さつきのブログ「科学と認識」

東京オリンピックはやめろ、東京オリンピックはやめろ、東京オリンピックはやめろ

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2018年夏

 この季節、夜になって空を見上げるとき最初に探すのはなんと言ってもさそり座のアルファ星アンタレスである。さそり座ほどそれらしく見える星座はないが、南中高度が低いので全体がきれいに見える機会は少ない。

イメージ 1

 昨年、星野写真用の安価な追尾装置を手に入れたのに最近まで使うチャンスに恵まれなかった。それが、多忙な毎日になんとか時間を工面して、月明かりがないこと、晴天であること、夜更かしするので休日の前日であることの三拍子揃った機会がやっと訪れたのである。せっかくだからとgoogle 航空写真で探した街明かりのなさそうな場所に遠出して、夏の銀河を撮ってきた。残念ながら高い湿度で空の透明度が悪く、さそり座の見える方角の遠くの街明かりが空を照らし、近くにもナトリウムランプの外灯があったりと、決してベストとは言えない条件。露出時間を長くしてアンタレス付近にまとわりつく七色の星雲を捉えたかったのだが、それは叶わなかった。

 下の写真はAPSサイズの安物一眼デジカメに古いフィルムカメラ用の55 mmレンズを装着して撮った6枚を合成したもの。途中、夜露でレンズが曇ったので射手座の北東側が大きく欠けている。あらためて眺めてみると、多数の球状星団が明るい恒星のように写って、星座の形が崩れている。

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 宮沢賢治の銀河鉄道の夜には天の川に沿って北から南へ旅をする様子が描かれている。以下は、いよいよ旅の終盤に差し掛かった頃である。

 川の向う岸が俄かに赤くなりました。楊の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のやうに赤く光りました。まったく向ふ岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしさうでした。ルビーよりも赤くすきとほりリチウムよりもうつくしく酔ったやうになってその火は燃えてゐるのでした。「あれは何の火だらう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだらう。」ジョバンニが云ひいました。「蝎の火だな。」カムパネルラが又地図と首っ引きして答へました。「あら、蝎の火のことならあたし知ってるわ。」
「蝎の火ってなんだい。」ジョバンニがききました。「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」「蝎って、虫だらう。」「ええ、蝎は虫よ。だけどいい虫だわ。」「蝎いい虫じゃないよ。僕博物館でアルコールにつけてあるの見た。尾にこんなかぎがあってそれで螫されると死ぬって先生が云ったよ。」「さうよ。だけどいい虫だわ、お父さん斯う云ったのよ。むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がゐて小さな虫やなんか殺してたべて生きてゐたんですって。するとある日いたちに見附かって食べられさうになったんですって。さそりは一生けん命遁げて遁げたけどたうたういたちに押へられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈りしたといふの、
 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられやうとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもたうたうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったらう。そしたらいたちも一日生きのびたらうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかひ下さい。って云ったといふの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしてゐるのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰ったわ。ほんたうにあの火それだわ。」
「さうだ。見たまへ。そこらの三角標はちゃうどさそりの形にならんでゐるよ。」
 ジョバンニはまったくその大きな火の向ふに三つの三角標がちゃうどさそりの腕のやうにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのやうにならんでゐるのを見ました。そしてほんたうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。
(筑摩書房 校本宮沢賢治全集 第九巻、[銀河鉄道の夜](初期形)より)

 賢治は彼の作品に何度も手を加えているが、この部分が最終形と何も変わらないことを確認するため、敢えて初期形から引用した。よほど確信を持って書いたのだろう。

 「向ふ岸の野原に大きなまっ赤な火が燃され」とあるのは、もちろんアンタレスの暗喩としてある。この星はひときわ赤い色を放っていることから、アンチ・アーレス「火星に対抗するもの」という意味の名が付けられたという。今年は火星大接近の年で、まもなく7月28日に衝を迎え、31日に最接近となる。既にマイナス2.7等の明るさで、夜8時くらいから南東の空に明るく輝いて見える。

