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沖縄へのオスプレイ配備に抗議するために普天間基地の野嵩ゲート前に座り込んでいた市民を、県警機動隊が強制排除して3時間以上も隔離・拘束するということがあって、その理不尽さに憤慨しながらも、何もできない自分の不甲斐なさをなさけなく思う日々が続いている。せめてここに、不服従の抗議行動への支持だけでも表明しておきたい。
ゲート前市民「隔離」 専門家疑問視「法的根拠ない」(琉球新報:2012年10月3日)
「野嵩ゲットー」を弾劾しオスプレイに留保なき拒否を(なごなぐ雑記:2012年10月4日 )
同上、「なごなぐ雑記」から:
0927普天間飛行場野嵩ゲート完全封鎖!(2012年9月27日 )
0928-30普天間飛行場大山ゲート&野嵩ゲート(2012年10月1日 )
以前この記事で、「まさか、オスプレイを「正しく怖れよ」などと言う訳でもあるまい」と書いたのだが、その「まさかの人」が湧いている。
例えば八重山日報の9月12日の署名記事には、「オスプレイ機反対者は自動車に乗らないのか 大浜 京子」があって、face book の63人が「いいね!」らしい。
理不尽にも放射能をばらまいて環境汚染の公害を引き起こした営利企業と国家・官僚に対する抗議の声に対して「正しく恐がれよ」と諫めるだけのアホな科学者たちが湧いているこの国にして、あり得べき暗鬱たる情況ではある。
ところで、共産党の「しんぶん赤旗」が、現地の抗議行動を大きく報道しつつも、このゲート封鎖の直接抗議行動については全く触れないままであるという。
(ペガサス・ブログ版:2012-10-02)
ブログ主の電話での問い合わせに対して、「ゲート封鎖というのは違法/合法のグレーゾーンで,先鋭的でもあり,戦術として“オール沖縄”で多くの人々を結集させることにつながるか不明である.」「現地の党組織の判断で報道するかどうか決めるが,今のところそのような判断(つまりネガティブ)だと思う.」との答えであったという。現地の共産党組織も「かなり迷っているようにも感じられた」とのことであるが、あきれるばかりで、これでは共産党の存在理由がない。
もし、この情報に接することがなかったら、このエントリーを上げることもなかったかもしれない。なにしろ、冒頭に書いたように、ひたすら自分の不甲斐なさをなさけなく思うばかりの日々である。タイトルに「不服従」と入れたのは、せめてもの意思表示だが、「連帯を」と書くのはおこがましいとの想いもある。
しかし、関電前抗議行動では逮捕者もでている。
反原発デモで逮捕 関電前報道の不審な写真(2012/10/06)
これも明らかな不当逮捕であるが、警察が逮捕したというだけで、この国では犯罪者扱いとなる。
直接抗議行動への考え方:
これは、その通りと思う。ただ、ガンジーは「非暴力・不服従」を説いた。この「非暴力」と「不服従」を一体のものとして捉えて初めて安富さんの主張が活きてくる。ガンジーが成し遂げたように、多数派の市民の一致した「不服従」こそが権力の横暴を断念させる力となる。沖縄の「民意」は既に明らかだ。
以前にこの記事やこの記事などでふれた故小泉文夫は、台湾の、かつて首狩りの風習のあった「高砂族」の音楽を現地で密着取材したレポートにおいて、首狩りは勇敢な戦士の証として行われているとの建前とは裏腹に、その実態は、「狩られる前に狩ってしまえ」との臆病者の発想にもとづく過剰防衛の行為として行われており、この風習は、アジアのニューギニアから日本へ続く島嶼部に共通の文化としてあると主張した。日本の戦国時代の「晒し首」の風習もその系譜という訳である。もちろんどこでも今では首狩りは禁止されているが、かつての日本の国家としての侵略行為も、そうした「臆病者」のメンタリティに根ざした「過剰防衛」という側面はあるのだろう。
その結果、太平洋戦争において2000万人の死者を出した。その真摯な反省と総括にたって、いっさいの戦力不保持を宣言した日本国憲法が誕生した筈なのだが、国防の名の下に際限のない軍備拡張が続いている。オスプレイの岩国基地から沖縄普天間基地への配備が完了した今、この問題を「沖縄の問題」としてのみ捉えるなら、歴史は忘れ去られることによって繰り返すということが現実のものとなるであろう。一方でこの問題が、確かに「沖縄の問題」としてあることも見逃してはならない。
お薦めのブログ記事:
オスプレイ(横板に雨垂れ:2012.06.18)
オスプレイ配備に関する産経新聞の聞くに耐えない主張(同上:2012.07.05)
(みずき〜「草の根通信」の志を継いで〜(資料庫):2010/5/7)
