さつきのブログ「科学と認識」

福島第一原発、アンダーコントロールで、わざと昨年の2倍の放射能を放出か

社会のこと

[ リスト ]

 映画『この世界の片隅に』については既にここで簡単な評を書いた。その後いろいろな批評に接して、人それぞれに多様な評価があるのはごく自然なことと思いつつも、個人的にスルーできないこともあった。

 そこで、コメント欄で「『この世界の片隅に』を『はだしのゲン』と対立して論じる方がいてびっくりです。中沢啓治氏も悲しむでしょう。そいう方には、映画『草原の実験』をお薦めしておきます。」と自己レスした訳だが、このことにかかわって少しばかり書き足しておきたい。

 最近では、1月12日NHK「クローズアップ現代+」の放送内容にかかわる次のtweetが多数Retweetされているのが気になった。

NHKのクローズアップ現代、被爆者の方々の経験を口承で語りついだり、記録フィルムからドキュメンタリーを作ったりしてずっとヒロシマと向き合ってきた人たちが、「この世界の片隅に」を観て「こんな方法があったのか」とぽつりと呟いた一言が重すぎて、うちのめされてる。
5:27 - 2017112

 「クロ現+」の放送内容はこの映画の核心をつくものであったと思う。上記のはまりさんのtweet は正確さを欠くと思ったので、「ヒロシマと向き合ってきた人たち」として紹介されたお二人の登場場面の文字おこしを記す。

ナレーション:
原爆資料館で被爆者の体験を語り継ぐ活動をしている(被ばく体験伝承者)の渡部公友(わたなべこうゆう)さんは、被爆者が次々この世を去り、危機感を抱いてきました。この映画は世代を超えて伝える可能性を示してくれたと感じています。

渡部さん:
「日常を丹念に描くということ、これが非常に臨場感を膨らませているというか、みる者に訴える力が心にしみいる。これからの伝承活動に有益になっていくんじゃないかという気がしました。」

ナレーション:
映画が、戦争を知らない若い世代の心を深く捉えたということに驚かされたという人もいます。被ばく二世の友川千寿美(ともかわちずみ)さんです。友川さんは原爆の実態を若い世代に伝えるために、ドキュメンタリーフィルムの上映に力を入れてきました。(上映中の映画のナレーションに「どうか終わりまで目をそらさないで下さい」との声あり)。しかし、原爆の被害を直接訴える映像は敬遠され、こうした映画の上映の機会もほとんどなくなりました。

友川さん:
これは真実だからということで、すごく直接的な表現がある届け方をするのは逆(効果)になることもあるなというのをね、思うことがありましたので・・・

ナレーション:
戦争がもたらした過酷な現実をどうすれば次の世代に伝えることができるのか、友川さんが作品の中で強く印象に残ったというシーンがあります。主人公すずが丘の上から呉港の軍艦をスケッチしているのをスパイと疑われて憲兵につかまります。すずのぼんやりした人柄を知る家族は、憲兵が去った後、大笑いしていつもの日常に戻るのです。

友川さん:
けっして暗いだけの時間を過ごしていたわけではない。その当時でも家族みんなが涙を流しながら大笑いするような、そういう風景があった時代、素敵なシーンですよね。こういう、戦争・平和・原爆についての伝え方が、あ、やっとできた作品という印象でした。二度とこういうことがあってはいけないという人々の思いを、私たちで断ち切ってはいけない。

 お二人ともこんな方法があったのかとぽつりと呟いたりなんかしてない。友川さんのあ、やっとできた作品という印象でしたというのがお二人の心情をよく表現していると思う。そんな重箱の隅をつつくような指摘をしなくても趣旨は同じでしょ?と思われるかもしれない。しかし、世代を越えて戦争を語り継ぐことの困難さ、形骸化する平和教育をどう立て直したら良いかといった難問が20〜30年も前から議論され続けてきたことを知っているので、やっとできた作品の「できた」は伝えることができたという意味であろうが、待望されていた作品がついに世に出たという喜びもまたひしひしと伝わってくる、そこを汲んで欲しかったと思うのである。

