さつきのブログ「科学と認識」

福島第一原発、アンダーコントロールで、わざと昨年の2倍の放射能を放出か

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8. 観察と帰納、および自然の現象学

 歴史科学の中には、結果から原因を推定するインバージョン(逆問題解法)とよばれる方法論を意識的に追求することで近代化をなしとげた分野もある。例えば、過去の津波被害のデータを基に、その被害をもたらした地震の震源地や震源過程を、コンピューターシミュレーションによって遡って特定するというような(津波インバージョンと呼ばれる)方法論である。このような複雑系を扱う科学にはある共通した特徴がある。複雑系とは、現象の途中経過がシステムに影響するというような非線形過程と言い換えても良い。こうした問題にインバージョンを適用する際には、最低限必要な、独立した事象についての観察事実の数が、インバージョンモデルの理論の性格によって決まる。そして、その最低必要な数を超えて観察事実が増えるほど、原因となった事象についての特定精度が上がるという特徴がある。

 このように、コンピューターを用いたインバージョンによって過去の事象を再現するというような研究スタイルは、ポパーが反証科学哲学の構築に向けて歩み始めた時代には存在していなかった。いずれにしても、歴史科学にとって学説の優劣を決めるひとつのポイントは、その学説を構築するために用いられた観察事実の質と量であると言えるであろう。観察(観測)という行為は、現代の科学一般にとってもあい変わらず最も重要な営みであることも事実である。ところがポパーは「観察の知識(理論)負荷性」原理などから、観察を基礎とする方法論としての帰納法を否定した。別の言い方をするなら、ポパーは、観察を基礎とする方法であってもそれを「帰納法」と称してはならないと断じた。しかしそれは、ポパーの帰納法の理解そのものが誤っているのだ。そもそもなぜ、帰納と演繹という概念が生まれたのか。

 純粋に演繹的な推論は、既知の法則から出発して論理思考の積み重ねのみによって新たな法則を導きだす。一方、帰納法の基礎である生の自然(現象)を観察するという行為も、知識(=先入観=既知の法則)を媒介としてある種の判断が得られるという点で、たしかに演繹的な側面を有している。しかしそれは必要条件ではあっても、それだけで観察という行為による認識のプロセスを説明するには十分ではない。自然(外的世界)の認識は、古来より多くの哲学者や心理学者が語っているように、いろいろな段階を経て成し遂げられる筈のものだ。感覚・知覚の作用の後には情報の組織化の作用が必要になる。この二つの段階を受け渡す原理としてフッサールが彼の「純粋現象学」の中で解き明かした「理念」の態様は、遡ればプラトンの「イデア」に源流を求めることもできるであろう。

 フッサールは、外的(客観)世界が実在するという信念が正しいかどうかについての判断を保留しても、その信念がどこから生まれるのかを記述することは可能で、そのことによって、人間の世界(自然)認識のしくみを解き明かすことも可能になると考えた。純粋意識の中でおこる世界認識にかかわる作用として、外的刺激によらずに何がおこりうるか。例えば、人が実在の物体とは何の関わりもない点、線、面などの図形の概念を持ちうるということ、その図形の学である幾何学が実在する物体の運動について純粋な記述でありえるということ、人がそれらの概念を共有できるということ、例えば「三角形」が、サイズや形の違いによらず、誰によっても同一の概念像を形成しうるということ等々・・・。フッサールは、このように実在の物体や知覚された像とは無関係に、誰によっても誤解の余地無く同一のものと認知されうるような対象概念を、純粋意識の与件としての理念の一つの態様と考えた。こうした純粋意識の機能の観察にとって、人が持ついろいろな先入観は大きな妨害要素となるので、客観的世界が実在するというアプリオリな信念についての判断停止をもとめたのだ。

 結局、「観察」という行為を通しての世界認識を素過程へ分解したとき、純粋意識の中に立ち現れる知覚や像から人として共有可能な対象概念を生み出すためには指向性と対象性を備えた「理念」の態様が要請される。「事実」の概念からなる集合が任意の「理念」によって関係づけられたものを「構造」と呼ぶなら、その「構造」そのものもまた「理念」の態様に他ならない、とフッサールは考えた。こうした発想法は、「現象学的還元」という言葉が示すように、先に述べたインバージョンと同じ性格のものである。

