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福島第一原発、アンダーコントロールで、わざと昨年の2倍の放射能を放出か

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参議院選挙雑感

 明日7月4日に参議院選挙が公示されるので、思うところを書いておきたい。選挙というと、かつて(2009年11月)このブログに次の記事を書いた頃を思い出す。



 ちょっとした苦い思い出だが、水面下では、2007年の東京都知事選挙をめぐって、元宮城県知事の浅野史郎氏を推す市民グループが、票の分散を避けて石原三選を阻止するために共産党は立候補を取りさげるべきだという主張をしていて、この点をめぐっての対立があり、私としてそうした不可解な「論」に対する反発もあった。不可解な「論」というより、選挙への出馬において現下の世論の支持を何より優先する発想は、民主主義の自殺行為にほかならない。全ての言説はおおかれすくなかれ政治的な意味を持ち、全ての政治的な言説は、世論の趨勢を変えることをこそ目的としてなされる。このことは、ごく常識的なことではなかったか。

 当時、「票の分散」を批判していた者達は、先の東京都議会選挙で共産党が第三党になったことを受けて、今後は、共産党以外の弱小党派に立候補の取り下げを進言したりするのであろうか。きっとそうではないだろう。共産党に対する強いアレルギーのようなものが見え隠れする。

 私自身も、共産党に対するいろいろな疑念はある。なによりこの党には、反核運動の分裂を招いた前科と、原発推進に荷担した前科がある。だから、それまでの選挙では共産党にしか入れたことがなかったのに、1980年代に「緑の党」系列の複数の政党が結成された時に、そのどれかに一度だけ期待して投票したことがある。しかし、それらの党派は離合集散を繰り返して、糸の切れた凧のようになってしまった。

 「緑の党」が掲げる政策が実現されるような世の中になることは、革命的な出来事である筈だ。しかし、それらの党に集う人々に、革命を起こそうとの気概を見出すことはできなかった。だから最近「みどりのナントカ」という政党が結成されても、またかと思うだけである。

 私は大学教員だから、当然のこととして、各政党の大学政策、科学・技術政策がどうなっているかが気になる。そして、かつての自民党政権がおこなった国立大学の法人化や、民主党政権が追認してきた、基盤研究費を減らして競争的資金に回すような政策は間違っていると考えている。では、どの党の政策が良いかと調べると、共産党の掲げる政策が一番優れていると考えている。というより、他の政党のこの分野についての政策は貧困過ぎて、比較にもならない。


 もちろん、それだけで投票先を判断する訳ではないが、自分が良く知る分野について、各政党がどのような提言を行っているか調べ、比較することは、投票先を決めるにあたって必要なことではあろう。

 次に気になるのは、「日本維新の会」がどれくらいの支持を集めるかという点である。この点については、「きまぐれな日々」のkojitakenさんによる次のブログ記事に賛意を表明しておきたい。


 6月7日に拙ブログにて、橋下徹氏を批判する記事をあげたが、その後、6月23日の沖縄の慰霊の日の式典に押しかけた橋本氏は、浦添市での講演会で「(当時内務省は)特殊慰安施設協会を作って沖縄にも置いた。沖縄県民の女性がその多くの女性や子供たちを守るために、まあある意味防波堤みたいな形になってそこで食い止めてくれる。(略)それを米軍が利用していたことも事実。」と語った。これは二重、三重に犯罪的な妄言である。



 もはや橋下氏の語る言葉は全てが支離滅裂であることからすると、この人と「維新」は、やがてマンガ的な仕方で自滅するだろうと思うのだが、願わくばその日が早く訪れますように。

 ところで、「維新」の参院比例区から立候補予定のアントニオ猪木氏であるが、YouTubeにアップされている佐高信氏の講演でとんでもないことが暴露されている。


 20年程前の青森県知事選挙で、原発反対派、一次凍結派、推進派の候補が争ったが、一次凍結派が150万円でアントニオ猪木氏を応援演説に頼んだ。ところが、電事連がバックにいる推進派は、もっと報酬をはずむからこちらの応援演説を頼むということになった。アントニオ猪木は、その誘いを聞いて、あわてて150万円を返して推進派の応援にまわった。さて推進派はいくら払ったか。なんと一億円だという。法律のことは良く知らないが、これは公選法違反にならないのだろうか。いずれにしても酷い話だ。

