さつきのブログ「科学と認識」

安倍政権はとっくにスリーアウト・チェンジなのにゴネている

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 2011年の東電原発事故を契機に電力中央研究所(電中研)の中に設置された原子力リスク研究センター(NRRC)(pdf: 2.1 MB)というのがある。現在,このNRRCが主導して,原発の耐震安全性審査の手法を米国が採用しているSSHACと呼ばれる確率論的ハザード解析へ転換させようとする動きが活発で,四国電力の伊方原発をモデルケースとした模擬審査のようなものが昨年から開始されている。

 「伊方 SSHAC」で検索すると多数の報告書がヒットするが,私の知るかぎり,この動きは「21世紀政策研究所」主催の第109回シンポジウム「原子力安全規制の最適化に向けてー炉規制法改正を視野にー」(pdf: 2.6 MB/2014年8月28日)あたりから本格化したようだ。頻繁に登場するキーワードは「最適化」であるが,いくつかの報告書を読めば,規制を受ける側にとって「快適」な審査手法への法改正を目指したものであることがわかる。

 SSHACは,米国原子力規制委員会(USNRC)が採用している地震ハザード解析専門委員会(Senior Seismic Hazard Analysis Committee)の手順に基づく確率論的地震ハザード解析(PSHA)のこと。NRRCの取り組みは,これを日本の原発の耐震安全審査に導入しようとする動きと捉えることができる。最初のまとまった解説論文としては,NRRCの研究コーディネーターである酒井 俊朗氏による「確率論的地震動ハザード評価の高度化に関する 調査・分析 -米国 SSHAC ガイドラインの適用に向けて-」(pdf: 1.7 MB)がある。

 従来,日本の原発の耐震安全審査では,活断層や岩盤性状の評価をもとに最大の地震動を見積もり,また,海底地形や歴史記録などから津波の波高を見積もるなどして,具体的にどのような脅威があるかを明確にし,それへの備えが十分であるかどうかという観点からなされてきた。このような手法は,地震ハザードを科学的に明確に<認識>しようとする態度に根ざしていることから,「決定論的手法」,あるいは「認識論的手法」と呼ばれている。SSHACを推進する側がそのように呼称することを始めたようだ。

 これに対して,多数の専門家の様々に異なる見解を収集し,しかもどの見解も却下せずにそれら全てを集約し,確率論的リスク評価(PRA: Probabilistic Risk Assessment)へ変換するのがSSHACの手順で,米国USNRCではこれをもとに原発の設置・安全審査をおこなっている。その手順は,1)地震ハザードを構成する個々の指標(最大地震加速度など)の予測において異なる学説があったとき,意見が分かれる元となった複数の要因を分岐点に配置したツリー(酒井論文の図1)を設定し,2)多数の研究者による議論を通じてその分岐点で個々の学説毎に重み付けをおこない,3)ツリーの末端まで積算して該当指標の確率分布曲線を得る,というものである。

 分岐点での重みづけをどれくらい<熱心に>検討するかは,原発立地場所での地震ハザードの深刻さに応じて,レベル1からレベル4まで設定され,レベル3では3回の検討会(ワークショップ)を開催することになっている。現在,伊方原発を例に試行されているのはレベル3で,第一回のワークショップが昨年8月におこなわれ,第二回が本年3月下旬に予定されている。試行錯誤の結果,現在のSSHACの手順は「突飛な見解」に偏らずに学界における意見分布を「合理的,客観的に再現できる」ようになっているとされている。

 では何故今,日本における耐震安全審査を決定論的・認識論的手法から確率論的手法へ転換しようとしているのか。SSHACワークショップを電中研が主催していることから,電力業界がこの転換を望んでいることがわかる。したがってこれは,この転換を電力業界が望むのは何故かという問題になる。そもそも審査する側ではなく審査される側が牽引して審査手法を変えようとしている訳で,最初から問題含みである。そのことの問題性は素人でもわかることなので,酒井氏の論文では,「・・・我が国における SSHAC プロジェクトの実施は規制要求ではなく、事業者の自主的安全性向上活動として今後、PRA を活用していくための非常に意義深いものであり、・・・」と弁明されている。白々しいとしか言いようがない。これまでの原発における数々の事故隠し,活断層値切りをはじめとした,隠蔽・捏造体質をふりかえれば,「自主的安全性向上活動」など期待できる筈がない。

 日本が現在採用している決定論的・認識論的手法では,活断層一つをとっても専門家の間で見解の異なることが多く,個々に不確実性を内包しているのは確かであろう。具体的な審査では,それらの異なる見解に優劣をつけ,最も優れたどれか一つの見解,あるいは議論を通してまとめられた統一見解が正しい<認識>を示しているとして安全か危険かの二者択一を判断するという,困難な作業がなされてきた。その結果,却下された見解を持つ専門家の間には不満がくすぶり,審査が長引いたり,あるいは運転差し止め裁判が提訴されたりするのだと電力業界は考えているのであろう。100基もの原発を稼働させているアメリカのように審査がスムースになされるよう転換したいという訳だ。

 私には,この動きは次の二点において容認でない。
 第一にこれは科学の成果を確率の闇に葬り去ろうとする動きである。確率・統計は科学をなす上での重要な手法・手段であるが,科学そのものではない。近年,地震ハザードの予測を含め,いろいろなリスク評価にベイズ統計学を用いようとする動きが急速に進められている。ベイズ統計は,一般の頻度主義確率論とは異なり,主観確率を容認するベイズ主義に基づくもので,例えば,粘土で手作りした不格好なサイコロの目の出る確率は,単純な頻度主義確立論では導けないが,ベイズ統計では,実際にサイコロを振ってみて,回を重ねる毎に(経験によって)修正しながら「尤度(ゆうど)」やオッズを算出することが可能だ。このように,頻度主義で確率を求めるのが困難なある種の複雑系において,尤度という尺度での確率を出すのにベイズ統計は力を発揮する。しかし,NRRCが目指しているのは,個々の科学の成果そのものを単なる一つの「現象」として重みを付けて統計処理し,学界における既存の意見分布に合うような結論を出して危険度を確率的に評価しようとするもので,科学の愚弄に他ならない。

 第二に,一般にリスクと呼ばれるものは大別すれば二つの全く異なるカテゴリーのもの,つまり,何度起こっても個々に回復可能なリスクと,一度でもおこれば破滅してしまうリスクとに分けられるであろう。両者を数値に換算して比較することは,例え可能であっても容認できないとの立場があり得る。この立場は,科学ではなく倫理上のものである。ロシアンルーレットで,リボルバーの装填可能な弾数が6発は少なすぎていやだろうかから100発にしてやると言われても,ロシアンルーレットなど千分の一でも万分の一でも拒否する立場を認めるのが倫理にかなっている。

 もう一度原発のメルトダウン事故が起これば日本は破滅してしまうだろう。だから,交通事故で毎年何千人も亡くなっているからといって原発の事故と数値の上で比較することはできない。原発の安全審査を確率論でやろうとすることは,ロシアンルーレットを拒否するという選択肢(政策判断)があり得ることを後方へ追いやり,原発を未来永劫動かし続けることに道を開くものである。原発の地震ハザードの評価では,いろいろな学説の中で最も高い危険性を示す見解について検討し,それが完全には否定できないと判断されたら,それをもとに耐震性を評価すべきだ。リボルバーの弾が全て抜かれていることが確認できない限り,引き金を引くべきではない。


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