さつきのブログ「科学と認識」

福島第一原発、アンダーコントロールで、わざと昨年の2倍の放射能を放出か

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 表題の映画は1980年に韓国でおきた「5・18民主化運動」(光州事件)を舞台とした実話をもとに制作されたもの。韓国では昨年公開され、あっという間に観客動員1000万人を超える大ヒットとなったそうな。日本では本年4月にパラパラと公開が始まったが、地方だとまだ公開されていないところもある。シネコン一つの地元では公開の予定もないとのことで、5月に東京へ行った際に新宿ピカデリーでみた。私は若い頃光州を訪れ、この事件の詳細を知って強い印象を持った経験があり、どうしてもみたかったのだ。

韓国の「5.18記念財団」のウエブサイトから冒頭の概説部分をgoogle先生の助けを借りて訳してみた。

5・18民主化運動は、1980年5月18日から27日未明までの十日間に、全斗煥を頂点とした当時の新軍部勢力と米軍の指揮を受けた戒厳軍の鎮圧に抗した光州市民・全南道民が「非常戒厳撤廃」、「維新勢力清算」などを求めて、死を恐れず、民主主義奪還のために抵抗した歴史的な出来事です。抗争期間中22〜27日の五日間は、市民の力で戒厳軍を圧倒し、光州を解放区にして世界史にもまれな自治共同体を実現しました。

戒厳軍によって鎮圧された後、5・18民主化運動は、一時「北朝鮮の扇動による暴動」と非難されたりもしましたが、真相究明のための粘り強い闘いの結果、1996年には民主化運動として国が記念することになり、2001年には5・18墓地が国立5・18墓地に昇格され、関連被害者は民主化功労者として、その名誉を完全に回復しました。 5・18民主化運動は、韓国民主主義の分水嶺となる1987年6月抗争の動力になって民主主義争奪と人権回復につながりました。

今日、5・18民主化運動は、独裁政権に抗して戦っているアジア諸国の民衆に貴重な経験を提供してくれており、同時に民主化運動が目指すべき精神的な指標ともなっています。また、全世界の人々には偉大で美しい事件として記憶されています。韓国民主主義の土台の役割をはたしたという点で、光州と大韓民国の民衆は、5・18精神を胸深く刻んでおり、その精神を民主・人権・平和・統一など、新しい時代に新たに提起された課題にまで拡張していきます。

 このサイトに掲載されている画像を一つだけリンクしておく。



 日本のメディアは「光州暴動」という呼称を用いていたが、NHK アーカイブスの「NHK名作選 みのがし なつかし」に当時のニュース番組の「韓国・光州事件 戒厳軍が市民を鎮圧」と題する動画が残っている。

番組詳細
パク大統領殺害後の難局を乗り切った韓国では、2月末にキム・デジュン氏らの公民権が回復され、民主化が進むかに見えた。しかし、軍の実権を掌握した チョン・ドゥアホン将軍は5月17日、韓国全土に戒厳令を布告、キム氏らを連行した。5月18日、光州市で大学を封鎖した陸軍部隊と民主化を叫ぶ学生が衝突し、19日には学生と市民は軍の武器を奪って抵抗した。戒厳軍が投入され10日間にわたって内戦の様相を呈した光州事件は多くの死傷者を出して鎮圧された。

 私が最初に韓国を訪れたのは1987年8月。韓国で初めての開催となったやや規模の大きな国際学会に参加するためであった。全斗煥軍事政権末期のことで、翌88年には盧泰愚政権へと変わり、ソウルオリンピックが開催された。下関から関釜フェリーに乗って一夜を明かし、翌早朝釜山港に上陸して、映画に出てきたのと同じポニー製のタクシーで釜山駅へ。釜山駅からセマウル号に乗ってソウル入り。ソウル駅から同じくポニーのタクシーに相乗りして旅行案内所まで行き、そこで、学会会場となっていたロッテホテルの近くの路地裏にある安い韓式旅館(ヨガン)の紹介を受け、程なくその旅館の女将さんが迎えに来てくれたという次第。学会が終わると今度は高速バスを使っていくつかの地方都市をめぐりながら釜山まで戻り、釜関フェリーで帰国。ちなみに、今google mapの航空写真でロッテホテル周辺を観ても、当時とは風景が一変して、その旅館も残っていない。