(同上:2010/5/7)
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追記:赤旗政治記者@akahataseiji の10月1日 - 22:04のツイート
あんまりうるさくてしょうがないから参加させてやる、みたいな・・・(10/2)
================================ 多忙の極みで出遅れたけれど、あまりに酷いのでメモ。
「特定の主義主張 ご遠慮いただく」原子力規制委が取材規制(しんぶん赤旗:2012年9月26日)
原子力規制委、「赤旗」記者の会見出席認めず(朝日新聞デジタル:2012年9月26日22時16分)
(以下、略)
赤旗記者の会見排除 規制委は直ちに改めるべきだ(しんぶん赤旗 主張:2012年9月29日)
(中略)
「赤旗」を閉め出す根拠は、「委員会発足の時点で速やかに決めておくべき事項」と題された資料にまとめられている原子力規制委員会の内部規約だという(17ページ)。要するに、記者会見等に参加を求める報道機関の範囲が新聞協会会員など名指しで限定的に定められているのである。「スペースがない」というのは、共産党の抗議を受けて出てきたことであるが、これまで会見場が一杯になったことはないという。
共産党は、これまではそのような排除を受けたことはなかったと書いているが、共産党が取材できていたのは、会見後の「突撃」取材や「ぶら下がり」取材といった非公式なものに限られていたとの情報もある(例えば下記)。
(ニコニコチャンネル:2012-09-28 17:00:00配信)
このことの真偽など実はどうでも良くて、問題は、商業紙(営利企業)や「電気新聞」はOKなのに、国会に議席を持つ公党の機関紙を行政機関の記者会見から排除するという、およそ民主主義のイロハを理解しないその感覚にある。
この出来事を通してまたもや実感するのは、日本のジャーナリズムの底知れぬ堕落である。ほとんどの一般商業誌紙は事実の一旦を伝えるだけで、まともに抗議の意志を示したのは「東京新聞」くらいではないか。地方紙のほとんどは報道さえしていない。フリーでも例えば江川紹子氏は、「自由新報も公明新聞も来れば入れるってことでいいんぢゃにゃい?」とtweetするだけでおしまい。
タイトルにある「本性をあらわにする原子力規制委員会」とは、要するに、原子力を推進しようとする者達の本性は、人権感覚や民主主義感覚の欠如と一体のものとしてあるという意味である。
江川紹子氏が原子力推進派でないことくらいは知っているつもりであるが、この件についての反応が鈍いのも、福島の放射能汚染への対応についての議論で管理者然とした主張を繰り返してきたことと無関係ではないだろうと、妙に納得される。
それにしても、この件についてのtweet で「赤旗」の排除を批判するのに、「自分は共産党支持者ではないが・・・」というのが、まるで共産党の特定の主張に賛同する際に不可欠な枕詞でもあるかのように多用されるのも興味深い社会現象である。私のこの記事やこの記事のように、その枕詞抜きで共産党の主張に肩入れしようものなら、党派性に根ざしたねじ曲がった主張だとの奇妙な批判がわき起こるのは周知のことではあるのだが・・・
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前回、天然放射能と人工放射能の違いについて、人工的な放射能環境においてのみホットパーティクルが形成可能であること、また、この点を除いて本質的な違いはないことを述べた。ここでは、ホットパーティクルが形成され得る条件について、比放射能ー存在度(濃度)図を用いて天然と人工の放射能環境を具体的に比較し、まとめとしたい。
自己遮蔽効果
先ず、前回にもふれた「自己遮蔽効果」について、改めて注意を喚起したい。近年、劣化ウラン(DU)の生物学的影響を評価するための一連の動物(マウス)実験が、米軍主導のもとに行われてきたが、そこでは、ミリメートルサイズのDUペレットが用いられた。
Long-Term Health Effects of Embedded Depleted Uranium(John F. Kalinich, 2010)
この実験で用いられた直径1mm、長さ2 mmの円筒形DUペレットの全放射能は、比重を20とすると、およそ1380 Bqとなる(注1)。このうちα壊変は590 Bqを占めるが、α線の飛程はDU中では12μm程にすぎないので、この飛程よりも深い内部で生まれたα線は、ペレットの外へ抜け出ることができず、実質的には放射されないことになる。
