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前回書ききれなかった内容に続けて、現時点での私の考えを総論的にまとめたい。
α線による被曝影響に関わるものとして、東京大付属病院の中川恵一氏が毎日新聞に連載していた「がんの時代を暮らす」の20回目(2011年12月26日付)、「DNAを傷つけるラドン」と題されたコラム記事から一部を引用しよう。
ラドンもポロニウムもα崩壊するが、中川氏は、α線が特に危険と主張しているのではない。なぜなら、線種の違いや、内部被曝、外部被曝の違いを超えて、被曝一般の危険度を統一的に評価する尺度であるシーベルトを用いて説明しているからである。年間0.4 mSvの被曝で、日本で数千人が死亡しているとの説を肯定的に紹介しているのである。 では彼は、常々、年0.4 mSvの被曝でも大変危険だと主張しているのかというと、そうではない。「Global Energy Policy Research」のサイトに寄稿された記事では、以下のように主張する(ここにリンクできなくなっているが、検索していただきたい)。
上記引用した二つの文章は矛盾している。中川氏は何を言いたいのか、というより、何をしたいのか私にはよくわからない。もちろん後者の文章の全文を読めば、放射線の科学的な「リスク評価」とその防護上の指針(リスク管理)を混同すべきでないと主張していることは良く分かる。
しかしそれは、「はい、よくわかりました」で終わる話だ。汚染地域の住民に、「ところで私は、どれくらいの被曝まで我慢すべきでしょうか?」と訊かれて、彼は何と応えるつもりなのだろう。「疫学的には、100mSv以下の放射線の影響は認められない」と繰り返し書かれているが、まさか、「100 mSv以下なら我慢すべきです」と答える訳でもあるまい。
「100 mSv以下の放射線の影響は認められない」というのは、表現の正確さが求められる事柄であるだけに、問題がある。「100 mSv以下の被曝影響については研究が不十分なために、よくわかっていない」というのが実情であることは、今なら誰でも知っていることだ。そしてまた、多くの人が、年間0.4 mSv程度のラドン吸入による被曝が、肺がん死の原因の第二位になっているとWHOが警告していることも学習している筈である。ICRPによる許容線量の勧告値決定に際しては、原子力産業からのいろいろな圧力によって、科学データの警告する値より高めに修正されてきた歴史も、NHKが特集番組で報じて周知のこととなった。
「我慢量」の判断は個々の価値論に基づくので、そうした状況下では人それぞれ意見が大きく異なるのは当然のことである。一方、人は、価値論的判断を下そうとするときにも、必ずなんらかの根拠や証拠を求めたがるものである。専門家としては、自らの価値論を可能な限り排した形で科学の成果を届けることが好ましいが、それは大変にむずかしい。例えば、量を表す「高い」、「低い」といった言葉そのものにも価値論が忍び込む予知は十分にある。
被曝の危険性よりも避難生活からくるストレスによる健康影響の方が大きい場合があると助言することも必要なことではあるが、汚染地域に留まる場合には、被曝による肉体的な健康影響に加えて、被曝に怯えながら暮らし続けることからくるストレスも無視できない(注1)。そのどちらの負担が大きいかは、当人が判断すべきことである。そして、その判断は尊重されねばならない。
なお、私自身は、空間線量率が年10 mSvくらいの地域ならストレス無く暮らせる自信がある。なにしろ私も妻もヘビースモーカーである。だからと言って、10 mSvくらいなら我慢しなさいと他人を諭すことなどもってのほかと考えてもいる。他人に煙草を勧めないのと同じことだ。
さて、1976年に出版された武谷三男編『原子力発電』(岩波新書)には、ICRPなどによる被曝許容線量の勧告値が40年間にほぼ1万分の1にまで段階的に引き下げられてきた歴史が、グラフ入りで紹介されている(p 61)。この本が出版された当時の日本の法律では、一般公衆の許容線量として年間500ミリレム(= 5 mSv)の値が採用されていた。もしその当時に原発事故が起きたなら、いろいろな目安として、現在の5倍ほどの数値が飛びかっての議論がなされていたであろう。現在の基準値は5分の1に引き下げられているからといっても、その基となったリスク評価の科学は大変に心許ない(注2)。