 日本人旅行者も少しずつ増えていた時代で、どこでも親切にしてもらい、快適な旅を満喫した。以来、学会や共同研究、韓国人留学生のお世話、家族旅行など、毎年のように韓国を訪れ、レンタカーで旅行したりするようにもなった。この映画をみたいと思った動機の一つは、最初に訪ねた頃の韓国の風景や人々の息吹、そうした記憶を呼び戻したいという思いもあったからである。1987年と言えば、学会が始まる二ヶ月前には大統領の直接選挙等の国政民主化を求める「6月民主抗争」がおこったが、これは光州民主化運動の影響や教訓があって成功裏に終わったとされている。そうした特別の運動がなされた年でなくとも、韓国の大学へ行けばいつでもどこでも正門付近では学生達が太鼓を叩きながらデモをやっていた。

 光州を訪ねたのは、1990年前後だったと思う。当時光州市は全羅南道の道庁所在地で、その道庁に用があり、韓国人留学生のK君と共に訪ねた。その本庁だったか分館だったか、「光州事件」の写真パネルが多数展示されている広間があった。それらの写真が伝えているのは日本での報道によるものとは全く異なっていた。K君の説明によると、光州市あるいは全羅南道として、民主化運動に関わった人々を顕彰し、犠牲者を追悼するための施設が準備中で、既にそのためのモニュメントや公園、墓地の整備もなされているとのことであった。日本では暴動事件として報道されていたが、それは軍事政権による「大本営発表」を垂れ流していただけの、およそ報道の名に値しないものであった訳だ。やはりそうかと思うと同時に、日韓の政治文化の差を思い知らされた。

 1996年(あるいは1997年)になって韓国国家により「光州事件」が民主化運動として記念されることになったことは日本でも知られているだろう。そこに至るよりかなり前から、光州市や全羅南道ではこの運動を顕彰することになっていたのだ。光州市のほぼ全市民が生き証人なのだから、当地に陰謀論が入り込む余地はないし、その記憶は風化することもない。当然と言えば当然のことではある。ちなみに、実話としてドイツ公共放送(ARD)東京在住特派員であったドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターが韓国の金浦空港に着いたのが5月19日とのことなので、彼は、5月20日の20万の市民と3万の軍・警察が対峙した場面を目撃していない筈だ。

 映画評は、まだみていない人の妨げにならないよう、少しだけ。まあ、面白かった。5・18民主化運動(光州事件)という韓国史上の重い事件を扱いながら、エンターテインメントとしても成功している。とは思うが、大事件を扱っているだけに何か物足りなさも感じた。一つには、予算不足からかエキストラがちょっと少なすぎる気がした。もう一点、共産主義者の嫌疑により国家権力の暴力がなされようとするとき、「共産主義者でもないのに理不尽な」という意味のセリフが何度も繰り返されると、さすがに「共産主義者にだったら暴行してもいいんかい、殺してもいいのかい」と思う。

人類を語ることは孤独なことだが
この独だけが
人類を語ることができる
人類を語るのは
サラム ひとの魂
危機と滅亡を感知する身体だ

魂があるかないか
身体があるかないかで
独に目覚めるか否か
群するか否かが決まる
魂を失わずに独であって群すれば
サラム ひとは人類と連帯する

この時
サラム ひとは生者とだけでなく
死者たちと連帯する
人類とは生者たちのことだけではない
死者たちのことでもある
人類は死者たちと共に在る

 崔 真碩( チェ ジンソク )『サラム ひと』(夜光社 民衆詩叢書 I,2018)より

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 大分県耶馬渓の斜面崩壊現場のアジア航測の航空写真を見ると、崩落面は屈曲した金吉川の下流側と平行になっているように見える。


 国土地理院の地形図では、これと平行(東西)にリニアメントらしきものが見える。

イメージ 1


イメージ 2


 これが活断層であるかどうかはともかく、2016年熊本地震や昨年の豪雨などが複合的に作用した結果、断層面で滑った可能性は高いと思う。

 現地調査は危なそうだが、最近のレーザー測量では樹木の隙間から地表地形を捉えることができるそうなので、まずは周辺の精密な地形図を作成することが求められる。防災も金さえあれば相当のことができるが、ハザードマップの公表も地価に影響するので、地方行政としても悩ましい問題を孕んでいるようだ。

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 先週、2月11日の『ワイドナショー』での三浦瑠麗氏のスリーパーセル発言について、一言書いておくべきだと思いつつ、一週間が過ぎてしまった。録画から件の部分を文字起こしする。

三浦瑠麗:そう、実際に戦争が始まったら、テロリストが、仮に金正恩さんが殺されても、スリーパー・セルって言われて、もし指導者が死んだっていうのがわかったら、もう一切外部との連絡を絶って、都市で動き始めるスリーパーセルというのが活動するってのが言われてるんです。

(「スリーパーセル 一般市民を装って潜伏している工作員やテロリスト」との字幕が入る)

東野幸治:普段眠っている、暗殺部隊みたいなのが?

