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 昨日の記事を投稿した後で、Journal of Radiological Protectionの宮崎・早野論文のページにArticle informationとして注意喚起のコメントが掲載されているのを知った。昨日の夕方の時点では気づかなかったので、その後の事と思われる。

 第一論文については、使用されているデータの中に適切な同意を得ていないものが含まれている可能性があり、現在調査中であること、第二論文については、これに加え、主要な結論に影響を与える可能性のある計算間違いがある事が指摘されている。

 この二つの論文が注目されたのは、第一論文の、個人線量率とグリッド空間線量率の比の平均 <c> が 0.15 ± 0.03 と、従来考えられていた 0.6 の 1/4 になるという結論と、第二論文の、生涯(70年後まで)の累積線量の中央値は線量の高いA区域でも18 mSv 程度であり、全体として除染の効果も見えないという結論にある。

 早野さんの1月7日の釈明では、第二論文で累積線量を計算する際に、3ヶ月の累積線量を積算すべきだったのに、1ヶ月当たりの線量率を積算してしまい、結果的に結論が1/3過小な見積もりになってしまったと説明されている。近似曲線を積分して累積線量を得たなら線量率のままでも問題はないように思うのだが、その値が間違っていたという事らしい。谷本さん達の検証によると、この説明だけでは整合しないものになっているというのは前回書いた事だが、早野さんとしては、第二論文の結論の一つである、A区域の生涯累積線量の中央値 18 mSv を 54 mSv に改めるということであろう。

 ここで注意すべきは、第二論文に次のように書かれていることである。

 前論文で c=0.15±0.03 と計算されおり、全てのガラスバッジによるサーベイの参加者の平均値である。現在の研究においては、私たちは c を継続的にガラスバッジを使用した人々に対し各地域ごとに再計算した。その結果は:cA=0.10、cB =0.12、cC =0.15 である。(黒川さん訳)

 この係数は極めて重要であるにも関わらず、あっさりと変更されているし、c の値が従来の定説とあまりにかけ離れている理由や、線量の高いところほど c が小さくなっている理由などが全く説明されていない。第二論文の、A区域の生涯累積線量の中央値が 18 mSv から 54 mSv に改められるとしても、c の値が従来の1/6 になっていることに変更はなく、この点で注意が必要である。仮に従来の c = 0.6 になるようなモデルを採用すると、6倍の 324 mSvとなるが、逆にそれは実測値とかけ離れることになる。つまり、実測値が従来のモデルで予測される値の1/4〜1/6 と小さな値になっているのは何故かということが問題となる。

 c の値が小さくなっている理由としては、ガラスバッジの測定では、装着者自身によって背後からの放射線が遮蔽される事や、身に着けずに放置されたりした不正常なデータが含まれている事などが指摘されているが、これらの問題については第一論文で検討され、大きな問題はないとされている。

 一方で私が気になったのは、ガラスバッジによる測定のバックグラウンド値である。このことについて、第一論文には次のように書かれている。

 ガラスバッジは自然放射線(地面からのガンマ線と宇宙線)に対しても反応する。事故によって放出された放射性セシウムによる追加線量を評価するためには、バックグラウンドの寄与を差し引く必要がある。福島県民に対してガラスバッジの読み値を報告するときには、ガラスバッジの供給者である千代田テクノルは、福島第一原発事故による汚染が小さい茨城県大洗町(福島第一原発から130km 南)で計測された 0.54 mSvy-1 相当分を差し引いている。伊達市はこのようにして得られた結果を各参加者に郵送する。(黒川さん訳)

 大洗町での計測値をもとに読み取り値から一律に 0.54 mSv/y を差し引いているということであるが、c の値が小さいとしたら、バックグラウンドの計測値も小さくなる筈なので、はなはだ疑問である。地質学会が公開している「日本の自然放射線量」のサイトで地上1 m高の放射線量(吸収線量)を確認すると、大洗町は全域 0.036〜0.0543 uGy/h の領域にある。Gy を Sv とほぼ等価とみなすと、年間にして 0.315〜0.476 mSv/y となる。 c = 0.15 を与えるガラスバッジで計測した場合 0.047〜0.071 mSv/y と一桁小さな値になる筈であるが、実際には 0.54 mSv/y と大変大きな値になっている。

 一方、伊達市の方は、南東部にある過疎地の一部に 0.0543〜0.0725 uGy/h(0.476〜0.635 mSv/y)のやや高いところがあるものの大部分は大洗町と同じ線量域となっており、西部の人口密集地の一部には0.0178〜0.036 uGy/h(0.156〜0.315 mSv/y)と線量の小さなところを含んでいる。すなわち、c = 0.15 となるようなガラスバッジのバックグラウンド値としては、0.54 mSv/y は一桁高すぎる可能性が高い。その結果、空間線量が 2 uGy/h を超えるような高線量地域でさえ、ゼロに近い異常な値が計測されることになった可能性がある(第一論文の Figure 4)。
 
 原発事故の前に野外における自然放射線を計測した私の経験からしても、 c が 0.15 と小さければ大洗町で 0.54 mSv/y と計測される筈はなはなく、0.54 mSv/y が正しければ、c は1に近い値でなければならないと断言できる。しかし、バックグラウンドの見積もり誤差の影響は、低線量域ほど大きくなるので、第二論文で示された c の値が高線量地区ほど小さくなっていることは、過剰なバックグラウンドが仮定されていることだけでは説明できない。結局、多数のファクターが重なって c が実際より小さく見積もられたのではないかと思われる。そこに恣意的な選択はなかったのか、検証されるべきであろう。

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 昨年末から話題になっている「宮崎・早野論文」の不正疑惑問題(注1)について、神戸大の牧野淳一郎さんが「HARBOR BUSINESS Online」に寄稿した記事を読んだ。