 確かにアンタレスの色は火星の色によく似ている。しかし、両者とも実際の色は赤というよりはオレンジ色である。そこで、続く、「ルビーよりも赤くすきとほりリチウムよりもうつくしく酔ったやうになって」燃えていたとの表現からは、さそり座の長時間露光のカラー写真を見たことがある者なら、この星座のそこここにある散光星雲の方を連想するだろう。例えば、サソリの尻尾の付近にあるロブスター星雲や猫の足星雲の真紅は、実際には水素の放つ色であるが、まさにリチウムの炎色反応を彷彿とさせる。この作品が書かれた頃にはそうした天体写真はまだ存在しなかったので、賢治がそのような星雲の存在を知っていた筈はない。東北の花巻付近からだとさそり座は南のかなり低い位置に見えるので、大気の影響でアンタレスの赤さもひときわ際立って見えたのだろう。

 ところで、火星の大接近を報じたカラパイアの記事 のタイトルに「火星が地球に大接近。2018年7月31日に最接近し肉眼で見えるレベルに。」とあって、これはちょっと、普段は肉眼では見えないとの誤解を生むかもしれないと思った。中には、肉眼で火星の模様が見えるまで接近するのかと勘違いする人もいるような気がする。笑い事ではなく、星に全く興味のない人というのは、そんなものなのである。

 数年前、田舎のコテージでゼミの合宿をやった折、夜になって天の川(milky way)が良く見えるよと言ったら、真っ先にベランダに飛び出して来たのはインド人の留学生であった。インドではPM2.5のせいで空が霞んで田舎でも天の川がきれいに見えるところは少ない。彼は、生まれて初めて見たと興奮していた。日本でも、街明かりも月明かりもない真夜中の漆黒の闇を照らす晴天の星明かりというものを知らない人は、特に都会育ちに多いのではないかと思う。賢治の「銀河鉄道の夜」も、ひどく観念的なものとしか受け取られないようになりはしないかと心配である。

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 6月18日午前7時58分に大阪府北部でMj 6.1(暫定)の地震がおこり、死者5人を始めとした痛ましい被害があった。

 地震本部による暫定的なまとめによると本震の震源解は西北西ー東南東方向に圧縮軸を持つ横ずれ型で、その後に発生した余震は、本震の南西側へ伸びるクラスタと、本震の北側に発生したクラスタに分けられ、前者は本震と同じ横ずれ型で、後者は逆断層型とのこと。

 活断層の位置などの地形表現が正確な産総研の「地下構造可視化システム」を用いて、18日から22日までに発生したM1以上の地震の震央分布を描いたのが図1である。

イメージ 1

 付近の活断層としては、本震の北に東西に伸びる有馬ー高槻断層帯が、また、本震の南に南北に伸びる生駒断層帯があり、やや西方へ離れたところにも南北に延びる上町断層帯が知られているが、どの断層帯の活動によるものか、現在まで統一見解は得られていないようだ。

 図1で本震から南西へ延びる余震は明瞭な帯状分布を示しているので、この方向が震源断層の走向と考えて良いであろう。これと直行する断面で、本震の北側のクラスターを含まない範囲で投影図を作成したのが図2である。
イメージ 2

 これと同様の図は地震本部のまとめにも掲載されており、この断層が南東へ70°程度で傾斜していることがわかる。この傾斜で上方へ延ばすと、北西へ5 kmほど離れた有馬ー高槻断層帯付近の位置で地表に出ることになる。有馬ー高槻断層帯の断層は高角北傾斜であるとされているが、横ずれ型であることなどから、有馬ー高槻断層帯を構成する未知の断層が動いたものと思われる。GNSS観測による基線長の変化は地震の前後で不連続な変化を示していないので、地表地震断層は出現していないようだ。

 ついでに付記しておくと、30年以内に動く可能性が10%程度の活断層と1%程度の活断層がそれぞれ5箇所と500箇所あるとしたら、全体としては1%程度の活断層が動く確率の方が高くなる。従って、危険視されていない所で大きな地震が続いたからと言って、危険度の見積もりが間違っていることにはならない。問題は、活断層、すなわち過去の地表地震断層が知られていないところにも、地下のあちこちにM6クラスの地震をおこす可能性のある「地下活断層」が無数に伏在していることである。