三浦瑠麗:テロリスト分子がいるわけです。で、それが、ソウルでも東京でも、もちろん大阪でも、今けっこう大阪ヤバイって言われていて・・・

松本人志:えっ、潜んでるってことですか?

三浦瑠麗:潜んでます。ていうのは、あの、いざという時に、その最後のバックアップなんですよ。で、そうしたら、首都攻撃するよりかは、正直、他の大都市が狙われる可能性もあるので、東京じゃないからってふうに安心はできないっていうのがあるので、正直我々としては核であろうが何だろうが戦争して欲しくはないんですよ、アメリカに・・・

 私は、三浦氏のこの発言は、在日朝鮮人に対する憎悪を煽り、危険にさらす効果を発揮する極めて悪質なものだと思う。類似の批判に対して三浦氏を擁護する意見が見られたので、そのいくつかについて手短に感想を書いておく。

 まず、韓国や日本に「北朝鮮」のスパイや工作員が多数潜んでいるというのは常識で、実際に日本人が拉致されたではないかというのがあった。しかし、三浦氏が言っているのは、そうしたスパイや工作員のことではなく、戦争がおこって母国の指導者が殺されたり国体が崩壊したりした際に大規模なテロを仕掛けるよう命令を受けた集団のことで、そのような者が一般市民に紛れて多数潜んでいるという話である。三浦氏は戦争がおこったらどうなるかという文脈で発言しているのだから、そうした擁護は筋違いだ。

 また、三浦氏はスリーパーセルが在日朝鮮人として暮らしているとは言っていないのだからヘイトスピーチにはあたらないというのもあったが、実際にこれに触発された在日朝鮮人へのヘイトスピーチや暴力行為が増えている。
例えば



 東京大学への抗議については、表現の自由、学問の自由があるのだから無駄だとの意見も見られた。しかし、他の権利と衝突する場合を想起するとあらゆる権利が無制限のものでないことは自明のことであろう。大学であっても、表現の自由、学問の自由が権利として他の人権に勝る訳ではないというのが一般的な理解で、そのためにいろいろな倫理規定、コンプライアンス規則などが設けられている筈だ。

 この件に関係することで言えば、どこの大学にも情報倫理規程のようなものがあって、大学所属を名乗ってSNSなどでヘイトスピーチを公言したりするとお咎めを受ける。恥ずかしながら一昨年、私の学部の学生がtwitterで他国・多民族の憎悪を煽る発言をくりかえし、通報をもとに明確な情報倫理規程違反との決定が下され、厳重注意とtwitterアカウントの強制削除処分が行われた。SNS上ではなくテレビのワイドショーでの発言だから情報倫理規程違反にはあたらないとの言い逃れは通用するだろうか。学生は処分されて当然だが大学教員は表現の自由や学問の自由で守られるべきだというのは通用するだろうか。

 学生本人は表向き反省のそぶりを見せていたが、通知を受けた父親から「何が悪いのだ」と大学担当者へ抗議があったと聞いて唖然とした。学生はお客様だが、大学当局は親の抗議に怯まなかった。しかし、親が庇ってくれたことで真の反省は得られなかったのだろう。その後この学生はもっと酷い事件をおこしてしまったのだ。人権というものを理解しない限り、何度でも人権侵害を犯す訳である。三浦瑠麗氏が人権を正しく理解しているとは到底思えないので、今後も人権侵害を誘発するような発言が繰り返される可能性大である。

 ところで、三浦氏の言うスリーパーセルなるものは、母国の国体が崩壊した後でもなお母国への忠誠を維持し、命を捨てる覚悟でテロ行為に及ぶというものらしいが、そんな人間の存在をどうして信じることができるのか、私には全くわからない。かつてそのような実例があったのだろうか。近・現代史の中でも一国の指導者が殺害され、国体が崩壊した例は多いが、そのことを合図に敵対していた国でスリーパーセルの一斉蜂起がおこったという例を私は知らない。

 日本の敗戦後もフィリピンのルバング島で「戦い」続けた小野田寛郎元少尉をスリーパーセルの実例とする意見を見かけたが、彼の実像は三浦氏が想定しているものとは全く異なるものである。帰国直後の小野田氏と三ヶ月間寝食を共にしながら彼の手記『わがルバン島の30年戦争』(講談社, 1974年)をゴーストライターとして代筆した津田信氏は、やがて小野田氏本人による「小野田像の捏造」に堪えられず『幻想の英雄』(図書出版社,1977年)を著すことになる。その「あとがき」で津田氏は、間違った ”小野田伝説” が語りつがれることを恐れた “懺悔の書” であると書いている。