 私の理解によれば、フッサール現象学の正統な後継者は「身体論」を構築したメルロ=ポンティだ。二人は、概念理解が言葉を媒介としてなされるとして、新たな言葉が誕生する現場、その瞬間に光を当て、「理念」のふるまいと世界(自然)認識におけるその意義を解き明かした。ポパーの科学哲学が、既に言葉が存在して表現されている概念についてのみ問題にしているのと対照的である。ポパーは、自然科学そのものが、新たな言葉の誕生(概念理解)を目指して、人々に共有されている「理念」を足がかりに言語化される以前の生の自然と直接触れ合ってきたことを理解していなかったように思われてならない。科学の世界では、まさにこのような態度を「帰納法」と呼んできた。

9. 仮説構築プロセスの科学性

 このように、純粋に演繹的な推論と異なって、帰納法は、感覚・知覚の作用を出発点とする人間的自然(外的世界)認識のプロセスを必然的に伴うものである。私は、帰納法は、ポパーが言うようには軽々しくは否定できないもので、むしろ科学活動の本質を表現したものに他ならないと考えている。そこで、出来合の理論や仮説が「科学的」なものかどうかを論じたポパーの視点から一端離れよう。その上で、仮説構築のプロセスや学説の論理構造について、その正統性なり「科学性」なりを吟味することが可能であるということを確認しよう。ここで、現代科学の現場において「科学的」という概念がどのように捉えられているかを、私なりに次のように整理したいと思う。

1) 根拠(証拠)として挙げられる事象に再現性がある(第三者による検証が可能)
2) 推論に論理的な誤りがない

 1)は帰納的なるもの、2)は演繹的なるものについての評価というわけである。このように書いてしまうと、ウイーン学団の「論理実証主義」へ先祖帰りしたような古臭い考えだと思われるに違いない。しかし、この2つの条件を満たせばとりあえずは「科学」として受け入れてもらえるというのが現代科学の現場の実態なのだ。特に観察事実や実験結果の再現性は重要で、「常温核融合騒動」や、いろいろなねつ造疑惑の問題などでは、もっぱらこの点に注目が集まった。実際に、自然科学の学術雑誌の査読過程では結論の反証可能性が問題になることはほとんどなく、むしろ証拠の再現(検証)可能性の方が重要視される。

 さて、例えば条件1)について、証拠の収集に恣意性がない、証拠の質(精度)と量が推論に必要な条件を満たしている、などといった付帯条項を挙げることもできるが、それらは全て条件2)の方に含めることができる。そう考えるとこちらはやっかいで、実際にかなりの曖昧さを含んでいる。この曖昧さもまた、人のなせる科学の本質であり、社会と科学の関係を議論するのに重要性をおびてくると考えられるので、後にもう一度ふれることにしよう。

 ポパーが反証(主義)科学哲学を構築して世に認められた頃、これを意識しながらも、まったく別の観点から科学的認識についての学説を唱えたのが武谷三男氏である。ポパーのそれと好対照と思われるので要点だけを紹介しておく。

10. 武谷三男の「三段階論」と帰納法の復権

 理論物理学者であり、自然哲学者にして社会運動家でもあった武谷三男(たけたに みつお)氏(1911〜2000)は、自然の法則的認識は、1)現象論、2)実体論、3)本質論の三段階を経て深化していくと考えた(武谷の三段階論)。武谷氏は『現代物理学と認識論』の中で、「すなわち物理学の発展は、第一に即自的な現象を記述する段階たる現象論的段階、第二に向自的な、何がいかなる構造にあるかという実体論的段階、第三にそれが相互作用の下にいかなる運動原理にしたがって運動しているかという、即自かつ向自的な本質論的段階の三つの段階において行なわれることを示した。」と述べている。武谷氏の「現象論的段階」は、情報を収集・整理して、その中に表層的な規則性を発見する帰納法の手続きの段階と言い換えて良いだろう。