概算すると、放射壊変によって生み出されたα線の中で、実際にその外部へ放射されるのは全体のおよそ3%の18 Bq相当にすぎないことがわかる。生み出された全てのα線が放射されるためには、粒子の直径がその物質中でのα線の飛程より小さくなければならない(図1参照)。β線についても同じことがあてはまる。米軍の実験は、この点で大きな誤魔化しがある(注2)。
図1 「自己遮蔽効果」を示す模式図。
大きな塊の放射性物質(図の灰色)の内部で生み出された粒子線(α線やβ線)は、図中の円の半径で示した飛程より遠くへは届かないので、この円が物質からはみ出している一部の方位領域へしか放射されない(下段の円)。たとえ物質表面から放たれたものでも、その半分しか放射されない(上段の円)。
サイズさえ大きければ天然の物質でも大きな放射能を有することになるが、その危険性という点では限界があるのである。ホットパーティクルの危険性の本質は、それが微粒子であることにもよる。一方、大きな放射能を有する微粒子が形成可能であるためには、核種の比放射能(単位質量あたりの放射能、ここではBq/g)が大きいことと、その存在度(濃度)が高いことの両方が必要になる。また、ホットパーティクルという概念が生まれた趣旨に照らして言えば、その危険性が、少なくとも一ヶ月程度は持続する性質のものでなければならない。
比放射能ー存在度図
図2は、横軸に比放射能(Bq/g)の常用対数値、縦軸に存在度(重量濃度:ppm)の常用対数値をとったグラフである。縦軸は濃度なので、このグラフの目盛では6(100万ppm=100%)が上限になる。この座標系では、右側ほど比放射能が大きく、上側ほど存在度が大きいので、右上ほど放射能が大きいということになる。また、右側ほど半減期が小さく、短寿命である。
ここに、平均地殻中の種々の放射性核種、閃ウラン鉱の全放射性核種を合わせた値、前回の記事で紹介した、海水中、およびアスベスト禍による悪性中皮腫患者の肺組織に形成されたフェリチン中のRa-226、使用済み原発燃料の核分裂停止5日後と1年後に含まれる放射性核種の値をプロットした(注3)。
平均地殻中の放射性核種としては、U-238、U-235、Th-232、および K-40が重要である。このうち、K-40は、カリウム同位体全体の0.012%(1万分の1)にすぎず、しかも、常に安定同位体のカリウムとともに挙動する。このため、カリウムは平均地殻中に豊富に存在するが、比放射能は最も小さな値となる。一方、残りの三種は、それぞれの壊変系列に属する中間娘核種が永続平衡に達して、右下方向へ連なる同一放射能の一つの直線上に配列している。
天然で最も高い放射能値は、閃ウラン鉱の、ウラン系列とアクチニウム系列の全ての核種を合算して示した値である(図の左上の青四角)。その中のウランだけをプロットすると、使用済み核燃料のウランとほぼ同じ位置(左側の赤丸)になる。
使用済み原発燃料に含まれる放射性核種は、天然の放射性核種の比放射能の範囲に含まれるが、半減期が2時間未満のものは核分裂停止後5日を過ぎるとほとんど消滅する。同様に、半減期が6日未満のものは1年後にはほとんど消滅する。
これらの核種は、天然でも人工でもいろいろな条件において濃縮・凝縮したり、希釈・拡散したりするが、すくなくとも天然核種は、それらの取り得る値には限界があると考えて良い。特に短寿命核種は、天然の条件でおこる元素の移動速度に限りがあることから、濃縮や拡散のおこる範囲も限られてくると考えて良い。図3には、自然環境下で実現可能な天然核種の範囲と、ホットパーティクルの材料となり得る範囲を示している。
天然で最も濃縮されたウランは閃ウラン鉱(UO2)として存在している。ウラン系列の中〜短寿命核種の天然における存在度の上限は、閃ウラン鉱中のウランの放射壊変によって生み出される平衡濃度と考えて良い。閃ウラン鉱が分解され、ウランから隔離されると、それらの核種は放射壊変によって減少するとともに、平均地殻物質によって希釈される。全体として、天然の環境では、平均地殻の濃度を中心としてプラスマイナス6桁(100万倍、および100万分の1)の範囲のものになるであろう。実際、この範囲を超える物質は、おそらく知られていない。
一方、人工核種については、例えば原発のメルトダウン事故によって低沸点の核種が蒸発し、その後凝固することによって、元の使用済み燃料中より高い濃度にまで濃縮された粒子が生成され得る。ホットパーティクルの一部は、このようにして生成されるのであろう。図に示したホットパーティクルの材料となり得る範囲の下限(左下の境界輪郭線)は、1ナノグラムの粒子の放射能がおよそ0.001 Bqとなる濃度とした。また、半減期が5日以上の範囲に限定した。