 あらゆる情報は小野田氏が早い段階で敗戦を知っていた事を示していた。それなのに彼は、滑稽な言い訳とともに、敗戦については知らなかった、むしろ大日本帝国はいよいよ国力を増して東京オリンピックを開催したり皇太子が民間人と結婚するのに湧いたりするまでになったと信じていたと最後まで主張したのである。津田氏が疑惑を懐いたのはそうしたことに端を発している。

むろん私は、彼の話で腑に落ちないところは何度も問い返した。自分でもしつこいと思うほど念を押した。だが、敗戦認識についてはいくら訊いても彼の説明は矛盾だらけで、むしろ、聞けば聞くほど疑惑が生じた。(P. 127)

 小野田氏が潜んでいたルバング島(面積255 km2)は、戦略上ほとんど無意味な、小さな島である。30年間に100人以上を殺傷した(殺害は30人以上)とされているが、そのほとんどは、何の罪もない島民だ。

「将来、友軍の主力の容易ならしめるには、われわれが島内の”占領地域”をがっちりと守り通さねばなりませんでした」
 彼は繰り返しこう主張した。しかし、この島にきてますますはっきりしたのは、彼の占領地域が日頃島民が寄り付かない、と言うよりはほとんど必要としない山岳部だったことである。彼自身が生存するには必要な地域だったかも知れないが、戦略上、鼠以下の生活をしてまで守らねばならない地域とはどうしても考えられなかった。(P. 209)

きのうから接した島民たちは誰も彼も愛想がよく、親切であった。黙って私とC君のために小屋をつくってくれたことが、彼らの人柄を端的に語っていた。戦争継続を妄想して無益な殺傷をくり返し、しかもそれを自慢気に語った小野田寛郎に、私はこのとき強い嫌悪を覚えた。同時にその男の手記を代筆している自分がたまらなくはずかしかった。(P. 218)

 有能な情報戦の将校が日本の敗戦を知らなかった筈はない。しかし、既に彼は何人かの島民を手に掛けていて、報復を恐れ、投降をためらっているうちに罪を重ねて行くことになる。生きて行くためとはいえ島民の殺害を続ける事を正当化するには理由が必要だ。戦争に負けたのに「戦闘」を続けることにはいかなる理由も見出せないから、どうあっても日本の敗戦を知らなかったことにしなければならない。

私は以前から、小野田寛郎が最も恐れていたのは島民の復讐だったと推察していたが、彼の性格を知るに及んで、もう一つ、彼が恐れていたものに気づいた。それは復讐を恐ると同時に、その恐怖心を第三者に見破られることである。この二重の恐怖から逃れて安全に山を降りる唯一の方法 ―- それが上官の命令だったのではないのか。(p. 227)

 彼は、上官からの残置任務を遂行した訳ではなく、保身のために略奪と殺戮を繰り返しただけの、本来なら国際指名手配犯に該当する殺人鬼に過ぎない。そこから心身ともに安全に生還するためには上官による命令の解除という神話的な物語が必要だった。津田氏の著書によってその事の欺瞞性が暴かれ、ブラジルへ逃亡したのだろう。

 津田氏が健在であったら、この度の三浦氏の発言を聞いて、スリーパーセルなどというのは戦争の実相を知らない平和ボケした学者の妄想にすぎないと喝破したのではないか。妄想を垂れ流して恥をかくのは自業自得だが、そのせいで生じる被害に思いが至らないのは人権意識の欠如によるものである。


[MV] 이랑 イ・ラン - 임진강 イムジン河

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 2月10日、作家の石牟礼道子さん(90歳)逝去。若い頃から彼女の文学に親しみ、大きな影響を受けてきた身として、哀しみに耐えない。

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Ishimure MichikoThornber, 2016)から

「石牟礼道子さんを公私にわたり支援してきた日本近代史家の渡辺京二さん(87)は、「半世紀の付き合いで家族を亡くしたようなもの。客観的なコメントはできない」と言葉少なだった。」(毎日新聞2月11日付、社会面)

 その渡辺さんによる石牟礼さんの紹介記事が熊本県教育委員会の「 くまもとの偉人(熊本県近代文化功労者)」のサイトにある。彼女の文学について論じたところを一部引用する。

彼女の作品に説教節や能に通じる古典的夢幻性が濃厚なのは誰しも認める事実だけれども、一方、現代ラテンアメリカ文学、たとえばガルシア・マルケスのような土俗性を帯びた前衛文学との相似を指摘する声もある。ソローを原点とする環境文学、ネイチャー・ライティングの現代的事例として評価する見方もあって、いずれも彼女の創造の含蓄のゆたかさを示すものだろう。
 筆者に言わせれば、石牟礼の作品は万葉以来のこの国の文学の感性を純粋にひき継いでいて、その意味では伝統的であると同時に、一方ではこれまで日本の近代文学に出現したことのない、あえていえば不思議な文学なのである。

