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田中一村(備忘録)
田中一村(1908 〜1977)の作品に初めて出会ったのは15年ほど前、テレビの画面を通してだった。解説のナレーションとともに5分ほどの間に映し出された数枚の日本画に釘付けになった。ごく少数の所縁の人々だけが知る存在であったのが、熱心な支持者の活動で少しずつメディアにも登場するようになって10年ほど経った頃のこと。以来、画質の悪い小さなブラウン管を通して認めたこの人の作品が、知らぬ間に私の心の中に巣くっていた。 それから6〜7年が過ぎた頃、趣味で絵を描いていた古い仲間達と再会した折に、その一人が最近描いたという絵をデジタルカメラのモニターで見せてくれた。それを見てすぐに、一村の絵を思い出した。聞けば、確かにその友人は、一村に魅せられて画風をすっかり変えたと言う。私は逆で、一村の絵を知ってしまった後は絵が描けなくなっていた。ファンの中には生活の拠点を奄美へ移した人もいる。「一村病」と言うのらしい。絵の善し悪しなどというものは多分に人の好みにもよるのだろうから、どうということもないが、絵にはそうした「重病人」を生み出す力もあるのだ。私はかなり「軽症」で、一村の絵を前にすると心の中で起立してしまうけれど、やがて正気に戻る。画集は一冊だけ持っている。昨年は奄美大島の空港近くにある一村の記念美術館を訪れる機会があったが、飛行機の待ち時間に慌ただしく観て回って、却って心残りとなった。予想以上に施設と展示内容が充実していたのだ。 田中一村は、幼少期より天才的な画才を発揮して、神童ともてはやされていたようだ。東京美術学校(後の東京芸大)の日本画科へ進学して、周囲は、将来日本画壇を率いる一人になると期待した。同期に東山魁夷や橋本明治らが居る。しかし、理由は知られていないようだが、わずか3ヶ月で中途退学してしまう。その後も一人創作を続けたが、再々美術展に出品するも、そのほとんどが落選するなど、中央画壇の評価は芳しくなかった。1958年、失意の内に一人奄美大島へ移り住む。いや、単に「失意の内に」というのではなく、もともとは起死回生・一発大逆転を目論んでの計画的な行動であったという見解があって、こちらの方が正確かもしれない。いずれにしても、画壇との交流を絶ち、やがて人々の記憶の中からも消え失せていった。彼の作品が再発見されるのは没後の1980年代中頃のことである。 当初は、まるで仙人、あるいは修行僧のような生活の中から、あのような凛とした作品が生み出されたと勘違いされがちであったが、正確な情報が行き渡った昨今、そうした誤解が生じる余地はない。その点では、同じく辺鄙な地方で創作に励み、没後に広く知られるようになるという共通性のある宮沢賢治が、情報の独占も災いして神格化されてしまったのと事情が異なる。 実際の一村は、奄美に移った直後は下宿生活であったが、間もなくハンセン病療養所・奄美和光園の職員宿舎に移り、園の広報誌に挿絵を描いたりして、周囲の人々と広く交流していた。やがて、粗末な一軒家を借りて菜園で食料を自給しつつ、大島紬の染色工となる。そして、5年働いて3年間絵を描き、さらに2年働いて千葉で個展を開くという計画を立て、これを実行に移す。しかし、結果的に個展は開かれなかった。この間に姉や親戚に宛てて書かれた手紙も多数残されているし、世話になった近所の人に自らの作品を贈ったりもしている。近隣の住民からしてみれば、変人というほどでもない一人の貧乏で絵の上手なおじ(い)さんに過ぎなかった。 一方、解説書や企画展の案内などで、しばしば「東洋のゴーギャン」というキャッチフレーズを目にすることがあるが、それは一村とゴーギャンの双方にとって大変迷惑なことだと思う。確かに、南の島を目指したことや、色面の佇まいなど似通った点もあるが、二人の作品は本質的に異なっている。一村が題材としたのはもっぱら奄美の自然だが、ゴーギャンが目を向けたのは人間である。一村の作品には、一瞬にして人々を魅了し、その生活さへも変えてしまう力があるのだから、虎の威を借りるかのようなキャッチフレーズなど余計なことである。 一村の作品のすばらしさを伝える言葉が見つからないが、ただ個人的なこととして、しばしば彼の絵を前にして固まってしまうのは、若い頃、尊敬する恩師の一人から「今のあなたの学問はムラマサです、マサムネを目指しなさい」と諭されたその言葉が、心に刺さった棘として遺されたことに起因している。一村美術館で彼の晩年の作品と対面し、とっさに、ああ、ここに目指すべき『正宗』があると思い、そのことによって私自身が抱えていたものを自覚した。 ノルマや義務感、あるいは名声欲などに駆動されて仕上がる「作品」は多いが、晩年の一村にはそうしたものは一切なかったし、最晩年には気にすべき締め切りさへなかった。人々を魅了し、後世に残る「作品」というものは、そのようにして生み出されるのだろう。これは何も絵画だけに限ったことでもない。 |
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田中一村展です。
https://ex.artnavi-bt.com/exhibition/2125
2018/6/19(火) 午後 8:49 [ さつき ]