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私は基本、他人からの要望を断ることが出来ない人間だった。
自分の事を棚に上げてでも、他人の要求を優先させるように
躾けられて育った。(実際は虐待による洗脳だったけど)
他人の要望を断ることは、罰を受けることにつながっていたし、
自分の存在価値がなくなることだと信じていた。
長い治療や学習の結果、それが間違いだと気付き、
自分で決断し、選択できるのだと理解した。
だが実践してみると、これがなかなか難しく思うように自分らしくいかない。
「NO」と言うストレスと、自己否定感が私を苦しめ続けた。
でもやっと変えられそうです。
他人のために自分を犠牲にすることに対して、ストレスを感じられるように
なったからです。「何で私だけが我慢しなくちゃいけないんだ」と
考えられるようになったからです。
「NO」と言うことにまだ慣れていないから、しばらくはモヤモヤした日々が
続くかもしれませんが、出口は見えてきた気がします。
長い長い時間がかかりました。
また少し前進できそうです。
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自分ルール
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以前から旦那に「自分のためだけに時間を使って。」と言われていた。
今までは「それってわがままで、自分勝手で、無責任なことだよな。」
と思っていた。
昨日庭の草を少し取ろうと思い外に出た。
「よし、1時間だけがんばるぞ。」と自分に気合をかけ、黙々と作業した。
草をとりながら「さっき何で時間を決めたんだろう。」と疑問に思い考えた。
「後でピアノを1時間練習しようと思ったからだ。」と思い至った。
そしたら旦那が言ってたことが少しわかった気がした。
自分のためだけに時間を使ってと言うのは、自分の責任で自分の思う通りに
日々の生活を大切に送りなさいという意味なのかなって感じた。
決して「自分勝手にしたいことだけしていいよ。」と言うことではないんだ。
仕事をしていない私は、どうしても家事優先で家族の用事を優先しようとする。
自分が生きて、生活しているのも誰かの許しを得なければいけないと思ってしまう。
負い目があるせいだ。
自分の楽しみや、やりたいことはどうしても後回しにしてしまう。
そうではなくて、家事も自分の楽しみも自分で決めて自分で行動する。
そうすることで毎日が生き生きとしてくる。
何かに追い立てられるのではなく、自分が主体で時間を使う。
たぶんきっとそういう事なんだと思った。
こんな自己肯定感が上がるような気付きをもっともっとしたい。
こんなパワーがDV元旦那と闘うときに力になってくれると思う。
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「てきとうなくらいが丁度いいんだよ。」と
長女がお弁当のおかずの味付けをしながら言っていた。
まだ基本もできていないうちに何を生意気な と思いながらも、
「てきとう」と言う言葉に反応していた。
「てきとう」=「中身のないだめなもの」
てきとうな人間はだめな人間だと親から再三言われてきた私は、
「てきとう」と言う言葉は悪い意味の言葉としか感じていなかった。
でも考えてみると、「目分量」とか「さじ加減」とか「あしらう」とか
「てきとう」につながる言葉はたくさんあって、それもいい意味で
使われている時もある。
いつも全力で、真面目に対応するばかりでは、
自分を追い詰めてしまうのかもしれない。
TPOや相手によって、自分の対応を自在に変えられたら
きっともっと生きやすくなるんだろう。
「てきとう」は、悪いことばかりではないと、私の辞書を訂正しておこう。
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その時間の長さに関係なく、1日の中でボーっとする時間、
何もしない時間が持てるようになった。
ほんの一瞬の時もあるし、数分の時もあるけど、
心と体が、癒される気がする。
以前から旦那からそう言った時間を持つように言われていた。
でもそれを受け入れられなかった。
時間がもったいない、怠けていると自分自身を責める材料にしかならなかった。
やっと最近になって、その時間の大切さを実感できるようになってきた。
逆にそう言った時間を持てるようになって、よけいに時間の大切さが
身に染みてわかるようになってきた。
「何もしない時間」は人生にとって必要な時間だと思う。
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少し前になりますが、ある本の中で読んだ言葉です。
「生きている時間の中で、変えられるチャンスがあるのは『今』だけだ。」
過去は変えられない。未来を変えるための行動は、大事だけど、
100%予想通りの未来なんて作れない。
生きている時間の中で、変えられるチャンスが一番大きいのは、
「今」だけだと言うことでした。
それを読んだときは、そんなものかなっていう感じでしたが、
現在はそのとおりだなって思っています。
自分を変えられるのは自分だけだし、そのチャンスは今しかないんだって
思うようになりました。
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