図3に明らかなように、天然の環境では、ホットパーティクルは生まれ得ない。この点が、天然放射能と人工放射能の決定的な違いであり、ホットパーティクルは、生命にとっては未知の物質と考えて良い。また、天然の放射能と人工の放射能のこれ以外の差異は、おそらく何もないのではないかと思う。
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注1)DUのウラン同位体の存在度を、U-238を99.75%、U-235を0.25%、U-234を0.0027%とし、また、ウラン系列のTh-234とPa-234、およびアクチニウム系列のTh-231が放射平衡に達しているとして、それらのベクレルを合算したもの。
注2)他にも、寿命の短いマウスを用いて寿命の長い人間の発がん影響を評価するすることはできないとの批判もある。
注3)使用済み核燃料に含まれる放射性核種の存在度については、平成23年6月に原子力災害対策本部が公表した東電原発事故による放射性元素の放出量についての表にリストされている核種を中心に、核分裂収率などから計算した。前提として、Wikipediaの「放射性廃棄物」のページの以下の記述にある条件を採用した。
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前回(その1)では、天然の放射性核種と人工の放射性核種に化学的な違いはあるが、Svという共通の尺度で比較可能というところまで書いた。しかし、現実に存在し得る放射性物質について整理してみると、ホットパーティクルだけは、人工の放射性物質特有のものであることがわかる。しかも、これによる内部被曝においては Svという尺度が無意味なものになる可能性さえある。
天然の放射性核種からもホットパーティクルは形成され得るのではないかとの疑念も生じようかと思うので、ここではそのことを中心にまとめるが、まずは定義などについて整理しよう。
ホットパーティクルの定義など
ホットパーティクルについてATOMICAでは次のように説明している。
この説明は、故意ではないかと思えるほど見事にポイントを外している。もともと、hot
particleという概念は、既に1960年代には現れていたようであるが、その危険性が広く認識されたのはTamplin and Cochran(1974)の研究による。
以前にもこちらでとりあげたが、小出裕章氏による「プルトニウムという放射能とその被曝の特徴」と題する資料に詳しい解説がある。
Tamplin と Cochranの論文タイトル"A report on the inadequacy of existing radiation protection standards related to internal exposure of man to insoluble particles of Plutonium and other Alpha-emiting hot particles." が示すように、その危険性の本質は、この微粒子が不溶性であることに由来する。単位質量あたりの放射能(比放射能)の高い(半減期の短い)核種を濃縮した不溶性の微粒子が体組織内の一箇所に長期間留まり、その周囲の細胞群に放射線を打ち込み続けることで病変を引き起こす危険性が極めて高くなると考えられているのである。
例えば、直径1 μmのPu-239の酸化物粒子(PuO2、比重10)の放射能を計算すると、
0.0106 Bqとなる。Pu-239の線量換算係数は、特に吸入摂取において1.2E-4 Sv/Bq(0.12 mSv/Bq)と高く、8.3 Bqの吸入で実効線量1mSvに達してしまうが、それでも0.0106 Bqという値は取るに足らないレベルのように思える。しかし、この微粒子の周囲の半径50 μmほどの範囲にある細胞群が、およそ95秒に1回、1日あたり916回のα線銃撃を何年もの間受け続けると考えると侮れない。
そこで、このようなホットパーティクルが天然の物質からも形成され得るか検討してみよう。
天然物質からなる微粒子の放射能
天然に普通に存在する物質で質量あたりの放射能がもっとも高いのは閃ウラン鉱(UO2)であろう。閃ウラン鉱は、代表的なウラン鉱石のひとつで、日本の花こう岩も微量ではあるがこの鉱物を含むものが多い。閃ウラン鉱は最大88%のウランと、ウラン系列、アクチニウム系列の短寿命核種を含むので(残りは酸素)、これをもとに直径1μm、比重10の閃ウラン鉱粒子の放射能を計算すると、8.26E-7 Bq となって、同じサイズのプルトニウム酸化物粒子の12800分の1となる(注1)。これではとても「ホット」とは言えない。しかも、酸化的な環境下では比較的溶解度が高い。