 武谷氏の主張は明快である。「全ての研究は、この三段階を経て完成される。現象論が成熟していないのに実体論をやると失敗する。実体論が完成していないのに本質論をやると失敗する。問題はその際、必ず野心家が居て、十分な段階に達していないのに既に本質論にかじりついている者が少なくないという現実である。そこで、負けず嫌いの者(多くの研究者)は、先を越されまいと我先に本質論に飛びつくことになる。そこを見極めなければならないのは、研究の入り口に立ったばかりの者にとってはかなりの程度の困難を伴う。結果的に、多くの場合、現象論がおろそかになってしまう。そういう意味でも、かえって現象論的な研究は、確信と熱意を持ってなされなければならない。」
(この括弧書きの部分は私の古いノートにあるメモからとったものであるが、今となっては引用元がわからない。)

 武谷氏は1934年に京都大学を卒業後すぐに湯川秀樹・坂田昌一氏らと共に「中間子理論」の研究をしていて(1934年〜1940年)、その過程で1935年「世界文化」同人に参加し、三段階論に関する諸論文を発表してる。また、この論考は既に、彼の卒業論文の中にその萌芽が現れているそうである。重要な事は、湯川秀樹の中間子理論は、坂田、武谷両氏との共同研究の成果であって、その研究の指針として三段階論が極めて有効に活用されたということである。現在の物理学界では、武谷氏の三段階論が湯川氏のノーベル賞受賞の原動力であったという認識はゆるぎないと思う。

 武谷氏の三段階論の研究は、それまで哲学者によって生み出されたいかなる認識論も、自然法則の認識の深化に何の訳にも立ってこなかったという反発から開始されたと言われている。そして、彼は見事に新しい認識論を完成させ、実際にこれによって華々しい成果が生み出された。それゆえ武谷氏は「(自分の信じる)一つの認識論を主張する人は、その認識論をあらゆる局面にわたって馬鹿正直に適用する」ことを求め、世の中に流布している間違った認識論はその過程で淘汰されると主張した。
(つづく)

参考文献
3)『自然の現象学 −メルロ=ポンティと自然の哲学—』加國尚志著、2002年、晃洋書房

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閉じる コメント(9)

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武谷氏の「全ての研究は、この三段階を経て完成される。」説は、このとおりですね。
なお、科学の定義は、この世界の成り立ちと仕組みを自然法則+エネルギー一体不可分の働きで説明し尽くそうとするものです。
帰納法も演繹法も、このことが大前提になります。
正確には、自然法則+エネルギー一体不可分の働きを基にして天然自然の存在の創造主である神を発見して、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで人間存在の存在目的と生き方の原理も含めて、この世界の成り立ちと仕組みを説明するのが、自然科学の目的です。

http://blog.goo.ne.jp/i-will-get-you/
一般法則論

2008/5/17(土) 午前 3:38 [ 一般法則論者 ]

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ここまで、全文を読ませていただきました。
自説の説明で手一杯なものですから、このような論文はとても有り難く思います。
感謝し、お礼を申し上げます。
http://blog.goo.ne.jp/i-will-get-you/
一般法則論

2008/5/17(土) 午前 4:14 [ 一般法則論者 ]

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さつきです。
一般法則論者さん、およりいただきありがとうございます。
「エネルギー一体不可分の働き」というのは、「自然法則」に含まれませんか?
「天然自然の存在の創造主である神」の存在へのゆるぎない信念がどこから生まれるのか興味があります。
私にとっての「神」は自然そのものです。

2008/5/22(木) 午前 0:16 [ さつき ]

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三段階論と湯川理論の関係ですが、広重徹さんの武谷三段階論の批判がありますが、それをどう読まれていますか。湯川理論というとき第一論文は武谷の三段階論とは関係なくできたと思うのですが、第二論文以降は武谷三段階論の支持を受けていたと思います。武谷は第三、第四論文の共著者ですから。私の現在の見解は「徳島科学史雑誌」に投稿中です。

