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私たちが日々の生活の中で感じている制限。その制限の正体は一体何なのかをまず理解する必要があります。普段感じている、環境や状況によって与えられる制限には、どのようなものがありますか? やりたいことや、こう在りたいと願う状態に対して、何が制限になっているか一度書き出してみてください。 人によって制限される人間関係の制限? 収入によって制限されるお金の制限? 仕事によって制限される時間の制限? 住環境や家族によって制限される生活の制限? 社会の仕組みによって制限されるあらゆる制限? 様々な制限が存在していると思います。 しかし、これら外的制限の本当の原因は、内的制限。つまり全ての制限が自分の頭の中にあることを理解しなければ、いつまでたっても本当の自由を手に入れることができません。 先日友人と話していて、少し驚いたことがありました。私は「自由」と「制限」についての捉え方が、他の多くの人と全く違っていたこと。どおりで、「自由に生きる」と言うコンセプトのメッセージを発信したときに、本当の意味がなかなか伝わらないのだと理解できました。 いつも語っているクリエイションの原理である、ツクリウム理論でも伝えていることですが、その違いは本当にゼロベースで物事を考えているということです。全ての大前提に疑問を持って生きていると言う感覚でしょうか。 多くの場合、選択する自由のことを自由と感じているとすれば、私のいう自由は、創造する自由。つまり既存の選択肢の中には、自由を感じることができないという感覚です。 私のいう自由の感覚は、「自由の向こう側」の感覚に近いのだと理解できました。人間として生きる中で大前提として存在している全てが私にとっては制限と感じてしまいます。 そして、その大前提を越えるために、日々様々な原理を探求して実験しています。それが私の人生のような気がします。 1日がなぜ24時間と思い込まなければならないのか?「時間」の外側に出る方法はないのか?なぜ、意味のないところで悩まなきゃいけないのか?なぜ積み上げる方法でしか実現できないと思わなければならないのか? ルールに従うというルールはいつ決まったもので、なぜそれに自分が従わなければならないのか?なぜ悩まなければならないのか?なぜ重力に縛られなければいけないのか? 誰かが決めた金額で生活しなければならないのか?なぜ人間として生きねければならないのか? そんな感覚が私の大前提であったため、学校や職場などは本当に辛いものでした。宇宙的原理と出会うまでは、完全な社会不適合者だったように感じます。 「仕方ないこと」と言うものはこの世にはない!と言う考えがいつも大前提にあり、自分が望まない生き方からどうやって出て行くのかを探求した結果、形而上学や宇宙の原理に出会いました。 だからこそ、そういったものを学んでいる人が、何らかの状況に対して「従う」ことや、「仕方ないと思う」ことを行なっている姿を見て驚きを隠せませんでした。なぜ、その大前提を書き換えルことができる方法を、知っているのに使わないのだろう?そう思っていました。 私は必死で自分が感じていた「人間としての大前提」という制限の外に出るために、毎日沢山思考し、沢山の原理を学び、24時間常にこの実験を行いました。 「人間として普通に生きる」という状態が、まるで毎日拷問を受けているように感じる自分にとっては、そうするしか、精神をまともに保って生きることができなかったのだと思います。 私にとっては「人間である」という生き方が、強烈な制限そのもので、それはこれまであまり誰にも理解されないものでした。だからこそ、突発的な行動をする人に見えたり、集団の中で協調性を持てず、場を乱したりするように見られることもありました。 多くの人の言う「人間として自由である」状態では、私にとっては身体中に鎖を巻かれ、地下30階にある牢屋に閉じ込められ、その扉を土で埋められているようなほどの極限の感覚。 昔からそんな感覚だった私は、周囲の人もきっと、本当に苦しい悲惨な思いをしながら、仕事をしたり、時間に縛られたり、体に縛られたりしているのだと思い込んでいました。 だからいつも、制限から出れずに困っている人には、自分が実験で上手くいった、制限の向こう側に出る方法を、愛を持ってワクワクしながらシェアしていました。 しかし、ほとんどの場合、自由になる方法を伝えると、その相手は逆に追い込まれていってしまいます。鎖を解いて、地下30階の牢屋から出る方法を教えているのに、人は追い込まれてしまうのか?それを理解できたのが、やっと昨日のことでした。(笑) 私が感じている牢屋から出て自由になると言う方法は、「人間をやめる」と言う方法なのだと。最短距離で自由になる方法は、これまでの人類の、「大前提」の外側に出る方法。つまり、人としての基盤が全て崩れるような感覚を感じるのだとようやく理解できました。 子供の頃には通用した、全ての前提を覆す感覚は、大人になった今、最も覆すことのない基盤になってしまっているのだと感じました。 「由迦ちゃんはもともと、その他大勢の1人と言う感覚がないのが特徴だね!と言う言葉をかけてくれた、友人の伝統神秘学研究家の岡崎直子ちゃん。彼女の今連載している記事の中でも女神イシスの女王レッスン〜豊かさ編〜の中で書かれている豊かさの器の話が、ちょうどリンクしているなと感じています。 その中の言葉を借りれば、「唯一の神」と「無数の人間たち」と言う感覚がいわゆる人間の大前提。 その感覚が、全ての越えてはいけないルールに対し、疑問を持つこともなく暗黙の了解で従っていることにも気づかず、生きていると言う感覚そのものです。 重力や時間があるって、誰が決めたんだ!なんで私がそれに従わなければならないんだ!という私にとっての自由は、「自分という神」にとっての、「たった一人の人間」という感覚で生きているから起こることなのだと思います。 自分以外の誰からも何からも支配されることも、制限されることもない状態。それが自由の向こう側。本当に幸せになりたいなら、本当に自分らしくありたいなら、本当に自由になりたいなら、そして、本当に平和な世界に生きたいなら、今思っている全ての幸せや、自分らしさや、自由や平和のイメージを捨ててください。 今既にそうなっていないのであれば、自分にとっての本当の幸せや自由は、そのイメージの外側にあるのだと思います。自由の向こう側に出ることを促すと、人は恐れを感じます。人間として間違っているのではないか、と考えるからです。 では、その「人間として」と言うルールに、なぜ従わなければならないのか?そこに疑問を持ってください。 そこで大事なのは、自分で自分に課した制限によって、溜め込んだ抑圧を爆発させる言い訳として、制限の外に出ることを利用しないこと。最初に自分に課した制限を外すことが、自由の向こう側であり、溜め込んだ抑圧を爆発させているのは、制限の内側で起きた暴走にすぎず、本当の自由を得ることはできません。 双子座の新月はまさに、自由の向こう側へ出る始まりのタイミング。これまで思い描いていた限界点、して世界のふちの外側に出るようなパワーに満ちています。 子供のように全てに疑問を持ってください。なぜ嫌なことを受け入れなければならないと思い込んでいるのか。その理由は誰が決めた何なのか。一見正しいように感じるその理由に、なぜ従わないといけないように感じるのか。 そこを問いただすと、倫理観や道徳心、と言う暗黙のルールである「唯一の神」とも言える何らかの監視の目に怯えている自分に気づくことができます。 私たちを見ているのは、愛の眼差しを持った、自分自身だけであるべきです。自分以外の誰かや何かや、何らかの圧倒的ルールのようなものに監視されては、本当の幸せや自由はやってきません。 自由であるために。自由の向こう側の本当の自由を生きるために、その外側に出ることを後押しする、双子座の新月の持つパワーを使っていってください。 加藤由迦>http://ameblo.jp/kolob/entry-12277871473.html |

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