ここにも書いたように、原子爆弾による被曝線量の、特に、入市被ばく者や黒い雨による被ばく者についての見積もりは、疫学的な調査に基づく推定値と、理論的な推定値、あるいは後年の残留放射能の測定に基づく推定値との間に大きな乖離のあることが長年問題視されてきた。それらの被ばく者に顕れたいろいろな急性症状は、理論的・観測的に推測される被曝線量からはとても予想できない深刻なものだったのである。
その辻褄を合わせようとするとき、二つの観点からの検討が必要だろう(注3)。ひとつは、放射性物質の量的な見積もりは間違っていないか、今ひとつは、吸収線量から線量当量に換算するいろいろな係数(放射線荷重係数、組織荷重係数など)やその理論は間違っていないかという点である。
不思議なことに、後者に着目しての研究は長い間なされていない(注4)。例えば、前回の記事に書いたα線の放射線荷重係数(= 20)を導く基となったいろいろな生物影響をまとめたATOMICAの解説にある図2、図3は、いずれも1972年出版の教科書に掲載されたものである。個々の実験そのものはもっと古い筈だ。半世紀以上もの間進歩していないということか。
低線量被曝の影響については、研究が不十分なためにいまだに良く分かっていないという現状において、専門家として「疫学的には、100 mSv以下の放射線の影響は認められない」と言いつのることは、単なる怠慢の告白としか映らないだろう。
最後に、低線量被曝の危険性を訴える個人・グループの中には、被曝の健康影響を和らげたり、放射線量を低減させるのに味噌や、ある種のサプリや、EM菌などに効果があるとして、それらを販売しているものがある。商売とは無関係を装って、自らの主張を広めるのとセットに何かを売りつける者には、決して近づいてはいけない。ましてやそれを広めたりしてはいけない。このことは、私の中では、ほとんど「法則」に近い。
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注1)広島への原爆投下直後に降った「黒い雨」の被爆者援護対象区域を見直す厚労省の有識者検討会ワーキンググループの報告書によると「「黒い雨」の体験者は体験していない人に比べて不安や抑うつなどの精神的健康状態が悪い傾向がみられ、原因は「放射線の健康影響への不安や心配」が考えられる」(1月21日付、毎日新聞)という。
注2)関連して、水俣病発症と摂取水銀の目安である毛髪水銀濃度についてWHOが定める「危険値」に見直しをせまる最新の研究成果がある。岡山大の頼藤貴志准教授(環境疫学)らの研究によると、毛髪水銀値についてWHOが定める危険値の50 ppm未満でも、極めて高い割合で感覚障害など水俣病4件の主要な症状が認められことが分かったという(1月8日付、熊本日々新聞)。
注3)当然だが、被ばく証言者が噓をついているという立場は除く。しかし、(注1)の厚労省有識者検討会のメンバーの中には、影に日にそのことを主張してきた者がいることを、私は知っている。昨日(1月20日)もまた、その範囲拡大を見送る答申がなされた。一連の原爆症認定集団訴訟で、8判決の全てが、国の認める範囲より広域で「黒い雨」による被曝があった可能性を指摘してきたにも関わらずである。
注4)日本においては、放射性物質への管理・規制が大変厳しいという事情も一因としてあげられよう。その実態は極めてちぐはぐである。ウラン・トリウムを含む物質のうち、天然鉱物は「核原料物質」、加工したら「核燃料物質」という括りになるが、「原子炉等規制法」関連の政令によって規制対象となる下限量は、前者がウラン量にして900 g、後者については実際上、下限がない。一般の研究室においては、特に、純粋なウランの固形物質を入手するのは、どんなに微量であってもほぼ不可能だ。
かつて、放射年代測定の標準試料として使用するために、ネットで注文した数mm角のウラン物質(数千Bq)を、中国人留学生に頼んで国内に持ち込んだ大学教員が書類送検されるという事件があった。
一方、原子力産業に対する規制は大変甘い。岡山・鳥取県境にある人形峠のウラン残土放置問題は記憶に新しいところである。「原子炉等規制法」にかかわる根深い問題については、ここには書ききれないので、そのうち稿を改めて整理したい。
それにしても、数十万テラBqもの放射能を住民の上にばらまいた東電と政府の責任者は逮捕されねばならない。捜査はどこまで進んでいるのだろう。
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