 石牟礼さんは、言葉によって世界を表現し得る(認識し得る)ことに感動して文学の道に入ったという意味のことを書いていた。逆に、石牟礼さんの「不思議な文学」が描く「世界」を解体し、その全体像を言葉に還元すべく果敢に挑戦した論考として、ハーバード大学のKaren Thornber(比較文学学)による「Ishimure Michiko and Global Ecocriticism」(注1)がある。そこでは、石牟礼さんの文学が日本の標準的な言葉とは異なる方言が多用されている事も災いして、広範な翻訳を困難にしていることから、現状では「世界文学」の中では周縁の位置(marginal position)を占めるとしながらも、その本質的な貢献は「世界文学」の意味に拡大を迫るものと評価している。ノーベル文学賞の受賞を密かに期待していたが、まだ世界の文学界は、彼女の文学を言葉にすることに成功していない(「不思議」なままで終わっている)ということなのか。
 
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Ishimure in sit-in protest at Ministry of Health, Labor and Welfare, 25 May 1970: Thornber (2016)から

 前掲の渡辺京二さんによる解説記事に、彼女の生い立ちに関わって次の記述がある。

石牟礼道子は一九二七年三月一一日、天草の宮野河内(現河浦町)で生まれた。白石亀太郎と吉田ハルノの長女である。ハルノの父吉田松太郎は当時石工の棟梁として、道路工事、港湾建設を請け負う一方、回船業も営むなど手広く事業を展開しており、白石亀太郎は松太郎のもとで帳付けを勤めるうちにハルノと結ばれた。宮野河内は松太郎が請け負った仕事先で、そこに両親が滞在中に道子が生まれた。吉田家は水俣町浜に住居を構えていて、道子は出生後三ヶ月でその家へ戻った。
 天草は両親が仕事で滞在中に生まれたというだけの仮そめの地であるのに、彼女は成人後ずっと天草生まれと自覚し、人にもそう語った。というのは祖父松太郎と母ハルノは天草上島の下浦、父亀太郎は同下島の下津深江の出身で、彼女の家には天草の親族がしばしば出入りし、彼女自身天草に深いえにしを覚えていたのである。柔らかでみやびやかな天草弁は彼女のからだ奥深く染みこみ、後年の創作の中に生かされることになる。

 仮そめの地にすぎないのに天草の出であると言い張っていたもう一人の著名人として吉本隆明氏がいるが(注2)、石牟礼さんの天草への思慕は格別のようで、その想いは構想50年を経て島原・天草の乱を描いた長編『春の城』(注3)に結実している。『完本 春の城』(藤原書店・2017)に収録されている「納戸仏さま ー 全集版あとがきにかえて」から引用する。

 わたしの父方も母方も天草である。切支丹ではなかった。何代も何代も隠れてきて、何を隠したのか思い出せない、というような身ぶりを時々みることがあった。
 わたしが七つになった歳の引越しだったが、母が首をかしげて、
 「納戸仏(なんどぼとけ)さまのおんなはらん」
とひとりごとをいうのをきいた。家族がふだん礼拝するのは仏壇と神棚である。そのほかに、皆に内緒というほどではないが、納戸仏さまと時々口に出し、あわててのみこみ、首を傾け、思い出せないことを考えている風なのが、子ども心にけげんであった。
 何年かして、あるとき、しのびやかな面持ちで母がいいかけてきた。
 「あのね、道子。自分が考えて、これが一番大事と思うことはね、つまりわが本心はね」
 「わが本心」などというむずかしげな言葉をふだん口にする人ではなかった。何か切実なひびきを感じて顔を見上げた。いつもの春風のようなゆったりとした表情が消えている。
 「あのね、自分の本心ちゅうのはね、人さまには見せちゃならんとぞ、決して。語ってもならん。よかね」
 五年生ぐらいだったろうか。思い重ねてきて、これだけは言いきかせておこうというような音声でふいに言いかけてきたのである。わたしは誰かと言い争ったとか、何かをしでかしたという覚えはない。
 「うちにはね、納戸仏さまの、おらいましたがね、どこかにゆかれたごたる。家移りばかりしてきたもんで。
 道子が生まれた時の守り仏さまじゃった。納戸にね、大切にして拝みよった。人にいわずに覚えておこうぞ、大事な観音さまじゃけん、道子にあずかってもらおうね」
 説教がましいことなど一度もきいたことはなかった。よっぽど大切なことらしい。母はわたしをそっと抱き、
 「み心ば、いただこうね。道子があやかりますように」
と言った。震えをおびた音声であった。
 「天草から、たしかにお連れしてきたとじゃけん。わが身と同じように、ひとさまを大切にいたしやしょうぞ」
 そういえばすすけた観音さまをみたおぼえがあった。こうして姿の見えない納戸仏さまをわたしは母からあずかった。