 『奇跡のリンゴ』という映画が公開されたらしいが、「ニセ科学批判」界隈ではなんだか盛り上がっているふうである。

 さて私は、拙宅の「花壇」に隔年でトマトを一本だけ栽培しているが、完全無農薬だと説明しているので、近所では「奇跡のトマト」と呼ばれている(概要は以下の記事で紹介した)。



 これらの記事を読んでもらっても、おそらく、枝長4mを超えるその1本のトマトの壮観な眺めは想像していただけないと思う。隔年にしているのは、家庭菜園のテキストに、連作障害の強い作物なので2年は空けるようにと説明されているからだ。それでも近所の人達に、今年もアレを見たいから是非植えてくれとせがまれて、なんとか工夫して一年おきに植えている。

イメージ 1
昨年(2012)7月30日のトマト。この後どんどん伸びていきます。

 昨年は普通の大玉トマトを、やはり1本だけ植えて、7月中旬から10月下旬までの間に30 kg 以上を収穫した。正確な収穫量については、7月18日から8月19日までのおよそ一ヶ月間の記録しかない。この間、78個・13.49 kgを収穫し、1個の平均重量は173 gであった。記録した中で最大のものは1個320 gで、当然のように不揃いである(1個100 g以下の小玉のものはカウントしていない)。安定した収穫が得られるようになったのは8月に入ってからなので、これ以降は一ヶ月に15 kgくらいの収量はあったと思う。したがって、面倒になって記録するのを止めた後の二ヶ月間に30 kgを追加して、実際には全部で40 kgを超えていたのではないかと思う。

イメージ 2

 完全無農薬というのは字義通りで、除虫・除草の目的で何かを処方するということは一切していない。樹勢があると雑草もあまり生えず、害虫が寄りつくこともないのである。ただ、真夏にカラフルな10 cmほどの何かの幼虫が葉を食い荒らしているのを何度か見かけて、手で駆除したことはあった。

 肥料は堆肥がメインで、追肥として140円の家庭菜園用化成肥料を一袋だけ施す。ちなみに、「有機肥料」というのがあるが、一次栄養の植物が吸収するのはもっぱら無機塩なので、おかしな表現ではある。おそらく、有機物を腐食させて作る堆肥の中に含まれる栄養塩は、バランスが良く、植物に吸収されやすい化学種となっているために、肥料としての効果が大きいことが認識されているのだろう。

 今年は連作できないのだが、やはり近所の人が「アレをやってくれ」とせがむので、仕方なしにプランターに一本植えた。考えてみると、ひと月に15 kgも収穫したら到底我が家で消費できない。知人や近所に配るのだが、それも面倒だ。プランターに植えたら土を替えれば毎年植えられるではないか。おそらく一本でちょうど良い収穫量になるだろう。これを試してみるのも一興ではある、という次第。5月の連休の初日に、イタリアントマトという種類の苗を1本(150円)買って、縦20 cm × 横50 cm × 深さ25 cmのプラスチック製プランターに植えた。既に沢山の実を付けているので、このペースだと例年より速い6月末には収穫が始まるだろう。

 ところで、映画『奇跡のリンゴ』のモデルとなった木村秋則氏を批判する中で、農薬を過度に擁護する論調を目にすることが多くなって、ヤレヤレと思う。おそらくそれら批判者は、農業とは無縁な都会に住んでいる人々であるか、あるいは大量の農薬を散布することで何とか経営の成り立っている農業従事者とその関係者なのではないかと思う。

 農水省のウェブサイトの中にある「農薬の使用に伴う事故及び被害の発生状況について」というページをみると、平成23年度で、8件・8人の死亡事故と28件・40人の中毒事案が発生している。気になるのはこれらの農薬被害が増加傾向にある(ようににみえる)ことだ。

 この統計に表れている数値が氷山の一角であることは、中学の頃まで兼業農家に育った者としては常識的なことである。私の母も、大量の農薬を散布した後、高熱で寝込むこともしばしばであった。父はあまりそうしたことはなかったようなので、個人差も大きいのだろう。また、私が子供の頃は、この時期になるとヘリコプターによる水田への農薬散布が行われていて、やれ外に出るな、戸締まりをしっかりしろとうるさかったが、人体への害が大きいことが認識されて中止となった。害は何も人体に対してだけでもなかったろうにと思う。今も田園地帯に住んでいるので、風向きが悪いと農薬の匂いが室内まで入り込むことがある。幸い私の家族にアレルギー体質の者はいないので今のところ実害はないのであるが、喘息の子供のいる近所の方は大変お怒りの様子で、気の毒でもある。