 これは、STAP細胞問題より深刻な、日本の科学史に残る事件に発展しそうな気配だ。関連する情報等は、内田 @uchida_kawasakiさんによるtogetter:伊達市被曝ばくデータ・被曝線量管理に繋がる『宮崎真氏早野龍五氏論文』関連まとめ・記事リンクメモ(2018.12.16作成・更新継続予定)にまとめられている。

 問題がおおやけになるきっかけとなった福島県伊達市議会における盒彊賤概聴による一連の一般質問の動画をみて、大変驚いた。牧野さんがその一部を文字起こししている(注2)。

 高橋議員はかなり早い時期からガラスバッジの問題を追及し続けてきたようであるが、宮崎・早野論文に言及のある、おそらく最初の質疑は、平成29年6月定例会 6月14日分の録画映像 (5/5)にあり、開始7分後辺りから論文の問題がとり上げられる。

<要旨>
 『週刊ダイヤモンド』誌上で、伊達市長の考えが紹介されており、宮崎・早野論文を根拠に、国の除染基準は4倍過剰になっていると主張されている(注3)。当初より市長は除染に消極的だったので、この論文を宣伝しているようだ。論文ではガラスバッジで測定された実効線量と空間線量の比は、0.6ではなく0.15であるとなっている。本当にそうだろうかと仲間と相談し、黒川さんに会いに行って聞いてみた。黒川さんはすぐに論文を入手し、数日後に朝日新聞のWEB RONZAで、この論文についていくつもの疑義を指摘した。そこで、黒川さんに福島に来てもらって、パワーポイントで詳しく説明してもらった。・・・

47分10秒から
高橋議員:・・・あるいは例えば、今回、情報開示請求していただいた、いわゆる、伊達市が、宮崎・早野論文を作る先生方に渡した資料と同じものを情報開示請求してくれた方がいらっしゃいます。で、ガラスバッジででた分析のデータも、全部ここ(CD?)に入っています。私も(パソコンで)急いで見ましたが、かなり高い人も、かなり居ます。私は、毎度毎度私からガラスバッジの根拠もないようなことを言ってんじゃないと言われるのがいやでね、宮崎先生にお願いして論文を書かせたんじゃないかと、いうふうに私は思うの。そこはどうですか。

直轄理事:そのようなことはございません。

 後日も高橋議員の追及は続き(注4)、とうとう、多数の不同意者の個人情報を含むデータが、正式な審査・手続きを経ないまま早野さん側に渡されていたことが明らかになった訳である。

 それにしてもこの高橋一由議員は市議の鏡のような人だ。昨年12月6日の一般質問の動画を見ると、新しい市長と直轄理事に変わり、高橋氏は議長になっている。そのため、一旦議長の代理を立てて一議員として質問に立っている。

 牧野さんが寄稿した記事では、タイトルにあるように、このような研究倫理違反の問題と、計算や理路に多数の瑕疵があり、論文の結論が再現されないという問題が指摘されているが、後者については次のまとめで議論されている。


 東京大学の押川正毅さん(物理)とローマ大学の谷本溶さん(数学)による、論文の理路を辿った具体的な検証によっても、早野さんの1月7日の釈明内容を含めて再現できないようだ。私自身は、たまにガラスバッジを付けて仕事をするにもかかわらず、そこから得られる生の数値情報がどのようなものか、例えば、個々に誤差情報が含まれているのかどうかさえ知らないので、再現できない部分に何が隠されているのか検討する能力はない。

 しかしこれを読むと、そもそも何故こんな論文が査読を通ってしまったのか、頭を抱えてしまう。これは、修正、再投稿では済まないレベルなので、当然取り下げ・ボツになるだろう。黒川さんのレター(間違いの指摘)が “ready to be accepted” となったまま放置されているのは、査読者・編集者の責任問題に発展しているということなのだろうか。

 今の時点で、「宮崎・早野論文事件」を、単なる計算ミスなので修正・再投稿したら良いだけと主張している科学畑の人が少なからず居るが、彼らはそれがどのようなミスによるものか説明しようとしない。牧野さん、押川さん、谷本さんの指摘どころか、黒川さんのレターさえ読んでいないようだし、とにかく、読みたくもないと思っているのだろう。Twitterでの釈明で済ましたままの早野さんも、ダンマリを決め込んでいる宮崎さんも不誠実極まりないが、これを科学の危機と捉えることができるかどうかはある種の試金石となろう。東大の調査が注目される。

 これらとは別に、黒川さんがWEB RONZAで指摘したもう一つの問題がある。

 科学の作法に正しく則った、すなわち、研究倫理の問題をクリアーし、正しい理路で正しく計算したら「被曝線量を過小評価」するような結論にはなり得ないのか、といったようなことを考えるとき、この問題でのキーワードは、黒川さんの言う「がまん量」だ。

人文書院:[寄稿]『原発事故後の子ども保養支援』著者・疋田香澄氏
黒川:
放射線には「許容量」はないんです。職業従事者なども含めて「がまん量」があるだけです。

 これはもちろん、故・武谷三男さんの発想によるが、しぶしぶとではあってもICRPも認める国際的に定着した考え方であり、決して特殊な考え方ではない。「ALARAの原則」も、この考え方を基礎としている。この点、初期被曝量の見積もりは極めて重要であるが、第二論文では、文献の引用がないまま、さらっと次のように書かれている(黒川さん訳:注5)。

チェルノブイリ事故においては、ロシア、白ロシア、そしてウクライナの住民は生涯線量(最長事故後70 年)の1/4 を事故後の最初の1 年間に受けたと評価されている[15]。伊達市民の事故後の最初の一年間の累積線量は生涯線量の〜1/6 と評価されている。

