さつきのブログ「科学と認識」

福島第一原発、アンダーコントロールで、わざと昨年の2倍の放射能を放出か

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 このエントリは前回の続きである。
 ここでは、現象論を実践に移す契機がくり返し失われ続けた結果、多数の人命が犠牲になった歴史として、その1で脚気を、その2で水俣病を取り上げる。科学の現場で現象論を軽視するとどういうことが起こるか、そうした発想がどのような科学観にもとづいて出てくるのかを整理するためである。

 まず、板倉聖宣(いたくら きよのぶ)氏が、「武谷三段階論」を普及する講演の中で例示した日本における脚気の歴史から考えてみよう。下記はその講演録である。
「武谷三段階論と脚気の歴史」
http://homepage3.nifty.com/mamoruitou/sanndannkai.html

 板倉氏は科学史が専門で、「仮説実験授業」で知られ、花粉がブラウン運動を起こすという、著名な科学者達が長年信じ込んでいた誤解を正すなど、地味ではあるが貴重な仕事の多い方である。板倉氏による上記の講演録は10年ほど前にアップされたものであるが、その中の「脚気の歴史」は、主に山下政三氏によって掘り起こされた知見を下敷きにしていると思われる。
(Wikipedia:「日本の脚気史」参照)

 日本における脚気の歴史は、現象論を軽視しバカにする、誤った科学観と「党派性」のために、多数の人命が繰り返し犠牲になるという、日本の科学史上、水俣病と共に忘れてはならない出来事である。以下には、板倉氏の講演記録の原文の所々を拝借しながら、Wikipediaの記述と私見を交えて概説する。

 日本では江戸末期から1940年代にかけて,脚気で毎年1〜3万人くらい死んでいた。当然、患者はその十倍以上はいた訳である。欧米にはもともと脚気の症例はほとんどなかったので、ビタミンB1欠乏が原因と分かるまで長い紆余曲折の歴史を辿ることになる。その途上では、現象論にもとづいて、実際上日本から脚気を駆逐する機会が少なくとも3回は訪れていた。しかし、現実には数十万人の尊い人命が無為に失われたのである。

 脚気の予防と治療の現象論が確立する最初の機会は森鴎外が明治十四年に東大医学部を卒業して軍医になった頃に訪れる。この頃日本の監獄では、それまで白米を支給していたのを麦飯に替えたら、たちまち日本中の監獄で脚気がなくなるということがあった。どうも麦飯に秘密があるらしいということで、堀内利国という人が陸軍の一つの部隊で麦飯を断行したら、ここでもあっという間に脚気がなくなった。

 そこで、近衛の軍医部長の緒方椎準が、話を聞いてすぐにあちこちの部隊で麦飯にして脚気を減らしていった。ついに、陸軍軍医本部の責任者達に会って,「全部隊で麦飯を支給すべきだ」と主張した。ところが、石黒チュウトクという人が、「そんなもの漢方医の言うことであって迷信である」と言って,断固として抵抗した。それで緒方軍医は怒って辞職する。こうして、日本中から脚気を駆逐する最初の機会が失われた。

 第二の機会は明治天皇が麦飯食を断行したことによって訪れた。脚気は白米食の時代になって現れた比較的新しい病気で、その昔は天皇や将軍がなった。幕末になると十三代将軍も十四代将軍も脚気で死ぬ。明治天皇も西南戦争の年に脚気になり、医者に勧められて転地療法をやったりしたのだが皇女和宮までもが脚気で死んでしまい、医者の言うことも信用できなくなった。そこで、噂を聞いて麦飯にしたところ、たちまち治ってしまったのだ。

 天皇が麦飯を食べているのに取り巻きが白米ではしめしがつかない。参議その他の偉い連中はみんな麦飯になってしまい、結局、明治十七年から二十四年までに陸軍の全部隊が麦飯になり、それまで、陸軍の部隊の30%もが脚気だったのが、0.3%という率に減ってしまう。

 ところが、ドイツ留学中の森鴎外がその話を聞きつけ、全否定したのだ。陸軍の軍医本部と東大は学理的根拠がないとして、その因果関係を認めない。やがて、明治二十七年に日清戦争が起こると麦飯にするか白米にするかで論争が起こったが、戦時には兵隊に栄養をつけさせないといけないということで、結局白米を送ることになった。結果的に、戦死者が364人、脚気で死んだのが4064人ということになった。そこで反省すればよかったものを、これは「戦時脚気」という特別の脚気で、白米食とは関係がないとされてしまったのだ。

 第三の機会は、明治三十七年に起こった日露戦争の時に訪れる。この時には森鴎外の同級生だった小池正直が陸軍の医務局長になる。小池は,いろいろ調べて、麦飯が脚気に効くということを陸軍大臣宛の報告書にまとめた。

 ところが森鴎外が、「麦飯を実施した時にたまたま脚気が減ったということは、麦飯が原因で脚気が減ったということにはならない。」という脅かしの論文を書いた。相関関係と因果関係は別であるということで、相関関係そのものの価値を全否定してしまった訳だ。結局また戦地へ送られた兵隊達の間で脚気が発生してしまう。この時は百万の軍隊のうち二十数万人が脚気になり、そのため二万八千人が亡くなった。

 多数の人命が現に失われ続けているとき、たとえ現象論の段階であるとしても、経験の蓄積や現象相互の相関関係をもとに、現状で考え得る最善の策を立てようと知恵をしぼる者に対して、これを批判した者がいた。彼らにとっては、因果関係・メカニズムの追求やら、理論的解明だけが主要な問題であり、科学をなすことそのものが全ての目的と化してしまっている。私は、その批判者達のそうした行動原理となっているものを「科学原理主義」と呼びたい。

 もちろん、いい加減な現象論の蔓延は、却って危険な事態を招くこともあり得る。だからこそ現象論には、確信と熱意だけでなく、特別の工夫と作法も必要となる。その事はまた、別の機会に論じることになるだろう。ここでは、現象論を過小評価してバカにする態度は、疑似科学とともに、その対極にあると思われがちな「科学原理主義」にも、表裏一体のものとして潜んでいるということを押さえておこう。

 その後の歴史を辿ると、脚気の現象論を積み上げることで、実体論としてのビタミン発見が日本人の成果になる可能性もあったのが、それさえも自ら潰してしまったことがわかる。武谷が言うように、現象論は科学をなす上で最も重要で基礎となる段階であり、これを軽視するなら、当然そうならざるを得ないのである。詳細は原文をお読みいただきたい。

 次回は、日本において近代科学がまともにぶつかった類似のできごととして水俣病を取り上げる。

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