能に対する深い疑念にとらわれ、『ロベール・ギスカール』の原稿を焼き捨ててしまう。「天は僕にこの世で最も偉大な富、名声を拒みました」(1803年10月26日ウルリケ宛)クライストはこのときフランス軍に加わって「戦死するために」イギリス遠征に参加しようとする。しかし知人に説得されて再びドイツに戻り、1803年12月ベルリンで外交にたずさわるポストを求めている。 7 ケーニヒスベルク時代 1804年中ごろにシュタインの率いる財務省でしばらく働いた後、1805年5月1日からハルデンベルクの推薦を受けてケーニヒスベルクで非常勤職員になり、国家経済理論家のクリスティアン・ヤーコプ・クラウゼから財政について教えを受けた。ケーニヒスベルクでクライストは哲学教授ヴィルヘルム・トラウゴット・コッホと結婚した姉ヴィルヘルミーネに再会している。クライストはこのころ喜劇『こわれ甕』を完成させ『アンフィトーリュオン』の製作にかかり、また悲劇『ペンテジレーア』、『ミヒャエル・コールハース』、『チリの地震』(原題『イェローニモとヨゼーフェ』)などを執筆している。 1806年8月クライストは友人リリーエンスターンに国務から離れて劇作に専念する考えを打ち明けた。しかし官を辞してベルリンに向かう途上の1807年1月、彼と同行者はフランスの占領軍当局によってスパイ行為のかどで捕らえられ、ブザンソン近郊のジュー砦に収監された。その後シャンパーニュの戦時捕虜収容所へ移されたが、ここで『O公爵夫人』『ペンテジレーア』を書き進めたと考えられている。 ドレスデン時代 8『フェーブス』創刊号 (1808年1月) クライストは収容所から解放された後ベルリンを経由して1807年8月の終わりにドレスデンに着いた。ここで彼はさまざまな人物と知り合った。シラーの友人クリスティアン・ゴットフリート・ケルナー、ルートヴィヒ・ティーク、カスパー・ダーフィト・フリードリヒ、歴史哲学者アーダム・ミュラー、フリードリヒ・クリストフ・ダールマンなどである。クライストはアーダム・ミュラーと共に1808年1月『フェーブス』を創刊した。この創刊号に「悲劇の断片:ペンテジレーア」として『ペンテジレーア』の一部が発表されたのだが、この号を受け取ったゲーテは返信の中で作品に対する驚きを表明しながらも理解できなかったことを伝えている。 1808年12月スペインにおける反ナポレオン蜂起やプロイセンの占領状態、オーストリアにおける解放闘争の開始などから影響を受けてクライストは『ヘルマンの戦い』を完成させた。(発表は死後の1821年)1809年5月には高揚する反ナポレオン機運に希望を抱き、ダールマンと共に、ナポレオンが敗れた数日後のアスパーンを通ってプラハに赴き、ここでオーストリア愛国主義団体と交流しながら『ゲルマニア』という名の週刊新聞発行を企画している。この新聞はドイツ解放運動の機関紙となるはずであったが、オーストリアの無条件降伏のせいでこの企画は実現しなかった。この新聞には彼のいわゆる政治的著作『この戦争はどうなるか』『ドイツ人のためのスペインを手本とした大人も子供も使える教理問答』『フランスジャーナリズムの教科書』、風刺詩にして頌歌『ゲルマニア女神がその子に向かって』などが発表されるはずであった。 1809年11月から一ヶ月彼はフランクフルト・アン・デア・オーダーに帰省したが、その後ベルリンに帰ってからは死に至るまでベルリンで過ごした。 9 ベルリン時代 ベルリンでもクライストは多くの人と知り合った。クレメンス・ブレンターノ、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ、ヴィルヘルム・グリム、カール・アウグスト・ファルンハーゲン・フォン・エンゼ、ラーヘル・ファルンハーゲンなどである。これらの人々ともにクライストは「キリスト教的ドイツ晩餐会」のメンバーとなった。1810年4月短編集が発行され『ミヒャエル・コールハース』『O公爵夫人』『チリの地震』が収録された。また9月には『ハイルブロンのケートヒェン』が発表されたがベルリン劇場の監督イフラントはその上演を拒絶した。 『フェーブス』の休刊ののちクライストは新聞発行を企画し、1810年10月1日『ベルリン夕刊新聞』が創刊された。この新聞は地域のニュースを毎日配信したがその目的として掲げたのは全階級の国民に娯楽を供すること、および国民意識の涵養であった。寄稿者には「ドイツ晩餐会」のメンバーに加えて、エルンスト・モーリッツ・アルント、アーデルベルト・フォン・シャミッソー、フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー、フリードリヒ・アウグスト・シュテーゲマンなどがいた。クライスト自身も『ゾロアスターの祈り』『世界情勢の観察』『ある画家がその息子に宛てた手紙』『最新教育計画』などの記事を掲載している。とくに『マリオネット劇場について』は有名。また、一般の読者にとって特に興味深かったのは最新の警察による発表が掲載されることだった。 しかし1811年春にはこの新聞も厳しくなった検閲のあおりを受けて廃刊となり、プロイセン当局への就職の見込みもふいになったクライストは生活のために書くことを余儀なくされ、1809年から書いていた戯曲『ホンブルクの公子フリードリヒ』を完成させたが、これは1814年までフリードリヒ・ヴィルヘルム3世によって上演を禁じられた。また、このころ『ロカルノの女乞食』『サントドミンゴの婚約』を含む第二の短編集を出版した。 「ひどく傷つき、窓から鼻をつき出しているときなど僕の上に注ぐ日の光が痛いと言ってもほとんどいいくらいです」(1811年11月10日マリー・フォン・クライスト宛) 生活は苦しく、世間からも認められないクライストは自殺を決意し、癌を患った人妻ヘンリエッテ・フォーゲルと共に1811年11月21日ポツダム近郊のヴァンゼー湖畔でピストル自殺した。 邦訳と邦語文献 『クライスト全集』(全3巻、沖積舎) 『クライスト名作集』(白水社) 『全訳クライストの手紙』(東洋出版) 浜中英田『クライスト研究』(筑摩書房) 福迫佑治『クライスト その生涯と作品』(三修社) 中村志朗『クライスト序説 現代文学の開拓者』(未来社) 高山秀三『クライスト 愛の構造』(松籟社) 参考資料:ウィキ:クライスト(若干修正)