 結局のところ、「がまん量」の考え方を理解しない者が早野さんを擁護しているのだろうが、早野さんの釈明tweeに1,500件を超える「いいね」が押されているのを見ると(1月12日22時時点)、日本も相当ヤバいなと思う。

 さて、従来の常識を翻すような研究成果が出てきたときに、その評価にかかわって最大限注意しなければならないことがある。その新しい説では、従来の常識はどのよう誤っていたのか、その理由についてきちんと説明できているかという点である。この点で宮崎・早野論文は全く不十分である。そのことが未解明のまま、常識を翻す新しい説を従来の体系の中に組み込むと解釈の自由度が発散してしまうことがある。例えば第二論文の「4. 議論」には次のように書かれている(黒川さん訳:注5)。

 この研究はいくつかのユニークな特徴を持つ。まず、汚染が長期間にわたるエリアの住民の継続的な、参加人数が大きいモニタリングの記録がほかには存在せず、比較可能な個人線量データがない。例えば、チェルノブイリ事故の後では外部被曝線量は個人線量計によるのではなく、周辺線量率にもとづいて評価されてきた。それゆえ、汚染地域に住む人々にとって重要な情報である生涯累積線量は測定された個人線量から求められたものではなかった。

 そうすると、チェルノブイリの住民が受けた実効線量も、実は大変小さなものであって、にもかかわらず甲状腺癌が多発してしまったので、新しい説で換算された実効線量で防護基準を評価する際には従来の何倍も厳しくしなければならないという考えも成り立つのである。

――――――――――――――――――――――



いまだ7万9000人が避難生活を送る福島県。住民が全町・全村避難を強いられる多くの自治体で、この春一斉に避難指示が解除される。そんな中発表されたある英語論文が福島の放射線問題の関係者に静かな衝撃を与えている。原発事故後に、政府が避難や除染の目安としてきた、住民の外部被ばく線量の推定値が、実測値より大幅に過大だったことが明らかになったのだ。(「週刊ダイヤモンド」編集部 鈴木洋子)


注5)黒川さんによる論文の和訳

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 少し前に、安東量子さんの以下のようなtweetに接し、思うところあってこれを書く。

日本の物理学者が、アメリカのマンハッタン計画には米国の物理学者が深く関与していたのは事実だけれど、彼らは原爆の実戦使用には反対したんだ、彼らは悪魔ではないし、平和主義者だったんだ、と学生の授業で解説したら、学生の感想は、「そら、認識が甘すぎるで。世間知らずや」だったそう。
22:31 - 2018年10月1日


そんなん作ってしまったら、当時の状況で軍隊が使わんわけないやないか。作ることを提言しておいて、いざできたら実際に使われると思わなかったなんて、世間知らずにもほどがある。と言われたと言う話を聞いて、そらそだよな、と思った。
22:34 - 2018年10月1日

 「世間知らず」との批判は、原爆開発に関与した物理学者だけでなく、外形上、授業で彼らを擁護した「日本の物理学者」にも向けられていると考えることができよう。こんなふうにツッコミを入れる学生がいることは頼もしい。しかし、これがもし、例えば「平和学」や「科学技術社会論」のような授業でのことだとしたら、「それはいくらなんでも、それはいくらなんでもご容赦ください」と言うべき雑な講義内容だ。

 かつて大学の講義でこの種の話題が持ち出される時は、きまって篠原正瑛(せいえい)さんとアインシュタインとの間で交わされた往復書簡のことが言及されたと思う。哲学者であった篠原さんは、平和主義を説くアインシュタインとの間で、原爆を作るようルーズヴェルトに進言する手紙に署名したことは失敗であり悔い改めるべきだとして、1953年から54年にかけて6往復の手紙のやりとりをした(注1)。その往復書簡の内容をベースとして、ある科学技術がまさに悪用されようとする社会情勢にある時、あるいは将来人類にとてつもなく大きな災いとなる可能性がある時、科学者はその研究・開発を封印すべきであるとの主張は、研究者倫理としてひろまっていたのである。実際、私の大学院時代のY先生の最終講義の半分は、この話題に充てられた。しかし、当時のこの議論に、物理学者達はひどく世間知らずだとの認識は少しも紛れ込んでいなかったことは注意した方が良い。

 篠原さんは、後に、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)の委員など社会的活動もなさったので、そうした活動の場でアインシュタインとの往復書簡のことが広まったようだ。Y先生も原水禁や被団協の活動で篠原さんと付き合いがあったが、多くの人々が手紙の具体的な内容を知るようになったのは、『アインシュタイン平和書簡3』(ネーサン、ノーデン編、金子敏男訳、みすず書房、1977年2月)(注2)の刊行によるところが大きいであろう。しかし残念なことに、私のみるところこの書は、アインシュタインを美化するあまり篠原さんの問いかけを端折ってしまうなど、不当な編集が加えられている。それでもこれを読むと、それほど単純な話ではないことがわかる。篠原さんご自身で生前に往復書簡の全文を公開しなかったのは何故なのか長年疑問に感じていたが、この機会に改めて読み返してみてその理由も透けて見えるような気がしたのである。

 きっかけは、雑誌『改造』の編集長であった原勝さんが、アインシュタインに向けて、原爆開発の責任を問う手紙を送り(1952年9月15日付)、すぐに返事があって、篠原さんがそれらの日独間翻訳を行なったことにある。『改造』からの最初の手紙は以下のような内容であった。

