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私が中学の頃は、戦地から引き揚げてきて教壇にたった教師もまだ残っていて、その一人が、しばらくぶりに故郷に辿り着いた時の事を次のように話してくれた。
いよいよ我が家まであと数km。あちこちには親戚や幼なじみの家々も見えるというところまで来たとき、なぜか我が家に直行するということをせずに、少年の頃に駆けまわった山野や海岸べりを、誰にも会わないようにして2時間ほどかけてゆっくりと巡り、その後、家族のもとへ向かった・・・
この話は大変印象深かった。私自身、中学を卒業して郷里から離れるということがあって、しばらくぶりに帰郷した際にも同じふうであった時に、その教師の話を思い出していた。しかも、そのだいぶ後にも、誰だったかは思い出せないが、ある作家のエッセイにまったく同じことが書かれてあり、それを読んでアッと思った記憶がある。
もちろん、戦地から命からがら引き上げた者と、平和な時代に親元を離れただけの者の帰郷を同列には扱えないし、おこがましい話ではある。それでも、この感情は都会育ちの人にわかってもらえるだろうかと、子供の頃から山野を駆け巡り、農作業の手伝いにあけくれた田舎育ちの私などは疑問に思ってしまう。
それは、福島の、年間にして10 mSvを超える、場所によっては20 mSvを超えるホットスポットの点在する汚染地区に一貫して住み続けた人や、避難先から戻ってくる人が居ることを、「安全神話」に騙されているのであると信じて疑わない人々が多いことを思っての疑問である。
原発震災で避難している9万人あまりの福島県民のうち、帰宅できない主な理由が放射能汚染であるという住民はどれくらいだろうか。昨年11月の福島県大熊町の町長選では、「ふるさとに戻ることが原点」と主張した現職の渡辺利綱氏が、「帰れないことを前提に取り組む」と訴えた新顔の木幡仁氏を破って再選された。福島第一原発をかかえる大熊町は、全域が警戒区域で全町民の避難が続いている。
しかし政府は、地上から高さ1メートルの年間放射線量が20 mSv未満を「解除準備区域」、20〜50 mSv程度を「居住制限区域」、50 mSv以上を「長期帰還困難区域」とわけることにしていて、この4月をめどに地区ごとの選定を明らかにするのだという。しかも、この「長期帰還困難区域」では、将来国が土地を買い上げて核廃棄物処分場を建設するという案まで出されている。
私などは、原発を受け入れることそのものが故郷を捨てるに等しい行為だと思うが、地方切り捨てと並行してなされた国策の結果でもあり、であればこそ、事故をおこした東電と、この事故を準備して来た国家官僚や政治家達に、怒りがふつふつとわき上がるのである。
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