粒子サイズを大きくすると当然放射能は高くなるが、数十μm を超えるあたりから自己遮蔽効果が高まり、粒子内部で生み出されたα線やβ線がその粒子の外部へ抜け出ることができなくなるという事情のため、大きな塊は質量の割には放射線量が低いということになる。微粒子が問題とされるのはそのためでもある。
では、もっと短寿命で比放射能の高い核種の濃集したホットパーティクルは、天然では形成され得ないだろうか。
近頃、岩盤浴などの用途として「ラジウム鉱石」なるものが販売されている。ふつう、元素名を冠した「○○鉱石」は、その元素を主成分として含む鉱物・鉱石を意味するが、ラジウムを主成分とするものは天然には存在しない。ラジウム(Ra-226:半減期1600年)は、U-238(半減期44.7億年)のごくゆっくりとした放射壊変によって生み出される一方、その280万倍もの早さで崩壊してしまい、結果的にラジウムの重量濃度はウランの300万分の1になってしまうからである。もっと半減期の短い核種はさらに低濃度となる。
結局、天然では比放射能の高いものほど存在度が小さいという関係にあるので、天然物質のホットパーティクルは通常は形成され得ないということになる。ただし、特殊な条件下において、天然の短寿命核種を濃縮した微粒子が形成され、それによる内部被曝が大きな脅威になり得るという最近の研究成果があり、ネット上でも話題になったので、その概要を記しておく。
天然の短寿命核種が濃縮された特殊な事例
岡山大学地球物質科学研究センターの中村栄三氏らは、アスベスト禍によって悪性中皮腫となった患者から切除された肺組織について、種々の先端的手法を駆使した分析を行い、病変のおこるメカニズムについて研究をおこなってきた。その結果、鉄分の多いアスベスト(青石綿、茶石綿)が肺組織内に突き刺さって長期間滞留していた周囲に含鉄タンパク質小体(フェリチン)が形成され、そこに天然の放射性元素であるラジウム(Ra-226)が高濃度(海水中の 100万〜
1000万倍)で濃縮されていることをつきとめ、これによる局所被曝が悪性中皮腫の原因ではないかと推定した(注2)。
1.悪性中皮腫患者には、乾燥肺組織1 g あたり数千〜数十万の鉄質アスベスト小体が存在し、その周囲にフェリチンが形成されている。
2.フェリチン中に多数のフェリハイドライト(Fe5HO8・4H2O)微粒子が形成され、ラジウムはその成長とともに経時的に取り込まれる。
3.ラジウムはフェリハイドライトの結晶構造に取り込まれているので、その崩壊で生じるラドン(Rn-222、半減期3.8日)も揮散せずに、Pb-210(22.3年)に至るまで4回のα崩壊が放射平衡に達する(実際には2回のβ崩壊を含むが論文では無視されている)。
海水中のラジウム濃度はおよそ1.3E-10 ppmで(注3)、その1000万倍に濃縮されたとしても、フェリチン中のラジウム濃度は0.0013 ppmにすぎない。一つのフェリチンを直径10 μm、比重1.5とすると、ラジウム(Ra-226)および、系列5核種の合計の放射能も 2.24E-7 Bq であるにすぎない。これだと、さすがにホットパーティクルとは呼べないので、代わりにラジウム"ホットスポット"と称されている。
この2.24E-7 Bqという放射能は、低すぎて問題にならないと思われるかもしれないが、その影響は長期間にわたって半径50 μmの範囲に集中するので、この領域の単位質量あたりの吸収線量は、α線(平均5.99 MeV)だけで年間 8.64E-3 J/kg (Gy)にもなる。α線の放射線荷重係数は20なので、局所的な線量密度がリスク要因になるとすれば、潜伏期間(20年以上)の蓄積量は危険なレベルとなり得る。
しかし、全体としてみれば、病巣周辺に100万のフェリチンが形成されていたとしても合計の放射能は0.224 Bq にすぎない。悪性中皮腫が、このように僅かな放射能によっても高率で発生するとすれば、もはや内部被曝において Svという単位は何らの意味も持たないことになる。人工の、もっと高い放射能の(本物の)ホットパーティクルなら、なおさらそのリスクは高いということになる。
β核種ホットパーティクル
Tamplin と Cochranは、もともとα核種からなるホットパーティクルの危険性を説いたのであるが、東電原発事故で放出されたα核種による汚染量は、福島県内であってもせいぜいがグローバルフォールアウトと同程度と見積もられる。一方、β核種が濃縮した微粒子であっても、拡散した状態におけるよりははるかに危険性は大きいと考えられる。
