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もう3月も終盤にさしかかろうとしている。とにかく忙しすぎる。出張先から帰国したばかりだというのに、しばらく後にはまた10日程の出張が控えているが、このブログの更新もひと月以上ご無沙汰にしているので、挨拶程度の記事をアップしたい(と言ってもちょっと暗いです)。
大学は卒業式のシーズンである。幸せなことに、私の属する教室では卒業生達が字義通りの謝恩会を催してくれ、おいしい料理とタダ酒をふるまってくれた。おまけに「仰げば尊し」を合唱し、たいそうな花束まで贈呈してくれた。
世は100年に一度と言われる経済恐慌である。大学院へ進学する者も多いが、細った親のスネを案じてやむなく社会へ旅立つ者も少なくない。希望の職種にありつけず、フリーターを余儀なくされる者もいる。
学問を志すにしても厳しい現実が待ち受けている。昨今は、まず2〜5年の期限付きの採用からスタートしなければならない。そうした研究職をいくつか渡り歩いた末のパーマネントの募集枠は、分野によっては入り口の60%ほどに絞られる。その途上で振り落とされる者が出ることを前提にした「競争原理主義」のシステムである。30才半ばを過ぎて振り落とされた者に、高度に専門化されたそのキャリアを活かせる再就職先はないし、別の道へとフォローするシステムもない。
大学側はこの現実を学生に知らせることに消極的である。大学院定員の充足率が国庫からの補助金額に反映されるからである。大学内の組織再編も頻繁になされるようになり、下手をすると専攻ごとおとりつぶしということにもなりかねない。そこで、大学院生に対しての種々の補助金が考案され、特に博士課程(後期)への進学が奨励される。
結局、国と大学がグルになって学生を騙しているのではないのか。教員の側のそうした後ろめたさが、学生への自虐的ともいえる程の研究指導の「強化」となって現れる。院生が筆頭著者となった共著論文の中にも、その執筆のほとんどを指導教員がやっている例さへあるのだ。そうして「業績」を造りあげ、期限付きの研究職へ放り込まれた若者も不幸だが、教員も不幸だし、何より学問そのものの未来にとって不幸なことではないのか。
卒業して社会へ旅立つ若者を前にして、「なんとも知れない未来」へ向かうのは君たちばかりではないのだよと、「仰げば尊し」を聞きながら忸怩たる想いにかられているのであった。
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