 ・・・最近−すなわち戦後七年にしてー原子爆弾による破壊を撮った写真の発表禁止が、解除されました。始めて日本国民は、原子爆弾の絶滅的とはいわないでも、最も破壊的な効力を示す、あの破局の真の場面に直面しました。全日本国民は再度、自らの罪の招いた結果に、否応なしに思い及んだ訳であります。・・・しかしわれわれは、如何に科学が、その第一の目的は人類の福祉と幸福に奉仕すべきであるのに、このように恐ろしい結果を生み出す手段となってしまったのかと、当惑の感情をいだかされております。偉大な科学者として、原爆製造に重要な役割を演じられたあなたは、日本国民の精神的苦痛を救う優れた資質が、おありになります。したがって私は、敢えて次の点をお訊ねする次第です。
(中略)
(4)あなたは何故、原子爆弾の凄まじい破壊力を十分御承知でありながら、その製造に協力なさったのですか。・・・・
(p. 680-681)

 上記(4)の問に対してアインシュタインは、9月20日付、以下のように返信した。

 原子爆弾の創造に私が参加した本質は、唯一つの行為です。ルーズベルト大統領宛の一通の手紙に、私は署名をしました。その手紙では、原子爆弾製造の可能性を求めて、大規模な実験を試みる必要が、強調されていたのです。
 この計画の成功が人類にとって意味する恐るべき危険について、私は十分承知しておりました。しかし、ドイツ人が同じ問題で、成功の見通しを以って研究していると言う可能性が、私をこうせざるを得なくしたのでした。例え私が常に確信のある平和主義者であるにしても、他の何物も私には残っていなかったのです。・・・
(p. 681)

 この返信では、この後、平和達成の手段を軍備に求めることは軍拡競争を招き、必然的に人類滅亡の道へ連なるものであることを説き、最後にガンジーが引用される。

 このやりとりを翻訳した篠原さんはこれに納得せず、翌53年1月5日、アインシュタインに最初の手紙を書き送った。篠原さんは、自らを「絶対的」平和主義者とするアインシュタインが、ルーズヴェルト宛の手紙をどうして書くことができたのか、「絶対的平和主義者」として止まることを願うならば、ルーズヴェルト宛の手紙を嘆かわしい失敗だと考える外ないではないかと問うた。ガンジーだったらアインシュタインのようには行動しなかったろうとも付言した。篠原さんの中心的な問題意識が当時の日本の進路にあったことは次の文面から読み取れる。

 ・・・アメリカの圧力下での、日本再軍備の危険な進行に伴って、日本では次のような声が、一層強く聞かれるようになっています。すなわち軍備なしの絶対平和は、決してありえないこと、および現実的には「正当な自衛」のための軍備をともなう、相対的な平和のみが考えられうるものであり、可能であるということです。そのような主張をなす人々の中には、周知の絶対平和主義者であるアインシュタインのような人ですらも、一定の条件下では、間接的に原爆製造に参加することが許されると考えているという、あなたの例を以って、その主張を弁護しようとするかの如き者が、幾人かあります。・・・
(p. 683)

 1950年に朝鮮戦争が勃発してGHQの司令のもと警察予備隊が組織され、やがて1954年の自衛隊の設置へと向かおうとする時代背景がある。篠原さんの問いかけにアインシュタインは同年2月22日に返事を送った。

 一月五日付の貴信で、あなたが私に対してなさっている非難は、絶対的すなわち無条件の平和主義の立場からすれば、全く正当であります。しかし「改造」に宛てた手紙の中で、私は絶対的平和主義者であるとは申しておりません。常に確信ある平和主義者であったと、私は申しました。正に確信ある平和主義者であるとしてもなお、私の見解では、暴力を用うることが必要となる条件があるのです。その場合がおとずれるのは、私に敵があって、その無条件の目的が、私と私の家族を殺害することである場合です。しかし、他のいかなる場合にも、国の間の紛争の危機に際して、暴力の使用を、私は不正であり有害であると思います。
 こういう訳でナチスドイツに対する暴力の使用を、私は正当であり必要であったと思います。・・・・
(p. 683)
 
 篠原さんはまたも納得せず、同年6月18日付再度の手紙を書き送っているが、この部分は編者によって以下のように要約されている。

 ・・・「確信ある」平和主義とは、「絶対的」平和主義者でないならば、何なのかと。結局ヒトラーも平和を望んでいると、確信していた。原子爆弾は、それがドイツに対して用いられることを、アインシュタインは支持したが、事実上はドイツ人にではなくて、広島と長崎の平和な人々の上に落とされた。しかも日本は、この恐怖兵器にさらされなくても、降伏せざるをえなかったことは、確かであったろう。アメリカは否定しているが、日本人がモルモットとして用いられたのだということは、明瞭である。このことは、二発の原子爆弾の犠牲者のために、アメリカが何ごともなしえなかったということで、確認された結論である。・・・・
(p. 684)

 アインシュタインは直ちに(6月23日)、しかし、篠原さんの数ページの手紙の1枚の裏に書きなぐるというあえて礼を失する形で、次のように返信した。

 決然たる平和主義者ですが、絶対的平和主義者では、私はありません。すなわちあらゆる場合に私は暴力に反対します。但し敵対者が生命の抹殺を自己目的として意図している場合は、別です。日本に対する原子爆弾の利用を、私は常に有罪だと判定しています。しかし私はこの宿命的な決定を阻止すべく殆ど何事もできませんでした――日本人の朝鮮や中国での行為に対して、あなたが責任があるとされうるのと同じ程に、少ししかできなかったのです。
 ドイツ人に対する原爆の使用を、是認するというようなことを、私は主張したことはありません。しかしヒトラー治下のドイツだけがこの武器を所有することは、無条件に阻止しなければならないと、私は信じていました。これは正にその時代には、心配すべきことでした。・・・・

追伸
 他人とその行為については、十分の情報を入手されて後、始めて意見を形成されるよう、努力なさるべきでありましょう。
(p. 684-685)

 篠原さんとアインシュタインとの手紙の交換は翌54年7月7日付のアインシュタインからの返信まで全体で6往復続いたが、この書では、最後に次のように書いて、後半を省略している。