 では、従来の伝え方が無意味であったかと言えば、それは逆で、これまでの努力があったからこそ、この作品が活きてきたと考えるべきであろう。従来の伝え方に欠落している部分をこの作品が補って止揚したのだ。

 何が欠落していたか。、津原泰水@tsuharayasumiさんの次のtweetで紹介されている『ピカドン』をみてみよう。
木下蓮三と妻が制作した短篇アニメ『ピカドン』(1978年/僕は14歳)がYouTubeにあったのでリンクしておくが、広島長崎出身者以外は超閲覧注意。『この世界の片隅に』ではお茶の間向け幻想場面だった部分。とにかく自己責任で観ること。ピカドン
2016-12-08 21:22:48

イメージ 1

 この作品では原爆が落とされる前の平穏な日常の描写もあるが、登場する人物の全ては名前のない記号化された「お母さん」、「お父さん」、「幼子」、「女学生」等々である。『この世界の片隅に』は、それらの人物に命を吹き込み、みる者に身近な出来事として追体験をせまる質を獲得している。

 くり返すが、『ピカドン』のような作品が無意味だと言いたいのではなく、その逆で、原爆の実相を伝えるのにまぎれもなく必要不可欠な努力の一端を構成しているだろう。それでも、津原さん自身が「超閲覧注意」と但し書きを付けざるを得なかったことは無視できない。いずれにしても、登場人物に命を吹き込むこと自体が誰にでもできることではなく、それなりの才能と熱意を必要とし、ここへ来てやっとそれが登場したのである。両者を兼ね備えた作品など望むべくもない。

 なお、桃井かおり主演で1988年公開の『TOMORROW 明日』(黒木和雄監督、原作は井上光晴の『明日―1945年8月8日・長崎』)も、長崎に原爆が落とされる前の一日を淡々と描いた傑作だが、『この世界の片隅に』と違って救いのなさが際立っており、そのせいで爆発的なヒットには至らなかったのだろう。これはもう、どちらが良いという話ではない。

 『この世界の片隅に』は、今後海外14カ国での上映が決まっているそうだが、海外においてこそ真価が問われるだろう。思うに、日常を丹念に描くことは小津安二郎監督に始まる日本映画の伝統芸である。これから海外進出した際には、世界中の小津ファンがこの映画のルーツを取り沙汰することになるのだろうか。

閉じる コメント(3)

初めまして。
広島に住んで35年ほどになります。生まれは九州です。
誤解を恐れずに言うなら、広島に来て思ったのが、広島の人は戦争の被害者は広島の人間だけだと思っているように感じて来ました。爆弾の大きさや、被害者の人数、そして、初めて原爆を落とされたのは広島だとか、長崎と比べて広島の方が、と言う論調が所々顔を出す感じに、すごく違和感を感じていました。たぶん広島の人は否定するでしょうけどね。
この映画を観て、初めて素直に広島で起きた戦争の被害について考えることができました。原作者のこうの先生が語っているように、被害者の人数だけで語らない戦争が少し理解できました。もちろん広島についても。
なんかとりとめのない文章でわかりにくいかもしれませんね。

2017/2/23(木) 午後 9:21 [ わしじゃよ! ]

顔アイコン

> わしじゃよ!さん

コメントありがとうございます。
このブログのどこかに書いたのですが,妻の肉親には長崎で被ばくした者がいて,いろいろな話を聞くにつけ,確かに長崎と広島では何かが違うと感じてはいました。しかし,実際どうなのかは具体的な情報に乏しいので,私自身は良くわかりません。

原爆の被害のことを言い立てると加害のことを忘れていると言う人が必ずいるのですが,長崎・広島の被爆者達の想いは,このような悲惨なことは,世界のどこでもおこってほしくないということに尽きると思います。『この世界の片隅に』は,その想いを伝える力があると思います。

2017/2/26(日) 午後 5:46 [ さつき ]

> さつきさん
はい、まさに私もそう思います。
しかも、原爆が落ちた広島以外の戦争被害について、広島出身のこうの先生が描かれたことに、とても深い感銘を受けます。
ああ、また映画を観に行きたくなりました。

2017/2/26(日) 午後 9:56 [ わしじゃよ! ]


.
さつき
さつき
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事