 母方の祖父吉田松太郎は天草上島の下浦(しもうら)で石工の棟梁をしていた。この町はもともと石工が多く、江戸時代から「下浦石工」として知られていた。農地に適した土地が少なく、浅瀬の多い内湾で漁業もままならず、それほど良質というのでもない砂岩を「下浦石」と称して売り出す他になかったようである。

 スタンフォード大の古地図アーカイブから松太郎一家が暮らしていた頃の地形図を示す。

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 松太郎一家が居を構えていたのは中央やや北東寄りの「舩場(せんば)」の海岸に面した集落(N32.4162, E130.2213)で、沖を通過する貨物船に手漕ぎの和船で荷物を受け渡す回船業も営んでいた。「下浦村」の地名の「浦」の字の北東にある崖マークが下浦石の採石場である。石牟礼さんの短編に、父や祖父の、石を積んだ荷車を引く肉体労働を、自然の移ろいの中で神話的な世界として描いた作品があるが、おそらく想像の産物であろう。地図の南東部にある「上血塚嶋」、「下血塚嶋」の二つの島は、源平の壇ノ浦の合戦の後で、敗走してきた平家の残党が源氏の討伐隊によって最後に絶滅させられたところとされている。下の写真の右側にその二つの島が写っている。

イメージ 4


 石牟礼作品にしばしば登場する方言は、水俣のものと若干異なって、天草の下浦周辺に起源がある。取り立てて何もない、ただただ穏やかな自然が育んだ、平安時代の古語を残す土着の言葉が世界を記述したのである。

――――――――――――――――――――――――――
注1)Thornber (2016) Ishimure Michiko and Global Ecocriticism. The Asia-Pacific Journal, Japan Focus Volume 14, Issue 13, Number 6, 1-23.pdf: 1.7 MB
注2)石関善治郎著『吉本隆明の帰郷』(思潮社・2012年刊)参照
注3)高知新聞や熊本日日新聞に連載されていた『春の城』は、連載終了直後に『アニマの鳥』(筑摩書房・1999)として刊行されたが、石牟礼道子全集 第13巻(筑摩書房・2007)に連載時のタイトルに戻して収録され、さらに取材記などと併せ、『完本 春の城』(藤原書店・2017)としても刊行されるというやや不可解な経緯を持つ作品である。Wikipediaの「石牟礼道子」の著書一覧には『春の城』は掲載されていない。なお、「島原・天草の乱」は、天草では「天草・島原の乱」と称され、『完本 春の城』でも「天草・島原の乱」と表記されている。

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 HPVワクチンを巡る議論について、問題の難しさ・重大さに比べてこの方面の私の知識の乏しさから積極的な発言は控えてきた。しかし、身内の問題として判断を迫られることになり、昨年末から時間をとって情報を収集してきた。問題は、副反応被害者の救済と「積極的接種勧奨」再開の是非の二点に整理されるのであろうが、核心は、このワクチンの接種によるリスクとベネフィットの比はどの程度であるのかという点にある。副反応リスクと薬効の問題については専門家の議論を注視しつつ、ここでは、そうした議論から漏れがちなリスクについて述べる。

社会的制裁を受けるリスク
 先ず、この間の議論から感じるのは、「積極的接種勧奨」の再開を主張する医師やライターなどから、副反応被害を訴える当の被害者やその家族・支援者へ向けて、敵意に満ちた悪罵が投げられるという異様さである。例えば、WEDGEに掲載された村中璃子氏による一連の記事を読んでみよう。

2)「放射能とワクチン不安に寄り添う怪しげな「支援者」対談 開沼博×村中璃子(前編) 2016年4月20日)
3)「放射能と子宮頸がんワクチン カルト化からママを救う」(対談 開沼博×村中璃子(後篇) 2016年4月21日)

 その異様さは、医師を自称する村中氏自身患者を診ることなくして、一方の立場の医師達ばかりによる伝聞に基づいて下された診断を元に容赦のない悪罵が投げられている点にある。1)の冒頭部分は、患者会がパンフレットにまとめた症状を読んだだけの医師による「診断」である。また、「ある医大の小児科教授」による、いわゆる「いい子」に多く見られる『アルプスの少女ハイジ』のクララ病だとの診断も紹介されている。実際は、各地の医療機関の担当医から因果関係について「関連あり」と報告された多数の副反応例が厚労省に集約され公開されているにも関わらずである(注1)。私は、重篤な体調不良で苦しんでいる人に向けてこのような診断を簡単に下し、安易に公言する医師が存在することに心底呆れる。これは明らかな人権侵害である。