 農薬の中には毒・劇物に指定されている薬品もあって、大学であれば鍵のかかる薬品庫に厳重に保管して使用記録をとっておかねばならないものなのに、それが農薬扱いになったとたん、農家の納屋に無造作に大量保管することが許されてしまうのである。

 農薬を擁護する面々はそうしたことをどう考えているのだろうと思っていたら、ここへ来て、農薬を使って育てたリンゴの方がアレルギー原となる「感染特異的タンパク質(PR-P)」の量が少ないという実験を「発掘」して、農薬漬けリンゴの方が健康に良いのだと主張する者まで多くなってきた。このことについては、既にかなり以前にバランスのとれた意見を書いているサイトがあるので紹介しておきたい。
 

 このブログ主も書いているように、人類はずっと昔からPR-Pを普通にたくさん含む作物を食べてきた筈である。ところが、農薬が大量に使用されるようになって、現代人は知らぬ間にPR-Pの少ない食べ物ばかりを食べさせられるようになってしまった。そうした時代が一定期間続いた後に、我々現代人の体質はどのようにつくりかえられたのか、そのことの検証がないままに手放しで農薬漬リンゴのありがたさを説く言説に接し、「科学」の現場は「研究」ばかりで、もはや「学問」ではなくなってしまったと項垂れるのは私だけであろうか。

以下、追記(6月24日)
 この記事を投稿した二日後、以前から指摘されていた、ミツバチの大量死・大量失踪の原因はネオニコチノイド系農薬にあるとの説が実験的に確かめられたとの報道があった。

毎日新聞 2013年06月17日 22時50分

 国内外で広く使われているネオニコチノイド系農薬をミツバチに摂取させると、比較的低濃度でも巣箱の中のミツバチがいなくなり、群れが消える「蜂群崩壊症候群(CCD)」に似た現象が起こるとの実験結果を金沢大の山田敏郎教授らのチームが17日までにまとめた。

 山田教授は「ハチが即死しないような濃度でも、農薬を含んだ餌を食べたハチの帰巣本能がだめになり、群れが崩壊すると考えられる」と指摘。養蜂への影響を避けるためネオニコチノイド系農薬の使用削減を求めている。一方農薬メーカーは「科学的根拠が明らかでない」と否定的な見方を示した。(共同)

 これより以前、既に5月25日にはEU委員会がネオニコチノイド3剤について、ミツバチを誘引する作物および穀物における種子処理、粒剤処理、茎葉処理での使用を禁止する決定を下していた(2013年12月1日までに施行、2年以内に見直し) 。 これに対する住友化学による反論も5月27日付で公表されていた。

 無農薬農法が成り立つのは周囲の農家が農薬を使ってせっせと地域全体の「害虫」を駆除してくれているお陰だと言う人がいる。それが事実であるかどうかの確たる証拠はないのに、いつもは厳密な「科学」を要求する人が、いとも簡単にそれを言ってしまうのは、まあ、「科学」の世界ではよくあることだ。それよりも私が問題だと思うのは、「害虫」なら絶滅させても良いと言わんばかりの短絡した思考回路にある。

 農作物にとっては「害虫」であっても、生態系の維持にとっては何らかの積極的役割を担っているということはないのか、「害虫」でないものにも巻き添えをくらって人知れず絶滅しているようなものもいるのではないか、生態系は一度バランスを崩したら取り返しがつかなくなるのではないかといった視点の欠如。そうした視点からの研究は、長期にわたる息の長い努力を必要とし、短期の成果を求められる「職業科学者」には不可能になっているというこの現実への無批判。
 どうも、永らくのご無沙汰でした。(気まぐれで文体を変えます)
 このブログ、放置してもぺんぺん草も生えないようなので、忙しさにかまけていました。

 いきなりですが、長野県上伊那郡中川村の村長・曽我逸郎氏による「中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式 式辞」で次のように述べられています。