本年8月14日に福島第一原発4号機施設で1 cm3 当たり77000 Bqのセシウムを含む汚染水が4.2 m3 漏れるという事故があった。仮にCs-137とCs-134の放射能(Bq)の比率を2:1とすると、この汚染水のセシウムの重量濃度は0.016 ppmとなる。
このような汚染水の放射能除去には、通常、セシウムを吸着濃縮する粘土鉱物などが用いられる。その濃縮率は最低でも10000倍はないと使い物にならないので、使用済みの粘土鉱物の放射能は相当高くなっていると考えて良い。Cs-137を0.1%含む、直径1μm、比重2.5の微粒子の放射能は0.0042 Bqとなるが、層状珪酸塩である粘土鉱物の微粉末は飛散し易いので、厳重な管理が望まれる。
まとめ
しばしば指摘されるように、「全体」は「部分」の単なる集合ではない。原子核中の陽子が一つ増えただけで、希ガスからアルカリ金属という両極端の性質の元素に転化するのは好例であろう。
放射線被曝は、基本的にはα・β・γ線の作用によるものであって、天然の放射線も人工の放射線もなんら異なる点はない。個々の核種も、天然と人工で、決定的に異なる点は特に見あたらない。一方で、天然の放射能と人工の放射能の具体的な態様は確かに違う。しかも、ホットパーティクルによる内部被曝のリスクについては Svという尺度が役に立たない可能性も指摘されているのである。
ホットパーティクルの危険性については依然として未解明のことが多いが、現実に存在し得る天然放射能と人工放射能が実体論的に違うのである以上、少なくとも科学者であるなら、物理的性質は何も違わないと言って終わるのでなく、「物質科学的に違う」という前提に立った丁寧な議論が必要だというのが、この記事の趣旨である。
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注1)U-238系列14種、 U-235系列11種の系列核種が全て永続平衡にあるものとし、それらを合わせた値として求めた。
注2)文科省記者クラブ発表資料(2009/07/27)
原著論文はこちら
注3)海水の組成
海水のラジウム濃度の1.3E-10 ppmという値がどのようにして求められたのか分からないが、上記サイトにある海水中のウラン濃度(0.0032 ppm)と放射平衡にあるラジウムの濃度を求めると、
1.08E-9 ppmと8倍多い値になる。ウランは酸化的な環境中では水に溶け出し易く、ラジウムは鉄・マンガンクラストに吸着され易いので、1.3E-10 ppmという濃度はありそうな値ではある。海水の化学組成は血液に近いとされているので、比較の対象として持ち出されたのだろう。
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はじめに
東電原発事故で放出された放射能による低線量被曝のリスク評価をめぐって深刻な対立が続いている。リスクを管理する側である、行政・官僚の視点(論理)ではなく、その受容を迫られる側である被災者・市民の視点(論理)に立って思いつくところを列挙すると以下のようなものだろうか。
1.たとえどんなに低いレベルでも、低いなりの危険性がある。
2.危険性については良く分からないが、どんなに低くても安心できない。
3.法令にある1 mSv/y未満の上乗せなら我慢しようが、それ以上我慢しなければならない謂われはない。
4.不安はあるが20 mSv/y 以下なら国に協力して生活に気をつけながら我慢しようと思う。
5.国が言うのだから、20 mSv/y 以下なら大丈夫だと思う。
6.100 mSv/y 以下ならあまり気にしない。気にしすぎてストレスをためる方がよほど問題。
7.100 mSv/y 以下ならホルミシス効果で却って健康に良い。
他にもあるに違いないが、このように意見が分かれるのは、専門家の見解そのものが多様であることから来ているのだろう。そして、お互いに罵詈雑言をもって非難し合っているのが現状だ。リスクは大きいと主張する側(以下、「危険側」)は、低線量被曝のリスクは基本的に未解明であり、予防原則に則って、特に子供の命を守れと主張する。リスクは小さいと主張する側(以下、「安全側」)は、未解明だとしてもリスクは青天井ではない。不安を煽るのは却って健康リスクを増やし、犯罪的ですらあると主張する。
それにしても不思議に思うことは、あたかもリスク管理者であるかのようにふるまって、異なる意見の者に説教を垂れる人々が多いことである。
問題は天然放射能と人工放射能の違い
