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はじめに
東電原発事故後の飲食物の暫定規制値についてはこれまで何度か採り上げてきたが、放射線防護のための年間被曝線量の見積もりにとって重要である。ICRPの2007年勧告(Pub.103)では、防護の指針とすべき被曝線量は外部被額と内部被曝の合計に基づくものであることを明確にしている(国内制度等への取入れに係る審議状況についての−中間報告−参照)が、現在の汚染地域では、外部被曝の目安となる空間線量率ばかりがとり上げられている。
現在の暫定規制値では、汚染された飲食物の摂取による被曝線量に過小の見積もりを与えるおそれがある。最近では、暫定規制値の複雑な導出プロセスをフォローして、いろいろな観点からその問題点を指摘する声も聞かれるようになったが、未だ不十分である。一方、WHOや諸外国の規制値と単純に比較して、日本の規制値は異常に高いと批判する中には、誤った論拠に基づくものもある。 それらのことは、日本の暫定規制値が高くなっている二つの理由に関係するが、やがて、「暫定」という修飾を取らなければならない時期にさしかかると、再び問題になるので、改めて整理しておきたい。 1)日本の暫定規制値が高くなっている理由 例えば、日本の水道水についての暫定規制値は、ヨウ素群で300 Bq/kg、セシウム群で200 Bq/kgであるが、WHOの水道水についてのガイダンスレベルは、いずれも10 Bq/kgと大変小さな値となっている。これは、以下に述べる「やむを得ない理由」と「不当な理由」の二つが合わさった結果である。 やむを得ない理由:「暫定」=「非常時」 まず注意しなければならないのは、WHO のガイダンスレベル(指針、指導値)は、平常時のものとして定められており、非常時における「規制値」とは意味が異なるということ。非常時のものとして定められている現在の日本の暫定規制値が高くなるのはやむを得ないとも言える。 それを受け入れがたく思うのも当然だが、現実問題として、WHOのガイダンスレベルをそのまま適用したら、数百万規模、場合によっては1千万人の「水道水難民」が生まれ、お手上げとなる(対処法がない)。非難を覚悟で敢えて言えば、発がんのリスクが否定できないことを覚悟しつつ、ある程度の汚染はがまんして飲まなければならない事態に陥っているということである。それが原発の事故というものであり、けしからんのは、原発を作ったこととも言える。 汚染対策の前提となる許容されるべき被曝線量レベルを、非常時については「介入線量レベル」と呼ぶが、平常時について定めるWHOの指針では、「個別線量基準」と呼ばれている。両者は、名称も意味も異なる別物であり、単純に比較してその高低を言うだけでは意味がない。 WHOの水道水の個別線量基準は、実効線量0.1 mSvと大変小さな値となっている。しかしこれは、その名のとおり、多数の放射性核種の中の個々の核種に個別に適用される値である。日本の暫定規制値と同じように、ヨウ素群6種類、セシウム群4種類を存在率で重み付けして合計した値に換算すると、およそ0.4 mSvに相当する。他の食品群の汚染を考慮すると、平常時としては決して小さな値ではない。 一方、日本の暫定規制値の前提となる介入線量レベルの水道水の分担分は、ヨウ素群については甲状腺等価線量の50 mSvの2/3を三つの食品群に均等配分した11.11 mSv(実効線量に換算すると0.44 mSv)となり、Sr-89とSr-90を含むセシウム群については実効線量5 mSvを五つの食品群に均等配分した1 mSvとなる。水道水についてのヨウ素群とセシウム群の合計の介入線量レベルを実効線量で表すと、1.44 mSvとなり、WHOの個別線量基準の合計0.4 mSvのおよそ3.6倍となる。非常時としては異常に高い倍率とは言えないであろう。 ところが、日本の暫定規制値はWHOのガイダンスレベルに比べて、ヨウ素とセシウムでそれぞれ30倍、20倍と、さらに高倍率になっている。この差は次に述べる「不当な理由」による。 不当な理由:汚染レベルは減衰するというモデル 暫定規制値の導出法については、ヨウ素群を例に概説した6月29日の記事を参照されたい。この導出法は、飲食物の汚染濃度が半減期に従って次第に減衰するというモデルに基づいており、国際的にみると特異である。 そこでは、例えば、ある産地で規制値に等しい2000 Bq/kgのヨウ素131を含む野菜が見つかったとすると、この産地から8日後に収穫されるものは1000 Bq/kgへ、16日後に収穫されるものは500 Bq/kgへと減り続ける筈であるとの前提で年間の被曝線量を積算した時に、介入線量レベルを下回るとの計算から、初期の汚染濃度の2000 Bq/kgをもって規制値とされている。従って、2000 Bq/kgの野菜を毎日食べても安全であるという意味では決してない。 試しに、ヨウ素131を2000 Bq/kg含む野菜を、日本人成人の一日の標準摂取量である400g、1年間食べ続けたときの甲状腺貯託等価線量(TED)を計算すると、次のようになる TED (mSv) = 年間摂取量(kg) × 放射能濃度(Bq/kg) × 甲状腺等価線量換算係数(mSv/Bq) = 0.4×365 × 2000 × 4.3E-4 = 125.6 mSv ……… 1) この値は、ヨウ素群についての野菜に割り当てられた介入線量レベルとして仮定されている11.11 mSv(甲状腺等価線量)の10倍以上である。 