「・・・なんとか命を永らえて1945年の敗戦を迎えた人たちは、新しい憲法の平和主義、戦争の放棄を心の底から喜びました。戦争の悲惨さ、愚かさを骨身にしみて痛感していたが故の喜びであったに違いありません。
 であるのに、敗戦後68年が経とうとする今、日本国憲法前文において国家の名誉にかけ全力をあげて誓った崇高な理想と目的を忘れ、我が国を、現実妥協的に戦争をする、ありふれた、普通の、凡庸な、志のない国にしようとする人たちが現れています。外交力、政治力で問題を解決する自信を持てずに、軍事力に頼ろうとする人たちであり、戦争の悲惨さ、愚かさを忘れた、まさに平和ボケの人たちだと言わざるを得ません。・・・」

 私もかつて「日本人は平和ボケしているから、軍事力で平和が守られると勘違いする」と書いたことがありますが、まさに我が意を得たりという感を強くします。

 日本国憲法第九条には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と書いてあるのに、自衛隊という名の戦力を保持しています。解釈改憲というやつですね。「文脈」以前の、このような「意図的な誤読」が日本人の得意とするところなのでしょう。

 自民党の憲法改正草案では、この部分が「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」となっています。もしこのように書き換えられたら、その先にもさらなる解釈改憲が待っていることは火を見るより明らかです。当然、集団的自衛権が正面から主張されるようになり、アメリカの言いなりになって、日本の「国防軍」が海外の戦場へ送られるようにもなるでしょう。国旗・国家の法制化の際にも強制はしないと約束したのに、教育現場などでは現に強制されています。もうだまされてはいけません。

 ところで、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は、5月13日の記者団との会見の場での従軍慰安婦をめぐる発言に端を発した一連の報道について、文脈を無視した誤報をやられたと憤っているようです。

 5月13日に橋下氏は次のように語っています。

「そりゃそうですよ、あれだけ銃弾の雨、銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときにね、それはそんな猛者集団といいますか、精神的にも高ぶっている集団はやっぱりどこかでね、まあ休息じゃないけれどもそういうことをさせてあげようと思ったら慰安婦制度っていうものは必要なのはこれは誰だってわかるわけです。」

 これは、後の弁明によると、今は慰安婦制度というものは否定されるべきだが、当時存在していたということは「必要とされていた」ということ、そういう厳然たる事実について述べているにすぎない。だから世界各国の軍隊も慰安婦制度を利用していた訳で(注1)、日本だけが非難される謂われはない、という文脈に位置づけられる発言なのだそうです。

 だとしたら彼は、大変日本語が不自由な人であるのでしょう。「必要とされていた」と言えば、必要とした主体が想定されます。実態に即して言えば、「必要であると(軍の上層部が)判断した」という意味にもなるでしょう。しかし、「必要なのはこれは誰だってわかるわけです」と言えば、「誰だってわかる筈だ」という橋下氏個人の判断を述べていることになります。

 そうすると、この先にも戦争になれば、戦場では当然、「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていかねばならない」状況になる。そんな状況下で兵士を休息させてあげようと思ったら慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる筈だと、橋下氏は考えるということになります。

 ここは百歩譲って橋下氏の弁明するところの「文脈」に従い、「(女性蔑視の風潮が蔓延し、人権意識の大変低かった)当時は」という言葉を補って、「誰だって慰安婦制度が必要だと考えたに違いない」と続けることにしましょう。

 さて、2013年のただ今現在も、憲法で保障されている筈のいろいろな人権が蹂躙されている実態は、そこここに厳然として存在しています。

 派遣社員や不定期雇用の労働者の人権無視は目に余るものがありますが、正社員であっても賃金不払いやサービス残業の常態化は相変わらずです。「栄養欠乏」、「栄養失調」、「食料の不足」による死亡を加えた広義の餓死者は2011年で2053人に上り、ここ数年増え続けているそうです(注2)。

 「5月16日放送のNHKあさイチ」や6月5日の「NHKクローズアップ現代」でも採り上げられていましたが、文科省の調査によると、住民票を残したまま行方不明になり、学校に行っているかどうか1年以上確認できない小中学生が全国で1191人(平成23年度)にも上り、就学前の子供についてはその実態さへ不明とのことです。「クローズアップ現代」が小出しにしたデータによれば、特にこのことは、橋下氏のお膝元である大阪において深刻なようです。

 仮に数十年後、再び橋下氏のような大阪市長が誕生したとして、その未来の市長もまた、「当時の状況下でそういうことが放置されるのは当然であることは誰だってわかる。日本よりもっとひどい国はいくらでもあった。」などと言うことになるでしょう。