 篠原は1953年6月30日、アインシュタインが広島と長崎の悲劇に責任があることを、いったのでは決してない旨を返事した。篠原は、アメリカの良心の最も偉大な守護者の一人が、依然健在であることを知って、満足であった。・・・・
(p. 685)

 何だかグダグダであるが、ここで関連する年表を整理しておこう。

1932年  7月    ドイツの議会選挙でナチ党が第1党となる
1932年12月    アインシュタイン、アメリカへ事実上の移住
1933年  3月23日 ドイツで全権委任法が成立してヒトラーによる独裁体制が始まる
          アインシュタインの自宅がナチス突撃隊による家宅捜索を受ける
1933年  3月30日 シラード、ドイツを脱出
1935年  9月15日 ドイツでニュルンベルク法制定、ユダヤ人迫害が合法化される
1937年  7月  7日 盧溝橋事件
1938年       シラード、アメリカへ事実上の亡命
1939年  8月  2日 アインシュタイン・シラードの手紙が送られる
1939年  9月  1日 ポーランド侵攻
1941年12月  8日 真珠湾攻撃
1942年10月          マンハッタン計画スタート
1945年  4月30日 ヒトラー自殺
             5月  9日 ドイツ国防軍の降伏によってヨーロッパ戦線集結
             6月23日 沖縄戦終結
     7月16日 トリニティ実験
     8月  6日 広島に原爆投下
     8月  9日 長崎に原爆投下

 ナチスによるユダヤ人迫害で身の危険を覚えてアメリカに亡命したアインシュタインが、ただ研究に没頭していただけの世間知らずだった筈はない。彼は、ナチスによって自宅の家宅捜索まで受けている。ルーズベルトへ原爆開発を進言する手紙を書くようアインシュタインに依頼したシラードもユダヤ人であったが、かなり早い時期からナチスの凶暴性を見抜いてその危険性を広く説いて回り、ナチスの全権掌握直後にドイツから脱出している。オッペンハイマーがアメリカへ渡ったのは亡命という形ではなかったにせよ、彼もユダヤ人だった。アインシュタインは、マンハッタン計画に関わっていなかったとはいえ、原爆の開発を進言した手紙に署名したのである。その手紙を読めば、彼らにとって、ナチス・ドイツが先に原爆開発に着手しているという、その切迫した恐怖こそが、「科学技術が悪用される社会情勢」の核心だったことがわかる。

 その上でアインシュタインは、先に原爆を開発してその威力を見せつけることで、実戦で使用しなくてもドイツの降伏を早めることが期待できると考えていたようだ。原爆開発の完了前にドイツは降伏しているので、開発完了後にそれがドイツに対して用いられる可能性は実際上あり得なかった。そこで篠原さんは、既に戦争を継続する力を失っていた日本に落とされたことはどのように正当化されるのかと問うた。これに対してアインシュタインは、「日本に対する原子爆弾の利用を、私は常に有罪だと判定しています」としつつ、それに反対する力は自分にはなかった、それはあなた(篠原さん)が、日本のアジア侵略を止められなかったのと同じだと応じた。

 篠原さんは1939年にドイツへ留学し、ドイツの大学で職を得て、ドイツ降伏後は連合軍により抑留され、スイスでの病気療養を経て49年に帰国とのこと。後に「原水禁」の委員にもなる篠原さんとして、アインシュタインの反撃にどのように納得したのか、この本を読んでもよくわからない。アインシュタインは、篠原さんと往復書簡を交わした後でバートランド・ラッセルと意見を交換し、55年7月9日のラッセル・アインシュタイン宣言を準備した。アインシュタインが亡くなったのはその宣言発表の3ヶ月前の4月18日である。

 さて、戦後の物理学者の中には、世界の命運は我々が握っているのであり、世間知らず故に時代に翻弄されているのはむしろ「大衆」の方であるとの倒錯した世界認識も一部には間違いなくあって、Y先生は、そのことを「物理帝国主義」の一側面として批判された。私自身、この往復書簡の全文を読んでいないので確信は持てないが、篠原さんが生前にその全文を公開しなかったのは、ある種手のつけられない「パンドラの箱」の匂いを嗅ぎ取ったからではないか。アインシュタインの威光に対する敗北主義が哲学者らしからぬ不徹底を招いたのではないかとの疑念は拭えない。

――――――――――――――――――――
注1)篠原さんの遺族がアインシュタインからの返事6通の寄贈先を探しているという2005年6月7日付毎日新聞の記事のコピーが次のページにある。

結果的にこの手紙は広島平和記念資料館に寄贈され、企画展などで公開されているようだ。

注2)『アインシュタイン平和書簡』の書評は大正大学の瀧本往人さんのブログ「 そのたびごとにただ一つ、世界のはじまり」で読むことができる。





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 東電原発事故によって放出された放射性物質の危険性をめぐって、あいかわらず「自然界にこれだけあるから大丈夫」論がまかり通っている。この論法は、歴史的には原子力PAと反原発運動のせめぎ合いの中にあって、放射線防護の科学の進展によって後退を余儀なくされ、それとともにICRPの規制基準も引き下げられてきた。それがいまだに声高に主張されているのであるが、不思議なことにこの論法は、巧妙・精緻化しているのでは全くなく、ごく「素朴」な「自然界にこれだけあるから安全」論にとどまったままなのである。さらに不思議なことにこの論法は、私の見るところ「ニセ科学批判」に熱心な人々によって担われているようだ。

