さつきのブログ「科学と認識」

福島第一原発、アンダーコントロールで、わざと昨年の2倍の放射能を放出か

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 「宮崎・早野論文事件」が発覚してしばらく経った訳だが、やはりというべきか、早野さんを擁護する人がちらほら出てきて、この事件らしい様相を呈してきたようだ。以下に示すように、早野さんは放射能安全デマを繰り出す確信犯だから、早野さんを擁護する人は同じような確信犯であるか、それらの人に騙された愚かな人であるかのどちらかということなのだろう。
 
牧野さんがHARBOR BUSINESS Onlineに書いた記事にある「事故発生後の早野氏の削除されたTweet」や、押川さんのツイートでの指摘等にあるように、早野さんは、東電原発事故による放射能汚染と大気圏内核実験によるグローバルフォールアウトを比較した場合、福島だけでなく東京でも圧倒的に東電原発事故による汚染濃度が高いという事実を2011年の内には把握しておきながら、グローバルフォールアウトに比べて東電原発事故による放射能は大したことないとの嘘をくり返し広めている。以下に、早野龍五・糸井重里著『知ろうとすること』(新潮文庫オリジナル  2014年11月5日 第五刷)のp36〜41から引用しておく。

早野 被ばくに関するもうひとつの経験は、ぼくが物理学科の学生だったころの話です。大学にある小さな加速器(原子核の実験に用いる装置)を使った施設で、実験をやっていたんです。加速器のある部屋には出入り口のところに放射線のモニターがあって、体が放射線で汚れていないことをチェックしてから部屋を出ることになっていました。
 ある日、女性の技術者がそれに乗ったところ、すごく高い反応があって警報が鳴り響いたんです。これは加速器のどこかで大変なことが起きたに違いないってことになって、汚染源を突き止めるために、みんなでサーベイメーター(携帯用放射線測定器)を持って加速器の中を調べました。でも、なかなか見つからない。そしたら、外に通じる廊下、そこに足跡のように、飛び飛びに汚染が続いているってことがわかったんですね。つまり、汚染は加速器の中ではなく、外から来ていた。
 それで、外へ出てみて計測してみたところ、あたり一面が汚染されているという状態でした。雨が降っていて、彼女は外から歩いて加速器のある部屋に入って来たんです。それから中で作業して、出るときにチェックで引っかかった。で、彼女を見たら、髪の毛が雨でちょっと濡れていて、その部分を測ってみたらすごい汚染なんです。すぐにシャワーで洗い流して、もう一度測定したら問題ない値になった。あらためて、あちこち測ってみると、外の葉っぱの上や、道路の上、飛び飛びに汚染があるという状態でした。
 研究室にはサーベイメーターだけではなくゲルマニウム検出器もあったので、汚染源が何なのか詳しく調べてみました。すると、核分裂以外では生じえないものが検出されたんです。
 つまり、「これはどこかの国が核実験をやったに違いない」と。
 その時点では、まだニュースも流れていなかったんですが、後日、中国が大気圏内実験をやった直後だったということがわかったんです。(中国は、1973年6月27日、西部地区上空で水爆の実験を行ったと発表。爆発威力は約2〜3メガトンで、航空機から投下されたと見られている)。核実験の後に東京に雨が降って、その放射線を偶然に計測してしまったわけです。
糸井 大事件ですね、それは。
早野 1973年、東京の都心での出来事です。もちろん、その日は誰もそんなことは知らされていません。けれども、少なくとも東京にいた人たちは、みんなその雨を浴びたんです。
 それはぼくにとってある意味、強烈な原体験でした。
 ぼくは核分裂片というのはどういうγ線を出すかということを実際に計測して初めて知りましたし、核分裂で降ってくるフォールアウト(放射性降下物)というのは、雨と共に一様に広く薄く散らばるんじゃなくて、わりと、ゴロンゴロンと粒で地上に残ることも知りました。また、汚染された靴を洗ったりシャワーを浴びたりして、その程度の汚染であれば、洗い流せるということも知ったんです。
糸井 当時、東京にいた人たちは、何も知らずにフォールアウトの雨の中にいたんですね。
早野 はい、ぼくは、当時、その事実に一番最初に気がついた数人の中の一人だったわけです。
糸井 そのフォールアウトを実測したときの数値は、今回の事故の数値と比較して、どのくらいの規模のものだったんですか。
早野 ぼくらは、いまのように1平方メートルあたり何ベクレルというかたちでは測ってなかったので、当時の東京といまの福島を直接比較するのは難しいんです。でも、気象研究所というところが1950年代後期からずっと核実験によるフォールアウトの研究をしていて、継続的に数値を残しているので、そのデータといまの福島を比べることは、事故後、割と早い時期からできていました。
 地域差があるので一概には言えませんが、少なくとも首都圏に関しては、1973年のフォールアウトと比較しても、それほど心配するレベルではないなと。また、この程度の数値であれば、放射線によって福島の方々が将来バタバタと体を壊していくようなことは決して起こらない。それを早い時点で確信していたので、たしか3月14には、そのようにツイートしていたと思います。

ryugo hayan@hayano (2011 3/14)
1973 年に中国が大気圏核実験を行い、東京に雨とともに放射性物質が降った。学生だった私はガイガーカウンターで人々の頭髪や衣服などを測定。その数値は、福島の病院で被ばくされた方々と同等以上、都民の多くが被ばくしたはずだが、それによる健康被害は現在に至るまで報告されていない。

糸井 ああ、そのツイートはよく覚えています。3月14日といったら、まだ余震が頻繁にあった時期ですよね・・・。
 そうそう、当時、早野さんのツイートを読んでたときの気持ちを思い出してきました。早野さんは「安心しなさい」みたいなことは一言もおっしゃってなくて、ただ事実をツイートしてたんですよ。みんなが大騒ぎしている時に、淡々と。
早野 うん、そうですね。事実を書いて伝えてた。それは意識していました。
  当時、ぼくには、自分の医療被ばくと、核実験のフォールアウトという、放射線に関するふたつの物差しがあった。だから、「今回の事故は、それと比べてどの程度だろう」という風に常に考えることができたんですね。個人的な体験に基づく物差しというのは、思い込みの原因にもなるので、場合によっては危険なんですけど、今回はその物差しが使える範囲の中に福島のほとんどの事象があったので、とても役に立ったんです。

 SYNODOSのまだ続く「知ろうとすること。」という片瀬久美子さんの記事(2018年5月12日)が今になって宣伝されているれど、片瀬さんは騙す人?、騙された人??

 私はかつて、故肥田舜太郎さんの著書にある誤りを出版元の筑摩書房の感想投稿フォームを使って質したところ(注)、丁寧なお詫びを添えて、新しい版では既に訂正済みである旨のメールをいただいたという経験がある。新潮社のサイトにはそのような場がないようだし、早野さんは確信犯だから、他の人が騙されないようにこの記事を書いた訳だが、それにしても、「将来バタバタと体を壊していくようなこと」はないから安心して良いと、早野さんは言っている訳だ。「バタバタと体を壊していく」ような状況と、安心して良い状況との間には大きな開きがあると思うのだが・・・

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