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 表題の映画は1980年に韓国でおきた「5・18民主化運動」(光州事件)を舞台とした実話をもとに制作されたもの。韓国では昨年公開され、あっという間に観客動員1000万人を超える大ヒットとなったそうな。日本では本年4月にパラパラと公開が始まったが、地方だとまだ公開されていないところもある。シネコン一つの地元では公開の予定もないとのことで、5月に東京へ行った際に新宿ピカデリーでみた。私は若い頃光州を訪れ、この事件の詳細を知って強い印象を持った経験があり、どうしてもみたかったのだ。

韓国の「5.18記念財団」のウエブサイトから冒頭の概説部分をgoogle先生の助けを借りて訳してみた。

5・18民主化運動は、1980年5月18日から27日未明までの十日間に、全斗煥を頂点とした当時の新軍部勢力と米軍の指揮を受けた戒厳軍の鎮圧に抗した光州市民・全南道民が「非常戒厳撤廃」、「維新勢力清算」などを求めて、死を恐れず、民主主義奪還のために抵抗した歴史的な出来事です。抗争期間中22〜27日の五日間は、市民の力で戒厳軍を圧倒し、光州を解放区にして世界史にもまれな自治共同体を実現しました。

戒厳軍によって鎮圧された後、5・18民主化運動は、一時「北朝鮮の扇動による暴動」と非難されたりもしましたが、真相究明のための粘り強い闘いの結果、1996年には民主化運動として国が記念することになり、2001年には5・18墓地が国立5・18墓地に昇格され、関連被害者は民主化功労者として、その名誉を完全に回復しました。 5・18民主化運動は、韓国民主主義の分水嶺となる1987年6月抗争の動力になって民主主義争奪と人権回復につながりました。

今日、5・18民主化運動は、独裁政権に抗して戦っているアジア諸国の民衆に貴重な経験を提供してくれており、同時に民主化運動が目指すべき精神的な指標ともなっています。また、全世界の人々には偉大で美しい事件として記憶されています。韓国民主主義の土台の役割をはたしたという点で、光州と大韓民国の民衆は、5・18精神を胸深く刻んでおり、その精神を民主・人権・平和・統一など、新しい時代に新たに提起された課題にまで拡張していきます。

 このサイトに掲載されている画像を一つだけリンクしておく。



 日本のメディアは「光州暴動」という呼称を用いていたが、NHK アーカイブスの「NHK名作選 みのがし なつかし」に当時のニュース番組の「韓国・光州事件 戒厳軍が市民を鎮圧」と題する動画が残っている。

番組詳細
パク大統領殺害後の難局を乗り切った韓国では、2月末にキム・デジュン氏らの公民権が回復され、民主化が進むかに見えた。しかし、軍の実権を掌握した チョン・ドゥアホン将軍は5月17日、韓国全土に戒厳令を布告、キム氏らを連行した。5月18日、光州市で大学を封鎖した陸軍部隊と民主化を叫ぶ学生が衝突し、19日には学生と市民は軍の武器を奪って抵抗した。戒厳軍が投入され10日間にわたって内戦の様相を呈した光州事件は多くの死傷者を出して鎮圧された。

 私が最初に韓国を訪れたのは1987年8月。韓国で初めての開催となったやや規模の大きな国際学会に参加するためであった。全斗煥軍事政権末期のことで、翌88年には盧泰愚政権へと変わり、ソウルオリンピックが開催された。下関から関釜フェリーに乗って一夜を明かし、翌早朝釜山港に上陸して、映画に出てきたのと同じポニー製のタクシーで釜山駅へ。釜山駅からセマウル号に乗ってソウル入り。ソウル駅から同じくポニーのタクシーに相乗りして旅行案内所まで行き、そこで、学会会場となっていたロッテホテルの近くの路地裏にある安い韓式旅館(ヨガン)の紹介を受け、程なくその旅館の女将さんが迎えに来てくれたという次第。学会が終わると今度は高速バスを使っていくつかの地方都市をめぐりながら釜山まで戻り、釜関フェリーで帰国。ちなみに、今google mapの航空写真でロッテホテル周辺を観ても、当時とは風景が一変して、その旅館も残っていない。