 私は、このような言説はまさにニセ科学ではないかと考えてこのブログにも記事を上げたことがあるが(注1)、ニセ科学を批判する者がそれをやる筈はないとの考えも成立するので、私の良く知らない言葉の定義からすると、これは「ニセ科学」ではないのであろう。そこで私は、これらの言説を「デタラメ科学」と呼ぶことにしたのであるが(注2)、ここではもう少し意味を広くとるために「ダメ科学」と呼ぶことにしよう。つまり私は、東電原発事故以来、「ニセ科学批判」界隈の中に「ダメ科学」が蔓延していると考えている。このことは、日本の科学史の中でも一つの時代を画する出来事と考え、それらの実例を収集してきた(注3)。ここでは、その中の「自然界にこれだけあるから安全」論法の一例として、最近話題になっているトリチウムをめぐる問題をとりあげる。

 この問題は、福島第一原発の地下水を浄化処理したいわゆる「トリチウム汚染水」の海洋放出をタイムテーブルに載せようとする東電や経産省の説明会が開催されるようになったことで、活発に議論されるようになった。その前提として、そもそもこの浄化処理水には、それまで安全基準値以下しか含まれていないと説明されていたトリチウム以外の放射性核種が基準値を大きく超える濃度で含まれていることが発覚したことは抑えておく必要がある(注4)。つまり、この浄化処理水を「トリチウム汚染水」と称することは間違っているのであるが、ここではとりあえずトリチウムの問題をとり上げよう。

 トリチウムについては、ことに有機結合型トリチウム(注5)の健康影響をめぐる研究が多数なされているが、そうした研究を参照することなく、トリチウムは安全だと主張する「科学者」や「科学ライター」や謎の<原子力PAボランティア>がいて、sivadさんによるtogether:「有機結合型トリチウムという基本概念を知らない人たち」に収集されている。

 トリチウム水(HTO)のトリチウムが光合成によって有機物に取り込まれるのは基本中の基本であるが、自然界に存在する全ての同位体は、その元素を含む全ての物質中に天然とほぼ同じ割合で含まれるというのもまた、同位体化学の基本原理である。「ほぼ」と書いたのは、質量数の小さな元素の同位体は、同位体間の質量比が大きいことが要因となって、天然での元素移行や生体における合成・代謝などの過程で特定の同位体が「濃縮」されることもあるからである(注6)。いずれにしてもトリチウムは、太古の昔から天然に存在しているのだから、もともと天然に存在する元素から構成される生命体の水素を含む全ての分子(タンパク質、脂質、糖類、DNA、細胞外高分子など)に含まれることは常識である。逆に特定の物質に含まれないとしたら特殊な同位体分別作用が働いているということで、それを排除したカウンター物質にトリチウムが「濃縮」されることになる。

 さて、誤りや無知に気づいても絶対に反省したくない者が、話の筋とは全く関係ないのに決まって持ち出してくるのが「自然界にこれだけあるから安全」と言ういつもの<捨て台詞>である。

 自然にあるから安全とは言えないことは、例えば天然のラドンが肺がんの原因の一つであるとWHOが警告していることからも明らかであろう。その事を知らなくても、日本を含め、世界の各地で自然にあるヒ素や重金属によって健康被害が起こっていることくらい知っているだろう。それも知らないなら、せめて、自然の紫外線が皮膚ガンの最大の原因であることくらいは常識として知っている筈だ。

 太陽から地表へ降り注ぐ紫外線は、UV-A (波長 315–380 nm)、UV-B (波長 280–315 nm)、UV-C (波長 100–280 nm)に三分されるが、これらの波長域は水素原子の発光スペクトルのバルマー系列より波長が短く、水素原子の軌道電子がエネルギー準位2の状態にあれば、それを弾き飛ばして電離させる能力がある。最低励起エネルギーは、この場合わずか3.4 eVで、電子が基底状態にあれば13.6 eV(波長91.2 nmの遠紫外線に相当)である。すなわち、紫外線の化学作用は電離放射線のそれであり、水素を主要な構成元素の一つとする生体にとって脅威となる。人は、紫外線の照射を受けるとメラニン色素を分泌するなどの防御の仕組みを備えているが、それでも皮膚ガンは一定の割合で発生してしまうので、屋外における紫外線の量が二倍にでもなったら大騒ぎである。どうして自然にある放射性物質の100万倍もの濃度の廃液を垂れ流すのに無頓着でいられるのか、そのことを心配する人に向けて嘲笑の言葉を投げることができるのか、訳がわからない。

 前掲のtogetterにも次のコメントがあった。
原発から出るトリチウムなんて、一日200兆Bqくらい自然に作られてる量に比べたら、微々たるもんだもんね。有機化云々以前の問題。っつか、問題ない、って言うべきか。

 この「一日200兆Bq」は変な値だと思ってリンクをたどると、経産省の中にある「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」の資料(注7)に、日本周辺における自然由来のトリチウム生成量は年間約110~680兆ベクレルと記載されているのが元になっているようだ。日本周辺(領土+領海)に限っているので、変な値になっている。同じ趣旨の発言はネット上に溢れているが、いつもの原子力PAの垂れ流しで、科学が本来持っていなければならない懐疑主義は微塵も感じられない。

 自然界で作られている放射性核種はトリチウムや14C(炭素14)だけではない。ウラン系列、アクチニウム系列やトリウム系列の種々の放射性核種は、日々、膨大な量が生み出されている。その中でも、いろいろな意味で最も危険な放射性核種の一つであるラジウム226(半減期1,600年)が日本列島の地表部(深さ5 cmまで)でどれくらい生み出されているか概算すると、1日あたり1.31 × 10^21 Bq(13.1垓Bq /日)となる(注8)。表層5 cmに限ってもトリチウムの日産量をはるかに凌ぐ量が日々生成され、存在しているのである。だからと言って、こんなに沢山自然界で作られているのだから、ラジウム1兆ベクレルくらい大したことはないと主張したら、莫迦にされるだろう。自然界に沢山あるからというのは、それが安全であることの理由にはならないのである。