 タイトルに書いた、「憲法を変えたら、さらなる解釈改憲がまっている」というのは、なにも九条に限ったことでもない訳です。

 依然として橋下氏を擁護する意見も少なくはないようですが、日本が人権後進国であることを世界中の人々が知ることとなった、このことが唯一、橋下氏の功績と言えるのかもしれません。

ーーーーーーーーー
注1)制度としての慰安婦が、世界の各国の軍隊にも存在していた主張するのなら、橋下氏はその証拠を提出すべきです。

注2)舞田敏彦さんの「データエッセイ」にある「餓死者数の長期推移」の記事を参照しました。

 これに対して、「千日ブログ 〜雑学とニュース〜」に掲載された「日本の餓死者数2053人は間違い、2011年は45人 過去30年の最高は93人」という記事では、サンケイ新聞の記事をもとに、「食料の不足」による死亡のみを餓死者としています。

叙勲で思い出したこと

 毎年この時期から年末にかけて忙しく、ブログがほったらかしになるので、日々訪問して下さる方に申し訳なく思う。書いておかなければと思うことは山ほどあるのだが、いかんせん時間が取れない。それでも今日は、「鬼蜘蛛おばさんの疑問箱」の松田まゆみさんによる「文化勲章受章という堕落」というエントリーを読んで思い出したことなど、忘れない内に書き付けておきたい。

 私には恩師と呼べる人が4人いる。高校の教師(Tさん)、大学の卒論の指導教官(Kさん)、大学院の指導教官(Hさん)、それと、私が院生になると同時に退官した教授で、自宅が近所だったこともあって、その後永らく私的なおつきあいをさせていただいた、今は亡き名誉教授(Gさん)。いずれも、私の人生の節目節目で軌道修正をして下さった、恩義のある方々である。

 私が助手になって数年後のある日、Hさんが、Gさんの叙勲話を持ちかけてきた。聞けば、一定の年齢に達した国立大学の名誉教授は、推薦をしたら勲章がもらえるのだという。しかし、Gさんは天皇制に反対していた人だったので、すんなりと推薦を受け入れないかも知れない。そこで、Gさんと親しくしている私を連れだって説得したいというのである。私は、どうせ断られるに決まっているからと思い、乗り気がしなかったのだが、きちんと断られてすっきりしたいという思いもあった。また、いやがる相手を説得しようというHさんの動機は何なのか、いろいろと詮索した末、Hさんの顔も立てて上げようと思い、一緒にGさん宅へ向かった。

 Gさんは不在であったが、町内の神社で秋祭りがあっているのを思い出して、その神社へ向かった。Gさんは当時町内会長をしていたので、きっとそこにいるだろうとの読みが当たり、すぐに、法被を着て酒をつぎ回っているところを見つけた。そこで、神社の裏へ誘って、私から叙勲の話を切り出した。Gさんはニコニコしながら、「勲章などもらわん、ワシはそういうことに反対して来たから」と、あっさりと断られた。Hさんは少し食い下がったが、Gさんの意志が固いことは明らかだったので、諦める他なかった。

 Hさんは、Gさんが「そういうことに反対して来た」人であるのを知っているのに、なぜ説得しようと思ったのか。ひとつには、今後、教室関係者で勲章をもらいたい人が現れたとして、傍から見れば業績的にも最も相応しいGさんをさしおいてはもらいにくくなるだろうとの思いがあったのではないか。将来の叙勲予定者にHさん自身も含まれていたかも知れない。今はHさんも名誉教授で、その年齢に達しているので、私が推薦しなければならない時期になったのだが、私も「そういうことに反対」だから、決して推薦などしない(すみません)。冒頭に引用した松田さんのブログエントリーの趣旨に意義なしである。

 松田さんの記事には大江健三郎氏のことに触れてあるが、大江氏は、文化勲章を辞退するにあたって、ノーベル賞は市民の与える賞だからもらったという意味の「弁明」をしていたと記憶する。私は、学生時代から初版本を全て揃えるほど熱心な大江ファンであった。なにしろ、学部時代に受けたHさんの集中講義を聴いて、その喋りが大江健三郎氏を彷彿とさせるものであったので、大学院からHさんの元へ大学を移ったという経緯がある。実際にHさんも熱心な大江ファンであると知ったのは、随分後のことである。