 日本人旅行者も少しずつ増えていた時代で、どこでも親切にしてもらい、快適な旅を満喫した。以来、学会や共同研究、韓国人留学生のお世話、家族旅行など、毎年のように韓国を訪れ、レンタカーで旅行したりするようにもなった。この映画をみたいと思った動機の一つは、最初に訪ねた頃の韓国の風景や人々の息吹、そうした記憶を呼び戻したいという思いもあったからである。1987年と言えば、学会が始まる二ヶ月前には大統領の直接選挙等の国政民主化を求める「6月民主抗争」がおこったが、これは光州民主化運動の影響や教訓があって成功裏に終わったとされている。そうした特別の運動がなされた年でなくとも、韓国の大学へ行けばいつでもどこでも正門付近では学生達が太鼓を叩きながらデモをやっていた。

 光州を訪ねたのは、1990年前後だったと思う。当時光州市は全羅南道の道庁所在地で、その道庁に用があり、韓国人留学生のK君と共に訪ねた。その本庁だったか分館だったか、「光州事件」の写真パネルが多数展示されている広間があった。それらの写真が伝えているのは日本での報道によるものとは全く異なっていた。K君の説明によると、光州市あるいは全羅南道として、民主化運動に関わった人々を顕彰し、犠牲者を追悼するための施設が準備中で、既にそのためのモニュメントや公園、墓地の整備もなされているとのことであった。日本では暴動事件として報道されていたが、それは軍事政権による「大本営発表」を垂れ流していただけの、およそ報道の名に値しないものであった訳だ。やはりそうかと思うと同時に、日韓の政治文化の差を思い知らされた。

 1996年(あるいは1997年)になって韓国国家により「光州事件」が民主化運動として記念されることになったことは日本でも知られているだろう。そこに至るよりかなり前から、光州市や全羅南道ではこの運動を顕彰することになっていたのだ。光州市のほぼ全市民が生き証人なのだから、当地に陰謀論が入り込む余地はないし、その記憶は風化することもない。当然と言えば当然のことではある。ちなみに、実話としてドイツ公共放送(ARD)東京在住特派員であったドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターが韓国の金浦空港に着いたのが5月19日とのことなので、彼は、5月20日の20万の市民と3万の軍・警察が対峙した場面を目撃していない筈だ。

 映画評は、まだみていない人の妨げにならないよう、少しだけ。まあ、面白かった。5・18民主化運動(光州事件)という韓国史上の重い事件を扱いながら、エンターテインメントとしても成功している。とは思うが、大事件を扱っているだけに何か物足りなさも感じた。一つには、予算不足からかエキストラがちょっと少なすぎる気がした。もう一点、共産主義者の嫌疑により国家権力の暴力がなされようとするとき、「共産主義者でもないのに理不尽な」という意味のセリフが何度も繰り返されると、さすがに「共産主義者にだったら暴行してもいいんかい、殺してもいいのかい」と思う。

人類を語ることは孤独なことだが
この独だけが
人類を語ることができる
人類を語るのは
サラム ひとの魂
危機と滅亡を感知する身体だ

魂があるかないか
身体があるかないかで
独に目覚めるか否か
群するか否かが決まる
魂を失わずに独であって群すれば
サラム ひとは人類と連帯する

この時
サラム ひとは生者とだけでなく
死者たちと連帯する
人類とは生者たちのことだけではない
死者たちのことでもある
人類は死者たちと共に在る

 崔 真碩( チェ ジンソク )『サラム ひと』(夜光社 民衆詩叢書 I,2018)より

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 大分県耶馬渓の斜面崩壊現場のアジア航測の航空写真を見ると、崩落面は屈曲した金吉川の下流側と平行になっているように見える。


 国土地理院の地形図では、これと平行(東西)にリニアメントらしきものが見える。

イメージ 1


イメージ 2


 これが活断層であるかどうかはともかく、2016年熊本地震や昨年の豪雨などが複合的に作用した結果、断層面で滑った可能性は高いと思う。

 現地調査は危なそうだが、最近のレーザー測量では樹木の隙間から地表地形を捉えることができるそうなので、まずは周辺の精密な地形図を作成することが求められる。防災も金さえあれば相当のことができるが、ハザードマップの公表も地価に影響するので、地方行政としても悩ましい問題を孕んでいるようだ。

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 先週、2月11日の『ワイドナショー』での三浦瑠麗氏のスリーパーセル発言について、一言書いておくべきだと思いつつ、一週間が過ぎてしまった。録画から件の部分を文字起こしする。

三浦瑠麗:そう、実際に戦争が始まったら、テロリストが、仮に金正恩さんが殺されても、スリーパー・セルって言われて、もし指導者が死んだっていうのがわかったら、もう一切外部との連絡を絶って、都市で動き始めるスリーパーセルというのが活動するってのが言われてるんです。

(「スリーパーセル 一般市民を装って潜伏している工作員やテロリスト」との字幕が入る)

東野幸治:普段眠っている、暗殺部隊みたいなのが?