2009/10/12(月) 午後 7:59 [ あおやま ]

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あおやまさん、コメントありがとうございます。
恥ずかしながら、私は広重徹さんさんの武谷三段階論の批判記事を読んだ事がありません。ここに書いたものは、院生の頃、私の恩師が主催していた科学論の勉強会の場で学んだこと、板倉聖宣さんの講演録、それから、かつて日本物理学会のウェブサイトに50周年記念企画としてアップされていた記事などを参考にしたものです。

勉強会では、テキストとして「世界文化」に発表された論考のブルーコピーを使いましたが、それも紛失して今は手許には原著は一つもないという有様です。当時のノートだけが頼りです。

しかも当時は、私自身武谷三段階論の重要性に全く気づいていませんでした。「実体論」というのが難しく、その位置づけが理解できなかったからです。また、私は物理学が専門という訳でもないので、特に「実体論的認識」というものが、いかにして湯川の中間子論を発展させたのかについても言及する能力はありません。
(つづく)

2009/10/13(火) 午後 11:03 [ さつき ]

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私は、大学に職を得た後、実際に自然科学の研究をやるようになって、武谷理論の重要性を再認識するという経験をしました。武谷三段階論は一般に「認識論」として扱われていると思いますが、私は、私の経験を通して、これは哲学上の「認識論」ではなく、自然科学をなす上での「方法論」だと考えるようになりました。

たまたま、私の研究分野(「複雑系の科学」と一括りにしておきましょう)が、この「方法論」を有効に活用するに相応しいものであったということかもしれません。もしそうなら、下手に使っては、あるいは相応しくない課題に無理矢理適用してしまっては有効性に乏しいということもあるのではないかと思います。そうした「普遍性」にかかわることを突き詰めたくて、武谷さんの原著を入手したいと切望しています。

なにしろ物理学界とは違って、私の周りには武谷三段階論を知らない者ばかりなのです。文献の入手方法などお教えいただけましたら幸いです。

2009/10/13(火) 午後 11:06 [ さつき ]

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さつきさんのこのブログはなかなか密度とか程度が高くてすばらしいブログと思っていたのです。私もブログをもってはいますが、さつきさんのブログとは比べものにならないと感じています。

ところで広重徹さんの武谷三段階論は批判ですが、「歴史と科学」(みすず書房)の「科学史の方法」という章に出ています。私自身のこの批判についての考えはいまのところ、この批判はあたっているところもあるかもしれないが、全体としては的外れなのではないかという気がしています。しかし、なおよく検討してみる必要があると思います。

また、また武谷の著作は殆どが武谷三男著作集と武谷現代論集(勁草書房)に収録されて出されています。また、「現代の理論的諸問題」(岩波書店)もあります。私は素粒子の研究者として出発をしましたが、途中で落ちこぼれてしまい、定年退職前は数値解析的な仕事をいくつかしていました。

ともかく武谷三段階論はうまく使えば大いに役立つのではないかと思っておりますが、どうも力量不足でこれによって研究を進めるということは現実にはできなかった。

2009/10/14(水) 午後 6:22 [ あおやま ]

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あおやまさん、武谷三男著作集などamazonで中古が見つかり、早速いくつか注文しました。ありがとうございました。こんなに簡単に手に入るとは、少し拍子抜けしてしまいました。何しろ、私の今一番の関心事ですが、ちゃんと勉強したことがないのです。
あおやまさんのブログも、武谷三男で検索してウェブ中を彷徨っているうちに見つけ、わくわくしながら読ませていただきました。
今年の夏は、広島ですれ違っていたかもしれませんね。今後ともよろしくお願いします。

2009/10/15(木) 午前 0:04 [ さつき ]

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昨日の広重徹さんの本の題目は「科学と歴史」でした。訂正します。

さつきさん。こちらこそよろしく。それから遠山さんの紹介もブログでされていますね。わたしも彼のファンの一人です。

2009/10/15(木) 午後 0:51 [ あおやま ]


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