甲状腺の組織荷重係数である0.04(ICRP 2007年勧告値)を掛けて全身への寄与に換算すると、5.02 mSvとなる。他の飲食物や他の核種群による内部被曝や外部被曝を合計すると、決して安全とは言えないレベルに達することが危惧される。 ヨウ素は半減期が短いので特にこの問題が大きく、WHOの指針と大きな開きができる要因となっている。逆に言うと、既に終わった話でもある訳で、年間の内部被曝の見積もりが過去の飲食歴に大きく左右されてくるという意味で、既に取り返しのつかないことになっている。 セシウム群については半減期の長いものが多いので、上記の問題は小さいと考えられるが、実は、誘導介入レベルを求める式(6月29日の記事参照)の中のFという項が問題となってくる。これは、半減期の長い核種については、物理的半減期以外にも、汚染物質が雨水によって流出するなどの理由で、汚染地域の年平均の汚染濃度はピーク濃度の半分以下になるとの仮定から導入された項であり、ヨウ素以外の核種群については F = 0.5とされている。その結果、規制値の方はこの項を設けないときの2倍に緩和される。 次に、規制値のこのような導出法が持つ運用上の問題点について整理してみよう。 2)暫定規制値の運用上の問題点 上に述べた規制値の導出法でも、一回のイベントで放出される放射能については問題なく適用できると勘違いされるおそれもある。私も最初はそう考えていた。 しかし、現実におこることを具体的に想像してみよう。今も規制値を超えて出荷できない産地が実際にあるが、やがてそれらの産地のものも規制値を下回って出荷されるようになるだろう。こうして次々と規制値を下回ったばかりの食品が出回るようになると、しばらくの間は規制値ギリギリまでのいろいろな汚染レベルの食品が常に市場に混在するという状況が続くことになる。 計算で示したように、単純に規制値以下であるという理由で、汚染の<初期値>に近いレベルのものを毎日食べてしまったら、想定されている介入線量レベルをはるかに超える被曝をしてしまう危険性がある。 問題の本質は、現在の暫定規制値の決め方だと、一度規制値ギリギリの食品を食べてしまったら、その後は半減期にしたがった減衰曲線以下のものしか食べることができないという、大変複雑なことになってしまう点にある。厳密に言えば、規制値以下のものしか食べたことがなくても、汚染が始まった以降の飲食歴を詳しく調べないかぎり、ある日ある人にとって、ここまでは安全と言える目安が決められないということになる。規制値が汚染の<初期値>をもって定められている以上、そういうことになる。素人はもちろん、専門家にとっても、そうした管理は実際上不可能である。 3)国際的な規制値の導出法 では、国際的な規制値の導出法はどうなっているかいうと、WHOの水道水についてのガイダンスレベルも、国連の食糧農業機関(FAO)による暫定的な放射能対策レベル(IRALFA)の導出法も極めて単純明快で、基本的には前掲1)式を変形しただけの次式による IRALFA(Bq/kg) = 介入線量レベル(mSv)÷ 線量換算係数(mSv/Bq))÷ 食物の年間有効摂取量(kg) つまり、この規制値以下の食品であれば、毎日標準的な量を1年間摂取しても、内部被曝は許容レベル以下に抑えられることになり、極めて単純明快である。そして、問題となる主要な核種毎に、年齢群と臓器に分けて検討した時に、最も影響を受けやすい組み合わせについて求めた値を規制値としているのである(注1)。 さらにFAOでは、放射能汚染事故が起こった最初の1年間を非常時と位置づけ、この1年間に我慢しなければならない被曝線量と、事故が収束した2年目からの許容被曝線量を区別し、2年目以降は1年目の5分の1としていることも重要である。 日本の暫定規制値の基となる介入線量レベルは、FAOの1年目の「我慢量」と等しいが、やがて日本においても、2年目からの規制値をどうすべきかが議論になるだろう。その時、もしFAOと同じ導出法を用いると、規制にかかる産地が再び続出するかもしれない。 原子力安全委員会と食品安全委員会は、最初にボタンの掛け違えがあったことを認め、直ちに再検討に向けた作業に着手すべきである。 ----------------- 注1)この、FAOやWHOと同じ計算式で、日本の暫定基準値を再計算すると、 野菜のヨウ素131について(幼児)
介入線量レベル(mSv)÷ 線量換算係数(mSv/Bq))÷ 食物の年間有効摂取量(kg) = 11.11 ÷ 2.1E-3 ÷ (0.17×365)= 85 Bq/kg 現在の暫定基準値(2000 Bq/kg)は、この値の23.5倍となっている。減衰モデルを半減期の短い核種に適用すると大きな差異を生じることがわかる。 Cs-134とCs-137の合計について(成人) Cs-134について(存在度0.54) = (1×0.54) ÷ 1.9E-5 ÷ (0.6×365)= 130 Bq/kg Cs-137について(存在度0.46) = (1×0.46) ÷ 1.4E-5 ÷ (0.6×365)= 150 Bq/kg セシウム(134+137)= 130 + 150 = 280 Bq/kg 現在の暫定基準値(500 Bq/kg)は、この値の 1.8倍となっている。この違いは主に、年平均値の崩壊定数によらない減衰の項(F値)が0.5であることによる。 |
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