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[ さつき ]
2013/11/11(月) 午後 7:47
樹々の緑さん、仕事が忙しく、お返事が遅れがちになります。
>「公正さ」の維持が、論者の信頼性の試金石
確かに「禁」と「協」、あるいは社会党と共産党の間での「公正さ」の問題として捉えるとき、共産党ばかりに(分裂の)責任があると言えないのはその通りと思います。ただ、この問題で私が、そのどちらでもない「被団協の立場から考える」と書いたのは、前回最後のコメントで樹々の緑さんの言葉として引用した中の「共通課題の協同による深化」の、その「共通課題」そのものが見失われ、運動のヘゲモニー争いに堕していたと判断しているからです。原点を少しでも見失えば運動は必ず衰退するというのは歴史の教えるところです。ちなみに、70年代後半にこのことを共産党員に訊くと、決まって「いかなる国の問題だね」と言って口をモゴモゴ。当時、共産党の多くの文献にも「いかなる国の問題」との記載があるだけでそっけなく、若い党員の多くは問題の所在さへ理解していないようでした。たぶん、長崎や広島では違っていたでしょうが、そんなものです。
[ 樹々の緑 ]
2013/11/11(月) 午前 2:21
【追記】
1960年代以降、共産党系の原子力研究者の中から、高木仁三郎のような人物が生れてこなかったのは事実でしょうが、その愚昧さはなぜかくも長きに亘って是正されなかったのでしょうか? なぜ、共産党系の研究者の中から、小出裕章のような人物が出なかったのでしょうか?
その点について、私は1970年代を通じた学生運動に対する共産党の誤った指導により、政治的訓練を経たポスト団塊世代の研究者が育たなかったことが、大きな原因の一つだと確信しています。ここに「失われた10年」があるために、いま定年を迎えつつあるこの世代を指導教官とする若手研究者の中にも、信頼に値する研究者が圧倒的に不足している、と私は痛感しています。
もし加藤哲郎さんが、学生時代に活動家だったとすれば、まさにそのとんでもない学生運動指導方針と、当時たたかっていたのかが鋭く問われるでしょう。
こうしてすべての問題は連鎖してくるのであり、自分を度外視してある事柄に対する方針の誤りをどれほど精緻に跡づけたとしても、それだけで運動の大局的利益が確保され解明されるわけではないと思っています。
[ 樹々の緑 ]
2013/11/11(月) 午前 1:39
[ 樹々の緑 ]
2013/11/11(月) 午前 1:28
[ 樹々の緑 ]
2013/11/11(月) 午前 1:20
[ 樹々の緑 ]
2013/11/11(月) 午前 1:18
> 分裂を巡って問われたことは「部分的核実験停止条約の評価」ではなく、いかなる国の核兵器にも反対するかどうかであった筈です。
さつきさんの恩師のお一人の「痛恨の思い」については、その通りだと思います。また、加藤哲郎さんのレジュメは、ザッと目を通しておりました。
ただ、やはりこの分析は、共産党の誤り(それが「誤り」であることは間違いありません)を抉るという目的によるバイアスがかかっているように思います。加藤さん自身のスタンスが、党を離れた初期の時点から、ずいぶんと変わっているように思っています。私は、自分自身の経験から、この点の「公正さ」の維持が、論者の信頼性の試金石だと思っています。
私が言いたかったことは、さつきさんの直上の私の引用の最後の部分に照らすと、分裂の原因は「部分核停条約の評価」以外の何ものでもない、ということです。当時、自分たちの意見の方が正しいからといって、組織を割る必要はありません。何年も「意見の違い」を抱えながらやって来ていた筈です。
[ さつき ]
2013/11/10(日) 午後 9:56
>「禁・協分裂」
この問題については私は被団協の立場から考えるようにしています。そうすると、分裂を巡って問われたことは「部分的核実験停止条約の評価」ではなく、いかなる国の核兵器にも反対するかどうかであった筈です。私の恩師の一人は被団協の中心的なメンバーでしたが、ソ連が(最初の)核実験に成功したとの報を聞いてワインで乾杯したのだと、痛恨の思いを語って下さいました。そのことへの後悔が強く、その後は『原水禁』と行動を共にするようになったようです。大江健三郎氏も、どのような核兵器であっても反対を貫くことのできない原水禁運動などあり得ないという意味のことを書いていましたが、その通りだと思います。
>「あなたにそれを言う資格があるのか」という問いかけ
なるほど私は、小泉元首相に対して「あなたにそれを言う資格があるのか」と問うて批判している人に向けて、それを言うなら「あなたにはそれを言う資格はあるのか」と問うている訳ですが、確かに非生産的ですね。この点は私も反省しなければなりません。「絶望からの突破口も、少なくとも当面は、先の「共通課題の協同による深化」の過程でしか得られない」に同意します
[ さつき ]
2013/11/10(日) 午後 9:52
[ さつき ]
2013/11/10(日) 午後 9:50
樹々の緑さん、お久しぶりです。
>1980年代前半の国会質疑
かつての共産党の原発政策については、ぜひとも下記ページをご覧下さい。
http://masato555.justhpbs.jp/newpage89.html
これは、私のこのエントリーを投稿した後で見つけたものですが、貴重な資料集となっています。また、最後の筆者の感想もおおむね私の認識と一致するものです。要するに共産党は安全な原発は可能だとの立場に立っていたのですが、最も重要な核廃棄物処分の問題も含め、その内容は「放射性廃棄物をロケットに積んで太陽にぶちこむという方法もある」と書くなど、荒唐無稽なことばかりです。また、反原発運動に対する批判においても「原子力の利用」と「放射線の利用」を混同した稚拙なものです。平和利用三原則が荒唐無稽なものであることは、真の「公開」が不可能であるという原子力の本来的な性格から来ていると考えているのですが、やはり、初めの一歩から対処を誤っていたと思います。この点、大多数の科学者が正しい見通しを持てていなかった以上、共産党に責任を押しつける訳にはいかないというのはその通りだと思います。
[ 樹々の緑 ]
2013/11/9(土) 午後 11:23
【追記】
「禁」「協」の対立と関連するかも知れませんが、1990年代の原水協の中で、劣化ウラン弾使用禁止を課題に掲げるかどうか、少なくともそれに言及するかどうか、厳しい意見対立があったように聞いています(私の身近な者に原水協関係者がいましたので)。
これも、内部被曝をもたらす核汚染という観点から見れば、真面目に取り組めば原発の可否にまで到達したかも知れません。
ただ、あえて言いますと、50年前の東京地裁下田判決以来の流れで核兵器廃絶問題を把握する限り、ICJの勧告的意見を引き出した運動を進めていた人たちは、白燐弾などと同じ感覚で「残虐兵器の国際条約による禁圧」という方向性しか念頭になかったのでしょう。
とすると、そもそもの原水禁運動の端緒となったビキニ水爆実験による被害を、どのように全面的に受けとめるかというところから、再検討をしなければならなかったように思います。