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1 クライストとは ハインリヒ・フォン・クライスト Heinrich von Kleist (1777年10月18日-1811年11月21日)はドイツの劇作家、ジャーナリスト。 直情奔放で極端に走る性格は当時の社会と馴染まなかったが、その作品は20世紀に入ってから評価が高まり、現代ではドイツを代表する劇作家の一人に数えられている。 2 家族 ハインリヒ・フォン・クライストは1777年10月18日(クライストは10日と書いている)フランクフルト・アン・デア・オーダーで代々続く「軍人」の家庭に生まれた。 クライスト家の出自は、ポンメルンの古い貴族に由来している。17世紀以来クライスト家は44人の将軍を輩出する名門であり、祖父エーヴァルト・クライストは軍人でありながら同時に詩人でもあってレッシングと交友があった。また親戚には、夭折し、今日では作家として忘れられているが、フランツ・アレグザンダー・クライストがいる。 クライストの父、ヨアヒム・フリードリヒ・クライストはフランクフルト駐屯地の歩兵連隊司令部付き大尉だった。彼はカロリーネ・ルイーゼ(旧姓ヴルフェン)との最初の結婚でヴィルヘルミーネ(愛称ミネッテ)とウルリケをもうけたが、後年この二人の姉にクライストは特に親しんだ。1775年父ヨアヒムはユリアーネ・ウルリケ(旧姓パンヴィッツ)と再婚しフリーデリケ、アウグステ・カタリーナ、ハインリヒ、レオポルト・フリードリヒ、ユリアーネ(愛称ユルヒェン)をもうけた。 3 教育と軍隊時代 1788年に父ヨアヒムをなくしたクライストはベルリンの寄宿学校で教育を受けた。1792年7月からクライスト家の伝統に従ってポツダム近衛連隊に入営し、フランス革命に対する干渉戦争に従軍して少年兵としてライン地方で戦った。(フランス革命:右翼左翼#2) 1795年になるとクライストは軍隊生活に疑いを持つようになったが、なおしばらく兵営に留まり1795年に士官候補生、1787年少尉に任官している。しかし個人的には終生の友リューレ・フォン・リリーエンスターンと共に数学と哲学を学び、いずれは大学へ進学する つもりだった。 1799年3月には我慢のならない軍隊生活を放棄し、家族から反対を受けた人生計画、つまり富でも地位でも名声でもなく精神の修養を積み学問的研究を送るという計画を周囲に明らかにした。 4 研究と最初の就職 軍隊を去ったクライストは1799年4月から生地フランクフルト・アン・デア・オーダーのヴィアドリーナ大学で数学と物理学、文化史学、ラテン語、そして家族を安心させるために官房学(官吏として働くために必要な知識をまとめた学問)を学んだ。クライストが特に興味を持ったのはクリスティアン・エルンスト・ヴュンシュ教授による物理学の講義で、クライストは彼による実験物理学の個人授業も受けている。この時代の多くの作家にとってそうであったのと同じように、自然科学は彼にとって啓蒙主義的に自己と社会・世界を知る客観的な手段であった。しかし希望を持って学び始めたクライストはすぐに書物によって得る知識に満足できなくなった。このため彼は飽き足りない思いにみまわれていたものの、このような態度は彼のいた環境では多くの理解を得ることはなかった。同じ1799年クライストはヴィルヘルミーネ・フォン・ツェンゲと知り合い、翌1800年始めには彼女と婚約している。 5 婚約者ヴィルヘルミーネ・フォン・ツェンゲ 1800年クライストはわずか3学期学んだだけで大学を離れ、ベルリンのプロイセン財務省で実習生として働き始めた。これは彼の「精神修養を積む」という人生計画には反しているが、この背景には婚約したヴィルヘルミーネの家族からの官僚になってほしいという期待があった。1800年夏には財務省のために、おそらくは産業スパイのようなものだと思われるが、秘密任務を引き受けている。 (*ドイツの行政は→ 行政#1) この職業的、社会的、個人的な悩みを彼は次のように書いている。 「人生は難しいゲームです。…なぜなら人は絶え間なく常に新しいカードを引かねばならず、しかもどのカードが切り札なのかは分からないからです。」(1801年2月5日姉ウルリケ宛)
この悩みは、おそらくカントの『判断力批判』を読んだこと、いわゆる「カント危機」を背景に深まった。カントの啓蒙主義の楽天的見解に対する批判はクライストの単純明快な理性への信頼に基く人生計画を一夜にして打ち砕いてしまった。 「我々には真理と呼ばれているものが本当に真理であるのかそれとも我々にそう思われるだけなのかを区別することはできません。…僕の唯一最高の目的は沈んでしまい、僕には最早なにもありません-」(1801年3月22日姉ヴィルヘルミーネ宛)この危機から逃れるためにクライストは旅行を思い立った。
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