三浦瑠麗:テロリスト分子がいるわけです。で、それが、ソウルでも東京でも、もちろん大阪でも、今けっこう大阪ヤバイって言われていて・・・

松本人志:えっ、潜んでるってことですか?

三浦瑠麗:潜んでます。ていうのは、あの、いざという時に、その最後のバックアップなんですよ。で、そうしたら、首都攻撃するよりかは、正直、他の大都市が狙われる可能性もあるので、東京じゃないからってふうに安心はできないっていうのがあるので、正直我々としては核であろうが何だろうが戦争して欲しくはないんですよ、アメリカに・・・

 私は、三浦氏のこの発言は、在日朝鮮人に対する憎悪を煽り、危険にさらす効果を発揮する極めて悪質なものだと思う。類似の批判に対して三浦氏を擁護する意見が見られたので、そのいくつかについて手短に感想を書いておく。

 まず、韓国や日本に「北朝鮮」のスパイや工作員が多数潜んでいるというのは常識で、実際に日本人が拉致されたではないかというのがあった。しかし、三浦氏が言っているのは、そうしたスパイや工作員のことではなく、戦争がおこって母国の指導者が殺されたり国体が崩壊したりした際に大規模なテロを仕掛けるよう命令を受けた集団のことで、そのような者が一般市民に紛れて多数潜んでいるという話である。三浦氏は戦争がおこったらどうなるかという文脈で発言しているのだから、そうした擁護は筋違いだ。

 また、三浦氏はスリーパーセルが在日朝鮮人として暮らしているとは言っていないのだからヘイトスピーチにはあたらないというのもあったが、実際にこれに触発された在日朝鮮人へのヘイトスピーチや暴力行為が増えている。
例えば



 東京大学への抗議については、表現の自由、学問の自由があるのだから無駄だとの意見も見られた。しかし、他の権利と衝突する場合を想起するとあらゆる権利が無制限のものでないことは自明のことであろう。大学であっても、表現の自由、学問の自由が権利として他の人権に勝る訳ではないというのが一般的な理解で、そのためにいろいろな倫理規定、コンプライアンス規則などが設けられている筈だ。

 この件に関係することで言えば、どこの大学にも情報倫理規程のようなものがあって、大学所属を名乗ってSNSなどでヘイトスピーチを公言したりするとお咎めを受ける。恥ずかしながら一昨年、私の学部の学生がtwitterで他国・多民族の憎悪を煽る発言をくりかえし、通報をもとに明確な情報倫理規程違反との決定が下され、厳重注意とtwitterアカウントの強制削除処分が行われた。SNS上ではなくテレビのワイドショーでの発言だから情報倫理規程違反にはあたらないとの言い逃れは通用するだろうか。学生は処分されて当然だが大学教員は表現の自由や学問の自由で守られるべきだというのは通用するだろうか。

 学生本人は表向き反省のそぶりを見せていたが、通知を受けた父親から「何が悪いのだ」と大学担当者へ抗議があったと聞いて唖然とした。学生はお客様だが、大学当局は親の抗議に怯まなかった。しかし、親が庇ってくれたことで真の反省は得られなかったのだろう。その後この学生はもっと酷い事件をおこしてしまったのだ。人権というものを理解しない限り、何度でも人権侵害を犯す訳である。三浦瑠麗氏が人権を正しく理解しているとは到底思えないので、今後も人権侵害を誘発するような発言が繰り返される可能性大である。

 ところで、三浦氏の言うスリーパーセルなるものは、母国の国体が崩壊した後でもなお母国への忠誠を維持し、命を捨てる覚悟でテロ行為に及ぶというものらしいが、そんな人間の存在をどうして信じることができるのか、私には全くわからない。かつてそのような実例があったのだろうか。近・現代史の中でも一国の指導者が殺害され、国体が崩壊した例は多いが、そのことを合図に敵対していた国でスリーパーセルの一斉蜂起がおこったという例を私は知らない。