 さらに、HPVワクチンの「積極的接種勧奨」の再開を熱心に主張している久住英二医師からの、被害者の 保護者へ向けた、「ワクチンに対する実体のない恐怖を植え付けた当事者、貴殿が接種率を低下させたのです。」とのtweet(18:52 - 2017年12月14日)もあったりりする。

 他にも多々あるが、こうしてみると、もし子どもがHPVワクチンを接種して具合が悪くなり、副反応が疑われる事態になった時にそれを口にしたりすると、クララ病扱いされ、カルトママだとかモンスターマザーだとか、社会の害悪になっているとか、「反ワクチン脳」だとかの悪罵が多方面から投げつけられる<リスク>があることに気づく。

専門家にだまされるリスク
 このような非難は、表向き、HPVワクチンによるベネフィットと副反応のリスクを比べると、圧倒的に前者が大きいことが科学的に証明されているとの判断に基づいているようであるが、肝心の科学の現状はどうであろうか。ここにもまた、専門家が見落としがちなリスクがある。緒としてサイエンスライターの片瀬久美子 @kumikokatase さんのtweet(15:35 - 2018年1月7日)から考えてみよう。

「HPVワクチンのリスクと有効性を考える上で、(村中璃子さんなど)個人の人間性は無関係です。「科学的な評価」には、人の好き嫌いは入り込む余地はありません。。。」

 「科学的な評価」に人の好き嫌いの問題が影響してならないというのはわかる。しかし、(研究者の)「人間性」は科学の営みやその成果に影響を与えるものであるから、研究(者)倫理という観点からは「人間性の問題」と「人の好き嫌いの問題」は区別して語られるべきであり、前者は決して「無関係」ではない。倫理は人間性に由来するだろう。

 科学の営みが人の文化的行為である以上、そこには不可避的に価値論が入り込む。何を研究テーマとして<選択>するかというスタート時点で、既に価値論が入り込んでいるからである。権力を手にいれるためであったり、一儲けするためであったりするかもしれない。人類は、科学の成果や科学の営みが人にとって大きな災厄になり得ることを学んできた。そのようなリスクは避けなければならないが、その際に見落とされがちなのが、「専門家にだまされるリスク」である。

 このことは既に、このブログの「樹々の緑さんへのお返事:私の努力目標」と題する記事(2012年5月15日)に書いている。そこでは、市村正也さんの「リスク論批判:なぜリスク論はリスク対策に対し過度に否定的な結論を導くか」と題する論考(注2)と、同じ市村さんのウェブサイトに掲載された「遅ればせながら、2011年3月11日の震災をうけてのつけたし」と題する論考を引いている。後者からの引用部分を再掲しよう。

専門家にだまされるリスクがある、ということが論文の主張の一つだったが、あの原発事故を経験した今では、多くの人にとってそのことはすっかり自明のことになってしまった。事故の解説でマスメディアに登場した○○大学教授たち(特に、東京大学教授たち)は、明らかに嘘を言って私たちをだまそうとしていた。情報がなくてわからなかった部分もあったのかもしれないが、そういうときはわからないといえばいいものを、彼らはわかっているふりをして解説をしていた。私はそう考えているし、同じように考えている人は多い。

 このようなリスクを社会的に回避するためにも、最近では「研究(者)倫理」が重要視されるようになり、大学教員や公的機関の研究者は、「研究(者)倫理」のプログラムを受講し、試験にパスすることが義務付けられ、学生への教育もそれなりの時間を割いてなされるようになった。ほとんどの大学が、独自に研究者倫理規定を設けるようになり、学術会議や日本学術振興会でも研究倫理規定を公表した(注3)

 村中璃子氏は医師の肩書きをコネに医療問題での発言への信用を得る立場にあるので、そうしたことに関わる活動には研究倫理が求められると考えて良いだろう。と言っても、各種倫理規定の大半は、真っ当な社会人としてなすべき当然のことでしかないものである。それが守れないのは人間性に問題があるということではないのか。だからこそ研究者としても失格なのではないのか。そのうえで、最近10年ほどの間に急速に整備・明文化されてきた研究(者)倫理規程に照らして、村中氏のHPVワクチンに関係する活動・言説には大変問題が多いと感じる。

 例えば、全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会のHPにリンクされた「村中璃子氏の不適切取材の全容(内容証明)」と題されたサイトに掲載されていることが事実であるとすると、村中氏の取材手法は明らかに人権への配慮規定(注4)に抵触している。彼女のプロフィールからかつて外資系ワクチンメーカーに勤務していた経歴が削除されたりしていることが、利益相反の疑いを生じる要因にもなっている。

