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文京区小日向2丁目19番と21番の間にある直角に折れ曲がった急坂 鷺坂。江戸時代、この上の坂上一帯は徳川幕府の老中を勤めた下総国関宿藩主 久世大和守の下屋敷があり「久世山」と呼ばれ、明治維新後は草原となっていた場所だった。
大正時代になって住宅地となり、「堀口九万一」、その子「堀口大学」、「三好達治」「佐藤春夫」ら文学人が住んだところで、彼らによって、山城の国(現 京都府)にある「久世の鷺坂」になぞらえて、「鷺坂」と名づけられたといわれます。
 
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下からです。写真でも急坂ということが分りますよね。正面に見えるところに鉄製と石製の坂標があリます。
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坂を曲がって上からです。坂道左側に坂標が見えます。
 
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坂標には「この坂上の高台は、徳川幕府の老中職をつとめた旧関宿藩主・久世大和守の下屋敷のあったところである。そのため地元の人は「久世山」と呼んで今もなじんでいる。 この久世山も大正以降は住宅地となり、堀口大学(詩人・仏文学者 1892〜1981)やその父で外交官の堀口九万一(号長城)も居住した。この堀口大学や、近くに住んでいた詩人の三好達治、佐藤春夫らによって山城国の久世の鷺坂と結びつけた「鷺坂」という坂名が、自然な響きをもって世人に受け入れられてきた。
 足元の石碑は、久世山会が昭和7年7月に建てたもので、揮毫は堀口九万一による。一面には万葉集からの引用で、他面にはその読み下しで「山城の久世の鷺坂神代より春ハ張りつゝ秋は散りけり」とある。
 文学愛好者の発案になる「昭和の坂名」として異色な坂名といえる。」とあります。
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石製の坂標の正面です。
 
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石製の坂標の左側です。
 
石の坂標には
   [正面]   鷺坂
   [右側面] 山城久世乃鷺坂自神代春者張乍秋者散来
   [左側面] 山城の久世の鷺坂神代より春ハ張りつゝ秋は散りけり
   [裏面]   昭和七年七月 久世山會建之 
 ここに彫られている歌は、柿本人麻呂の詠んだ歌で、万葉集巻9-1707に収められています。この他にも万葉集には鷺坂を詠んだ歌があります。久世は現在京都府城陽市内にありますが、これらの歌に詠まれた鷺坂の位置についてはいくつかの説があるようです。
 
                                           以上
2013.9.15
 

 
 

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私も行ったことがあります。
ホント、急なんですよね。
谷の深さを実感しますね。

2013/9/15(日) 午後 0:13 [ osampo-ojisan ] 返信する

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