 ついでに書いておくと、単位Bq(ベクレル)は1秒あたりの壊変数を言うのだから(Bq/時)や(Bq/日)、(Bq/年)という用法はおかしいとして、それを用いた人に向けて嘲笑の言葉を投げた大学教員が居たが、この方面の分野(放射化学など)では普通に用いられる単位である。その誤りを指摘されても反省も謝罪もなくダンマリを決め込んでいるのもまた、象徴的な出来事であった。

―――――――――――――――――――――――


注3)

注4)以下、デジタル毎日の記事「福島第1処理水 海洋放出、前提危うく 再処理コスト増も」2018/9/29)から引用。

東電と政府はこれまで汚染水処理について、多核種除去設備「ALPS(アルプス)」でトリチウム以外の62種類の放射性物質を除去でき、基準値以下に浄化できると説明してきた。性質が水に近いトリチウムだけは取り除けないが、薄めることで基準値未満にできるとして、汚染水浄化後の処理水の有力な処分方法に海洋放出を挙げていた。

 しかし今回の東電の発表によると、処理水計約94万トン(20日現在)のうち約89万トンを分析した結果、トリチウム以外で排水基準値を下回るのは約14万トンで、約75万トンは超過すると推定される。基準値超えの中には半減期が約30年と長く、体内に入ると骨に蓄積しやすいストロンチウム90も含まれており、サンプル分析では最大で基準値の約2万倍の1リットル当たり約60万ベクレルが検出された。

注5) ATOMICAの「有機結合型トリチウム」の解説に、次の記述がある。

有機結合型トリチウムには、組織内に存在する自由水(組織自由水)と容易に交換可能な交換型トリチウムと有機物の炭素と強く結合している非交換型トリチウムの2種類がある。国際放射線防護委員会(ICRP)が提示しているトリチウムの化学形別の線量係数(Sv/Bq)、すなわち単位摂取放射能当たりの実効線量では、吸入および経口摂取のいずれの場合もトリチウム水(HTO)の線量係数は、トリチウムガス(HT)の10000倍となっている。植物等の組織と結合した有機結合型トリチウム(OBT)の線量係数はトリチウム水(HTO)のさらに約2.3倍である。

注6)炭素同位体(12C, 13C)は植物の光合成によって同位体分別が起こるが、炭素同位体の質量比は13:12と1に近いので、標準物質に対する有機物の13C/12Cは-20‰(パーミル:千分率)程度にすぎない(C3植物、C4植物、CAM植物で若干異なる)。これに対して、水素(H)とトリチウム(T)の質量は3倍も異なっているので、同位体分別はかなり大きくなり得るが、多段階の分別プロセスを仮定したとしても10倍以上の濃縮は考えにくい。

注7)トリチウムの性質等について(案) (参考資料),多核種除去設備等処理水の取扱いに 関する小委員会 事務局,資料5-2(pdf: 1 MB)

注8)富樫ほか(2001)日本列島の”クラーク数” 若い島弧の上部地殻の元素存在度.地質ニュース558,25-33.(pdf: 1.3 MB)によると、日本列島の上部地殻には、平均2.32 ppmのウランが含まれている。
 日本の面積は377,972 km^2で、表層部の岩石・土壌の平均の密度を2.0g/cm^3(=
2000 kg/m^3)とすると、日本列島の表層5 cm厚の岩石・土壌の質量は3.78 × 10^13 kg となる。
その中の濃度 2.32 ppm のウランの質量は8.77 × 10^7 kg である。
その99.27%がウラン238であり、その放射能を計算すると1.52 × 10^16 Bq(1.52 京Bq)となる。
天然のウラン系列の14回の放射壊変は全て永続平衡に達しているので、その系列途上にある中間娘核種トリウム230のα崩壊によってラジウム226が生成される量も、同じく1.52 京Bqとなる。
これは一秒間の生成量であるから、1日あたり1.31 × 10^21 Bq(13.1垓Bq)となる。
Bqの計算法はここなど参照のこと。

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 昨年12月13日、広島高裁は、伊方原発から半径 160 km の範囲にある阿蘇火山がカルデラ噴火を起こすと設計対応不可能な火砕流が到達する可能性を否定できず、立地不適であるとして、伊方原発3号機の運転停止を命ずる仮処分決定を下していた。これに対して四国電力が、同年12月21日に広島高裁へ運転差し止めの執行停止を申し立てていた異議審で、本日(9月25日)、「破局的噴火によって生じるリスクは、その発生の可能性が相応の根拠をもって示されない限り、原子力発電所の安全確保の上で自然災害として想定しなくても安全性に欠けるところはないとするのが、少なくとも現時点における我が国の社会通念であると認める他ない」と述べ、「阿蘇において破局的噴火が本件発電所の運用期間中に発生する可能性が相応の根拠をもって示されているとは認められず」、従って伊方原発の立地が不適であるとは言えないとして運転差し止めを棄却する決定を下した。

 本稿は、高裁決定を受けての広島訴訟原告・弁護団の記者会見等に、広島高裁の昨年の野々上裁判長は正義の味方で、交代した三木裁判長は悪者とするような論調を見て強い違和感を覚え、急ぎまとめたものである。ここでは、そもそもの元凶は原子力規制委員会の、その存立理由をも揺るがす変質にあり、そこを本丸として糾さない限り本件の前進はないことを示そう。