 利益相反と言えば、子宮頸がんワクチンの副反応を「心身の反応であり、ワクチンの成分が原因ではない」とする見解をまとめた厚労省の審議会のメンバーの15人中11人が、グラクソ・スミスクライン社ないしMSD社から奨学寄付金、あるいは講演料等を受け取っており、このうち3名は議決に参加できないレベルの利益相反であることも問題となった(注5)。グラクソ・スミスクライン社員の暗躍も暴かれている(注6)

 「積極的接種勧奨」がどうしても必要だと言うのなら、こうした嫌疑を生むようなことは厳に慎むべきとわかっている筈だ。にもかかわらずこうも問題が多いと、敢えて信頼性を損なうようなことをやらざるを得ない裏事情でもあるのかと勘ぐりたくもなる。むしろこうした事態を深刻に捉え疑ってかかる人の方が、「専門家にだまされるリスク」というものを考慮に入れ、研究倫理の重要性をきちんと理解している科学リテラシーのある人ということになろう。

 現状では、提出されているデータだって真面目に検討するに値するものかどうかも疑わしい。ワクチンメーカーによる副反応の調査にしても、対照群にワクチンと同じアジュバントが接種されているのも解せない。厚労省に寄せられている副反応の報告数が実態を反映しいるのかどうかと疑いだすと、もう素人にはお手上げである。そこで現場の医師達はどう考えているのかと探っているうちに無視できない指摘に行き当たった。小児科医の吉岡誠一郎氏の「小児科医の9割を占める子宮頸がんワクチン推進派の先生方へ」(2016年5月17日)である。

子宮頸がんワクチン接種再開すべきと挙手した先生たちに言いたいんだけど、ちゃんと接種を勧めてますか?接種すべきという信念があるなら国が積極的な勧奨をしようがしまいが、あなたが勧めて接種すれば良いんじゃないですか?9割の小児科医がみんなで接種を勧めたら、接種率がほぼ0%なんてことはないと思うんですけどね。

 最近のアンケート調査でも小児科医の7割近くが「勧奨を再開すべき」と回答しているのに、それぞれの小児科医が現場で積極的には勧めていない実態が垣間見える。今も希望すればHPVワクチンの接種は無料でできるのだ。勧奨再開に賛成の医師達の大半が、実は色々な疑念を抱え、このワクチンの安全性に自信がないのではないかと思う。

 以上のようなことから、現段階で個人的には、HPVワクチンの接種を控えつつ定期的なガン検診を心掛けるようにするのが良いと考えている。

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注1) 第31回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会、参考資料2(pdf 3.1 MB)
(平成 21 年 12 月販売開始から平成 29 年 4 月 30 日までの報告分)

注2)名古屋工業大学技術倫理研究会編「技術倫理研究」第5号(2008)pp.15-32

注3)最近5年間に国内で公表された倫理規程だけでも次のものがある。
学術会議
2013年1月:「声明 科学者の行動規範 -改訂版-」 (pdf 273 KB)
日本学術振興会

注4)上記にはヘルシンキ宣言を引いて、「研究の目的がどれほど社会にとって重要なものであろうとも,その研究が 被験者の尊厳や人権を侵害するものであってはならない」と記されている。


 当会議は、本日、厚生労働大臣に対し、「厚生労働省の審議会の利益相反管理ルールの見直しを求める要望書−HPVワクチンに関する審議会委員の利益相反を踏まえて−」を提出致しました。 

 本年4月25日、厚生労働省は、子宮頸がんワクチンの副反応を「心身の反応であり、ワクチンの成分が原因ではない」とする見解を今年1月にまとめた審議会のメンバーについて、利益相反の申告内容等に誤りがあったことを公表しました。 この公表結果とこれまでに公表された議事録を総合すると、委員15人中11(73%)が、当該ワクチンメーカーであるグラクソスミスクライン社ないしMSD社から奨学寄付金、あるいは講演料等を受け取っており、このうち、3名(20%)は議決に参加できないレベルの利益相反です。 また、全体の40%に当たる6名の委員が本来申告すべきだった利益相反を適切に申告してなかったことが明らかになっています。 さらに、交代で座長をつとめる2名の委員は、とも利益相反があり、うち1名は座長でありながら議決に参加できず、両名とも適切な申告をしていませんでした。 
(以下、略)


子宮頸(けい)がんワクチンを販売する製薬会社グラクソ・スミスクライン(GSK)の社員が同社の所属を示さず、講師を務めていた東京女子医大の肩書のみを記して、ワクチン接種の有用性を紹介する論文を発表していたことが11日、分かった。

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