 しかし、『新しい人よ眼ざめよ』あたりから、ああ、この人はノーベル賞をもらいに来てるなと思って熱が醒めてしまった。取りあえず、その後の作品は半分ほど初版本を買ったが、その半分も読んでいない。若い頃読んだ作品では『洪水はわが魂に及び』が印象深い。『新しい人よ眼ざめよ』の後に出た、『河馬に噛まれる』はおもしろかったが、これが 川端康成賞を受賞していたことは随分後になって知った。これは、何かの皮肉か。

 ところでGさん、天皇制に反対の人が何故神社の行事をサポートするのか、当時の私には疑問だったのだが、その後のGさんとの付き合いの中で、明治以降、天皇制と結託してきた神社神道と、土着のアニミズム的な信仰をベースとする本来の神社の役割とは全く別物であることなどを教わった。私のブログ記事の中では、Gさんのことは、ここここなどに登場する。また、科学をなす上でのフッサール哲学の重要性もGさんから学んだ。
 
 来る10月24日は、1944年、戦艦武蔵がレイテ沖海戦で沈没して1000名余りの戦死者を出した慰霊の日にあたるが、私には戦艦武蔵に強い思い入れのようなものがある。

 過日、学生数名と山小屋のような旅館の一室で酒盛りをしていると「戦艦大和ってかっこいいよね」という話になった。聞けば、呉市にある「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)」に行ったという。私自身が、子供の頃、まさに「大和かっこいい」と思って沢山のプラモデルを作っていたことを思い出した。大和だけでなく、武蔵も、零戦も、戦車もグラマンも沢山作った。零戦乗りの撃墜王・坂井三郎氏はヒーローだった。

 アジア・太平洋戦争時、私の父は若すぎて、二人の祖父は高齢のため、召集令状(いわゆる赤紙)が来ることはなかった。近い親戚中、誰一人戦場に赴いた者はいなかったので、誰一人戦死していない。ど田舎だったので、大がかりな空襲に遭うこともなかったという。そうした環境も影響してか、私は、戦争を美化する空気の中で立派な軍国少年に育ちつつあった。今でも軍歌の3つか4つを完唱できる。

 そんな私が、「かっこいい武蔵」の表紙に惹かれ、小遣いをはたいて買って読んだのが『戦艦武蔵の最後』という、ハードカバーの立派な単行本だった。著者も出版社も覚えていない。しかし、この本によって私は、それまで誰も教えてくれなかった戦場の悲惨な実態を知り、心に刻むことになった。しばらくは眠れない夜が続いたことを覚えている。その後は、戦争を美化するどのような言葉も空々しく聞こえるようになった。この本と巡り会うことがなかったら、今の私はどうなっていたか分からない。

 大岡昇平の戦記物を読んだのは高校の頃であるが、子供が手にするにはハードルが高いだろう。その点、『戦艦武蔵の最後』は子供が読みやすいように編集されていた。難しい漢字にはルビがふってあって、今にして思うと、子供に読んでほしいとの著者自身の強い願いが込められていたようでもあった。自分の小遣いをはたいて買ったのだから、子供の目にも魅力的な装丁となっていたのは確かだろう。

 そういう次第で、息子が戦闘機などの武器に異様に興味を示すので心配している、などといった親の嘆きを耳にした時など、『戦艦武蔵の最後』を薦めたいと思っていた。ところが、ネットで検索しても、私が読んだのと同じものが見つからない。

 検索にかかった現行の品は次の二点。

(1)渡辺清著『戦艦武蔵のさいご』 (フォア文庫 C 17:初版は1979年) [新書]


 さっそく両者を購入して確かめたが、内容も装丁も、私が読んだものと異なっている。それでも、どちらもお薦めできる内容で、(1)は小学校3、4年生頃から、(2)は、中学になったら読むことができると思う。

 私が読んだ『戦艦武蔵の最後』は、おぼろげな記憶では表紙の絵は(2)に近く内容は(1)と(2)を合わせたようなものだったように思う。(2)の本文最後にある脱稿の日付が1994年6月となっているので、こちらではありえない。そこで、(1)と同じ著者による絶版となった単行本の中古品を取り寄せた。

(3)渡辺清著『戦艦武蔵の最後』(朝日新聞社:1971) [ハードカバー]

