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この記事は、私のブログコメント欄においで下さる、Chochonmageさんのナイジェリア滞在記に触発されて書いたものである。先ずは、下記から始まるシリーズをお読みいただきたい。
http://chochonmage.blog21.fc2.com/blog-entry-17.html
私は、ロシア辺境の地に、都合4回、延べ6ヶ月ほど滞在したことがある。思えば、私には日記を書く習慣というものがなく、この年になるといろいろと体験した記憶もぼんやりとして、それが悲しい。という訳で備忘録に加えておきたいと思い至った。何年ものナイジェリア駐在の経験を基に書かれたChochonmageさんの記事とは比肩すべくもない。ここに書いたことは、実際に見聞したことではあるが、片寄った情報にすぎない。
さて、導入として写真を一つ。このニヤけたむさ苦しい男の写真は、ロシアの10才程年長の友人の秘蔵の品であったのを、私が帰国後にスキャン画像をメール添付で送ってもらったものだ。その道(どの道?)のツウならすぐに分かる筈。今は亡きこの人物はアルゼンチン人であるが、ロシア人だけでなく日本人にもファンは多い。(追記:当初アメリカ人と記していましたが、私の勘違いで、正しくはアルゼンチン人です。2009年1月26日)
私のロシア訪問は、時期的にはソ連崩壊の混乱が尾を引いていた97年が最初で、昨年が最後である。これまで、いろいろな国の同業者と仕事の上で生活を(時には生死を)共にしたことがあるが、ここでは本業に直接かかわることは書かないことに決めている。それはともかく、私にとって一番気が合うのはロシア人で、次は韓国人とイタリア人。もちろん個人差があるので一概には言えない。総じて言えばロシア人はシャイで、親切で、遠慮深く、時には熱くなる。つまり、演歌調な訳である。演歌調でも「肴は炙ったイカでいい」の方。
取りあえず、私が印象深く思ったことを箇条書きにまとめることから始めよう。
●ゴルバチョフ
日本人に人気のゴルバチョフは、ほとんどのロシア人には極端に不人気である。この傾向は田舎ほど顕著で、諸悪の根源のように言われている。ソ連崩壊前後のドサクサは、多くの日本人にはあらすじくらいしか解らないが、ロシア人にとっては、最初にして最後のソ連大統領となった彼の采配の全てが死活問題へと直結した。些細なミスも許し難く思われたのだろう。
●物価
2年ほど前、世界の大都市の中でモスクワが一番の物価高になったと発表された。地方では、モスクワ程ではないにしても、総じて言えば日本の田舎よりは物価が高い。例えば、カフェテリア形式の大衆レストランで昼食を採ると、1000円くらい。贅沢品はとことん高額で、生活必需品はとことん安価である。航空運賃は高いが電話代や市内バスは安い。若い女性はオシャレにたいそうな金をかけているが、美容院は意外と安い。冬に冠る、あの、ふかふかの毛皮の帽子は、2万円くらいから。
●公務員の給料
モスクワ大学の教授で他に役職がなければ月給10万円くらいか。世界一の物価高の都市で信じられないくらいの安月給だ。特に、特別のプロジェクト研究を持たない文系の教員などは7〜8万円の月給で、幼子をかかえた既婚者も当然のように共働き。それでもアルバイトなしでは生活できない。モスクワ大学の学生・院生のほとんどは実業家を目指していて研究者のなり手はいない。優れた研究者は国外へ脱出している。この国の先行きが不安である。
●レーニン像
ソ連崩壊の象徴的な出来事として、モスクワのレーニン像が引き倒された映像は、その印象だけが記憶に残っている。しかし、私が訪れた地方都市の駅前広場には、例外なくどこにもレーニン像が残っていた。モスクワ市内だけでも十数体はあるレーニン像の中で、当時引き倒されたのは二体だけで、残りは健在とのこと。地方都市だと、90〜95%くらいは残っているだろうとの話。レーニンの出身地である北東シベリアのチュコートゥカ自治州のアナディールという町には、アパートの壁画に若きレーニンが描かれていて、その人気は今だ健在のようであった。
●貧富の差
市場経済に移行して、当然のように貧富の差が拡大しつつある。事業に成功して金持ちになったロシア人はニューロシアンと呼ばれていて、郊外に豪邸を建てて高級車を乗り回している。多くの公務員が失職し、ニューロシアンに雇われている。そうした貧乏人は郊外に畑を借りて食費を節約している。一番貧しいのは、国境を超えて浮浪しているジプシーで、ウラジオストクでは公園のレーニン像のたもとで物乞いをしていた。困窮者の収入が日本と単純に比較できないのは、生きて行く上での最低ラインが保障されていることにある。例えば風邪をひいて病院へ行って診察してもらい、薬を処方してもらってもタダか、タダ同然である。ただし、特殊な手術や治療にはお金がかかるらしい。
●コルホーズとソフホーズ