両者の意見にはどちらにもそれなりに根拠とされるものがあるが、結局のところ、その溝が埋められないのは、どのレベルから「青天井」と評価するのか、クロ、グレーゾーン、シロの境目をどのレベルに設定するのかといった具体的な点を議論しようとしても、共通の土俵に立つことを阻む要因があるからだ。
1〜2 mSv/y 程度の線量に不安を抱く者に対する「安全側」の決め台詞が、「自然放射線のレベルだから気にしなくて良い」、というもののようであることからすると、自然放射線量が「青天井論」の一つの目安になっているのだろう。中にも、インドケーララ州(注1)やブラジルのグァラパリ(注2)の、平均3.5 m〜5.5 mSv/y を持ち出したり、あるいは、それらの地域の上限値を持ち出したり、もっと放射線量の高い、しかも平均寿命の低い過疎地域の特殊な例が参照されたりもするので一筋縄ではいかないのであるが、いずれにしても、自然放射線量との比較が決め台詞として有効だと思われているとすれば、それは全くの勘違いである。
なぜなら、「危険側」の人々の多くは、理解の仕方は様々であるにせよ、天然の放射能と人工の放射能は違うので単純には比較できないと考えているからである。そもそも、ほとんどの人は、今や自然の放射線レベルについての基本的な知識はあるのだから、この期に及んでそれを持ち出すのは、素人をバカにした態度である。
天然の放射能と人工の放射能は違うという考えから、空間線量が自然放射線のばらつきの範囲内のものであってもこれに恐怖を抱く、あるいは、体内に取り込まれる放射能が、もともと生体必須元素として常駐しているカリウムなどの放射能レベルに比べて取るに足らないものであってもこれを恐れ、その防御のために大変な労力を割いている人々がいる。自然放射線と人工放射線、あるいは外部被曝と内部被曝による影響を Sv という尺度で統一的に語る事を拒んでいる人々も少なくはないのである。彼らにしてみれば、味噌もクソもいっしょくたにしているということになる。
「天然と人工は違う論」の背景
このアイデアは、生命は、長い進化の途上で天然の放射能に対する防御の仕組みを備えてきたが、人工の放射能への備えはないに違いないという発想に根ざしている。こうした発想は、例えば単体元素の化学毒性は、地殻中、あるいは海水中の元素存在度の小さなものほど大きいという、生命誌や地球化学や表層環境化学の教科書に記述されているような経験則とも合致しており、例外はあるものの、それ自体は決して無視して良い暴論というものではない。
地球創生期の頃は放射性核種の存在度は今よりずっと高く、強い宇宙線や紫外線も降り注いでいて、生命は、誕生した40億年ほど前から10億年以上もの長い間、海底下で細々と生きながらえてきた。その後始生代末期(26億年ほど前)に地球液体核の成長とともに地球磁場が誕生してバンアレン帯が形成され、宇宙線の大部分がカットされるようになると、太陽光線が届く浅海において光合成で酸素を生み出すシアノバクテリアが爆発的に増殖した。海水中の鉄が酸化されて大規模な縞状鉄鉱床が形成されたのはこの頃である。20億年ほど前に存在した中央アフリカのオクロ天然原子炉の形成は、遊離酸素の増加による堆積岩中の酸化・還元状態の多様化に起因しているが、この頃に真核生物も出現している。やがて大気中の酸素量も増加して、顕生累代に入った5.4 億年ほど前になるとオゾン層が形成され、紫外線もカットされるようになり、やっと陸上生物が出現したのである。
地球と生命の共進化の歴史をこのようにふり返ると、生命というものは、本質的に放射線や紫外線に弱く、その減少とともに、ぎりぎりのところで今日の繁栄を築いてきたと言える。その進化の過程では、放射線によって損傷した遺伝子の修復機能も発達してきたと考えられ、実際、その修復機能は高等動物において優れていることがわかっている。もし、人工放射能が、天然のものとは異なる物理化学的性質を有するとすれば、それへの備えは生命の進化の過程では獲得され得なかったと考えるのも故なしとは言えないであろう。
なお、オクロの天然原子炉で生まれた核分裂生成核種は原子力発電所で生み出される放射性核種と全く同じものであるが、全て半減期が短いために、地球史の時間スケールではあっという間に消滅してしまった。また、核燃料となるU-235はU-238よりも半減期が短いために同位対比が減少し、その後二度と天然原子炉が形成されることはなかった。したがって、その後の20億年におよぶ進化の歴史を経て様変わりした今日の生物界にとっては、原爆や原子力発電所で生み出される放射性核種は、実質的に天然には存在しないものとみなして良い。