 私が入手したのは初版本で、写真のものとは表紙が異なっている。どうやら、内容はほぼこちらのようであるが、表紙の絵が完全に違っている。武蔵の勇姿がないし、もう少しサイズが大きかったように思う。この表紙だったら、軍国少年の私は買わなかっただろうという印象。しかも、私が買ったのは1968年前後の頃と記憶している。しかし、「武蔵沈没二十七周年秋」に書かれた著者の後書きを読むと、この年(1971)になってようやくまとめることができたという意味のことが書かれているので、これ以前に同じ著者による類書は出版されていないようだ。実際、いくら検索しても、これより古い同名の書は出てこない。いやまったく、記憶というものはアテにならないものである。

amazonのカスタマーレビューに、(1)『戦艦武蔵のさいご』について批判の投稿がある。


本当に残念。武蔵に乗艦したという経歴を持っている著者の悪質なプロパガンダ小説である。
その経歴を自らのプロパガンダに利用して戦友に申し訳ないと思わないだろうか。
子供が読めば、著者のメッセージと共に内容が強く心に残るだろう事は当然。
艦上の生々しい兵士の死に行く様が「これでもか」「これでもか」と悲惨に表現されている。
だが、大人(子供でも分別ある読書家)が読めば、「お前は何でそんなところまで知ってるんだ!」「「戦闘中にボケッと一人一人死ぬ様を長時間眺めてたのか!」「沈没前の戦闘中に乗組員の大半が死んでしまったような不思議な書きっぷり」「艦を出たのに、その後の艦内の悲惨な兵士達の様がこれでもか、これでもかと書かれているが、何故状況がわかるのか?」等とツッコミどころ満載。
あの、物議をかもした少年H(妹尾河童)と全く同じ手法である。
また、作品中で共産主義者が乗組員で登場し、「敵はアメリカじゃなく、日本の軍部やブルジョア階級だ」と口にする事から、著者も戦後にそちらの運動に加わった人であろう事が予想され、調べたら反天皇の左翼活動家であった。
つまり、旧ソ連の日本に対する工作活動に沿って、自らの信条・活動のために経歴を利用して宣伝し嘘の小説を書いたのである。
悪質なプロパガンダ書ではあるが、まぁ著者の筆が上手く、読者をひきつける本ではあり、コロっと騙されている人が多い上手い技を感じさせる。
よって評価0のところを1とする。
騙されて私を非難する人は、戦闘中、しかも沈没前に艦を出た一兵士が知りえる内容なのかを注意してもう一度読んで欲しい。

 ここで述べられている「戦闘中、しかも沈没前に艦を出た一兵士が知りえる内容なのか」については、この書の元となった前掲(3)に掲載の渡辺清氏による「あとがき」に触れられているので、冒頭部分を引用しておく。

 この作品はさきに発表した『海の城』の続編ともいうべきものである。『海の城』ではおもに軍艦の内務生活をあつかっているが、ここではレイテ沖の海戦を舞台に海上戦闘がその中心となっている。
 私は当時一水兵として武蔵に乗組んでいたが、本書はそのときの私の体験をもとに、機銃の配置から武蔵の戦闘状況をできるだけ記録的に描いたものである。といっても軍艦内における兵員の戦闘配置はほぼ一箇所に固定されており、他の部署のことはなかなかわかりにくい。これは軍艦のもつメカニックな構造にもよるが、とりわけ戦闘中は他の部署の状況はほとんどわからないといってよい。そこでそういう点については、沈没後コレヒドール島に収容された(武蔵沈没の事実が部外に漏洩することをおそれて、私たち生存者は同島に約一ヶ月間罐詰になっていた)とき、いろいろ仲間から聞いた話や、またその後復員してから生存者に個人的に会ってたしかめたことなどによってその補いをつけた。・・・・

 「右翼」が目の敵にするほど良い本である。戦艦大和や零戦がかっこいいという男の子にぜひとも読んで欲しい。「戦艦大和はかっこいい」と話した学生にもこの本を薦めたが、大学生になったら、もう手遅れかもしれない。

参考サイト:
「戦艦武蔵の最期(抄)」(日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室)
 (3)『戦艦武蔵の最後』の本文の一部と、前掲「あとがき」の全文を読むことができる。
 著者渡辺清氏は日本戦没学生記念会(わだつみ会)元事務局長とのこと。


●「フィリピン・シブヤン海 “戦艦武蔵の最期”NHK 戦争証言アーカイブス)
(2)の著者塚田義明氏による証言

戦艦武蔵の最後(戦争証言project:YouTube)

 戦艦武蔵とは無関係だが、ついでにこちらも
「国体の護持」について(尖閣諸島の事例にも関係して)(中川村「村長への手紙」への曽我村長からの返信)

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