 異議審決定の根拠として持ち出されたのが、本年3月7日に原子力規制庁より公表された「原子力発電所の火山影響評価ガイドにおける「設計対応不可能な火山事象を伴う火山活動の評価」に関する基本的な考え方について」と題する資料(以下、「3.7資料」(pdf: 321KB))である。昨年12月の仮処分決定は、規制庁の「火山影響評価ガイド」が立地適合の判断基準として「設計対応不可能な火山事象が、原子力発電所運用期間中に影響を及ぼす可能性が十分小さいか?」と記載していることを文言通りに適用したものであった。ところが、「3.7資料」は、これは「火山の現在の活動状況は巨大噴火が差し迫った状態にあるかどうか、及び運用期間中に巨大噴火が発生するという科学的に合理性のある具体的な根拠があるかどうかを確認する」という意味であるとした。

 立地適合の要件として書かれた「火山ガイド」の文言を、立地不適と断ずるために必要な高いハードルを要件とする文言に読替えよという訳である。このことは、規制庁が原発事業者ではなく原発に異を唱えようとする側を規制する機関であるという、その真の姿を恥ずかしげもなく晒すもので、ちゃぶ台返しの荒技とでも言うべきものである。阿蘇火山から160 km以内には伊方原発だけでなく、川内原発、玄海原発、そして計画中の上関原発も含まれるので、原発を重要なベースロード電源と位置付ける政府・経産省にとって、広島高裁の運転差し止めの原決定は、よほど耐えがたいものだったのだろう。

 「3.7資料」では、このような論理の破綻した読替えを求める理由として、巨大噴火は極めて低頻度の事象であり、その発生可能性が全くないとは言い切れないものの、「これを想定した法規制や防災対策が原子力安全規制以外の分野においては行われていない。したがって、巨大噴火によるリスクは、社会通念上容認される水準であると判断できる」としている。この考えは、川内原発運転差し止めの仮処分申し立てにおける即時抗告審の福岡高裁宮崎支部の決定文に遡ることができる。そこでは、1万年に1回程度の極めて低頻度のリスクについては、社会通念上無視し得るものとして建築基準法等も対応を求めていないものであり、「少なくとも原子力利用に関する現行法制度のもとにおいては、これを自然災害として想定すべきとの立法政策がとられていると解する根拠は見出し難い」と述べられている。そして、伊方3号機運転差し止めの申し立てを却下した広島地裁の決定もこれを踏襲した。

 これに対して昨年12月の広島高裁による運転差し止め決定では、このような社会通念を根拠とした原決定を批判し、このことには「多方面にわたる極めて高度な最新の科学的、専門的知見に基づく総合的判断が必要とされ」、政策判断として原子力規制委員会に委ねられていることであり、「原決定判示のような限定解釈をして判断基準の枠組みを勝手に変更すること」は、「設置許可基準規則6条1項の趣旨に反し、許されない」とした。ところが、こともあろうに当の原子力規制委員会が、先に述べたちゃぶ台返しをやったものだから、異議審における広島高裁はこれに従わざるを得ず、冒頭に述べた決定となった訳である。

 ここで「従わざるを得ず」と書いたのは、異議審決定文が、「3.7資料」を引いた上で「現時点における我が国の社会通念であると認める他ない」としているからであるが、あるいは積極的に従ったのかもしれない。そうだとしたら、積極的に従うのに都合の良い口実を「3.7資料」の読み替えが与えたことになる。仮にこの「3.7資料」が昨年12月の広島高裁の原決定よりずっと前に公表されていたなら、野々上裁判長も、同じ理路に従って運転差し止めの申し立てを棄却していた筈である。規制庁にとっては、かつて福岡高裁宮崎支部の決定が持ち出した「社会通念」は、まことにもってありがたいアイデアであった訳で、そこにお墨付きを与えることで、この度の運転差し止めの棄却決定を「勝ち取った」のだと言えよう。

 しかしこの「社会通念」なるものは、一度起これば一国の存立さえ危うくする原発の過酷事故と建築基準法が規制対象とする建物や橋などの損壊を同列に扱うもので、東電原発事故を経験した今、到底受け入れられるものではない。少なくとも、原発の立地に低頻度の巨大噴火によるリスクは容認されるという社会通念が存在することは立証されてもいない。この発想はまた、国際原子力機関(IAEA)による規制目標の精神にも反するものである。

 IAEAは、既設炉の「早期大規模放出事故」を10万 炉年あたり1件以下に抑えることを目標としている。これは、世界中にある400余りの原子炉が一斉に稼働を続けても、グローバルな被害をもたらす過酷事故を250年に1回程度に抑える(400 炉 × 250 年 = 10万 炉年)ことで、現存する全ての原子炉が運用期間を終える数十年後までに過酷事故がほぼ起こらないようにして、次世代の安全な原子炉が開発されるのを待つ、との考えにもとづいている。この目標は、個々の原子炉が破局的事象に遭遇する確率を10万年に1回以下の頻度に抑えなければ達成できないもので、先に述べた「社会通念」を否定する発想である。

 IAEAのこの考え方は「火山ガイド」を定める過程で議論の上に採用され、結果的に立地の適合基準として巨大噴火によるリスクが十分小さいことを事業者側で立証する義務が「火山ガイド」に書き込まれたという経緯がある。さらに規制庁は、早期大規模放出事故の確率をIAEAの目標より10倍厳しい100万炉年あたり1件以下にすることを目標として掲げ、世界一厳しい規制基準であると誇らしげに宣伝している。しかし、「3.7資料」で、1万年に1回程度の巨大噴火のリスクはそれが差し迫っている明確な根拠がない限り無視して良いとしたのである以上、実は、世界一甘い規制基準であったと言う訳である。今後は絶対に、世界一厳しい規制基準などと言わしめてはならない。

 それにしても「3.7資料」のちゃぶ台返しは、原子力規制庁の存立理由を無に帰するほどのものであったのだから、広島高裁は、法律の親規定に遡って、このような変質を批判すべきであったとは思う。しかし、裁判所の審理においては、争点化されていないところへの言及を避けるのが決まりのようになっているので、それもまた無理な注文なのであろう。



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