市場経済になった今でも、不思議と両方とも健在なのであった。特に田舎では、一種の互助組合としてコルホーズ(集団農場)が根を張っている。自然環境の厳しいシベリアなどでは、助け合わないと生きて行けないのだ。それにしてもソフホーズ(大規模国営農場)は、どのようにして生き長らえているのだろう。
●方言
ロシア人に聞くと、少数民族には独特の訛りがあるが、ローカルダイアログとしての方言はどんなド田舎でもほとんどないとのこと。ソ連時代は、モスクワ近辺から多数のスラブ人が辺境の地の開拓に移住して(させられて)来て、モスクワ標準語が浸透したためであるらしい。また、ロシア人は行動範囲が広く、生活の拠点を変えるのを厭わないようで、人の行き来が活発なのも影響しているのだろう。夏休みには、ロシア政府の「体験教育事業」として、大都市の小学生達が親元を離れて大挙してシベリアへくり出す。
●自然
まあ、自然は豊かと言ってしまえばそれまでだが、むき出しの自然である。日本で言えば尾瀬ケ原に似た湿地帯のお花畑を平気で踏みつぶしながら装甲車が走り回る。彼等は、そうしたものは無尽蔵にあると思っているようだ。北極圏においては、地球温暖化の影響が如実に顕われている。極域での気候変動の大きさが、中・低緯度地域のそれの数倍に増幅された形で現われることは、地質時代の古気候解析から明らかにされているが、確かに、日本で感じるぼんやりとした温暖化とは訳が違う。ツンドラ地帯が森林化し、年をおうごとに拡大しているのだ。永久凍土が融けて、ピートモス(泥炭)が腐食を始めて二酸化炭素やメタンの大規模な放出が始まっている。温暖化の正のフィードバックである。「ツンドラ」という響きは、ロシア人にとって特別のものであるようだ。そこを生活の拠点にしているあるロシア人は、このツンドラに自分の神が棲んでいると言った。しかし、日本の九州島のハカタという町に「ツンドラ」という名前のロシア料理店があると言ったら、大笑いされてしまった。
●動物
リスとユーラシカ(プレーリードッグにそっくり)はいつでもどこでも目に入って、とてもかわいい。他に、ヒグマも目撃した。オオカミ、アムールタイガーは足跡だけ。鳥は、カモの類いの他に、鷲鷹の類が目立った。海にはアザラシと白イルカ、川には鮭とハリオスとヤマメ。山の中で白い熊を目撃して写真におさめた友人が、その写真を専門家に観てもらったところ、シロクマとヒグマのミックスとのこと。温暖化で春に北極の氷が融けて離岸するのが早く、シロクマが陸に取り残されることから起こることで、近年問題になっている。
こうしたことを書くととりとめもなくなるが、仕事の付き合いとは言え、一ヶ月以上も寝食を共にし、それなりの信頼関係が築かれると、お互いがくり出す話題は、家族の事、宗教の事、歴史や文学の事、政治や哲学の事へと及んで行く。次回はそうした話題を書く予定。ただし、しばらくネット圏外へ旅するので、更新は早くても10日後か。
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さつきさん。
私のエントリを持ち上げていただいちゃって、面映いばかりであります。
私もソ連崩壊後のロシアには興味を持っていたので、大変に興味深いお記事で、続きが楽しみです。
>困窮者の収入が日本と単純に比較できないのは、生きて行く上での最低ラインが保障されていることにある。
このあたりは共産主義時代の名残りなんでしょうか。
また、国民の間ではソ連邦時代を懐かしむ声も多いと聞きますが、それは本当ですか?
今、モスクワでは成功者は大金持ちで、日本で豪遊したり、モスクワ市内にも何百件もすし屋があるそうですね。(モスクワに技術指導に行った、ある著名な寿司職人から聞きました。彼いわく、日本人には食えたもんじゃない、とおっしゃっていましたが)
2008/9/5(金) 午前 6:14 [ chochonmage ]
連投ごめんなさい。
写真の人物がわかりません。
くやしい。
それと、例によって話を落としてしまいますが、椎名誠の本によると、昔のソ連邦では備え付けのトイレットペーパーでお尻を拭くと、ズル剥けになってしまう(そこまでじゃなかったかな。笑)ようなことが書いてあったように記憶するのですが、そのあたりは進歩してるんでしょうか?
2008/9/5(金) 午前 6:17 [ chochonmage ]
chochonmageさん、いらっしゃいませ。
一旦帰りましたがまた不在になります。
>写真の人物
だれかが、「くやしい」と言ってくれないかなと思っていました(笑)。
わかった方先着一名の方にのみ、「ブラボー」と言ってさしあげます。
>トイレットペーパー
椎名誠ともあろうお方が泣き言を書いたのですか?
あの年代の日本人は、その昔、お尻はもっとハードに鍛えた筈です。
その他のお尋ねのことなどは次回以降の記事にする予定ですが、しばらくお待ち下さい。
2008/9/7(日) 午後 10:51 [ さつき ]