天然の放射性核種群と人工の放射性核種群との間に物理的な差異はない
以上に述べたことは状況証拠に過ぎない。やはり具体的なメカニズムに即した説明が必要であろう。この点、放射線の生物学的影響は、中性子線が問題となる核爆発や臨界事故を除けば、基本的にはα・β・γ線の作用によるものであって、天然の放射線も人工の放射線も特に異なる点はないとする反論がある。
また、天然の放射性核種群と人工の放射性核種群の物理的差異という問題設定でも、本質的には何も違わないと言える。唯一の違いは、自然放射線への寄与率の大きな親核種であるU-238, U-235, Th-232, K-40の4種が、何れも半減期が億年〜百億年単位の長寿命のものばかりという点である。しかし、K-40以外の3種は壊変系列をなし(注3)、それらは、極短寿命のものから中〜やや長寿命のものまでの様々な放射性中間娘核種を生じる。人工の放射性核種の半減期は、ほぼそれらの範囲内にあり、Pu-239もα壊変して天然にもあるU-235となる。
放射線のエネルギー領域にも特段の違いはない。そのため、γ線スペクトロメトリ−においては、エネルギー分解能が低いと天然、人工入り乱れての核種の同定ミスも起こる。また、あるエネルギーのβ線を捉えたとしても、それがどの核種から放射されたものかを一義的に決めることはほぼ不可能である。当然、生体はそれらを識別できない。
くり返すと、核種レベルでの物理的性質を比較する限り、両者に本質的な違いはないと言える。核爆発や原発事故で問題となる人工放射能の特徴は、高濃度で生み出された短寿命核種によって、空間線量率が天然ではあり得ないほど高くなる点であるが、それも自然放射線のレベルにまで下がればもう問題はないとされる所以である。
化学的な性質は違うが被曝線量はSvという共通の尺度で比較可能
一方、放射性元素の化学的性質については、天然核種と人工核種で個々に個性があり、内部被曝において大きな違いが生まれるとの主張がある。たとえば、市川定夫氏(埼玉大学名誉教授、放射線遺伝学)は、セシウムは生体必須元素であるカリウムと同じアルカリ金属に属するのでカリウムと混同されて生体に取り込まれるものの、生物学的半減期が長いために人体中に濃縮され、健康へのリスクは大きいと主張している。
天然放射能と人工放射能は違う! (YouTube)
たしかに、セシウムとカリウムの体内動態は大きく異なっている。前回の記事でもふれたように、生体必須元祖であるカリウムは体内濃度が0.2%程になるよう強力に制御されているが、無用な微量元素であるセシウムは、基本的には摂取量に依存して体内蓄積量も決まってくる。
人体中でのセシウムの挙動、特に蓄積平衡量やカリウムとの比較については、学習院大の田崎晴明氏による「食品中のセシウムによる内部被ばくについて考えるために」というページに良くまとめられている。
また、甲状腺へのヨウ素の濃縮や、骨組織へのストロンチウムの濃縮も天然核種では問題にならなかった現象である。
しかし、いずれにしても、それらの被曝影響が Sv という単位で統一的に把握できるものである限りにおいて、天然、人工にかかわらず相互に比較可能であり、内部被曝についても、自然の状態と比較してどれほどのリスクがあるのか議論可能である。したがって、冒頭に示した問題設定において、これらの違いが問題になることはなく、「青天井」のレベルについても議論可能なのである。
さて、表題にある通り、私は天然放射能と人工放射能に本質的な違いがあると考えているので、次回は、ホットパーティクルの取り得る放射能レベルという観点でその違いを述べてみたい。
(続く)
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注1)ケーララはインド南西沿岸部の州。海岸の砂浜にはモナザイトが多く含まれ、平均の放射線量は3.5 mGy/y とされる。市川定夫氏によると、ダウン症が多発しており、生まれる子供の性比にも偏りがみられるという。なお、インドの2009年時点の平均寿命は65歳である。
注2)グァラパリはブラジル沿岸部の人口10万人あまりの観光都市。Wikipedia には以下の記述がある。
なお、ブラジルの2009年時点の平均寿命は73歳である。
注3)Pu-239を親核種とし、天然のU-235を経由するアクチニウム系列、U-238を親核種とするウラン系列、Th-232を親核種とするトリウム系列があるが、その詳細についてはWikipediaや理科年表を参照のこと。
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