 日本の敗戦後もフィリピンのルバング島で「戦い」続けた小野田寛郎元少尉をスリーパーセルの実例とする意見を見かけたが、彼の実像は三浦氏が想定しているものとは全く異なるものである。帰国直後の小野田氏と三ヶ月間寝食を共にしながら彼の手記『わがルバン島の30年戦争』(講談社, 1974年)をゴーストライターとして代筆した津田信氏は、やがて小野田氏本人による「小野田像の捏造」に堪えられず『幻想の英雄』(図書出版社,1977年)を著すことになる。その「あとがき」で津田氏は、間違った ”小野田伝説” が語りつがれることを恐れた “懺悔の書” であると書いている。

 あらゆる情報は小野田氏が早い段階で敗戦を知っていた事を示していた。それなのに彼は、滑稽な言い訳とともに、敗戦については知らなかった、むしろ大日本帝国はいよいよ国力を増して東京オリンピックを開催したり皇太子が民間人と結婚するのに湧いたりするまでになったと信じていたと最後まで主張したのである。津田氏が疑惑を懐いたのはそうしたことに端を発している。

むろん私は、彼の話で腑に落ちないところは何度も問い返した。自分でもしつこいと思うほど念を押した。だが、敗戦認識についてはいくら訊いても彼の説明は矛盾だらけで、むしろ、聞けば聞くほど疑惑が生じた。(P. 127)

 小野田氏が潜んでいたルバング島(面積255 km2)は、戦略上ほとんど無意味な、小さな島である。30年間に100人以上を殺傷した(殺害は30人以上)とされているが、そのほとんどは、何の罪もない島民だ。

「将来、友軍の主力の容易ならしめるには、われわれが島内の”占領地域”をがっちりと守り通さねばなりませんでした」
 彼は繰り返しこう主張した。しかし、この島にきてますますはっきりしたのは、彼の占領地域が日頃島民が寄り付かない、と言うよりはほとんど必要としない山岳部だったことである。彼自身が生存するには必要な地域だったかも知れないが、戦略上、鼠以下の生活をしてまで守らねばならない地域とはどうしても考えられなかった。(P. 209)

きのうから接した島民たちは誰も彼も愛想がよく、親切であった。黙って私とC君のために小屋をつくってくれたことが、彼らの人柄を端的に語っていた。戦争継続を妄想して無益な殺傷をくり返し、しかもそれを自慢気に語った小野田寛郎に、私はこのとき強い嫌悪を覚えた。同時にその男の手記を代筆している自分がたまらなくはずかしかった。(P. 218)

 有能な情報戦の将校が日本の敗戦を知らなかった筈はない。しかし、既に彼は何人かの島民を手に掛けていて、報復を恐れ、投降をためらっているうちに罪を重ねて行くことになる。生きて行くためとはいえ島民の殺害を続ける事を正当化するには理由が必要だ。戦争に負けたのに「戦闘」を続けることにはいかなる理由も見出せないから、どうあっても日本の敗戦を知らなかったことにしなければならない。

私は以前から、小野田寛郎が最も恐れていたのは島民の復讐だったと推察していたが、彼の性格を知るに及んで、もう一つ、彼が恐れていたものに気づいた。それは復讐を恐ると同時に、その恐怖心を第三者に見破られることである。この二重の恐怖から逃れて安全に山を降りる唯一の方法 ―- それが上官の命令だったのではないのか。(p. 227)

 彼は、上官からの残置任務を遂行した訳ではなく、保身のために略奪と殺戮を繰り返しただけの、本来なら国際指名手配犯に該当する殺人鬼に過ぎない。そこから心身ともに安全に生還するためには上官による命令の解除という神話的な物語が必要だった。津田氏の著書によってその事の欺瞞性が暴かれ、ブラジルへ逃亡したのだろう。

 津田氏が健在であったら、この度の三浦氏の発言を聞いて、スリーパーセルなどというのは戦争の実相を知らない平和ボケした学者の妄想にすぎないと喝破したのではないか。妄想を垂れ流して恥をかくのは自業自得だが、そのせいで生じる被害に思いが至らないのは人権意識の欠如によるものである。


[MV] 이랑 イ・ラン - 임진강 イムジン河

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